36、変化
そこへドロータがお茶と焼き菓子を持ってきた。
「ありがとう、ドロータ。皆様、どうぞ。こんなところでごめんなさいね」
というのも、本来ならゆったりと部屋の中央にあるはずの応接机とソファが、部屋の端に寄せられており、そこにロベルトとユジェフ、そしてミロスワフが座っている。
「ここから離れると落ち着かなくて」
アリツィアはその部屋でかなりの存在感を示している、書きもの机をちらりと見た。山積みの書類は、机の上だけでは場所が足りなく、もはや床にまで進出している。
「仕方ないさ、クリヴァフ伯爵が倒れてから、ずっと君が代理を務めているんだろう?」
ミロスワフの言葉に、ユジェフとロベルトも頷く。ドロータだけが眉間に皺を寄せた。
「けれど、少しは休んでくださいませ。今までの仕事もある上に、これじゃ、アリツィア様まで倒れてしまいます」
「わかっているんだけど……いろいろ気になって。イヴォナが戻ってからゆっくり休むわ」
ドロータはそれ以上何も言わなかった。焼き菓子を頬張っていたユジェフが、ぼそぼそと呟いた。
「……イヴォナ様とは結びつかないかもしれないんですけど……各国の王が借金をしているのは、札を買うためですよね」
新しい焼き菓子に手を伸ばしながら、ロベルトも同意する。
「魔力が増えるなら、戦争になっても負けないすもんね。あ、あと、トルンの鉱山のことですけど」
「何かわかったの?」
スモラレク男爵が騙された鉱山だ。
「調べたら、別の会社をひとつ間に挟んでますが、ジェリンスキ公爵の持ち物っぽいです」
「ラウラ様の?」
ミロスワフは驚かなかった。
「ジェリンスキ公爵は以前から魔力保持協会と近いという噂だからな。なりふり構わず、汚い手を使ってでも、資金を集めて札を買いたいんじゃないか」
信じられない、とアリツィアは呟いた。
「それだけのために、スモラレク男爵夫妻のような、不幸な人たちを作り出したというの?」
「自分の権威のために他人を蹴落とす奴はいる。残念ながら」
「……陛下は、この札のこと、どうお考えなのでしょうか」
「この国が一番最初に札を発行するんだろ? そこから察せられるさ」
重い沈黙が下りた。ユジェフとロベルトも、さすがに食べる手を止めている。
ミロスワフが、アリツィアをじっと見つめて言った。
「これは思った以上に、厄介なことだと思う……舞踏会でカミルが煙を出したことを、あぶり出したと言ったろう?」
「ええ」
「あれは、貴族なのに魔力がない人物を探していたんじゃないか?」
「わたくしたち以外にそんな方いらっしゃいます?」
「さあ……それはわからない。でも、僕とヘンリク先生は違う方向、庶民に攻撃を仕掛けるためにあんなことをしたと思っていたけど違うらしい。この札を売るための下調べとして、魔力のあるなしを判断したんだよ」
アリツィアはまさか、と言いたかったが言えなかった。
ミロスワフは淡々と告げる。
「その結果がイヴォナの誘拐につながってる。考えてみてくれ。この札の効果をあるように見せるのに、誰が使うのが一番いい? この札を持てる条件は?」
ユジェフとロベルトが口々に言った。
「貴族にだけしか使えないす」
「持ってると魔力が増えます」
「あと、すごく高い」
ミロスワフは頷いた。
「クリヴァフ伯爵姉妹は、その札を使うのにうってつけじゃないか?」
ーーそんな。まさか。
「……だからカミル様はイヴォナをさらったというのですか? そんなことのためにイヴォナを?」
「あり得ると、僕は思うよ」
「でもわたくしをさらったときは、そんな計画があったように思えませんでしたわ」
むしろ、その場の思い付きのようだった。ミロスワフも同意する。
「確かに。それはそうだな……あのときと今、カミルの立場が変わったのかもしれない。それか、気持ちが」
気持ち? と思ったが、それ以上はミロスワフは何も言わなかった。
アリツィアは、目を閉じた。
いつまで魔力に振り回されなくてはいけないんだろう。
魔力がないから。魔力があるから。
神から賜ったものだから、仕方ないと思っていた。
だけどーー。
「ミロスワフ様。イヴォナをさらったのは、神様ではありませんよね? 人ですわよね」
「僕はそう思っている」
いつかミロスワフが言ってくれたことを思い出す。
ーー百年前と今、全然違う生活をしている。百年後も今と違う生活をしているはずだと思わないかい? それが時代の変化だよ
あのときの自分は、変わることが怖かった。でも。
変わることで手に入れられるものがあるなら。
変わらないことで、大事な人が理不尽に苦しめられるならーー。
ーーこのままではいられないわ。
「ユジェフ、ロベルト、新商品を売り出しましょう」
時代は変わる。
ーー強引にでも、変えてみせる。
ユジェフとロベルトが口々に聞く。
「唐突っすね」
「なんですか?」
「発火装置よ」
たとえ魔力保持協会にだって、邪魔させない。