招待状
昼の詰め所での反動か、いつもより少し多めに会話していた部隊員達も、夜が更けていくと減っていき、今ではボク以外は昨夜と同じ部隊長を含む三人だけとなっていた。
さらに時間が経ち、その三人も寝るために移動した事で、広間にはボク独りきりとなった。
いつも通りに静かな世界で色々と考えながら夜を過ごすと朝になり、起きてきた部隊員達と朝食を済ませる。
少しの休憩を挿んで掃除を済ませると、ボク達は詰め所の外で整列して見回りを開始したが、帰りも特に異変は無く、平和なまま夕暮れ前には北門に辿り着いた。
その後北門前で解散したボク達は、それぞれの宿舎や兵舎に戻っていく。
「あ、おかえりー」
自室に戻ると、ベッドに腰掛けていたレイペスに声を掛けられる。
「ただいま。早かったんだね」
レイペスが北門で何をしているのかは知らないけれど、日没後になって帰ってくる事が多い気がする。遅いときは真夜中に帰ってくるが。
故に、まだギリギリ夕方であるこの時間帯に部屋に居るのは、ちょっと珍しかった。
「今日は昼過ぎには終わったんだよ」
相変わらず少女のような顔と声だが、これにもそろそろ慣れてきた。
「そうだったんだ」
「オーガスト君は明日学園に戻るんだっけ?」
「そうだよ。レイペスさ――レイペス」
「最初にさんは要らないよって言ったけれど、別に無理しなくていいよ。僕だってオーガスト君の事を未だに君付けだしね」
レイペスは扇ぐようにパタパタと手を振って笑う。
「そう? でも大丈夫だよ。うん」
そう返しながら、空の背嚢を仕舞ったり、着替えを取り出す振りをする。
「お風呂に入ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい。その間に僕は食堂に行ってくるよ。オーガスト君は相変わらず食べないんでしょう?」
「うん、夕食は要らないね」
「分かった。じゃあ食堂に行ってくるよ」
着替えを片手に一緒に部屋を出ると、レイペスとは廊下で別れる。食堂と浴室は反対方向だ。
浴室には直ぐに辿り着いた。
脱衣所で周囲を窺って人の目が無い事を確認してから、着ていた服の汚れを取り除きながら情報体に変換する。着替えを戸棚に仕舞ってから、独りで狭い浴室に入る。
もうそろそろ大浴場に湯が張られる時間ではあるが、大浴場はあまり好きではない。やはり湯に浸かるなら独りでゆっくりと浸かりたい。
浴槽に魔法で湯を張ると、身体を流して湯に浸かる。魔法で身体を清潔に保つ事は出来るが、やはり湯に浸かる感覚は中々に気持ちがよく、自然と息が漏れた。
そのままゆっくり湯に浸かる。
そうして力を抜いていると、頭に浮かんでくるものがある。それは考えている事の発想だったり、全く違うモノだったりと様々だが、こういうのも湯に浸かりたい理由だ。
そのまま穏やかな時間を過ごして湯を出ると、湯を抜いて浴槽を含めた浴室全体を清掃してから水気を切る。
身体や髪の毛の水気も魔法で取り除けるので楽なものだ。
脱衣所に入ると、誰も居ないので戸棚の着替えを一端情報体に変換してから身体の上に着替えを構築する。これが出来るようになってから少し時間が短縮できた。
浴室から部屋へと帰ると、まだレイペスは戻って来ていなかったので、そのままベッドに腰掛ける。
北門のベッドは西門の二段ベッドよりも少し大きい気がするので、一人で使うのがなんか申し訳ない気がしてくるな。
そう思いながらも、ベッドに横になって両手足を放り出して広さを堪能していると、レイペスが食堂から帰ってきた。
「お帰りレイペス」
「ただいま。もう寝るところだったかな?」
「ううん、まだだよ。もう少ししたらね」
どことなく申し訳なさそうに訊いてきたレイペスに、ボクはベッドの縁に腰掛けると笑って答える。
「それならよかったよ。起こしてしまったかと思ったからさ」
ホッとした表情をすると、レイペスは自分のベッドに腰掛けた。
