終わりと始まり
円形状の天井に取り付けられた色付きの硝子越しに陽光がふんだんに差し込むその部屋は、色とりどりの光に満ちていた。
その建物はユラン帝国の宮殿に在る広大な庭の片隅、日がよく当たる場所に建てられている。
円柱のその建物は、高さ五メートルほどだろうか。建物の直径がその倍ほどなので、背は高いが東屋といった感じの小さな建物だ。
その建物の奥には一際高い壇が在り、その上に大きな女性の石像が置かれている。他にはその石像から少し離れた場所に二三人が並んで腰掛けられる長椅子が、人が通れる間を空けて二脚置かれているだけ。
そんな小さな建物に、一人の壮年の男が居た。男は石像の前で跪き、手を胸の前で組んで、俯き気味に顔を傾けて祈っている。
男が祈っている石像の前は、丁度上部から色とりどりの太陽光が降り注ぐような造りになっているようで、男を神秘的に照らしている。
そうして男が一心に石像へと祈りを捧げていると、建物の入り口の扉がギィと小さな音を立ってて開かれ、外から一人の老爺が入ってきた。
「・・・・・・熱心に祈るものだ。何を祈っているのだい?」
扉を閉めた老爺は長椅子の一つに腰掛けると、老爺が入ってきても微動だにせず一心に祈りを捧げている男に声を掛けた。
「・・・・・・」
老爺が声を掛けても男は微動だにせず祈りを捧げていたが、それが一分ほど経過したところでゆっくりと祈りの姿勢を解くと、跪いたまま男は石像を見上げる。
その動作につられるように、老爺もその石像の方に目を向けた。
壇の上に置かれている石像は、屹立した女性の石像。
身体全体をゆったりとした服で身を包み、手元を見下ろす為にやや俯かれた顔は布で覆われている為に、表情までは窺えない。
その両手は赤子を抱くように身体の前にあるも、そこに抱かれているのは赤子ではなく気持ちよさそうに眠っている一匹の猫。
猫の毛並みや女性の服の質感までが精緻に彫られているその石像は、それだけで芸術品としてかなりの価値が在るのが窺えるほどだが、それは芸術品ではなく聖像。ユラン帝国の国教で聖母として崇められている女性の肖像であった。
老爺は眩しい物でも見るように目を細めた後、その石像から男の方に目を戻す。
「・・・・・・」
男は石像を見上げながら、涙を流していた。その姿は、何かを懺悔しているようで。
「ああ、なるほど。それでそれほど熱心に祈りを」
それに気づいた老爺は、得心がいったとばかりに呟いた。
暫くそうして石像を見上げていた男はゆっくりと顔を戻すと、静かに顔を老爺の方に向ける。
「お待たせしてしまったようで、申し訳ありません」
「いや、構わぬよ」
老爺の前まで移動してきた男は老爺の足下に座り、老爺を見上げる。
「して、今日はどのような御用向きでしょうか?」
「なに、直接報告を聞きたいと思ってな」
「ああ・・・」
問いに対する老爺の返答に、男は表情を曇らせる。
「報告は既に受けているので事の顛末は知っている。ただ、君の意見が聞きたいだけだ」
「はい。では・・・」
老爺に促されて、男は暗い声音で話し始めた。
その話に耳を傾けながら、老爺は難しい顔で顎を撫でさする。
「毒を含めてあらゆる薬物が効かない、か・・・何か魔法道具を身につけておられるのだろうが、それほど強力な物など在っただろうか・・・?」
老爺は考えるように沈黙した後、男に目を向けて口を開く。
「では、もう実力行使しかないと?」
「はい。没落させる訳にもいきませんし、薬物も効かない以上、人為的に病気にするのも難しく」
「まぁ、あまり時間を掛ける訳にもいかないからな」
「・・・はい」
困ったような空気が漂い、老爺は更に難しい表情になる。
「そうなると人選もだが、状況も整えなければならないな」
「人選はこちらで行いますので、場を整えるのはお願い出来ますか?」
