Ⅵ まどろみの後
寝ては起き、起きたら絡まり合い、果ててはまたまどろみ、抱き合って落ちる。
幸せな時間は思っていた以上に短いらしい。
裸で眠りについていた龍樹は、忍の腕枕で目が覚めた。
「おはよ、龍樹」
すでに起きていた忍が、満面の笑みで言った。
「お、おはよ…」
「まだヤる?」
「もういいだろ…もう出ねーよ、さすがに…」
「冗談だ。明るくなる前に、シャワー浴びて出るか」
龍樹の額に口接けをして、忍が起き上がった。何度も絡み合ったせいで、龍樹も忍も髪はくしゃくしゃだった。
「風呂、入ろーぜ」
「ああ、身体中精液まみれだしな」
「なんだ、呑みたかったのか?」
「たまにでいいって!」
「へえ、たまになら、呑むのか?」
揚げ足を取ってがしがしと龍樹の頭を撫ぜ、忍が立ち上がった。
「あああもう、頭撫ぜるなよ」
言うだけで怒ることもなく、龍樹が忍に続いて風呂場へ向かう。
「うお、腹ガビガビじゃん」
「シャワーで流してやるって」
「おまえ、なんか優しいな」
扱いがやけに優しく感じて、龍樹が怪訝な顔をした。いつもはツンツンしている忍がツンデレに感じるのだ。
「いつものことだろ」
「いや、いつもはもっと意地悪だったぞ」
「じゃあ、愛情の裏返しだったんだろ」
バスルームでシャワーヘッドを握り、忍がザーッとお湯を出した。
「え、いつも好きだとか愛してるとか言ってたのは、嘘じゃなかたったってことか?」
「当たり前だ。なんでおまえに嘘なんか言うんだ」
適温になったお湯を龍樹の身体にかけて手でこすりながら、忍が憮然とした顔で言う。
「いつも冗談ばっかり言ってると思ってた、ごめん」
「報われねえな、俺。情熱的なキスしてくれたら、許す」
「…がんばる」
…え?マジで?
腕をするりと忍の首に回し、龍樹が唇を重ねた。ついばむように、そっと。そして、唇を割って、舌が入ってくる。
「ン、ンン…」
互いに、声が漏れる。何度目かも忘れるほどに交わした口接け。
シャワーを戻し、忍も龍樹を抱きしめた。
…幸せ過ぎて、怖え…。
夢が目覚めてしまうようで、急に不安になったのだ。
むさぼり合うように口接けを交わし合うと、龍樹はいたずらっぽく額をこつんと合わせた。
「…勃ったな」
「おまえもな。せっかくラブホの風呂だから、これ使ってみるか」
シャンプーの横にあった透明なボトルを掴んで、忍がぎゅっと握りしめた。にゅるっと透明な液体が掌に出てくる。
「…なに?」
「ローションだろ。俺も初めて使うけど。ちょっと冷たいかもしれんが、我慢しろよ」
ローションを掌でこすり合わせて、温めるついでに粘度を確かめる。程よいヌルつきで、バブルバスよりもねっとりしている。
「もっとこっち来い、龍樹」
「え、ちょっと…ンっ、なにすんだよっ」
「兜合わせ。知らねえ?」
「しら、ね、え、って、ば…はあっ」
ローションで互いを合わせてこすり上げられて、龍樹が思わず声を上げる。
「すっげ、かわいい、な」
「うっせ、黙ってろ」
腕を回して唇をふさぎ、龍樹は忍からの快楽を受け入れた。
無駄だと思っても、調べとくもんだな…いつ役に立つともわかったもんじゃない。
ああ幸せだと、忍が独り言ちる。
…グーグル様ありがとう。俺の知らない知識をくれて。
予定より少し遅れてラブホテルを出たのは、六時を回った頃だった。
雨が上がった空は晴れており、ふたりのモヤモヤを吹き飛ばしたかのようだ。
バイクで忍の後ろに着いた龍樹は、少しドキドキとしながら忍の腰に手を回していた。海岸沿いを走る風が心地よかった。
龍樹が同居することが決まって、忍が始めにしたこと――龍樹のものをそろえること。一人分しかなかった食器を、二人分にしたこと。ベッドと寝具、そして、バイクに乗せるため、フルフェイスのヘルメットを買ったこと。
そもそも、忍がバイクに乗っていることすら知らなかったというのに。