「それで、疲れは取れたかな?」
「うん。食堂の方はどうだった?」
「今日は珍しく人だらけで満席だったよ。席の確保に時間が掛かったぐらいだからね」
肩を竦めると、レイペスはその時の事を思い出したのか苦笑した。
「それは行かなくてよかったよ」
「本当にね」
そう言って笑うと、レイペスは少し真面目な顔をする。
「実は、オーガスト君にはじめて会った時から訊きたかった事があるんだけれど、いいかな?」
「ん? 何だろう? ボクに答えられる事ならいいんだけれども」
それに警戒しながらも、笑顔でそう応える。はてさて、一体何を訊かれるのやら。
「オーガスト君ってさ、実はとっても強いでしょう?」
「うん? 何で?」
「視た感じでは魔力をほとんど感じないんだけれども、それが逆に不自然だし、少し言い方が悪いかもしれないけれど、それでいて内包魔力も平凡かそれ以下に視える。だけれども、どこか得体のしれない雰囲気があるんだよね。僕はオーガスト君ほどじゃないけれど、同じように得体のしれない雰囲気を持つ人物を知っている。その人物はもの凄く強いんだ。だから、もしかしたらそうなんじゃないかと思っただけさ」
そう言うと、「どうだろうか?」 と訊いてくるレイペス。
しかし、これ外れていたらもの凄く失礼な事を言われている事になるのだが・・・まぁ、間違っては無いと思うけれども。間違ってないよね? ジーニアス魔法学園だけでの統計では強い方だとは思うけれど、心配になってくる。
「はは。そう言ってもらえると嬉しいけれど、ボクは平均よりは上かな? ぐらいだよ」
正直に言うつもりがないというのもあるが、兄さんやプラタ・シトリー・フェンの存在を思えば、自分が強いなんてとてもじゃないが口には出来なかった。
「そうなの? まぁいきなりは教えてもらえないか」
レイペスは確信しているようで、ボクの言葉は受け容れてはもらえなかった。それでもそれ以上の追及はされなかったが。
その後もレイペスと会話を続け、日付が変わる前には就寝する。
翌日は太陽よりも早くに起きると、朝の支度を行う。レイペスはまだ眠っていた。
ボクは食堂で朝食を済ませると、宿舎を出た。
今日はジーニアス魔法学園に戻る為に、このまま駅舎の方へと足を向ける。
薄暗い世界を進み、駅舎に到着する。ここでも駅舎には誰も居ない。生徒はそれなりに目にしたので、余程時間が合わないのだろうか。
暫くすると列車が到着した。二両編成の短い車両だ。乗客はボクだけなので、気楽なものである。
客室に入ると、プラタとシトリーが既に待機していた。予想はしていたが相変わらず気配を感じさせないな。
室内は落ち着いた色のソファーが部屋の両端に向かい合わせで置かれ、その中間程の壁に窓が設置されていた。
二人用の部屋だったはずだが、門から学園への移動時は、基本的には一人一部屋が充てられている。
そんな部屋でも、座るだけなら四人が余裕で座れるだけの広さがあった。
そこに三人で腰掛ける。片側のソファーに、だが。
ボク・ボクの隣にプラタ・ボクの膝の上にシトリーという状況だ。
「~~~~♪」
シトリーはボクに身体を預けると、足をブラブラさせながら機嫌よく鼻歌を歌っている。
プラタは身体を捻ると、相変わらずこちらをジッと眺めたまま身動ぎもしない。
最早慣れたそれを気にせず、ボクは窓の外に目を向ける。
北門からジーニアス魔法学園までは約一日掛かり、三年生からは休日が学園から帰ってきてから貰えるらしい。
学園では二年生の時と同じように魔物などについてと対処法が教えられる。
他に戦闘法も教えられるが、全体的に二年生の頃に比べれば授業時間は少ない。あと、これは進級には関係ないので、出られない時には出なくても構わないみたいだ。
そんな事をぼんやりと頭に浮かべながら、漫然と横に流れる景色を眺める。
我ながら弛んでいるなと思うが、休めるときには休むべきだろう。そういうメリハリは大事だ。・・・そういう事にしておこう。