「そうよな・・・そちらはこちらでなければ難しいか。分かった。では、人選の方は任せるが、しくじる事は許さんぞ?」
「勿論で御座います」
「・・・・・・あとは護衛の方か」
老爺は相変わらず難しい顔をしたまま立ち上がると、それに合わせて座る位置をずらした男の横を通って建物を出ていく。
頭を下げてそれを見送った男は、扉が閉まる音に顔を上げる。
少しの間扉に目を向けていた男は静かに立ち上がると、石像の前まで移動して跪き、再度祈りを捧げ始めた。
「どうか、罪深き私をお赦しください」
◆
「進捗のほどはどうです?」
適度に日が差し込む部屋で、高そうな椅子に腰掛けた薄い緑色の髪をした美しい女性が、疲れたように近くに居た背の低い女性に問い掛ける。
「中々尻尾を掴ませないようで、あれから進捗は御座いません」
「そうですか・・・」
女性の返答に、薄緑色の髪の女性は残念そうに肩を落とす。
それをどう慰めればいいかと、返答をした女性は眉尻を下げて考える。
「最近は何かと物騒ですし、外にも出られませんわね」
「そう、ですね」
「だというのに、順調に進学は出来ているようですし、何だか他の生徒の皆さんに申し訳ないですわね」
はぁと女性は物憂げにため息を吐くと、窓の外に目を向ける。その姿はまるで籠の鳥だが、それも間違ってはいないだろう。実際、女性はここ数日一歩もこの部屋から出ていない。
たとえ十人以上が余裕をもって入れるほどに広い部屋でも、ずっと部屋に閉じ込められていれば気も滅入るというもの。
「ああ、今頃は外に出られていたでしょうに・・・」
悲しそうにそう零した女性は、ちらりと背の低い女性の方に目を向ける。
目を向けられた女性は困ったような表情を浮かべるだけで、期待には応えられない。それを見て取った女性は、やはり無理かと再度ため息を吐いた。
「しかし本当に、外に出たかったですわね」
先程までの何処かわざとらしい感じの声音と違い、今度は本音のような響きに、背の低い女性は心底申し訳なさそうな表情を浮かべる。
それに気づいた女性は、ぱっと明るい笑みを浮かべて、背の低い女性に「冗談ですよ」 と声を掛けた。
「まあそんな冗談はさておくとしまして、オーガストさんは現在六年生辺りでしょうか?」
かつてパーティーを組んでいた一人の男子生徒の事を想い、女性はそう口にする。
「はい。少し前に進級したようです」
「そうですか。オーガストさんでしたら問題ないでしょうが、現在もお一人で?」
「そう聞いております。五年生でも平原で活躍されていたとか」
「流石ですわね。ああ、またオーガストさんに魔法を習いたいですわ」
窓の外に目を向けて、女性は一つ息を吐く。
「教わった方法のおかげでここに居ても訓練は出来ますが、それでもやはり実際に魔法を行使するのとでは感覚が違いますからね」
「そうですね」
「それにしましても、根深いものですわね」
「・・・はい」
女性の重い声音に、背の低い女性も表情を引き締めて頷きを返す。
「現在分かっているだけでも国の中枢近くまで・・・可能性まで考慮しますと、枢機卿や陛下までが関与している可能性が在るのですから・・・」
「はい。・・・しかし、このままだとペリドット様の御命が危なく・・・」
背の低い女性の言葉に、ペリドットはそちらをちらりと見た後に手元に目を向ける。そこには何処にでもあるような糸で編まれた一本の帯があった。手首に結ばれたそれを、ペリドットは大切そうに撫でる。
「それは今更ですね。これが無ければ私は既に死んでいた事でしょう」
「・・・・・・それは・・・しかし」
「危険が遠ざかる? それはないでしょう」
「・・・・・・」
「既にどちらかがどちらかを制するまでは、これは終われませんよ」
