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第七十五話 一騎打ち

 北の王とエリッツはゆっくりと戦場を駆け、散り散りに戦っているというロイの人々を集めた。アルヴィンが笛を吹きダフィットとロイの兵が何かを叫ぶと人々は信じられないものでも見ているような顔つきで走り寄ってくる。ロイの人々にとって北の王がどれほど心の支えになっているのか、わかった気がした。
 戦場で軍人でもない特定の人々を集めるという難事のわりには早く片がつきそうだ。
 さらにレジスの二人の術兵が両脇から北の王を守りながらレジス兵たちに「グーデンバルド将軍はマルロを死守するためここにはいないが将軍の弟君がすぐにここを立て直す。持ち堪えろ!」というような勝手なことを叫び回っている。その度にエリッツは眉をつり上げて背筋を伸ばした。肩が凝ることこの上ない。底の浅さを見抜かれているのではないかと気が気ではないが、エリッツが通ると兵たちはみな疲労した顔に奮起の火を灯して立ち向かってゆく。
 普段子供扱いされているエリッツには新鮮すぎる反応だ。まったく趣味に合わないが人の上に立つ者が派手な衣装でそれっぽく着飾るのはある意味義務なのかもしれない。何もできないがせめてこの場だけでも落胆させないよう堂々と演じなければ。こんなとき兵を奮い立たせるような気の利いたことを言えればいいのだが、これもまた要勉強だ。
 報告では戦場にいる町内会の人々は百人あまり。エリッツは背後を見渡す。ほぼ集まったのではないだろうか。
 北の王たちも互いにうなずき合うと、一気に後方に引くべく合図を送り合う。
 その時、帝国側から猛烈な勢いで騎馬がつっこんできた。たったの二騎だ。だがレジス兵たちが次々と左右にはね飛ばされ倒れていく。おそらく術兵。術兵はいないと報告されていたがどう見ても先ほどレジスの術兵が戦場につっこんだ際に使っていた風式と同種のものだ。先を走る男が雄叫びを上げ向かってくる。
 身なりはそこそこ立派である。将軍とまではいかなくともある程度身分のある者だと思われた。かたわらの騎馬は覆面であることを考えるとおそらくこちらが術士だろう。
 しかしたったの二騎でこんなところまでつっこんでくるのはどういうつもりだろうか。自殺行為だ。
「狙いは北の王の首だ。欲に目が眩んだ小物にいちいちビクビクするなよ」
 ダフィットがエリッツの耳元に釘を刺しにくる。はた目にはなにがしかの報告がなされただけのように見えただろうが、不甲斐ないことにビクビクしていた。
 レジスの二人の術兵が落ち着いた様子で北の王の前に進み出る。動物のようにつっこんできた帝国兵が何かを大声で言い放つがもちろんエリッツにはわからない。
「なんて言ってます?」
 小声でダフィットに問うとすごい目で睨まれた。
「本気でシェイラリオ様のそばにいるつもりならば少なくとも隣国三カ国の言語は覚えることだな。ちなみにあの帝国兵は非常に月並みで面白味のないことを言っているだけだ。わざわざ知る必要もない」
 また耳元で説教されてしまった。
 おそらく「あなたたちに攻撃を加えます」というようなことを言っているのだろうとエリッツは適当に理解して帝国兵たちをできるだけ偉そうに睨みつける。するとなぜかその帝国兵は長剣を抜き放ちそれをエリッツに向け何かを叫び散らしている。
 困った。睨んだから怒っているのか。なんて言ってるんだろう。
 はね飛ばされたレジス兵たちが立て直し、取り囲んでいるためさほどの恐怖は感じないが言葉がわからないので動揺が顔に出そうになる。
「誰に口を聞いているのかわかっているのか。周りを見ろ。この方の温情でまだ息をしていられるんだぞ」
 もう一人のロイの兵がエリッツの前に立ちふさがってすごむ。
「国境を越えたんだ。言いたいことがあればレジスの言葉で話せ。でなければこちらは返事をする気はない。それとも言葉が不自由な田舎兵か」
 またこのロイの兵の機転に救われるが、「田舎兵」という罵倒はそのままエリッツにはね返って突きささる。帰ったら絶対に勉強しよう。
「お前たちの言葉をしゃべると空気がもれてるみたいで、口が気持ち悪いんだよ」
 ひどいなまりがあるが理解はできる。こんな何も考えてなさそうな軍人でもしゃべれるのか。エリッツは密かにショックを受けた。
「ロイの王とあんたとどっちの首が価値があるか――。端的に言えば武功をあげたい」
 アルヴィンが「バカじゃないの」と、つまらなそうに吐きすてる。
「何が武功だ。周りが見えていないのか」
「もちろんレジスの連中が不粋であれば俺の命はここまでと覚悟を決めてきた。一騎討ちだ」
 なぜか長剣でエリッツを指す。指名されているようだ。すぐ隣で「まずいな」とダフィットが小声でつぶやく。見れば飛び込んできた帝国兵を討ちとろうといきり立っていたレジス兵たちが期待をこめた目でエリッツを見ている。「まずいな」とエリッツも言いたくなった。
「先ほどはロイの王を討つと叫んでいたようだったが、移り気なものだな」
 ロイの兵が皮肉っぽく言い放つ。