食事については各自持参ではあるが、ボクには必要ないので持ってきていない。見回りの際に収納した乾パンは収納したままではあるが。
さて、列車の旅は約一日続く訳だが、どうしようか。シトリーはボクの膝に座っているだけで楽しそうなのでいいが、一日中プラタの視線を気にしている状況というのは、慣れたとはいえ、出来れば何かで気を紛らわせたい。
しかし、思い立つのは会話と思考ぐらいか。会話は話題の提供が苦手だし、思考と言ってもパッと思いつくモノは何もない。どうしたものか。
とりあえず何か話題が無いものかと思考を巡らせる。・・・結局両方やっているな。
変異種については、こちらでも休憩しながらだが監視しているので特に訊きたい話題もない。というよりも、暇をみつけては話をするようにしていたから、もう話題が尽きている気がする。
元々おしゃべりは苦手なのだから、話題の見つけ方なんて知りはしない。なのでどうしたものかと思案するが、何も思いつかないので、もうこれだけで明日まで保ちそうな気さえしてくる。
確かめた訳ではないが、プラタはこのままでも何の問題もないと思うし。
しかし、話題について考えているのだから、何かないものかと思うのだが・・・。
『フェン』
『何で御座いましょうか? 創造主』
『話題の見つけ方ってわかる?』
『話題の見つけ方、で御座いますか?』
『うん』
恥ずかしくはあるが、フェンに問い掛けてみる。といっても、フェンの知識の基礎はボクのなんだけれども。
『そうで御座いますね、基本は相手の持ち物や服装などを褒める事ではないでしょうか?』
『そうなのか。でも、相手はプラタなんだよね』
『プラタ殿でしたか・・・それは難しい話で御座いますね』
フェンは暫し考えるように静かになる。
『・・・でしたら、プラタ殿に直接何か話題がないか問うてみるのも一つの手では?』
『プラタはあまり自分から話さないからな』
話題はないかプラタに何度か訊いた事があったが、逆にボクがどんな話題を望んでいるのか訊かれるばかりであった気がする。
『それでしたら世界の事や、プラタ殿自身の事について尋ねてみるというのは如何でしょうか?』
『プラタ自身の話か、それもいいかもしれないな。ありがとう、フェン』
『創造主の御役に立てたのでしたら光栄な事で御座います』
それで会話が終わると、ボクはプラタの方を向く。
「どうかされましたか? ご主人様」
ボクの視線に、プラタが僅かに首を傾げるような仕草をみせる。
「うん、何か話そうかと思ってね」
「どのような御話でしょうか?」
問い掛けるプラタに、何から訊こうかと考える。そうだな。
「プラタは妖精だったよね?」
「そうで御座います」
「妖精って他にどれだけ居るの?」
「・・・そうで御座いますね、私を含めて・・・三人かと」
「そうなんだ。兄さんの中に居る妖精も入れて?」
「はい」
「ん? なら、今妖精の森に居るのは一人だけ?」
「はい。ですが、森の中には精霊が大量に居りますので、何も問題は御座いません」
「そうなのか。精霊ってエルフに力を貸していた様なやつ?」
「いえ、我らの森に住まう精霊は、ナイアードよりも上位の精霊ばかりで御座います」
「ナイアードよりもか、それは凄いね!」
西の森の守護者のような立ち位置に在ったナイアードは、西の森の上位精霊だったはず。力もかなり強かった記憶があるが、それ以上の存在の精霊が大量に居るとは、凄いものである。
というか、実体のようなものを持っているナイアードでも十分凄かったけれど、それ以上ってどんな感じなんだろうか? 魔族とか天使みたいな生命体なのだろうか? そうなったら精霊の眼は要らないのかな? それとも、精霊の眼がなければ知覚出来ない強者とか? それはそれで恐ろしいな。視えない相手となんか戦いたくはないぞ。まぁ戦う予定は無いが。
「上位精霊だらけって事はさ、ナイアードの時みたいに会話が出来るの?」
