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最終話 僕の大切な人

 テレビは、どの局もキョウさん逮捕の報道特番を放送していた。
 高崎キョウ容疑者逮捕のテロップが躍っていた。
 ぼんやりとそのテロップを見つめていると、背後で静かにドアが開いた。
 ソファーの上で振り返るとマリが立っていた。
 切なげな顔でソファーに座る僕を見つめていた。
「ユリは?」
「ずっと部屋に籠もってるわ。そっとしておきましょう」
「うん」
 僕が小さく頷くと、マリは僕の隣に腰掛けた。
 テレビに顔を向けたまま、しんみりとした声で呟く。
「やっぱり、こうなっちゃったわね」
 パトカーで連行されるキョウさんの映像を眺めながら、僕はユリのことを考えていた。
 ユリは葛藤していたのだろうか? 
 疑惑を抱きながらも犯人であって欲しくないと願っていたのか?
 キョウさんと話している時のユリは本当に楽しそうだった。
 それがこんな結末を迎えてしまったのだから、辛いに決まっている。
 ユリのあの言葉には痛切な想いが込められていた。
 貴方には殺人者になって欲しくなかったです。
 復讐なんてして欲しくなかったです。
 ユリの悲痛な叫びが頭の中で響いていた。

 朝刊の一面は政治の記事だった。
 テレビ欄の裏を捲ってみても、死神事件の記事は見当たらなかった。
 キョウさんが逮捕されてから早一週間、加熱する一方だった報道も沈静化したようだ。
「あっ、ユウちゃん。おはよう」
 朝刊を抱えて台所へ向かうと、ユリが食卓に着いていた。
 白いコップを傾けながら、僕に笑いかける。
 僕は朝刊をテーブルに置く。
「おはよう。何、食べる?」
「えっとね、トーストと目玉焼きがいいな」
「うん、分かった」
 僕は頷いて朝食の支度に取りかかる。
 冷蔵庫からトーストを出して、トースターに放り込む。
 摘みを2分に合わせると、じーと音が鳴り始めた。
「今日はいい天気だね」
「うん。まだ寒いけどね」
 僕は冷蔵庫から卵を出しながら、こっそり安堵の溜め息をつく。
 キョウさんが逮捕された直後はさすがに口数が少なかったけど、近頃はこうやって喋るようになってきている。
 いつものユリに戻りつつあるようだ。
「おふぁよう……」
 食卓に着いてトーストを囓っていたら、マリが眠そうな顔で登場した。
 大きな口を開けて伸びをしている。ふらふらした足取りで椅子に座る。
「もうマリったら。相変わらず、ねぼすけさんなんだから」
「いいじゃない。最近、暇なんだし」
ユリがテーブルにコップを置いて口を尖らせるが、マリは軽く聞き流してトーストを囓る。
「そういえば最近は依頼もないよね。今日は何をしようか?」
「事務室でテレビでも見て、ゆっくりしましょう」
「うん。そうだね」
朝食を食べた後、事務室でテレビを見ていると興味深いニュースが流れてきた。
「今日午前11時、警視庁は吉野タカヒロさんを釈放しました。吉野さんはいわゆる死神事件で全国に指名手配されて逮捕されました。しかし、その後、高崎キョウ容疑者が逮捕されました。警察は吉野さんも共犯の可能性があると見て捜査を進めていました。しかし、事件とは無関係と判断して今回の釈放に踏み切りました」
「そっか、タカヒロさん釈放されたんだ」
「これで死神事件も一段落ね」
次のニュースへ移った時、デスクの上で電話が鳴った。
 僕はソファーから立って受話器を取る。
「はい、もしもし。警部さんですか?」
「ユウキ君、今日タカヒロさんの家に行こうと思ってるんだけどね」
「吉野家にですか?」
「ああ、警察の人間としてお詫びをしないといけないからね。一緒にどうだい?」
 僕は振り返ってソファーに座る二人へ視線で問い掛けた。
 ユリもマリも無言で頷いていた。
「はい。三人で伺います」