「ああ、グランディアス総督がロイの王の殺害に失敗したと聞いて、代わりに首を持って帰れば名が売れると思ったが、レジスの将軍がここにいるなら話は別だ」
「将軍は別の場所におられる。この方は弟のエリッツ・グーデンバルド様だ」
「二番目に偉いということか。まぁ、かまわぬ」
「どうしてお前の武功のためにグーデンバルド様が時間をさかねばならない」
 ダフィットがまた「まずいな」とつぶやいたが、今度は別の方向を見ている。エリッツがその視線の先を追ったまさにその瞬間。
「ぐぅ」
 得意げにしゃべり散らしていた男がうめき声をあげていた。視線の先の北の王は長剣を抜いている。何が起こったのかわからない。北の王はロイの言葉で何かを言った。
「ロイの言葉などわからぬわ」
 帝国兵は肩で息をしながら、北の王を睨みつける。その腕に赤い筋がつたっていた。致命傷ではなさそうだが、軽傷でもない。
「ええと、直訳すると『なぶり殺しにする』とおっしゃっています」
 ロイの兵は助けを求めるようにダフィットを見たが、ダフィットはただ首を振るだけだ。
 見れば北の王の背後にいるロイの町内会の人々もその目に怒りをたたえて帝国兵たちを睨みつけていた。帝国から受けた略奪の記憶も生々しいであろう老人たちがほとんどだ。しかもロイの人々を無視して「武功がほしい」など言い出せば当然こうなるだろう。アルヴィンじゃないが「バカじゃないの」と言いたくもなる。むしろ北の王が真っ先に手を出さなければ暴動になっていたかもしれない。
「バジェイン様、レジスの兵だけでなくロイの術士たちが予想以上にいます。いったん引きましょう」
 ついていた術兵が引きかえそうと馬首を転じる。
「誰が引くか。こそこそしてるだけで戦場に出られないくらいならここで派手に散った方がマシだ」
 バジェインと呼ばれた帝国兵はしつこくエリッツに長剣を向ける。
 こそこそとどこで何をしていたんだ。エリッツははっとして顔をあげた。術兵はいないという報告といい、今の証言といいやはり帝国軍は何かをたくらんでいる。ダフィットの方を見るともちろん今の発言の重要性には気づいているらしく、互いに目配せをしている。最後にエリッツの方を見て、やはりうなずく。今のは何のうなずきなんだ。
「抜けぇ」
 バジェインは左腕から血をしたたらせたまま、エリッツにせまる。
「戦争中毒者か。僕はこういう非合理的なバカが一番嫌いだな」
 またアルヴィンがまたつまらなさそうにつぶやく。こういう筋肉質な軍人が相当嫌いらしい。たぶんジェルガス兄さんのことも嫌いだろうなと愚にもつかないことを考えながらエリッツは仕方なく長剣を抜く。レジス兵たちから歓声があがる。
 どういうわけかカルトルーダもうれしそうだ。筋肉の動きでそれとわかる。やる気満々だ。戦争中毒は人間だけじゃないようだ。
 リークのときのような失敗はしない。
 抜いた長剣を右手で構え、左手に短刀を構えた。カルトルーダを信じて両足だけで体をささえる。
「なんだそれは」
 バジェインだけではなくその場全体が大きくざわつく。力のないエリッツにはかなり負担が大きいので、一撃で仕留めなければ後がない。相手が手負いであることとくらいしかエリッツに利がある点がない。あとはスピードだが半分はカルトルーダ頼みだ。
 相手が唖然としているうちと、足に微妙に力をこめるとカルトルーダはすぐさまエリッツの意図を理解しバジェインに向かい爆発するように駆けていく。
 エリッツは長剣を大きくふりかぶる。バジェインは甲冑の隙間からエリッツの喉元を狙って剣を繰り出した。
 怪我のせいだろう。これは遅い。ワイダットの動きを見慣れているエリッツにとっては緩慢とさえ思える。
 わずかに上体をひねりそれを避けるとエリッツは長剣を振り下ろす。と、見せかけてそれを捨てた。バジェインの両眼が驚愕に見開かれるのがよく見える。
 利き手は左だ。
 放られた長剣に注意が向いているバジェインのわき腹に素早く短刀を差し込む。が、わずかに浅い。仕留め損ねた。
 仕方ない。
 エリッツはわき腹の痛みに動きをとめたバジェインの頬を右の拳で殴りつけ、カルトルーダに側面から体当たりさせる。それで敵が動きをとめているうちに何か考えようというだけのことだったが、カルトルーダが想像以上に強かった。バジェインはあっさり落馬する。
 わっと周りが沸いた。
 エリッツは拳が痛い。趣味の悪い深紅のガントレットはないよりはましだという程度で、そもそも殴るためのものではないことがよく分かった。
「捕えろ。捕虜とする。殺すなよ」
 すかさずダフィットが周りを牽制する。先ほどの情報の詳細が欲しいのだろう。ロイの言葉でも同じことを告げているようだ。
 バジェインについていた帝国の術士は自分の方から下馬し「おとなしくするんで殺さないでくださいね」と両手を差し出し、覆面まで外した。四十過ぎくらいだろうか。まったく動揺が感じられないひょうひょうとした態度だ。バジェインは何もしゃべらないかもしれないが、この人はよくしゃべりそうだ。

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