「可能です。我ら妖精や精霊は大抵の言語は会得しておりますので、人間界の言葉でも意思疎通が可能です」
「へぇー、それは凄いな」
「長い事世界を観ていますと、自然と覚えてしまうのです」
「そういうものなのか。というか、人間が行ってもいいの? 西の森では精霊にも嫌われていたけれども」
ナイアードですら人間に対して敵意を持っていたもんな。
「あれは西の森の精霊だけで、決して精霊の総意という訳では御座いません。ただし、情報は共有されておりますので、どう判断するかは各精霊次第で御座いますが」
「なるほど」
「それに、妖精の森に立ち入れるのは許可あるものだけで、そこに好悪は関係御座いません」
「そうか」
「勿論、ご主人様は御自由に立ち入り頂けます」
「なんか申し訳ないね」
「なにを仰います。私のご主人様なのですから当然の事で御座います」
「そっか、ありがとうね。妖精の森にも興味あるからさ」
「前にも申し上げました通り、その際は森の中を御案内致します」
「その時はよろしくね」
妖精の森は魔境の近くにあるという、そういう意味でも楽しみなものだ。
「その身体はどう? もう慣れた?」
「はい。大分馴染んできました」
プラタは実体のない妖精なのだが、人形に憑依している事で実体を得ている。つまり身体は作り物なのだが、最近は表情のようなものが垣間見えたり、声が単調なものばかりではなくなったりと、その身体が生者のモノに近づいている様な気がしている。変化はまだ大きいものではないが。
「それならよかったよ」
プラタの返答と様子に、ボクは笑みを浮かべる。
何だかんだとプラタには世話になっているが、プラタと出会ってまだ一年と経っていない。
思えば最初の出会いは、寮棟が建つ暗い路地に居るところをプラタに寮の上階から見詰められていたものだった。
そのせいで最初は幽霊だと思ったものだ。そういう噂が学園に広まっていたし。まぁあれは元からあった幽霊話と混ざっただけのような気がするが。
そんな事を思い出しつつ、何となくプラタに触れてみる。
頭や頬を撫でたり腕に触ったりしてみたのだが、最初の頃の硬質な感じではなく、少し弾力のある柔らかな肌触りであった。
ボクが触れている間もプラタは少しも動かない。
「最初の頃より変わったね」
「そのようです。如何でしょうか?」
「うん、不思議だけれどいいんじゃないかな?」
「それは良かったです」
プラタはどこか安堵した様な雰囲気をみせる。
それにしても、本当に不思議なものだ。いつかは本当に生者のようになるのだろうか?
「私はー? ジュライ様?」
ボクの膝の上でご機嫌にしていたシトリーが、顎を上げてボクを見上げてくる。
一瞬どういう意味かと思ったが、直近のプラタとの会話を思い出し、シトリーの頬を撫でてみる。
少しくすぐったそうに目を細めるシトリー。
手を離すと、シトリーが期待するような目を向けてくる。そんなシトリーと少しの間見つめ合う。
「シトリーの肌はプラタのツルツルとした柔らかい肌とはまた違って、吸いつくようなすべすべとした肌をしているんだね」
「気持ちいい?」
「うん。肌触りがいいね、ずっと触っていたいぐらいだよ」
ボクの答えに、シトリーはにへらと蕩けるように笑う。
「ならもっと触っていていいんだよ!」
そう言ってボクの手を取ると、シトリーは自分の頬にその手を当てる。そうしながら機嫌よく身体を左右に小さく揺らす。
その可愛らしい仕草にほっこりとしながらも、ボクは空いているもう片方の手でプラタの頭を撫でてみる。
プラタの髪質は流れるように滑らかで、程よい柔らかさが癖になる。そういえば、プラタは髪の毛は伸びるのだろうか? 一年近く一緒に居るが、変わらない気がする。最近生体に近づいているのだから、今なら伸びているのかもしれないな。
妖精だからかは分からないが、プラタは不思議が多いものだ。それとも、人形の方に秘密が在るのだろうか?
