48、真紅のドレス
渦から出たアリツィアは、自分が古いお城のようなところにいると気がついた。
いつか連れて来られた雪の城の中だろうか。年代は同じくらいだ。
ただ、イヴォナが寝かされていた大広間ではなく、厨房のようなところに立っていたのですぐには判断つかなかった。人の気配はないのは同じだ。
アリツィアは窓からの月明かりで、部屋全体を見回した。
石造りの釜が立ち並び、年季の入った配膳場がいくつもある。広さは十分だが、何年も使われていないのか、鍋も杓もない。寂しげな雰囲気に満ちていた。
ゆらり、と明かりが見えたので、振り返ると、カミルが蝋燭を持って部屋の入り口に立っていた。
「ようこそ」
魔力使いは、少し伸びた前髪の下から、灰色の目を細めて微笑んだ。アリツィアは部屋着の裾を持ち上げて礼をした。
「ご招待ありがとうございます。こんな格好で失礼しますわ」
カミルは肩をすくめた。
「お姉ちゃんはいつでもどこでも何を着ていてもお姉ちゃんだよ」
「当たり前ではありません?」
カミルはそれには答えなかったが、アリツィアが質問する前に一番知りたいことを教えてくれた。
「イヴォナでしょ? こっちだよ」
アリツィアは小さく息を飲んだ。
やっとだ。
やっと返してもらえるのだ。
大切な妹を。
カミルの後に続いて廊下に出る。この間は気がつかなかったが、とても古い様式の城だった。
「ここはカミル様のお住まいですの?」
勝手を知っている様子のカミルにそう聞いたら、小さく首を傾げた。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「どっちですの」
「小さい頃ここに住んでたんだ。一人じゃないよ、みんなでね。今は使ってないから、僕がもらった」
アリツィアはその言葉を反芻した。それではここはもしかして。
ーー修力院? でもその場所は秘密にされているはず。わたくしなんかに簡単に教えるはずないわ。
アリツィアの考えを読んだかのようにカミルが言った。
「あれはね、ひとつだけじゃないんだ。いっぱいある。これはそのうちの用無しになったやつ」
アリツィアは一瞬目を丸くした。
「……では、本当にここが……」
カミルは何も言わなかったが、機嫌良さそうな横顔を見せた。
「今は……カミル様のものですのね」
「所有しているけど住んでない。だから”お住まい”ではない」
アリツィアは頷きながら、静まり返った城内を観察しながら歩いた。石造りの簡素な城だ。防護には優れていそうだが、温かみというものが全くない。
優秀な魔力使いの卵とはいえ、ここで子供達がどんなふうに生活を楽しんだのか、アリツィアには想像もできなかった。
と、カミルが立ち止まった。
「着いたよ」
突然、扉が開いて、色の洪水が現れた。
アリツィアは思わず目を閉じた。黒と灰色の世界に慣れていたので、鮮やかさに驚いたのだ。
「イヴォナ!」
そこは確かに以前イヴォナが寝かされていた大広間だった。花は変わらず咲いている。とっさに数を確認しようとしたが、数え切れないほど咲き誇っていたので、まずは胸をなでおろした。
とりわけ背の高い、ヤマユリや向日葵、ラベンダーなどが本来咲く季節を無視して寝台を囲むように満開になっていた。そこから背の低い花が絨毯のように広がっていた。
イヴォナが穏やかな寝顔を見せているのを、遠目から確認する。
よく見れば、この間とは違う、真紅のドレスを着ていた。
前は確か、攫われたときに着ていたのだろう控えめなドレスだったのだが、今回のはかなり豪華なドレスだった。まるで舞踏会にでもいけそうなーー。
そこまで考えて、アリツィアは思い当たった。
ーーまさか、あれは?
「気付いた? アリツィアが置いていったドレスだよ。心配しなくても魔力で着替えさせたから。指一本触れてない」
カミルの家を脱出するとき置いてきたドレスだ。
もはやどう使ってくれようと構わないが、イヴォナに着せているとなると話が違う。
「イヴォナを」
アリツィアは乾いた声を出した。
「イヴォナをわたくしの代わりにしようと?」
「違うよ」
カミルは明るく笑った。抑え切れないというように。
「髪の色が違うからね? 雰囲気が全然違う」
「じゃあ何故、着せましたの?」
「なんとなくだよ? 楽しかったんだ。君のドレスを着たイヴォナの寝顔を見つめるのが」
アリツィアは背筋がゾッとするのを感じたが、悟られないように平静を装った。真っ直ぐにカミルを見て言う。
「わたくし、ミロスワフ様と婚約破棄しましたわ。ご存知でしょう?」
「うん」
「約束を守ったのですから、イヴォナを返してください」
カミルは嬉しそうに頷いた。
「もちろんだよ」
そうしてアリツィアの手を両手で握った。
「代わりに君がここにいてくれるんだろ? ずっと一緒に暮らそう」