Ⅶ 必然の出会い
譲は話をしたいと言って、龍樹と忍を誘ってホテルのラウンジへと赴いた。
着替えを済ませ、スーツになった譲は実年齢よりはずいぶん若く見えた。貴巳は具合が悪いと、取っていた部屋で休んでいる。
ここまでくると、高級ホテルがあったようだ。
「おまたせ。龍樹くん、忍くん。なにか頼んだかい?」
「はい。モーニングをふたり分。譲さんは、よかったんですか?」
「ああ、僕はいいんだよ」
ウェイターにコーヒーを頼み、譲はふたりの向かい側に座った。
「改めまして。紫蓮の本家、当主の譲です。僕のことは龍樹くんから聞いたことはあるかな?」
「はい。お名前くらいは存じています」
「俺、そんなに話したっけ?」
心配になった龍樹が、忍の膝に手を置いた。忍がドキッとする。
「一回聞いただけだよ」
「忍、記憶力いいなあ」
ふふんと笑って、忍が膝にある龍樹の手を握った。
「龍樹が言ったことは、忘れねえよ」
「ばっか、ハズカシーこと言ってんじゃねーよ」
それでも、龍樹は忍の手を振り払おうとはせずに握られたままおとなしくしていた。
譲は興味深そうに、ふたりのやり取りを見てにこにこと笑みを浮かべていた。
「お待たせしました」
モーニングセットとコーヒーが運ばれてきて、ひとまずおしゃべりではなく、空きっ腹のふたりの空腹を満たすことにした。
「ん、サンドウィッチうまいな、忍」
「足りるか?ミックスピザもあったぞ?」
「いいな。ピザとコーラのジャンキーな組み合わせ。そそる」
「追加しますね、龍樹くん」
ウェイターに手を上げて、譲がミックスピザとコーラを追加注文した。
「ありがとうございます」
お礼を言う頃には、サンドウィッチはぺろりと龍樹の腹の中である。一晩で使い果たした体力を満たすには、こんなもので全く足りない。
「忍は?足りるのか?」
「俺はそんなに大食漢じゃないからな」
ふたりのやり取りを見て、譲がふふっと笑う。
「きみたちは、お互いのことを、とても思い合っているんだね」
何気にいつも通り世話女房の忍に世話を焼かれていた龍樹が、アイスコーヒーでむせた。
「な、なに言ってるんですか、譲さん…」
もしかしなくても、なんか、バレてる…?
嫌な汗をかきながら、龍樹はずずっと残ったアイスコーヒーを飲み干した。忍はしれっとした顔で言ってのけた。
「いつものことですよ。龍樹は身の回りのことは、何もできないので」
「だいぶできるようになっただろ!食器洗い機のセットと、風呂洗いと、ごみ捨て!」
忍に教えられて、できるようになったこと。それまで龍樹は、何ひとつできなかったのだ。母親がすべてをこなしていたおかげで、龍樹は家事はからっきしだった。
「それ以外、全部俺だけどな」
「はい。そうです。感謝してます」
「よろしい」
「夫婦漫才みたいだね」
くすくすと笑いながら、優しい顔で譲がコーヒーを飲んだ。
「きみたちは、はじめからそんなに仲が良かったのかい?」
問われて、龍樹と忍は顔を見合わせた。はじめからと言われれば、そうではないからだ。
「一年の時から同じクラスでした。忍がクラス委員で、俺が副委員で、偶然忍の能力を見てしまって…それから、仲良くなりました」
龍樹がそう告げると、忍は龍樹を見つめ、首を横に振った。
「…忍?」
「今だから言うが、偶然じゃない。必然だったんだ」
「…え?」
「へえ。聞かせてくれるかい?」
聞き返した龍樹と、譲に、忍はこくりと頷いた。ちょうどピザとコーラが運ばれてきて、龍樹はピザをかじりながら、身を乗り出した。
「俺は、おまえと出会うのを待ってたんだよ。龍樹」
「待ってた…?」
「そう。中学二年の初夢に出てきた、陰陽師の同い年の男。それが俺の運命の相手だって。高校に入ったら出会うのは、わかっていた。ただ、顔と名前はわからなかった。予知夢だよ」
「予知夢まであるのかい?」
譲が感心したように尋ねた。忍は黙ってうなずいた。
「俺の超能力のひとつ。滅多に見ない予知夢。その後に、数字の夢を見た。そしたら、ロト6が当たった。だから、両親を言いくるめておまえと住むための家を買って、待ってた。待ちきれなくて、中三からずっと」
「運命の相手…?俺が…?待ってた…?」
ピザを食べる手を止めて、龍樹が忍を凝視した。そんな話は初めて聞いた。
「そう。だから、あの瞬間の出会いは、偶然じゃない。必然だったんだよ。龍樹」
教室に戻ったときに起こったポルターガイスト。いくら霊的現象が通じない忍でも、物質が飛び回れば、それがポルターガイストだというくらいは理解できる。
それをどう始末しようかと考えていたら、龍樹が偶然扉を開けて、忍には見えなかったが霊を祓ったのだ。
その反動で窓ガラスが割れ、飛び散ったガラスが忍に降りかかりそうになり、咄嗟に超能力で防いだ。
あっけにとられた龍樹と、龍樹が陰陽師あることを理解した忍が驚愕する、まさに奇跡の出会いの瞬間だった。
俺の運命の相手——紫蓮龍樹…!さっきまで隣にいた、副委員が!?
