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01. 異世界の空

 空が白む。星々が陽光に(うず)まり、大地の暗闇は晴れる。地平の果てに空との境界が見えると言うことは、この大地は曲面なのだろう。

 ゆっくり振り返り、そのまま一回転する。幾度となく四方を見回すが、目に映る地平線に切れ目は無かった――。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 栗色(くりいろ)の土に生える草々を踏み付け、泥濘(ぬかるみ)に足を取られながらも草原を進む。向かう方向は、太陽の動きで見当を付けた。

「先ずは南中高度を……いや、地軸の傾きが……公転が……?」
「取り敢えずここが北半球なら……北?」
「この星の地磁気はどうなって……?」

 G(全地球)P(測位)S(システム)()(かく)、期待を懸けた電子コンパスにも裏切られる。そもそも地図が無いのだから、行き先が決まる訳も無い。

 果たして異世界はどんな形なのかと思索に(ふけ)る寸前、不意に(ひらめ)く。

「太陽の軌跡に背を向けて歩けば、涼しいところに行けるのでは……?」

 勿論(もちろん)、移動距離のことは()(じょう)から追い()る。周囲に助けは無く、予断(どうなるか)許さない(わからない)状況である。

 せめて都合の良い未来に期待し、理由は後付ける。

「暑すぎなければ、多分……植生も豊かだろう」

 気休めの言葉とともに、旅の第一歩を踏み出した。


◇◇◇◇◇◇◇


 辺りは樹木の無い草原だが、今は降雨の有る季節らしい。時折見掛ける水溜まりに、胸を撫で下ろす。

 現在の装備は、例の薬を飲んだ時の(まま)だ。詰まり、サバイバルに耐え得るものだが、実際に使うとなれば未だ不慣れである。

 元から身に着けていたのに、使い(こな)せないのは何故か? ……サバイバル経験など、ここ数週間が初めてだったからだ。

 入念に計画し、トレーニングを積み重ねた上で挑めば良かったが、先の旅行は無計画に強行された。故に世界()()旅行ではなく、単に世界旅行と呼んだ。

「思い立ったからネットで調べてみた。取り敢えず現地に行って、そこで習えば良いか」

 この程度の覚悟で出発した。一応、乗り物の移動中は、キャンプ関連本に目を通し、現地のガイドにも教わった。

 そして程無く、森の奥深くへと一人乗り込んだのである。結果的に異世界へと辿(たど)り着いたが、やはり付け焼き刃の知識に過ぎず、徐々に限界を感じ始めていた――。


◇◇◇◇◇◇


 遠くまで移動した身体は、どこも凝り固まっていた。早々に身体を休ませようと、満天の星を見上げ、横たわる。

 歪曲(わいきょく)する夜空は、(ほの)かに光る六等星までも映し出す。澄み渡る空気は、地球上の何処よりも大気汚染と縁遠いのだろう。

 そして、光害とさえ()われる現代文明の灯りの(とぼ)しさ故に、暗い星明かりは地上に届く。

 絶えず鼓膜を刺激する虫達の鳴き声は、地球とそう変わらない。耳を(かす)める(羽虫)も、口に飛び込む(大きな羽虫)も、後先考えず(急に跳)突撃する(ねてビックリさせら)(れる虫)も、()りること無く私に構い続ける。

 口と鼻を必死に覆いながら、()き混ぜた思考の渦に意識を投げ落とす。


◇◇◇◇◇


 空に見える星々は、どれ一つとして覚えが無い。美しい夜空が、仕舞い込んだ不安を呼び覚ます。脳裏に老人の言葉がちらつく。

『元の世界には帰れない』

 この世界と地球が同じ宇宙に存在したところで、その距離は恐らく、銀河団規模で離れている。天文データや観測装置があれば、地球との相対位置や、現在の年月を割り出すことも、或いは叶ったのだろう。

