終わりと始まり2
「うーーむ」
ユラン帝国の帝都に建つ宮殿の広大な庭の片隅に建つ、東屋のような円筒形の小さな建物。その建物の中で長椅子に腰掛けている男は腕を組みながら難しい顔をすると、唸り声を上げる。
「おかしい・・・もう時間だというのに・・・」
男は腕を組んだまま、苛立ちを示すように指でトントンと二の腕の辺りを叩くと、暫くして長椅子から立ち上がり、苛立ちを表すような大股歩きで建物の外に出た。
「・・・・・・静かだな。いつも通りだ」
周囲を見回した男は、その後に離れた場所に建つ宮殿に目を留めると、眉根を寄せて呟く。
「反応は無いが・・・不発といったところか」
手に持った縦十センチメートル、横五センチメートルほどの長方形の物体に目を落とした男は口の中で舌を打つと、それを荒々しく衣嚢の中に仕舞う。
「次の手を考えなければならないが、中々上手くいかないものだな」
忌々しげに呟くと、男は建物の中に戻る。
建物の中に入ると、男は建物の奥に安置されている女性の像の前まで移動して、その前で跪く。そのまま両手を胸の前で組んで目を瞑ると、一心に女性の像へと祈りを捧げる。
暫くそうしていると、目を開けた男は女性の像を仰ぎ見た。
「罪深き私をお赦しください」
そう呟くと、再度祈りを捧げる。
祈りを終えると、男はゆっくりと立ち上がり、女性の像を見上げながら後ろに下がっていく。
男は五六歩後ろに下がると、ゆっくりと息を吐き出した。
「よし! 次だ次!」
気合いを入れると、男は頭を回転させる。
「どうなったかは分からないが、とにかく失敗したのは確実だ。という事は、私の事がバレた可能性が在る。いくら間に様々な勢力から何人も入れているといっても、手繰ればいずれは私の元に辿り着く可能性が高い。いや、聡明な姫様であれば、必ずや辿り着かれる事だろう。ならば、まずは場所を変えて人も変えねばならないな・・・クッ、他の者も似たような状況のようだし、流石に最終手段はまだ採る訳にはいかないからな・・・しょうがない、ここは厭わずにもう少し手間とヒマを掛けてじっくりといかねばならないか。まだこちらが優勢なのは変わらないからな」
男は頭を振ると、女性の像をもう一度目にしてから建物を出ていった。
◆
「ふーふふーん♪ ふふふふーん♪」
何処とも知れぬ暗闇で、機嫌よさげな鼻歌が小さく響く。
「ふふふ。こちらはまぁ、順調かなー。これで褒めてもらえればいいけれど、どうなるだろう?」
まだまだ幼い少女のような声はとても小さく、誰の耳にも入らない。
それもそのはずで、その声の主は身長十センチメートル前後しかないのだから、声の大きさもそれに見合ったもの。
どこにでも入れるその大きさで、少女は自由に宮殿内を移動していく。
「向こうは向こうで楽しそうだからな・・・まぁ、今はいいや。ちゃんと実績は作っておかないとねー」
少女は楽しげにそう言うと宮殿内を移動していくが、その小柄な身体からは考えられない移動速度。それこそ大人が歩く速度よりも格段に速い。それでいて周囲の者達には視認出来ないようで、目の前に少女が居ても誰も気にも留めない。それはたとえ足下に目を向けたとしてもだ。
そうして少女が宮殿内を駆けていく内に、気づけば少女は二人になっていた。それも見た目も瓜二つ。
「ふふふ。他に食料はといえば、やっぱりあの場所になるかー」
少女は声にそぐわぬ艶っぽい笑みを浮かべるも、その笑みはとても人が悪い笑みであった。
◆
「しかし、どう致しますか?」
マリルの自爆未遂の一件から数日が経過した。ペリドット達は部屋に集まり、机を囲んで座りながら頭を悩ます。
「調査の結果はどうでした?」
「流石に国宝などが収められている金庫ですのでそう簡単に調べられませんでしたが、それでも枢機卿が出入りしているのは間違いないようです」
「ふむ。名目はなんですか?」
「国宝の管理や新たな美術品などの保管。他にもそういった類の歴史の調査など様々です。しかし、中には申請無しで入っている形跡も」
「・・・・・・なるほど。珍しいですね、足跡を残すとは」
「はい。これは金庫の番をしていた者の言から判明した事です。買収されていましたが、そこは流石に国に仕えているだけあり、協力を要請しましたら快く話してくれました」
スクレは優しげながらも、奥に何かを隠しているような笑みを浮かべる。