そんな事を考えつつ時を過ごすと、気づけば夕方になっていた。
高速に流れていく赤い世界に目を向けていると、シトリーに声を掛けられる。
「ねぇねぇ、ジュライ様」
「ん?」
何事かと思って視線を下ろすと、ボクの手を頬に張り付けたままのシトリーの姿があった。
「ジュライ様の魔力貰ってもいい?」
シトリーが軽く首を傾げてそう問い掛けてくる。
「うん、いいよ」
明日の朝まで列車の旅だ、特にやる事もないので多少魔力を消耗しても問題ないだろう。
「やった!」
シトリーは喜ぶと、頬に張り付けていたボクの手を剥がして、その指を咥えた。
そうする事で、ボクの魔力がシトリーに吸い取られていく感覚を覚える。
そのまま少しして、シトリーがボクの指から口を離すと、どことなく艶々としたような晴れやかな笑みを浮かべる。
「御馳走様! 美味しかったよ、ジュライ様!」
「お粗末様でした?」
魔力の味というモノは分からないが、自前の魔力なのでそう返せばいいのだろうか? うーん、難しい。
「ふふん♪ また吸わせてね♪」
終始機嫌のいいシトリーに、頷きを返す。まぁそんなに大量に吸われる訳でも頻繁に吸われる訳でもないので問題はないだろう。
そうしてダラダラと過ごしている内に陽が沈み夜となる。
次に陽が昇る頃には学園に到着していることだろう。意外と時間は直ぐに経つものだ。
陽が沈んで外が暗くなったことで室内に明かりが灯り、窓が鏡と化した。
外の風景が見れないので、ぼんやりと室内灯の明かりを見つめる。魔法の淡い明かりは目に優しい。
「ご主人様」
「ん?」
そんな風にボーっとしていたら、不意に隣から声が掛けられる。
「そろそろ御休みになられた方がよろしいのではありませんか?」
ボーっとしていたからか、プラタに心配された。
「ありがとう。だけど大丈夫だよ。最近色々な事が立て続けに起こったからボーっとしたかっただけさ」
実家を出てから本当に様々な出来事に直面した。特に二年生に進級してからは面倒な事も多く、また色々と考えさせられる事があった。そのせいで疲れたと言えば確かにそうなのだが、それよりも単に脳を、心を暫し休ませたかったのかもしれない。
「そうで御座いますか?」
心配そうにするプラタ。それを見て、だからといって心配させてしまっていい訳ではないと思い直す。
「うん。もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね。それとありがとう」
「ご主人様が御健勝で在らせられるのであれば、それで私は満足で御座います」
そう言って、プラタは少し微笑んだような雰囲気を纏う。
「いつもありがとうね」
普段から助けてもらってるし、プラタには感謝しかないな。最初の頃はどうしたものかと思ったものだけれども、どう転ぶかは分からないものだ。
「私は当然の事をしているだけで御座いますれば、それは過分な御言葉で御座います」
相変わらずなプラタの反応に笑みが零れた。そこで視線を感じて、ボクは顔をそちらに向ける。
「どうかした? シトリー」
そこには空でも見上げるようにしてこちらを見詰めるシトリーの姿があった。
「むぅ。私ともお話ししよー」
少し口を尖らせるシトリー。
「そうだな、何について話そうか」
「何でもいいよー」
にこにこと笑みを浮かべるシトリーの言葉に、ボクは困りながらも思案する。
「ご主人様を困らせてはいけませんよ、シトリー」