 あの時、異世界へ行けると聞いた私は即答した。どうして、もっと詳しい話を聞かなかったのか……。

 いや、今更後悔しても(せん)無いことだと再三、自身に言い聞かせている。

 喜び(いさ)んで来たは良いが、この土地には誰一人いなかった。いくら異世界と言っても、世界に独りきりでは意味が無いだろう。

 おまけに、生まれ育った世界との繋がりを断たれた私は、(かつ)てない孤独を味わっている。

 ……止まらない負の感情から逃れようと、潜思の舳先(へさき)を逸らす。


◇◇◇◇


 移り行く星空を見て、気付いたことがある。この星の自転速度だ。それと、自転軸にも見当(けんとう)を付けた。

 重力や大気の組成等、意識の外にある環境については、地球と変わらない……気がする。いや、これまで違和感を覚えなかったと言うことは、恐らく大差無いのだろう。

 仮に違ったとしても、『同一の宇宙なのか確認する術として、種々(しゅじゅ)の物理定数を検証する!』等と張り切る余力は、サバイバル真っ最中の私に持ち得ないものだ。

 それにしても、生物に適した星があると、地球の研究者に教えたらどんな顔をするだろうか? 知っても調査出来無いのだから、(さぞ)や無念に違いない。

 そんな益体も無い妄想に、思わず笑みが(こぼ)れる。

 陳腐(ちんぷ)な表現だが、手を伸ばせば星に触れそうだ。実際にやったところで何かを得る訳では無いが、失うものも特に無い。先程から(ほとん)ど動かない星へと手を伸ばす。

 この世界に人がいて、旅をするなら、やはり目指すのは、あの星だろうか。

 太陽を目印に移動している私に言えたことでは無いが、この土地は半島や孤島かも知れない。この先には何も無く、大陸の終端となっているかも知れない。

 旅する人々は、未知の世界で、失敗する恐怖心にいつまで抗い続けられるだろうか。


◇◇◇


 気付けば、あれほど私に執着していた虫達が、その羽音を消していた。星に届かなかった手を、焚き火に(かざ)す。

 地球の学者達は、世界に輪郭(りんかく)を定めた。数多の事象を観測し、それらを説明する理論を組み立てた。

 それでも世界の原点は観測出来ず、地球の成り立ちも、(いく)つもの奇跡的な偶然が幸運にも噛み合った結果で、噛み合ったからこそ観測出来ている、などと言う。

 他方、地球の数十億人が信じるには、世界は創造主が創り出し、その名前や過程は今も記録に残っていると云う。

 光に惹かれる本能が、虫を焚き火へ導く。遠くから飛んできた勢いそのまま、パチッ……と最期に臭いを散らす。

 あの虫は、自身の行動に疑問を持たなかったのだろうか。


◇◇


 ペンがあれば人を描けるが、描かれた絵が私達を見ることは無い。その眼には、物を見る機能が無いからだ。

 同様に、部品を組み立てればパソコンを作り出せる。この時、絵とパソコンの決定的な違いは、キーボードやカメラを接続出来ることだ。

 入力装置があれば、外部の刺激を受け取ることが出来る。従って、私達も手段を得れば、創造主とて知覚可能な筈だ。 そして、既存の物理法則で創造主を認知出来無いのであれば、残る可能性は魔法ぐらいだろう。

 かつて奇蹟を扱った者は、聖人として讃えられた。それほど、魔法は希少とされている。故に、地球のあらゆる分野は研究を尽くされたが、その中に魔法は含まれていないのだ。

 しかし、仮にこの考えが正しかったとして、創造主に(まみ)えた私は、一体何をすれば良いのだろうか。

 ともすれば願いでも叶えてくれるのかも知れないが、私の願いは異世界に来ることであり、既に済んでいる。

 ……いや正確には、想像の埒外(らちがい)にある、魔法と動物を見たいのだった。そもそも魔法が無いと創造主に会えないのだが。

 それに、世界を創った後、ヒトは少なくとも二人いるものだと聞いたことがある。(ついで)に乗り物があれば、なお良い。

 考えがまとまらない。(ようや)く、疲れた身体に脳が追い付いたようだ。鈍くなる思考を受け入れ、寝返りを打つ。





 自ら回る大地は、空に映す星々を替え行く。

 ただ一つ、揺るぎ無い星もあるが、世界の動きに影響されないのは、幸運にも()(てん)(じく)上に位置しているからに過ぎない。

 それでも、自転軸上に存在するだろう幾つもの恒星の中で、この地上まで光を到達させたのは、その星だけである。

 薄れる意識を感じ、新たな方針を言葉に残す。

 「明日は、あの星へ向かって歩こう」

 そして、孤独な旅が終わる――。

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