「そうですか。しかし、それでは証拠には弱いですね」
ペリドットはそれに気づいていながら軽く流す。追求したところで意味がないし、その必要もない。
「はい。ですが、あの少女の言葉の補強にはなるかと」
「そうですね。後はどうやって中に入るか、ですか・・・」
「管理は管轄外ですし、新たに収めるような品も手元にはありません。何かしら調べるというのであれば可能性はありますが、許可が下りるまで時間が掛かりますね」
方法について考え込むアンジュだが、名案は浮かんでこない。
「何かしら事件でも起これば話は別ですが、国宝に関わる事件などそうそう無いでしょうし、金庫内で事件が起きる事もないでしょう」
「いっそ誰かが盗みにでも入ってくれればいいのだが・・・」
アンジュの言葉に、スクレはため息交じりに呟く。
「もしも誰かが盗みに入っていたとしても、その者が大々的に宣伝でもしない限りは、それが発覚するのは確認作業をした時だけでしょうね」
「そうですよね・・・」
ペリドットの言葉に、スクレは困ったように頷いた。
そうして三人が困ったように考えていると。
「それなら、問題ないね!」
そんな少女の甲高い声が聞こえてくる。
その声に三人は迷わず足下に目を向けると、そこには身長八センチメートルほどの少女の姿があった。
「それはどういう意味でしょうか? それに先日お会いした時よりも背が低くなられたような・・・?」
少女の言葉と姿に、ペリドットは困惑気味に問い掛ける。
「ああ、ちょっと縮んでね。そこは気にしなくていいよ。それよりもさっきの話だけれども、金庫の中を調べてみるといいよ」
「金庫の中を調べるですか? 中に何か在るのですか?」
「ううん。何も無いよ」
「何も無いのですか?」
「うん。なーんにもないよ」
「はぁ・・・?」
ペリドットは少女の言葉に小首を傾げて、どういう意味かと思案していく。
暫く考えた後、ペリドットは少女に問い掛ける。
「それで、何を調べたらいいのでしょうか?」
「だから金庫の中さ」
「何も無いのですよね?」
「うん。そうだよ。なーんにもないよ!」
無邪気に笑う少女だが、その言葉には何処か悪意が混じっている様に思えた。それに気づいたスクレは、僅かに考えて問い掛ける。
「・・・・・・その言葉は、そのまま受け取ってもいいのですか?」
「スクレ?」
「うん。そのまんま受け取っていいよ」
「そうですか・・・・・・それはまた。それは貴女が行ったので?」
「んー? 私じゃないよ」
「・・・そうですか」
「うん! 私じゃないよー」
スクレの問いに、少女は無邪気な笑みのままそう答えた。
その無邪気に見える笑みの裏で、少女は人の悪い笑みを浮かべてそっと付け加える。
(中のモノを食べたのは、ここに居る私じゃないから、嘘はついていないよ)
内心で付け加えられたそんな少女の言葉が届く訳もないが、スクレはそれを理解出来たのだろう。複雑な表情を浮かべた後、諦めたように息を吐く。
「ペリドット様。金庫内を調べてみましょう」
「調べて何かあるのですか?」
「いえ。何も無いのです」
「?」
「現在金庫内には何も保管されていないという事です」
「それはどういう!?」
「それを調べる為に金庫内を調べに行きたいのです」
「なるほど。そう、ですね・・・急がせますが、多少時間は掛かるでしょう」
「それはしょうがない事でしょう」
ペリドットの言葉にスクレが頷いたところで、少女は「それじゃあねー」 と言って姿を消した。
「・・・・・・」
「あの方は何処に行ったのかしら?」
「・・・さぁ。それは私には分かりません。それよりも、今はこれからについて話し合いましょう。金庫内を調べたとしまして、その後について」
◆
「味が悪いのが多かったな。薄味だったし、雑味が酷い。それでも、あの呪いの味よりはマシか。量はそこそこあったけれど、イマイチ力が湧いてこない」
暗い部屋で小さな少女がむくれるようにそう呟く。
「しかし、進みが遅いな。もう少し早めるべきか・・・ここと関係する証拠は間接的なモノばかりで直接の証拠は残っていないみたいだけれど、それはどうとでもなる。でも、これ以上強引に介入するのもなー」
うーんと可愛らしい声を上げると、少女は暫く考え込む。