何処か諭すような口調で語るペリドットは、自嘲するように小さく首を振った。
「これがある限り私に薬物は効きません。だからといって私の立ち位置を考えますと、ここから蹴落とすのにはかなりの時間を要します。このままではその前にこちらが終わらせてしまうでしょうから、そもそもそんな時間はありません。ではどうするか・・・おそらくですが、直に刺客が送られてくるのでしょうね」
「では、今以上に護衛を!!」
「ええ、そのつもりです。そのうえで、もしも相手が陛下や枢機卿であったならば、どうにかしてその護衛を引き剥がしてくるでしょうね」
「・・・・・・囮になられるおつもりですか!?」
「最高の囮でしょうし、他に務まる者も居ないでしょう。これで調査は一気に進むと思いますよ?」
「それはそうですが・・・そんな危険な真似を」
「ふふふ。危険なのは今も変わりありませんよ」
特に気負った様子もなく笑うペリドットに、背の低い女性は困ったような顔を向ける。
そんな背の低い女性の反応に、ペリドットは一瞬目を細めると再度視線を窓の外に向けた。
「本当に、何処までも根深いものです」
視線を外に向けたまま、ペリドットは小さくそう呟いた。
◆
何もかもが順調に進むという事は、おそらくほとんどない。調査のほども滞り、進展は少ない。
「・・・・・・」
その日も部屋に居たペリドットは、豪奢な机を二人の女性と共に囲んでいた。
一人は艶やかな藍色の髪の大人びた女性。もう一人は、金色の髪の優しげな女性。
机の上にはお茶とお菓子が並べられ、差し詰めお茶会といった感じ。
「・・・それで、調査のほどはどうです?」
しかし、漂う空気はそんな優雅なものではなく、緊張感のある張り詰めたもの。
お茶を一口飲んだペリドットの問いに、藍色の髪の女性が口を開く。
「はい。予想通りの事態になっております」
「そう。困ったものね。やはり枢機卿辺りが?」
「証拠はまだありませんが、ほぼ確実かと」
「陛下は?」
「直接の関与はなかった可能性が高いかと」
「そうですか」
お茶の入った陶器の器を机に置き、ペリドットは思案するように視線を落とす。揺れる水面を眺めながら、ペリドットは言葉を紡ぐ。
「親に・・・いえ、ここでは家に、でしょうか? それに従うのは理解出来ますが・・・しかし、そうですか」
残念だという心情を表すように呟いたペリドットに、金髪の女性が声を掛ける。
「たとえそうだとしましても、何事にも越えてはならない一線というモノは御座います。それをあの子は越えてしまった。であれば、如何な理由があろうとも赦されるものではありません」
「ふふふ。まだ越えてはいませんよ」
「それも時間の問題です」
「そうね・・・しかしまぁ、それもいいのかもしれませんわね」
「ペリドット様?」
ペリドットの言葉に、不審げに眉を寄せた藍色の髪の女性は、真意を問うような鋭い視線でペリドットを見遣った。
それを受けて、ペリドットは力なく微笑む。
「少し・・・疲れてきました。進めば進むほど汚れは増えるばかりで、それは手元にまで這い寄ってきました。今のままでは押し負けてしまう事でしょう。流石に相手も形振り構わなくなってきた事により、力の差が顕著に表れてきましたからね。そこにきてこれですから」
「しかし、それでは!」
「ふふ。冗談ですよ」
藍色の髪の女性が諫めるような声を出すと、ペリドットは悪戯っぽく笑う。しかしそこに本音をみた二人は、揃って苦しげな表情を浮かべた。
「まぁ、それはそれとしまして。・・・アンジュはよろしいんですか? 貴女の家は確か・・・」
相手を案ずるような声音でペリドットが金髪の女性に問うと、アンジュは慈愛さえ感じさせる優しげな笑みを浮かべる。
「問題ありませんわ。私は何が大切かぐらいは理解しているつもりですから。それに、たとえ家を追われる事になったとしても、生きる術はちゃんと身につけておりますので御安心を」