自分の陰陽師としての能力を露見させてしまい、慌てている龍樹を忍は超能力者であることを告げることで、秘密共有者となった。
やっと出会えた。運命の相手。待っていた。ずっと待っていた。でも、嫌われないように、少しずつ距離を詰めないと…。
名前で呼び合うようになり、家に遊びに来るようになり、年明けには龍樹が転がり込んできて、同居人となった。
そして――昨夜に至る。
「超能力に気づいたのは、幼少期で、それからは安定しています。予知夢は数えるほどしか見ていません。龍樹に会ってからは、一度もないです。俺にとって、龍樹は大切な人です」
大切な人…その言葉に、龍樹は赤面した。恋人と言われなかっただけ安心したが、それでも照れくささが否めない。
「えと、俺は初めて知ったんですけど、そういうことらしいです」
コーラを飲み、龍樹がふうっと一息ついた。
「そういうことは、ちゃんと言ってくれよ。俺だけ今まで知らなかっただろ」
「悪い。言いそびれてた。いつか言おうと思ってたんだ」
忍がぽんぽんと頭をなでると、いつもは怒る龍樹が「わかった」と素直にうなずいた。
「まあ、予知夢のおかげでロトでもうけた金があるから、一生おまえを養っていけるから安心しろ。今は株で投資もしてるし」
「おまえの部屋パソコンだらけだと思ったら、そんなことやってたんだ…?」
「おまえは何も気にしないで、なりたい職業になればいいぞ、龍樹」
「そう言ってしまわれては、紫蓮の陰陽師として複雑なのですがね。さきほどの手伝いも中々のものでしたし。普段から龍樹くんは技量としては悪くないと思っていたのですが…」
並んで座っているふたりを見やって、譲は小首をかしげてみせた。
「もしかして、房中術、ですか?」
「ゆ、ゆずっ、んっ!!」
叫びそうになった龍樹をグイっと引き寄せて、忍が唇をふさいだ。
「ンン――ッ!!」
後頭部を抑え込まれて、龍樹が怒る。忍の髪を引っ張って、ようやく唇を引きはがした時には、龍樹は真っ赤になっていた。
「しのぶーっ!!」
「いいじゃないか。他に誰もいないんだから」
しれっとして唇をぺろりと舐めてみせた忍の色気に、龍樹がぞくりとする。
「そうですよ。気にすることはありません。昨夜の龍樹くんを見て、今朝の力を見たら、わかります。ふたり揃っていると、なおさらです」
…バレてる。ハズカシーっ!!