「・・・・・・まぁ、いいか。あれだけお膳立てしたんだから、残りぐらいは自分達でやってほしいものだ。全て私が介入してしまっては、きっと褒めてはもらえないだろうしなー」
悩ましげに息を吐くと、少女は暗闇の中を進んでいく。
少し進むと、立ち並ぶモノの前に到着した。
「うーーん・・・それにしても、これはいつ見てもよく分からないな」
少女は目の前に立ち並ぶはく製に目を向ける。そこに立ち並ぶはく製は、エルフのはく製。どれも髪や肌に生きているような艶が在り、上質な服を着せられている。
恰好も様々で、弓を構えている者も居れば、ただ突っ立っているだけの者も居る。男女別なく並んでおり、身長も様々。
エルフは若い時期が長いので正確な年齢は見た目からでは判らないが、それでも中にはどう見ても子どものエルフも混ざっている。
そのエルフのはく製だが、ただ横に並べられているだけではなく、更に奥の方には様々な場面を想定したように置かれていた。それはまるで劇の一場面の様。
そんな風に様々な格好でエルフのはく製が十数体置かれている。あらゆるものを食べる悪食の少女でさえ、その趣味の悪さに口の両端を下げた。
「力は失われていて不味そうだし、見た目なんて直ぐに飽きると思うんだが・・・」
意味不明だとばかりにはく製を睨みながら唸った少女は、息を吐いて視線を逸らす。
「んー、まだ来なさそうだな。まあいいけれど。それにしても、向こう側は相変わらず楽しそうだなー」
暗闇に目を向けながら、少女は拗ねるように呟く。
「あー、早くお会いしたいな。・・・あれは傍に仕えられて羨ましいが、それでは準備がな・・・しかし、あれの方が何より美味しいし力になるんだよな・・・んー、悩ましい」
難しい顔をしながら真剣に悩む少女だが、直ぐに首を振って思考を切り替える。
「まぁ、今はいいか。それよりも、集めた情報を纏めておくかな」
少女は遠くを眺めながら、各地で収集している情報の精査に取り掛かるのだった。
◆
時の流れというモノは意外と早いもので、それは忙しければ忙しいだけ加速していく。
ペリドット達が金庫を調べる為の手続きはそれなりに時間を要したが、それでも何とか受理され調査の為に金庫内に入っていく。
そうした動きがある一方で、帝都のとある家では何やら不穏な空気を漂わせている男女の姿があった。
「クソッ!! 何でこうも成功しない!?」
苛立たしげにそう口にしたのは、所謂街の不良といった感じの軟派な見た目の男。
「単純にアンタが無能ってだけじゃないの?」
そんな男に、長椅子に腰掛けて爪の手入れをしていた女が面倒くさそうに声を掛けた。
「アンだと!? まずはお前から殺すぞ!!」
女の言葉が癇に障った男が凄むも、女はそれに怯むどころか、興味なさげに爪の手入れを続ける。
「怒るって事は、自分が無能だって理解しているんだ? なら、早くそれを直す事だね」
爪の手入れを続けながら、女は適当な言葉を男に返す。
それに男は益々苛立ちを強めて女の方に一歩踏み出すが、そこに別の男から声が掛かった。
「そんな非生産的な茶番は他所でやってくれ。それよりも、調査結果はどうだった?」
そんな男の言葉に、軟派そうな男は危険な目をそちらに向けるも、それ以上は何とか自制したようで、舌打ちと共に踏みだした足を戻して、男に話を振られた相手の方に顔を向ける。
その視線の先では、眼鏡をかけた神経質そうな女が読んでいた本から顔を上げたところだった。
「調査、ね。失敗した以外には何も出なかったわよ。まぁ、一部不自然な部分もありはしたけれど」
「不自然な部分?」
「何と言えばいいのかしら・・・誰かが邪魔をしたという事なんでしょうが、いくら調べてみてもその痕跡も、それが出来る隙も無かったのよね」
不審そうな声を出しながら、神経質そうな女は軽く肩を竦める。
「どういう意味だ?」
「つまり、一部は見えざる何かが私達の邪魔をしたという事よ」
「なんだそれは?」
「さぁ? 私に訊かれても分からないわよ」
「それを調べるのが君の仕事だろう?」
「まあね。でも、どれだけ調べても何も出てこないのだからしょうがないじゃない?」
話は終わりだとばかりに視線を本の方に向けた女は、そう言って話を終えた。