制服と私服のスポーツバックひとつで転がり込んだ龍樹を、忍はヘルメットを渡しバイクに乗せてお気に入りの店に食事に連れて行ったのだ。
嬉しかった。言葉は少なかったが、忍が、龍樹を受け入れてくれたことが。親友だと思っていた。昨夜を、迎えるまでは。
楓にキスをされ、まったく嬉しくなかったこと。忍とラブホテルに入り、ふざけでジャグジーに一緒に入って、キスをされ、びっくりした。そして、嬉しくなくはなかったということ。
まさか、熱烈に告白されるなんて、思ってもみなかったのだが…。
好きだとか、愛してるだとか、いつも真面目な顔してふざけていると思っていたら、大真面目だったとは、青天の霹靂だ。
そしてそれを嬉しいと思った自分自身の方が、びっくり仰天である。
…そっか、俺の中ではとっくに忍は俺の特別で、忍にとって、俺は特別であってほしかったんだ…。
その後こってり何度も気持ちいいことを繰り返したおかげで、疲れたかと思えば、逆に身体中からエネルギーを放出できそうなほど元気になって謎は深まるばかりだ。
忍は房中術だとは笑っていたけど…よくわかんねえし…。でも、すっげえ、元気だし。
胸中で首をかしげながら、龍樹はバイザーを上げて海を眺めながら目を細めた。
忍は、何度も幸せだと言っていた。龍樹を好きでいられて、幸せだと。想いを告げられて、幸せだと。抱き合うことが出来て、幸せだと。龍樹が好きと言ってくれて、幸せだと。
俺も、ちゃんと言えてたかな…ハズカシーから、忍に言わせっぱなしだったけど…。
——忘れたなんて言わせねえからな。おまえが好きだ。俺は龍樹が好きなんだ!
忘れられるわけねえじゃん。あんな熱烈に言われたら…。
「龍樹?どうした?」
思わず腰に回していた腕に力が入ってしまい、忍がバイクのスピードを緩めた。
「なんでもねえ」
忍はポンポンと龍樹の手を叩き、スピードを落としたままバイクは海岸沿いを走り続けた。
初めて見る海岸を眺めていた龍樹は、ふと嫌な気を感じた。それは紛れもない霊気だ。
…霊気?こんな海岸で?もう少し、先から…?
神経を研ぎ澄ますと、感じるのは、よく知った気。
そんな、まさか…譲さん?っていうか、俺、こんなにも遠くの気配なんて、感じられたっけ?
不思議に思い目を凝らすが、視認できる範囲に人影はいない。それほど遠くの気配を感じているというのか。
「忍!もう少し先まで行ってくれ!」
「わかった!」
グン、とスピードがあがる。ぎゅっとしがみ付いた忍の背中は、暖かかった。
霊気と、譲さんの気配。海開きには、早すぎる。何かを、祓おうとしている…?
昨夜の十六夜を途中で抜け出してしまったことを、ほんの少しだけ後悔する。今後の予定を聞きそこなったからだ。残っていれば、今日のことを知っていたかもしれない。
当主が直々動く事案など、滅多にないことだ。それだけ、大きな案件なのかもしれない。
肉眼で確認できるほどに近づくと、祓いの儀式が用意された祭壇が用意されているのが見えた。譲と長男の姿が見える。
「忍、あそこの祓いの儀式の近くまで寄ってくれ!本家の人間だ!」
「何しに行くんだ!?」
「わかんねえけど、行かなきゃいけない気がする!」
「了解!」
エネルギー0で帰ってきた龍樹が行くと言っているのだ。忍は止めることもなく、近くまで行くとバイクを停めた。
「龍樹、大丈夫なのか?」
龍樹からヘルメットを受け取って、忍が少し不安そうに龍樹の腰に腕を回した。
「大丈夫。おまえのおかげで、めちゃめちゃ元気」
「わかった。無茶はするなよ」
「ん」
ごく当たり前のように唇を重ね、龍樹はするりと忍の腕から抜け出した。
「ちょっと、様子を見てくるだけだから。忍はここで待っててくれ。すぐ戻る」
「約束だからな」
こつん、と拳を合わせて、龍樹は祭壇のある砂浜の方へ降りて行った。残された忍はバイクのスタンドを立て、ヘルメットを脱いで龍樹を眺めていた。
「譲さん!」
「龍樹くん?どうしてここに?」