「照れんなよ。かわいいじゃねーか」
「ばっかやろっ、人前で言うんじゃねえ!!」
「さっきのでエネルギー半分持ってかれたんだろ?」
「そうだけど、後は帰るだけだから、大丈夫だよっ」
「譲さん、ちょっと横向いててください」
「はいはい。どうぞ」
「え、ちょっと、待ってって、んッ!」
んぐっと、唇が重ねられて、舌が絡め取られる。一瞬で、腰が砕けそうになり、龍樹は文句を言うのも忘れて、忍の背に手を回した。
気持ちいい。忍の舌が絡まって、吸われて、唇が重なって…。ああ、もうとろけそうだ…。もっと、気持ちよくなりたい…。もっともっと…。
「続きは、家でしてやるよ」
耳元でささやかれて、龍樹はハッと我に返った。指の先までしびれるほど、精気が満ちている。
「もういいって!十分だ!」
はあっと深呼吸をして、龍樹が手の甲で唇をぬぐった。いやらしいくらい、唾液でぬれていた。
「いいですか?」
「は、はいっ!大丈夫です!」
譲が正面を向いた瞬間、口元を覆って、こらえきれない笑いを必死に隠した。
「げ、元気に、なりましたね…龍樹くん…」
「え、そ、そう、ですか…!?」
必死に手で顔を隠しながら、龍樹が忍に向かって「やり過ぎだ、ばかっ」と小声でぼやいた。
「隠しても無駄ですよ。龍樹くんの身体から、忍くんの気が感じられますから」
くつくつと喉を鳴らして、譲がこらえきれずに目尻に溜まった涙を拭った。なんて純粋なのだろう、と思わずにいられない。
「その気になれば、いい陰陽師になると思うのですけどねえ。龍樹くんは生業陰陽師は嫌なんですよね?」
「…はい。手伝いとかなら、しますけど…仕事には、したくありません。それに、その、房中術が効くって言われても、忍とニコイチにされるのも嫌だし」
仕事に行くのに、忍を連れて行かなければ一人前にならないなんて、屈辱以外何者でもない。たとえそれを忍が許したとしてもだ。
「龍樹は、何かやりたいことでもあるのか?」
忍に聞かれて、龍樹はうーんと考え込んだ。
「なりたいって、なかったんだよな。とりあえず、逃げることに必死でさ。だから、今から探していこうと思ってるとこ。じゃ、ダメですかね、譲さん」
「いいんじゃないかな。陰陽師はきみのひとつの才能だ。手伝いを頼まなければならないときは、連絡をしよう。忍くんのことはもちろん内緒でね」
悪戯っぽくウインクをして、譲が笑った。龍樹が実の父より譲に気を許しているところは、こういう融通が利いて、気さくなところが好きだからだ。
「じゃあ俺が趣味でカフェのマスターやるから、おまえウェイターすれば?」
「あ、それいいかも」
こつんと拳を合わせて、龍樹と忍がははっと笑い合う。息ぴったりだ。
「したら、二十四時間一緒じゃね?」
「さすがに見飽きるか?」
「ンなことねーよ」
きっぱりと言い切った龍樹に、忍が不思議そうな顔をした。
「へえ、なんで?」
「忍は俺が運命の相手なんだろ?だったら俺だって、忍が運命の相手なんじゃねーの?」
言っておいて照れている龍樹を抱きしめて、忍は龍樹の首筋に顔をうずめた。
「離せよ、バカっ」
「離さねーよ、阿呆」
「あああもうっ!ハズカシーっての!!」
「嬉しいんだよ。ちょっとくらい、感動に浸らせろ」
ぎゅうっと力を込めて、忍が「龍樹でよかった」とささやいた。
「…おう。俺も思ってたとこだ」
「…龍樹、超天然殺し文句製造機」
「はあ?なに言ってんの?」
「苦労しますね、忍くん」
見せつけられて照れながら、譲が激しく忍に同意した。
「わかってくれます?譲さん」
「だから、俺を離してから話せってば!!」
「あー、はいはい」
くしゃくしゃと頭を撫ぜて、忍が龍樹を離した。頭を撫ぜられても、龍樹は怒らなくなっていた。
嫌味ではなく、そこには愛情があるとわかったからだ。
「忍、人目気にしなさすぎ。譲さんだからって、安心しすぎだぞ」
「悪かったって。学校ではヘマしねえって」
「当たり前だ。学校で抱き着いたら、ぶっ飛ばすぞ」
「こっそりキスは?」
「ダメ―!!」
「冗談だよ」
「もう意地悪な忍に戻ってる…」
がっくりとうなだれて、冷めたピザを食みながら龍樹がまずい、とつぶやいた。
「今日は楽しい話が聞けてよかったよ。これはお手伝い賃」
譲はポケットから封筒を出して、テーブルに置いた。
「え、そんなのいいです!偶然通りかかっただけですから!」
仕事を請け負ったわけでもなかった龍樹が遠慮すると、譲がすいっと押し出した。
「助かったのは事実だよ。受け取ってほしい。弟…勉には、内緒にしておくから、大丈夫」
龍樹の父の名前を出して、譲がウインクをした。気にしていなかったと言えば、嘘になる。
「…ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ受け取った封筒を開けて、龍樹の口もぱかっと開く。
「えええっ!いいんですかっ!?」
「いいんだよ。危険手当が付いたと思って」
「あ、ありがとうございますっ」
自立しそうな封筒を見て、忍が納得する。帯が付いてるな、と。