それに何か言いたげな表情をした男だが、女の性格を思い出して苦い表情を向けただけで済ませる。情報収集を担当しているという事は、様々な情報を武器として収集しているという事に他ならない。当然だが、収集対象に敵と味方の区別はない。
「そんな事はどうでもいいが、次はどうすんだよ!?」
苛立ち混じりに軟派な男が誰ともなしにそう問うと、爪の手入れをしていた女が問うような目を正面で紫煙を燻らせている男に向ける。
その視線を受けた男は、呆れたように口を開く。
「そんなもん自分で考えろや・・・と、言いたいところだが、お前をそのまま行かせると無駄な強硬手段に出るだろうから、しょうがないからその為の舞台は整えてやろう」
「本当か!?」
「ああ。お前も失敗続きで苛立ってるんだろうが、最期ぐらい華々しく散らせてやろうじゃねえか」
男は軟派な男に捨て駒として死ねと言っているのだが、それを聞いても軟派な男は嬉しそうにするだけ。
そんな軟派な男の様子を横目に見ながら、爪の手入れをしていた女は内心で軟派な男を冷笑する。
神経質そうな女も内心似たような反応だが、もう一人の男は事が成せればそれでいいようで、目の前の茶番が早く終わればいいぐらいにしか思わない。
それから少しして、二人の話し合いが終わる。結局最後は強硬手段という方法が採られるようだが、その為に状況を整える必要がある。しかし、その辺りは紫煙を燻らせ座っている男がどうにかするという事で決まった。
話し合いが終わった事で、家に集った一同はそのまま解散していく。
「・・・・・・うーん」
そんな一同の様子を影から眺めていた身長十センチメートルにも満たない少女は、各人の動向を捉えながら考える。
「人間は不味いんだよねー。大した力もないし。でも、そのままにしていたら面倒そうだし・・・かといって手出しし過ぎるのもなー・・・うーん、それでも数を減らした方が管理しやすいかな?」
少女は考えながら、あまりこちらに労力は割きたくないなと息を吐く。
正直少女にとってはどうでもいい事なのだが、ある程度の成果を出せば少女が仕えている主人から褒美が期待出来そうなので、ほどほどに介入していた。
そもそも少女の本体は現在遠く離れた地に在るので、目の前の介入も片手間でしかない。それでも過剰なほどの戦力なのだが、今以上に手加減するのは少女にも骨が折れる。
(弱すぎるというのも考えものだな・・・いや、強くなりすぎるのは、かな?)
手加減が面倒になってきた少女は若干の苛立ちが内に湧くも、一緒にそれを体外に排出するように息を吐き出して気持ちを切り替える。
(手加減するのに意識を割きすぎてるというのも問題か)
力を入れないようにするのに意識を向けすぎて他に意識を向ける余裕が激減している少女は、少し考えて管理の手間を減らす為に役者を多少減らす事に決めた。
◆
ジュライが荒野を探索している頃、ペリドット達はようやく奴隷売買の証拠となるエルフ達のはく製を発見した。
「うっ。・・・秘密の部屋を見つけたのはいいですが、これは気持ちのいいものではありませんね」
光に浮かび上がった、時が止まっただけのように見えるエルフ達に、ペリドットは口元を押さえて視線を外す。
スクレはそのはく製の一体を見上げて、恐い表情を浮かべている。
「これが奴隷売買の証拠にはなるでしょうが、これの所有者を証明する方法が今のところありませんね」
連れてきた数名の兵士に部屋の捜索を指示しながら、アンジュは困ったように口にした。
「こんな場所にこんな部屋を作れる者など限られていると思うが・・・?」
「だからこそ、証拠が必要なんですよ。こんな場所にこんな部屋を設けて、こんな物を隠せるような者を相手にするのですから」
「・・・・・・それはそうだが」
「気持ちはわかりますが、ここで焦ってもしょうがありません。一つずつ確実に進めていかなければ」
アンジュの言葉に、スクレは複雑な表情を浮かべる。アンジュの言葉も理解は出来るが、憤りも強く感じていた。
そんなスクレの心情を察してか、アンジュはやれやれとばかりに息を吐く。
「とにかく、まずはこれを調べるところから始めなければなりませんね。押収するにも人手が必要ですし、応援を呼んできます」
「ああ、ここは任せてくれ」
「よろしくお願いします!」
スクレの言葉にアンジュは軽く頭を下げると、部屋を出ていく為に一人だけ離れた。