ボクの横からの指摘に、シトリーはそちらに顔の向きを変えて頬を膨らませる。
「ぶー。プラタはいっぱい相手してもらってるから、そりゃ満足だろうさー」
「ええ、勿論です。ですが、貴女は不遜にもご主人様の膝上に乗せて頂いてるではないですか」
「ふふん♪ ここは私の特等席だからね!」
誇らしげに胸を張るシトリー。何となくではあるが、それにプリスが少しだけイラっとした様な気がした。
「ならばそれ以上の要求は必要ないでしょう。それに、先程ご主人様から崇高なる魔力を下賜されたばかりではないですか」
「それとこれはまた別問題だもん!」
「いえ、シトリーはご主人様から情けを掛けて頂きすぎです。少し自重しては如何ですか?」
「ふーんだ! いつもはプラタの方が構ってもらってるんだから、たまにはいいじゃん!」
不満げな表情をプラタ向けるシトリーと、それをいつもの無表情ながらもどこか苛立ち気味に受けるプラタ。
そんな二人ではあるが、言葉をぶつけあうだけなので心配はない。それでも、ボクがどうしたものかと困っていると。
「創造主の御前でありまするぞ? 御二方」
ボクの影からぬるりと姿を現したフェンが、二人をそう窘める。
「・・・そうで御座いました。御見苦しいところを御見せしてしまい、大変失礼致しました。ご主人様」
「むぅ。ごめんね、ジュライ様」
「いや、うん、大丈夫だよ。ボクは気にしないから。でも、止めてくれてありがとうねフェン」
深々と頭を下げるプラタと、申し訳なさそうにしおらしい表情を浮かべるシトリーの二人に、ボクはそう声を掛ける。実際ちょっと言い合ったぐらいだ。
それとは別に、わざわざ影から出てきてまで止めてくれたフェンに感謝すると、恐縮そうに頭を下げられた。
「御寛恕痛み入ります」
「ありがとうジュライ様!」
恭しく頭を下げたプラタと、身体を捻って抱き着いてくるシトリー。そんな二人の背を、本当に気にしていないよと想いを込めて軽く叩く。
それでとりあえずは終息したが、そこから先はどうしよう? 結局何も話題は思いついていない。
「・・・そうだ! フェン、少し五感を借りるよ」
といっても視覚と聴覚だけだが。折角フェンが姿を現してくれたのだ、時間がある内に五感を共有するのにも慣れておかなければ。
「創造主の思うがままに」
フェンの返事を聞いて、フェンの感覚に自分の感覚を重ねるように思い描き、それを実行する。
「うーん」
視界に関してはそれなりに上手くいってはいるのだが、音がほとんど聞こえない。車内が静かだといっても、全くの無音という訳ではない。列車が走る音やボク自身の呼吸音などという小さな音が在るのだから。
しかし、やはり音が小さいからか、何も聞こえてはこない。前回は本当に小さく聞こえただけだからな。
ボクは視覚を閉ざし、共有した聴覚だけに集中する事にしたが、全力で耳を澄ますも何も音が聞こえてこない。
念の為に五感共有を止めてみると、自分の耳は車中に響く小さな音をしっかりと拾っている。
「ふーーむ」
どうすればいいのかと思案するも、創造した魔物の感覚を共有する話を人間界では聞いた事がないし、プラタに聞いた話も具体的な手法までは含まれてはいなかった。
故に悩むのだが、さて、ここからどうしたものか。
フェンとの同調自体は出来ているし、視覚の彩度はいいからその辺りの調整も出来ていると思うんだけれど・・・うーん、目と耳では勝手が違うのかな?