ふわりと柔らかに笑うアンジュに、ペリドットは「そう」 と呟いた後に「ありがとう」 と礼を告げた。
「ただ自分の信念に従っただけですので、礼を言われるような事では御座いません」
「それでもですよ。ありがとう」
「それでしたら有難く」
「ふふ。それで、スクレは大丈夫なのかしら? 貴女の家は中立ではあるけれど、それが信念だったと記憶しているのですが?」
ペリドットの問いに、スクレはその美しい藍色の髪を揺らして首を振る。
「確かに、我が家は法の守護者でもある関係上、中立を旨としておりますが、しかしながら私はまだまだ未熟者。故に、中立で在る事よりも己が信じた正義を貫く事の方が大事だと考えるのです」
「ですが、それでは――」
「御安心を。この信念は当主にも伝えております。その上でこうしてここに居られるのですから、認めるとはいかないまでも、黙認はしてくださるのでしょう」
「そう・・・ありがとう」
「勿体ないお言葉です」
礼を述べたペリドットに、スクレは椅子から立ち上がった後に臣下の礼を行う。
「さて、そうなると、問題はマリルの方ですね」
「はい。随分と悩んでいたようですが、家には逆らえなかったようです」
「でしょうね。あの子はそういう子です」
そこに否定的な色も、責めるような響きもない。ただ優しげな、懐かしげな声音。
「はい。そして、そうなりますと・・・」
「近くに居るのです。刺客としては十分でしょう」
「はい」
「あとは何処で仕掛けてくるか、ですが・・・どうにかして護衛と離してからでしょうね」
「はい。護衛は少ない方が成功率が上がりますから」
「まぁ、その辺りは向こうにとってはお手の物でしょう」
「それを防ぐ手立てがこちらにはありませんので」
「妨害は出来ますが、完全には難しいですね。やはり証拠が足りないですから」
「痕跡は途中で完全に途絶えています」
「その辺りも流石という事でしょう」
三人は難しい顔で考えるも、権謀術数は相手の方が上の様で、現状はどうしても後手に回ってしまっている。
「刺客は他にも用意しているでしょうから、防御魔法は当然常に展開しているとしましても、やはり常に警戒しなければならないというのは疲れますね」
はふぅとため息を吐くと、ペリドットは外に目を向ける。
「・・・やはりオーガストさんに協力して欲しいですわね」
「それが叶うのでしたら、心配は何も無いのですが」
「そうですね。この魔法道具もですが、あの方でしたら万難を排するなど容易い事なのでしょう」
三人はかつてのパーティーメンバーであり、知り得る限りもっとも強い存在を思い浮かべ、それぞれ色々と想う。
「シェル様の協力は得られないのですか?」
「今はまだ難しいですね。シェル様はシェル様で何かしら調べられているようですが、今のところ成果はあまり芳しく無いようです」
「なるほど。そうでしたか」
「最近は手勢も減らされてきましたし、フラッグ・ドラボーの監視も危うくなってきましたから、そろそろ次の手を打ちたいところですね」
「そうですわね。しかし、落とせる汚れは粗方落としましたから、後は大本をどうにかしないといけないのですよね」
難しい表情のままお菓子を手に取り口にしたペリドットは、次の手について考えていくも、相手が国の頂点に近い存在である為に、決定的な証拠がない状況では手が出しづらい。かといって大人しく待っているだけでは、ペリドット側が排除されるだけ。
「証拠・・・今まで集めた証拠を洗い直してはいますが、期待は出来ないでしょうね。証拠を残さないのはやはり経験という事でしょうか」
アンジュは顎に手を当てて考えると、何かを思いついたように顔をペリドットに向ける。