それを見送った後、スクレは目の前のはく製を見上げながら、はく製の周囲を回り観察していく。
上から下までつぶさに観察していくも、触れる事はしない。
「何処から見ても生きているようだな。こんな技術を一体何処から?」
髪や肌に艶があるはく製に、スクレは困惑気味に声を出す。
周囲に目を向けると、魔法光で闇を照らしながら探索する兵士の姿が見えるが、他は浮かび上がったはく製のみ。兵士達もはく製以外は何も見つけられていないようだ。
暫くそのはく製を観察していたスクレは、意を決してはく製に触れてみようと手を伸ばす。
「・・・ん?」
触れる直前にそれに気がつき、スクレは伸ばしていた手を引く。
「これは・・・触れた者を蝕む結界か?」
はく製の表面に張られている薄い結界に気づいて困った表情を浮かべたスクレは、はく製の周囲を回って再度観察していく。
「うーむ。認識しづらいが、これは中々に高度な結界だな」
スクレでも触れる直前まで気づけないほどにその結界は認識し難いように細工されており、それでいて触れた者の魔力を蝕み、内側から苦しめるようになっていた。
「中々に陰湿だ。これをすり抜ける方法もあるのだろうが・・・ん? 何故ここだけ結界に穴が?」
はく製の周囲を周りながら再度観察していたスクレは、はく製の足の部分に小さな棒状の穴が五本開いているのに気がついた。
その並んだ棒状の穴は、中心が縦に真っすぐ開いているが、端に行くほど上から下に一点に集まるように斜めに傾いている。それはまるで誰かが指先だけで撫でたような感じにも見える。
「まさか・・・いや、そうとしか考えられないか」
その棒状の並んだ穴を見たスクレは、少し考えてそれが何か理解した。いや何かではなく、誰がその穴を開けたか、か。
そう考えれば、その穴があまりにも低い位置に在るのも納得出来る。というか、それはこの場所にこの空間が存在している事を教えてくれた相手でもあった。ならば、ここに痕跡が残っていてもなんらおかしくはないだろう。
「それにしても・・・・・・結界をどうやったらこんな風に出来るのやら」
結界は部分的に壊れる事は在るが、それでも自己修復していくものだ。その修復までの時間は様々だが、意図しない限りはどんな結界でもそうなっているもの。
しかし、目の前の結界に開けられた穴は、自己修復している様子が全く無い。まるでそこだけ最初から結界が張られていなかったかのように自然な穴が開いているのだ。
そのあまりにも不自然な様子に、スクレは首を捻る。どうみても穴を開けられた感じだというのに、結界がそれに反応していない。そんな方法はスクレの知識の中には無い。
少しの間考えてみたが、分からないものは分からないので頭を切り替えると、それよりもこの隙間から中に触れられるだろうかと一瞬考えるも、あまりに小さい隙間に断念した。
「こういう結界は、結界を発生させている装置が何処かに在ると思うが、まあそういうのは大抵結界の中に置かれているか・・・ぱっと見た感じでは確認出来ないが」
そう思いつつ、スクレは結界の出所を探ってみる。
結界同様に内部の様子も分からないようになっているみたいだが、それでも綿密に調べてみると、何とか結界の起点となっている場所を見つける。しかしそこは。
「このはく製の中、か。そこに隠すのは理解出来るが、それでもこれは趣味が悪いな。装置が胸の中とは・・・心臓のつもりなのだろうか?」
訳が分からないと眉根を寄せると、スクレはこれをどうやって運び出すかを思案していく。
暫くはく製と結界を眺めながら考えたスクレは、どうしようもないかと息を吐き出した。
結界をどうにかする方法が無い訳ではないのだが、直ぐに思いつく方法は主に二つ。
一つは力で破壊する方法。しかしその場合、はく製に傷をつけずに実行するとなると、かなり難しい。というのも、はく製を護っている結界は結構高度なものであるので、スクレではそれを壊すにはかなり力を込めた魔法を放たねばならない。だが、それは力の加減が難しい事を意味しているので、勢いあまってはく製を吹き飛ばす事になりかねなかった。
では二つ目はというと、結界の一部を破壊した後、そこから強引に傷を拡げていくという方法。
これは大きく吹き飛ばすのと比べて威力が小さくて済むが、結界の修復速度によっては難度が変わってくる。