そのまま色々考えるも分からなかった為に、それからもフェンと五感を共有してみたものの、視界しか思うように確保出来なかった。
「視界だけなのかな?」
魔物によっては共有出来ても視界だけだとか、聴覚だけだとかあるらしいし、そのせいなのかな? でも、フェン達は他の感覚も共有出来ると言っていたしな・・・。
「視覚以外の五感も共有可能なはずですが・・・」
ボクの呟きに、隣からそう答えが返ってくる。やっぱりそうだよな。
「うーん、何処かが間違っているのか足りないのか・・・それとも両方? 難しいね」
何度やっても上手くいかないので、一旦諦める。気づけばいい時間だったし。
もうすぐ時刻的には朝ではあるが、外は薄暗い。少しぐらいは寝ておこうかと思い、三人に少し寝る事を告げてボクは目を瞑った。
◆
目を開けると、そこは何時ぞやの草原であった。
「・・・・・・」
どこまでも続く草の絨毯。雲一つない澄んだ空。太陽は燦々とその光を地上に降り注いでいる。しかし、全く暑さを感じない。匂いだって何もない。
そんな草原に、見覚えのある少年が太陽を直視しながら立っていた。
「兄さん。太陽の直視は危ないよ?」
そのボクの声に、兄さんはゆっくりと顔をこちらに向ける。
「大丈夫さ。あれは偽物だし、輝いているようで実際は光ってなんかいない。というよりも、ここには太陽どころか明かりもないよ?」
兄さんがその冷たい瞳をボクに向けてそう告げると、世界は暗闇に包まれる。
「兄さん!?」
何も見えない暗闇の世界。上下左右の感覚さえ狂いそうなそんな世界に一変した事に驚きつつ、兄さんに呼びかける。
「ここに居る」
暗闇の中から兄さんの無機質な声が響く。
「ここは何処? それにボクは何故ここに?」
「ここは・・・僕の精神世界、のような場所さ。ジュライが眠ったのでここに迷い込んできたのだろうさ」
「迷い込んだ?」
「そう。僕が呼んだら来れるけれど、ジュライは自発的にはここには来れないから」
「ボクは無理なの?」
「そう。ここは僕の世界だからね」
「どうすれば戻れるの?」
「戻りたいなら戻すけれど?」
「戻せるの?」
「僕は出入り自由さ。それに自他は関係ない」
「それじゃあ戻してくれない?」
「いいよ。だけれど、いいの?」
「どういう事?」
「何か困り事だったんじゃないの?」
「?・・・何の事?」
兄さんの言葉に少し考えるも、何の事だか分からない。
「フェン、だったか? それとの五感共有が上手くいってないんじゃないの?」
「あ、ああ。うん、そうなんだ。よく分かったね」
確か今は記憶は共有されてないはずじゃなかったっけ?
「あれだけ外で騒いでいたらね。記憶は共有してなくても身体は共有してるんだ、何となく分かる」
「そ、そうなんだ」
「まぁ、普段はこっちで記憶や感覚は遮断しているから安心してよ」
「あ、ありがとう」
「それで、もう戻るのかい?」
「・・・どうすればいいのかな? 兄さんには分かるの?」
「簡単な事。単にジュライとフェンの回路が繋がっていない」
「え?」
フェンとはちゃんと共有出来ているはずなんだけれど。視覚はちゃんと共有出来ているし。
「繋がりが不十分。回路が閉じているのに気づけないのはジュライの鍛錬不足。鍛えなさい、ジュライはまだ成長できる」
「そう、なの?」
「ああ。知ってるかい? ジュライの魔力量の限界は僕よりも多い。というよりも、僕が少ないんだけれども」
「え!?」
兄さんの最後の言葉に、ボクはただ驚愕する。そんなはずはないと思うんだけれども・・・。
「ジュライにとって、周囲に居る魔法使いの人間は弱いだろう?」
「え、う、うん」
魔力量も魔法の練度も何もかもが低いと感じるのは確かだ。
「僕はね、そんなジュライの周囲よりも弱かったんだよ。『我が家系の恥さらし』 産まれた僕を祖父はそう評したらしいよ。引き取るはずだったのに、可愛そうにね」
「それは・・・」