龍樹が声をかけ、振り返った譲は、想像していた以上に青白い顔をしていた。傍にいた譲の長男の貴巳(たかみ)はさらに顔色が悪かった。
「たまたま近くまで来ていて…ここでなにを?」
「来月の海開きはうちが頼まれていたのだけどね。それまでにここでは事故が多くて、祓い鎮めに来ていたんだよ。ところが思ったより厄介でね…貴巳がもう力が尽きてしまったよ」
「父上っ。俺はまだ大丈夫です」
直衣姿の貴巳は二十代後半で体格もよいが、今は顔が青ざめるほどに消耗しているのがわかる。
「俺でよければ、手伝います」
「おまえにそんな力はないだろうが、龍樹!」
「今は、ある。と、思う。チャージしたから」
どうやってかは、言えねえけど…。
「おもしろそうな話ですね。それはまた聞かせてくださいね、龍樹くん。今はお手伝いをお願いしてもいいですか?」
「わかりました。何をすれば?」
「不動明王真言はどこまで?」
「大咒まで確実に」
嫌々ではあるが、修行を受けていただけのことはあった、と独り言ちる。
「いい返事だ。僕が祝詞を上げるので、合わせて大咒を続けて。貴巳、数珠を龍樹くんに」
促された貴巳が、嫌そうな顔をしながら首から下げていた数珠を龍樹に渡す。受け取った龍樹が譲の横に並び、塩と神酒とで簡易で身体を清めた。
「いきますよ」
「はい」
静かに、そして力強く祝詞を上げ始めた譲に続き、龍樹が印を結んで大咒を唱えた。
「なうまく・さらばたたぎゃていびゃく・さらばぼっけいびゃく・さらばたたらた・せんだまかろしゃだ・けん・ぎゃきぎゃき・さらばびきんなん・うん・たらた・かん・まん」
海から感じる霊気が揺れる。感じていたのは、これだ。大きく冷たい霊気の塊。ずるりずるりと押し寄せてくる。
「なうまく・さらばたたぎゃていびゃく・さらばぼっけいびゃく・さらばたたらた・せんだまかろしゃだ・けん・ぎゃきぎゃき・さらばびきんなん・うん・たらた・かん・まん」
身体の中にある、湧き上がるエネルギー。忍からもらったものなら、いつでもチャージできる。これを活かすことが出来るのなら…。
「なうまく・さらばたたぎゃていびゃく・さらばぼっけいびゃく・さらばたたらた・せんだまかろしゃだ・けん・ぎゃきぎゃき・さらばびきんなん・うん・たらた・かん・まん」
重い霊気。冷たい霊気。近づいてきている。すぐそこにまで…。
はっと目を開けると、目の前にまで大きな海水の壁がせりあがってきていた。
「九字を!」
「「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」」
譲と龍樹の二人に九字切りされた水の怪異が、崩壊してゆく。海水が、ばしゃりと崩れた。
つぶされる…!!
「龍樹!!」
頭上から膨大な海水に押しつぶされることを覚悟した龍樹は、自分と譲の上でモーゼの海のように左右に弾けていく海水を見上げて驚いた。
「大丈夫か、龍樹」
大量の海水はザバーっと龍樹と譲たちを避けて、砂浜に打ちつけて流れていった。
「忍、おまえが?」
「他に何がある?霊的なものは見えないが、海水がせりあがっておまえたちの上で弾けたのはわかったからな。押しつぶされるのは嫌だろう?」
バイクから瞬間移動でもしてきたのか、すぐ隣に来ていた忍が龍樹の腰を抱いていた。
「体力は?」
「半分は持っていかれたな」
「なら大丈夫か」
龍樹の腰をポンポンと叩くと、譲に向かって忍はぺこりと頭を下げた。
「初めまして。龍樹の同居人の六波羅忍です」
譲の後ろでは、貴巳が腰を抜かして口をパクパクさせていた。
「龍樹から聞いているかもしれませんが、今みせたのが、俺の超能力です」
「初めまして紫蓮譲です。龍樹くんから話は聞いています。そうですか。今のは君が助けてくれたんですね」
ふふっと直衣の袖口を口元に充てて、譲がにこりとほほ笑んだ。
あー、譲さんが興味持っちゃったなー…。
譲のくせを確認して、龍樹が困ったように頭をかいた。