そして、それなりに高度な結界である以上、個人用の結界程度であれば、修復速度はかなり速い事だろう。
何とか壊した部分に別の魔法を割り込ませる事に成功したとしても、そこからその穴を拡げていくのも大変だ。結界との力比べも大変だし、それを維持しながら内部に在る結界を発生させている装置を破壊するのもまた大変な仕事だった。
「・・・・・・いや、誰かと協力しながらなら、なんとかなるか?」
結界の穴を拡げた後、片方が結界との力比べをしている間に、もう一人が胸の中に在る結界を発生させている装置を破壊すればいい。要は作業の分担だが、どちらも一定以上の技量が必要になる。
「アンジュかペリドット様ならなんとかなるだろうが・・・」
そう思いスクレは出入り口の方に目を向ける。しかし、先程応援を呼びに出ていったばかりのアンジュはまだ戻って来ていない。そのまま目をペリドットが居る方に向ける。
ペリドットは周囲を警戒しながら、気味悪そうにしながらも、はく製へと何かを探るような目を向けていた。
暫くそうしてはく製を眺めていたペリドットは、スクレが何か声を掛ける前に、魔法を発現させる。
発現させた魔法は、握りこぶしほどの大きさをした風の球。それは風系統の初級魔法であった。
その魔法の密度を上げるように慎重に、そして丁寧に練り上げていくと、そのままはく製へと放つ。
放たれた風球は、はく製表面を覆っている結界にぶつかり少し拮抗した後、その結界に球体と同じ大きさの穴を開けた。
穴を開けた風球は、そのまま結界の穴に嵌ったまま動きを止める。
それから結界に嵌った風球が急に大きさを変えて、握りこぶしほどの大きさから両手の指先を合わせて球体を作ったぐらいの大きさに膨れ上がる。
そうして穿った穴を拡張したところで、ペリドットは消耗した風球を分解して、すぐさまその穴に青白い光を纏わせた両手を突っ込む。
「なっ! ペリドット様!!」
突然の予想外のその行動に、それを眺めていたスクレは思わず声を出してしまう。
それに一瞬ペリドットはスクレの方に目を向けたが、すぐに視線を手元に戻す。
ペリドットは雷を纏わせた両手で結界を掴み、そこから扉を強引にこじ開けるかの如く横に力を込めながら、結界へと雷の魔法を流し込んでいく。
魔法というモノは、術者に近ければ近いほどに威力が上がる。そういう意味では、手から直接魔法を構築して結界を攻撃しているのは理にかなっているのかもしれないが、それにしてもあまりにも強引な方法だ。
程なくして、結界にひびが入っていく。そのひびは少しずつ拡がっていくと、ある程度まで拡がったところで一気にそれが拡がり、結界全体を覆うようにひびが走る。
ペリドットが放ち続けている雷の魔法がひびと共に結界全体を巡ると、結界は壊れるではなく、呆気なく消滅した。
「ふぅ」
「ペリドット様!」
「ああ、スクレ。慣れない事はするものではないですね」
そう言って苦笑気味に笑うと、ペリドットははく製の胸元へと手を伸ばす。
「今は結界に急激な負荷を掛けて一時的に機能を低下させているに過ぎませんから、まずは停止をさせませんと・・・」
そう言いながら、ペリドットははく製の胸元の奥に在る結界を発生させている装置へと無系統の魔法を放つ。それは装置が放っている魔力に近しい魔力で構築された魔法。
ペリドットは結界を壊す際に、結界を構築している魔力を伝って内部に自身の魔力を侵入させ、それを起点として内部で魔法を構築。それにより装置に直接攻撃したのだった。
その方法によって、ペリドットははく製を傷つける事無く内部の装置の破壊のみに成功する。ペリドットの言った慣れない事というのは、雷を纏わせた手で結界を破壊した事ではなく、結界を構築している魔力を伝って内部に魔力を侵入させた事。奇しくもそれは、ジュライが行使する貫通魔法に通ずる部分がある方法であった。
しかし、そんな事は知らないペリドットは、装置を破壊した事で一息つく。装置を破壊しながら簡単にペリドットから説明を受けたスクレは、驚愕の目を向けて賞賛する。
「流石はペリドット様! そんな方法で内部の装置を破壊なさるとは!」
「ふふ。たまたま上手くいっただけですよ。ここに在る全てとなると、流石に難しいでしょうが」
その賞賛にくすぐったそうに笑うと、ペリドットは周囲を見渡してからお道化るように肩を竦めた。