「そもそも、何の為に奴隷を買ったのでしょうか? 手元に置くためであれば、何処かに居るのでしょうか?」
そのアンジュの問いに、その辺りも調べていたスクレはどう答えたものかと悩む仕草を一瞬見せてから、口を開く。
「確実ではないが、どうもエルフの奴隷を熱心に買っていたようだね。であれば、観賞用か愛玩用か実験用かといったところかな? 現在は始末しているか隠しているかといったところだろうさ」
「そうでしたか。しかし、エルフですか。人間界では貴重ですが、優秀である以上、大人しくしているとも思えませんが」
「魔力を抑える魔法道具を使用していたのだろう。その上で行動を制限してしまえば、管理も楽かと」
「・・・それは呆れるほどにお金が掛かりそうですが、そこまでの資金を一体何処から?」
「その辺りも洗っている最中だが、痕跡は少ない。ただ、どうもわざと痕跡を少し残しているような感じに思えて・・・」
「綺麗過ぎない分、追うのが難しいと?」
「そういう事。誘導込みで証拠を残していそうだから、その精査にも時間が掛かっている」
そう言うと、スクレは疲れたように肩を竦めた。
◆
音もなく光もないその場所に、魔法の光が灯る。
息が少し白くなるほどに冷えた空気が満ちているその空間に、一人の老爺が灯った光の下に立っていた。
「ふぅ。相変わらずここは冷えるな」
白い息を吐きながら、老爺は暗闇の中を光と共に進んでいく。
その移動する魔法の光は、老爺以外は誰も何も映し出さない。光の照らす範囲は前方五メートルほどなので、そこは広い場所なのだろう。
そんな場所を老爺は一人で静かに進んでいくも、その雰囲気は何処となく楽しそう。
暫くそうして進むと、光が誰かを映し出す。
「ふふふっ。やっと着いたか」
老爺は息を整えるように大きく息を吸うと、ゆっくり息を吐き出す。そうして落ち着いた後に、光が浮かび上がらせた相手に目を向ける。
そこには数人の人物が立っているが、老爺が着いてからピクリとも動いていない。
「ああ、やはりいいな」
老爺はうっとりとしたように目を細めるが、その目には歪んだ欲の色が浮かぶ。
そんな老爺が目を向けた先に居た者達には、全員同じ特徴があった。それは全員耳の形が人間と違って横に伸びており、その先が尖っている事。それは誰もが知るエルフの特徴。
そこに立つエルフ達は、男も居れば女も居る。しかし、やはり全員先程から一切動く様子が無い。
「これだけ集めるのは苦労したのだ」
老爺は立ち並ぶエルフ達の前を歩いて移動していく。そうすると追随する魔法の光が動き、今まで照らしていたエルフ達が闇の中に消えて、新しいエルフ達が闇の中から現れる。
そのエルフ達は誰も彼もが、呼吸もしなければ瞬きさえしない。
「ふふ。今更これを棄てられるものか」
老爺は歪な笑みを浮かべて、粘つくように呟いた。
そんな老爺の前に立ち並ぶエルフ達は、全てがはく製。膨大な手間と時間と金を掛けて、丁寧に丁寧に処理されたそれらは、まるで生きているかの様に艶がある。
「ここにも立ち入れぬようにしているしな」
くくっと喉を鳴らした老爺は、この保管場所とそれを守る魔法道具を思い出す。
それはユラン帝国の奥の奥。存在すらごく一部の者にしか知られていない秘密の場所。そこを守護させている魔法道具は、人間界にしては異様に高度な魔法道具で、感知を妨害し、認識を阻害する魔法道具。
精霊の認識さえ欺くその魔法道具は、格のみで語れば、人間界を覆う大結界を発生させる為にジュライが創造した魔法道具よりも上。
品質の保持も組み込まれているので、外部から何かしらの干渉がない限りは壊れる事はないだろう。
この魔法道具を突破するには、魔法道具以上の力があるか、魔法道具が守護している場所がそこに在る事を知っている必要がある。
