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パーティ会場は優雅なバイオリンの演奏が響き渡る。
「ウェンディ、どうした? ショールなんて羽織って。寒いのか?」
「いいえ、お父様。大丈夫です」
せっかく父が準備してくれた綺麗なドレスを汚してしまったのは申し訳ないけれど、姉か私のどちらかが紅茶でドレスを汚してしまう運命だったとしたら仕方がない。
ウェンディはそう割り切ることにした。
「シンディ、こちらに」
「はぁい、お父さ……」
嬉しそうに振り向いた姉は、ここにいるはずがないウェンディの姿に顔を曇らせる。
父に連れられ階段を上がると招待客の視線が刺さるようだった。
前回は部屋に閉じ込められたので、このあとパーティがどうなるのか知らない。でも、姉がみんなに誕生日を祝ってもらったと嬉しそうに話していた。だからきっとこれがその祝ってもらったという場面なのだろう。
そして前回は、なぜか部屋に閉じ込められていた私がパーティの料理を滅茶苦茶にしたと父に怒られた。
まったく心当たりはなかったけれど。
「今日は双子の娘たちのためにお集まりいただき、ありがとうございます」
盛大な拍手の中、父はまず姉の手を取った。
「双子の姉、シンディです。今日は私の誕生日をたくさんの方にお祝いしていただけて、とてもうれしいです。ありがとうございます」
丁寧なお辞儀をしたシンディは公爵令嬢らしく控え目に微笑む。
普段は私をすぐ睨むのに、こういう時は『優しくて品行方正な姉』を演じるのよね。
『私たちの』ではなく、『私の』と言ったのは、わざとでしょう?
「ウェンディ、手を」
父がエスコートしてくれるなんて初めてだ。
心配そうにこちらを見ているフリをしながら、鬼のような形相で睨んでくる姉。
余計なことを言うな、私よりも目立つなって言いたいんでしょう?
でも、もうお姉様の言いなりにはならないって決めたの。
だから――。
「妹のウェンディです。今日はうっかり紅茶をこぼしてしまったんです。そそっかしい私ですが、どうぞみなさま仲良くしてください」
ウェンディはショールを取り、わざとドレスを見せた。
堂々と恥ずかしいことを暴露したウェンディの耳に笑いが届く。だが、失笑ではなく好意的な笑いだった会場にウェンディはホッと胸を撫でおろした。
「ウェンディ、どうして着替えなかったの? 濡れたドレスのままだなんて風邪を引いてしまうわ」
あ、また『妹を心配する優しい姉』になるつもりね。
「だって、お父様が買ってくださった『お姉様とお揃いのステキなドレス』を脱ぎたくなかったんですもの!」
どう? 父にも感謝していて、姉とも仲良しアピールできたでしょう?
普段大人しくやられていた自分が嘘のように、姉に対抗する言葉が浮かんでくる。
やっぱり一回死ぬと怖くなくなるのね。
もう死にたくないけれど。
「では、我が家自慢の料理をお楽しみください」
父の締めくくりを合図に使用人たちが料理を運ぶ。
壁側に準備されたテーブルに所狭しと並べられた食べ物に、招待客は興味津々だった。
料理はお父様が他国へワインを宣伝しに行った時に、現地で作り方を教わった料理がメイン。この国では珍しい香辛料を使った香りの良い料理なので、きっと匂いに誘われてしまうだろう。
「たくさん贈り物をいただいたから、挨拶に回りなさい」
「わかったわ、お父さま。一緒に行きましょうね、ウェンディ」
「はい」
父の前でも優しい姉のふり。
でもいなくなった瞬間、そんな顔で睨まなくても。
「どういうつもり?」
父が階段を下り終わるのを待ちきれなかったのか、姉がウェンディの腕を掴む。
いつもと違うじゃないと不審がる姉の手をウェンディは振りほどいた。
「もうお姉様の言いなりにならないって決めたの。十六歳だし」
「ウェンディのくせに何を言っているの?」
もう死にたくないの。だから同じ人生は歩まない。
なんて言っても意味が分からないと思うけれど。
「調子に乗らないことね」
姉は絶妙な力加減でウェンディを突き飛ばすと、すぐに可愛らしい笑顔を浮かべながら階段を下りて行く。
……いつ見てもあの演技には驚くわ。
鬼のような形相から一瞬で笑顔になるなんて。
階段を下りた姉は友人たちと楽しそうに話している。
少し離れたところから話しかけたそうにしているのは、ベッカー侯爵のご子息様だっただろうか? あっちはダドリー公爵の孫、あの人は……えっと、名前を忘れてしまった。
王子妃教育で習ったけれど、夜会に行くことはあまりなかったからちゃんと覚えていない。
結構真面目に王子妃教育を受けたのに、全部無駄になってしまった。
どうして私は処刑されたのだろうか?