「この度は本当に申し訳ありませんでした」
 海堂警部は深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
 僕らも一緒に頭を下げる。
 タカヒロさんは困惑顔で首を横に振っていた。
「もういいんですよ。法的措置とか、そういったことも考えてませんから」
「そうですか。そう言っていただけると、私としても救われます」
「もういいんです。もう疲れました」
 言葉通り、疲れ切った顔で息を吐く。
 無理もない。無実の罪を着せられて指名手配された上に、不当逮捕されたのだから。
 しかも、死神の正体がキョウさんだったなんて。
 その衝撃たるや想像を絶するものだったに違いない。
「奥様にも色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたね」
「いえ、そんな」
 カズミさんは恐縮した様子で頭を振っていた。
 タカヒロさんが隣で膝を乗り出して聞く。
「ところで、警部さん。キョウ君の様子はどうなんですか?」
「だいぶ落ち着いてきているようですよ。報道されている通り、取り調べにも素直に応じてくれていますよ」
「そうですか」
 深い溜め息をついた後、タカヒロさんは顔を上げた。
 ユリに視線が注がれていた。
「ユリさん、キョウ君は捕まった時、どんな様子だったんだい?」
「泣いてました。雨の中、道路に両手を着いて泣いてました。何度も呼んでいたんですよ。サクラさんの名前を、何度も何度も」
「ユリさん。キョウ君はね、ユリさんとサクラを重ね合わせて見ていたようだったよ」
「私とサクラさんを、ですか?」
「電話で話した時に言ってたんだよ。サクラと似てるから、重ね合わせて見てしまっているってね」
「そう、なんですか」
 ユリは複雑そうな表情で俯いた。
 スカートの上で重ね合わせた両手を見つめている。
 やっぱり、そうだったのか。
 キョウさんはユリの中に幻影を見ていたんだ。
 サクラさんの幻影を見ていたんだ。
「でも、まさかこんなことになるなんてね……」
 タカヒロさんのその言葉を最後に、吉野家のリビングは重苦しい沈黙に包まれた。

 吉野家から帰宅後、事務室に顔を揃えた僕らの間には虚無感が漂っていた。
 沈黙の隙間を埋めるように、電気ストーブのスチームが音を立てる。
「ねえ、ユウちゃん」
 ユリに呼ばれて、僕は顔を上げた。
 真っ直ぐな視線が僕に向けられていた。
「何?」
「もしね、キョウさんと同じ立場になったらユウちゃんならどうする?」
「うーん、そうだね……」
 僕は顔を伏せて考えてみる。
 その問いはあの日からずっと考えていた。
 テレビで裁判の結果を見たあの時から、ずっと考えていた。
 だけど、何度考えてみた所で辿り着く答えはいつも同じだった。
「気持ちは分かるかな。でも、僕にはそんな勇気はないかな」
考えた末に僕は顔を上げて、苦笑しながらそう答えた。
「そんなの勇気じゃないよ」
 自嘲気味に漏らした僕の言葉を、ユリは間髪入れず強い声で否定した。
「勇気っていう言葉はね、そんな風に使っちゃ駄目だよ。もしもユウちゃんの大切な人の命が奪われて、裁判で犯人が無罪になってもね。絶対に復讐なんかしないでね」
 ユリは穏やかな声で僕に語りかける。
 僕はその言葉を受けて天井を見上げてみる。
 大切な人か。だけど僕には大切な人がいないから。
 そう言おうと息を吸い込んだ時、僕はやっと気がついた。
 僕にも大切な人がいるじゃないか。それも、ふたりも。
 恋人でもなければ奥さんでもない。友達とも少し違う。
 強いて言えば仕事仲間だけど、単なる仕事仲間じゃない。
 上手く言えないけど、とにかく2人は僕の大切な人だ。
 そうだ。僕の大切な人はユリとマリだ。
 デスクに顔を向けて大切な人に視線を送る。
 マリは頭の後ろで両手を組み、宙を見つめて物思いに耽っている。
 視線を注いでいたら気づかれて目が合った。
 目を逸らして前を向くと、今度はもう一人の大切な人と視線がぶつかった。
 愛しさが胸に溢れて頬が緩む。気恥ずかしさで首筋が痒くなる。
「どうしたの? ユウちゃん?」
 ユリが小首を傾げて笑顔の理由を聞いてくる。
 僕の大切な人はユリとマリだよ。
 口に出す前に心の中で呟いてみる。
「なんでもないよ」
 だけど、口に出すのは照れ臭かったから、僕は笑って誤魔化した。

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