そんな魔法道具が何故こんな場所に在るのかといえば、それは昔、人間と魔族のとある商人との間で秘密裏に取引があったからなのだが、それにしても質が高い。
魔族は人間よりも魔法道具の作製が得意だが、それでもそれはかなり質が高い部類に入る魔法道具だ。
そして、そんな魔法道具で護られているその場所は、まず見つからないと断言出来るだろう。
「ああ、やはり素晴らしい!」
それだけに、老爺は安心してエルフ達を愛でる事が出来た。
愛でるといっても、汚れるので触れるような事はしない。たまに埃を払う事はしても、それでも専用の道具を使うので直接触れる事はない。
暫く業の深い顔でエルフ達の前を行ったり来たりして、立ち並ぶエルフを観賞していた老爺は、満足したのか来た道を戻っていく。
そんな老爺の背を見送ると、闇の中から一つの影がエルフ達の前まで歩み出る。
「ははっ。なんて醜悪な生き物だ」
去った老爺に向けて嘲る笑みを浮かべると、その者は幼い声でそう吐き捨てた。
「まぁ、確かにこいつらは美術品だ。だが、ここまでして愛でたいものかねぇ・・・」
エルフのはく製を眺めながら、その者は理解出来ないとばかりに言葉にする。
それから手近なはく製を撫でるように指先で触れた後、興味を無くしたのか、老爺が戻っていった方向へと動き出す。
「はく製は気持ち悪いだけで価値が無いけれど、ここの魔法道具は中々に品質が高いんだよね。折角だから頂いちゃおうかな」
そんな言葉が闇に響くと、続いてじゅるりと涎を啜るような音が鳴る。
「おっと、いけないいけない。おやつ程度にはなるはずだから、今から楽しみだなー」
弾むような声でそう口にしながら、声の主は暗闇の中を進んでいく。程なくして、魔力が濃い場所に辿り着いた。
「みーつけたー!」
無邪気な声音でそう言うと、声の主は魔力が濃い中に手を突っ込み、闇の中から何かを取り出す。
「ふふふ。へー、呪いが組み込まれたいい魔法道具じゃないか。この呪いの感じは・・・ああ、あの身の程知らずか。あれは質はいいのに雑味が酷かったな」
その時の事を思い出したのだろう。うぇと、えずくような声を出すと、手にした魔法道具を見つめながら嫌そうな声を出す。
「これもあれと同じなのか? だとしたら食べたくないな。あれも見た目は美味しそうだったからな・・・」
うーんと可愛らしい声音を出して暫く考えた後、声の主は意を決して手にした魔法道具を食べた。
「・・・・・・んー・・・これは・・・・・・まあまあ美味しいかな・・・あれが消えて雑味が弱まったのかな?」
食べ終わったその声の主は、ふぅと一息つくと、闇に溶けるようにして次なる目標の許へと移動を開始した。
◆
「・・・・・・」
「・・・・・・」
日の差し込む明るい部屋で、ペリドットは椅子に腰掛けながら目の前で何か言いたげに立つ、背の低い童顔の女性、マリルへと視線を向ける。
そのまま暫く見つめ合う二人。
部屋には二人の他に、ペリドットの左右に控えるようにスクレとアンジュが立っている。
スクレとアンジュもペリドットに倣い、マリルが何か発言するのを眺めながら待つ。
そうして暫く時を過ごすと、マリルが重々しく口を開いた。
「あの、ペリドット様・・・」
「何でしょうか?」
緊張しながら話し出すマリルに、ペリドットは柔らかな笑みを浮かべて応える。
「実は・・・その・・・私の家の事なのですが・・・」
「はい」
「・・・・・・どうやら相手側に懐柔されたようでして」
「そうですか・・・それで?」
「はい。それで・・・私にペリドット様を弑するようにと命令が下り・・・」
「そう。それで? わざわざそれを私に告げて、貴女はどうするつもりなのかしら?」
普段と変わらない口調でのペリドットの問いに、マリルは深刻そうに俯き気味に答える。
「・・・断ったのです・・・最初は。しかし、私の意見など聞いてもらえずに・・・」