国王陛下を毒殺って、どういうことなのだろうか?
毒殺未遂? まさか死んじゃったなんてことはないよね?
未遂だったとしても私じゃない。
私が死ぬ瞬間まで笑顔だった姉。そんなに私が嫌いだったのね。
断頭台で一度も目を合わせなかった元婚約者のフィリップ殿下。
双子の姉シンディではなく、こっちでいいと私を選んだのはフィリップ殿下だったのに、最後にあんな態度は酷すぎないだろうか?
もともと国王陛下が決めたフィリップ殿下の婚約者候補は姉のシンディだった。
だが、「父の言いなりになりたくなかったから、お前でいいやと思っただけだ」と言われた時はショックだったな。
なんてことを考えているから、見つけてしまうのだ。
会場の真ん中あたりにいる黒髪の身なりの良い青年はフィリップ殿下。
みんながお近づきなりたいと囲んでいるが、面倒そうな顔をしている。
あんな顔で会場にいるくらいなら帰ればいいのに。
今度は絶対に婚約者にはならない。
どうせ最後に姉を選ぶなら、最初からそうすればいいじゃない。
……そういえば、死ぬ間際にお母様を見た気がする。
温かくて優しくて、手が目の前に来た時にはなぜだか抱きしめられるような感じがしてうれしかった。お母様が迎えに来てくれたのだと思ったのに。
あの時の映像は何だったのだろうか?
割れたワイングラスとこぼれた赤ワイン。
壊れた馬車には馬はいなかった。
燃えた家は立派な貴族の家。
緑の宝石のネックレスと日記帳は同じ部屋にあった。
液体が入った小さな瓶は誰かの手の上。
見たことがない形の変わったドアノブ。
どれも知らない、見たことがない映像だったが、一緒に見えた姉と何か関係があるのだろうか?
どうして黒いフードなんて被っていたのだろう?
まぁ、どんなに考えても答えはわからないのだけれど。
ウェンディは盛大な溜息をつきながら、階段の上から人間観察を続けた。
「……お姉様? どうしてショールを羽織っているの?」
ウェンディが羽織っているショールは姉とお揃いのショール。
だから姉が持っているのは不思議ではないが、なぜパーティ会場の中で羽織っているのだろうか?
まるで私の真似をしているかのように――。
そう思った勘は間違っていなかった。
「なんだと? ウェンディが?」
私がどうかしたのですか? お父様。
私ならここにいますよ?
扉の向こうから聞こえてくる父の声にウェンディは手すりを持ったまま振り返った。
「お料理が滅茶苦茶に!」
「お嬢様がわざとショールを侍女の前に落としたのです。おやめくださいと止めたのですが」
侍女長と家令の声?
料理が滅茶苦茶?
もしかして前回料理がダメになったと言っていたのはこのこと?
「お嬢様が、ウェンディお嬢様がやったんです!」
「えっ? 私?」
扉の向こうから聞こえた声に驚いたウェンディは目を見開いた。