「やっと育った魔力も、封印とそれを解除した後に大半が持って行かれたし。そしてね、死ぬ前のジュライは既に当時のジャニュ姉さん以上だったそうだよ」
クロック王国の最強位を務めているジャニュ姉さんは、我が家でも一番魔力量が多かったらしい。最強位などなるべくしてなったという事だ。そんなジャニュ姉さんよりも、赤子だったボクの方が上だった? 当然ながら覚えていない。
「それでジュライの死がどれだけ惜しまれたか理解できるかな?」
人間界において魔力が高いというのは、それだけで全てが約束されたようなものだ。そして、無事に産まれた兄さんがどんな風に見られたかは、祖父の言葉が物語っている。
この世界が暗闇で良かった。
「兄さんはボクを・・・恨んでる?」
「恨む? 何故?」
「だって・・・」
「恨み、ね。その感情の意味は本で調べたが、興味ないね。その感情の価値も理解出来なかったし」
どこまでも他人事で、無感情な声。それが兄さん、オーガストという壊れた少年を物語っている様な気がして、ゾクリとした寒気に襲われる。
「感情は難しいね、人間をバラしたところで分からないんだから」
「え!! ま、まさか兄さん・・・」
「ん?」
兄さんのその呟きは、聞き流すには少々刺激が強すぎた。
「誰か、その、ころ・・・」
「?・・・ああ、うん。昔ちょっと気になって解体した事はあるよ」
「――――」
「大丈夫、大丈夫。消えても何の問題も無い相手だから。あの頃は虫や動物にも飽きてたからね。だけれども、たいした発見は無かったな」
「――――」
微塵の揺れもなければ何の感情も感じられない、まるで作られた音声のような声で紡ぐ兄さんの言葉に、ボクはただただ恐怖する。
ボクは今でも命を奪う事には嫌悪感が残っている。
それでも敵であればなんとかなるが、関係ない相手を手に掛けようなんて少しも思えない。それもただ好奇心を満たすためだけに何て想像も出来なかった。
「ふーむ。やはり僕は異質らしいね」
「・・・え?」
「そして君は正常だ・・・多分」
「どういう・・・?」
「君の今の反応が僕に対する周囲の反応と同じだからさ。だから君は正常だよ。よかったね」
「あ、えっと、その」
「ん? ああ、大丈夫だよ気にしてないから」
「それは――」
「だって、つまりは君の価値も周囲と同じという事でしょ?」
「え?・・・それはどういう」
「気にするってのはさ、何かが大事だから気にするらしいじゃない? 例えば自分の矜持に関わるとか、例えば大切な相手の発言だとか」
「・・・・・・」
「それでね、僕は自分の価値に興味はないし、周囲の価値にも興味が無い。そして、君の価値もその周囲と同じという事。ならば何故、君の発言や態度、気持ちを気にしなければならない? それに何か意味はあるのかい?」
「それは、えっと」
理解が追い付かない。それに、ここで何を言えば正解なのかも分からない。
「・・・ふむ。君の中身を検分すればそれが理解できるのかな?」
「え! そ、そんな事はないと思うんだけれど」
姿が見えないからこそ余計に恐怖がこみ上げてくる。
「ふーむ。まぁいいか。君の要望通り戻してあげよう。それと、閉じた回路を広げるには、同調後に相手に無理矢理魔力を流してごらんよ」
そういうと、ボクは意識が浮上するような感覚に襲われる。
「じゃあね。今暫く楽しむといいよ」
最後に兄さんのそんな言葉が聞こえたような気がした。
◆
「あれも他と同じか。僕から感情を奪ったのは君だというのに実に勝手なものだ」
ジュライの意識を外に戻したオーガストは、感情の窺えない声でそう呟く。
「感情も魔力もその他のモノも、育んだ先からあらゆるモノを持っていかれたが、そもそも意識してないから記憶が無いか・・・それでも残ったモノはある。君を消し去り、君が得たモノを僕のモノとするのは簡単ではあるが、まぁ今は楽しみ給えよ。君は僕と違って正攻法で遥か高みを目指せる存在なのだから」
そう口にすると、オーガストは完全な闇の中で再び内に籠るのだった。