「それでその魔法道具という訳ですか?」
「!!」
マリルの懺悔を聞いたペリドットは、マリルの二の腕辺りに視線を向けて問い掛けた。
そのペリドットの問いに、マリルは驚きながらペリドットが視線を向けている右の二の腕を左手で掴む。服の上からでもそこに在る硬質な感触が手に伝わってくる。
「それはどんな魔法道具なのですか?」
「・・・それは」
言い辛そうに口ごもるマリル。
そんな様子を眺めながら、アンジュが口を開いた。
「少しおかしな魔法が組み込まれている様に感じますね」
「おかしな、ですか・・・確かに妙な感じはしていますね」
「これは・・・・・・外れなくさせる魔法でしょうか?」
「・・・・・・はい」
魔法道具に意識を集中させたアンジュの問いを、マリルが小さく肯定する。
「また質の悪い魔法道具だな。他の効果は?」
「・・・・・・爆発です」
「爆発。それが外れない魔法道具に組み込まれているという事は、自爆用か・・・?」
マリルの肯定にスクレは素早く考えを纏めると、問い詰めるようにスッと目を細めてマリルに向ける。
「・・・それもありますが、対となる魔法道具で遠隔操作も可能です」
「ほぅ」
「ですが、直ぐに爆発するのではなく、魔法が起動するまで時間が掛かるようです」
「なるほど。つまりはその為の時間稼ぎをこうして行っていた、という事ですか」
「・・・・・・はい。申し訳ありません」
何処までも落ち着き払ったペリドットの態度に、マリルは深く悔やむように謝罪した。
「それで、爆発するまでの時間は分かりますか?」
「あと十秒ぐらいかと」
「・・・そう」
「それはそれでつまんない結末だと思うんだよ~」
諦めたように呟いたペリドットの言葉の後に、何処からか幼い声が届く。
何処かで聞き覚えのあるその声に、ペリドット達は周囲を見回す。
「だから、その魔法道具は私が貰ってあげるよ~」
暢気な声がそう言葉を紡いだと思うと、マリルの腕に嵌っていた魔法道具が消失する。
「これも不味いものだな~」
魔法道具が消失したところで、幼い声が不満を漏らした。
「ああ、やはり貴女でしたのね」
足下にその声の出所を見つけたペリドットは、見覚えのあるその相手に声を掛ける。そのペリドットの言葉に、スクレ達もペリドットの視線の先に目を向けて相手を確認した。
そこに居たのは、全身黒っぽい服で身を固めた身長十センチメートルちょっとぐらいの一人の少女。
以前よりも幾分背丈が変わった気がするが、それ以外は大して変わっていない。
「どうしてここへ? オーガストさんが私達に何か御用でしたか?」
ペリドットは少女にそう問い掛けるも、しかし少女は首を横に振る。
「違うよ。オーガスト様からは別に何も頼まれてはいないよ」
「では?」
「特に意味はないよ。強いてあげるなら、近くを通りかかっただけ」
「近くを?」
「そう。この近くにちょっと用事があってね」
「どんな御用なのですか? 差し支えなければ御教え願えませんでしょうか?」
「んー? どんなって、ちょっと食事をねー」
「食事ですか?」
「そ、食事。たいして美味しくはなかったけれど」
「そうなんですか。因みに、どんな御料理を?」
「ははっ。さっきよりも質の悪い呪いの組み込まれた魔法道具をちょっとね」
「まぁ! そんな魔法道具がこの近くに在ったんですの!?」
「そうだよ。君達が探している証拠の近くにね」
「え?」
まるで試すように目を細めて笑う少女に、ペリドット達は僅かに困惑したような表情を浮かべる。
「それはどういう意味でしょうか?」
「そのまんまの意味だよ。そこにはね、君達が探しているエルフがいっぱい居るのだからね」
少女は意味深な笑みを浮かべたまま、甘く誘うような声音でペリドットにそう告げた。