第118話 先輩と後輩の関係
「そうだ……レイチェル、そう言うわけだからこいつ等客じゃねえ……俺の後輩達だ」
大将はそう言って妻らしき金髪の女性に声をかけた。
「そうなの……せっかくのお客さんだと思ったのに。もう少し宣伝して店をはやらせないとまた潰れちゃうわよ」
白い割烹着に三角巾を頭に巻いた金髪の美女が揚げたイカゲソ揚げをトレーに並べていた。
「この人も?その『特殊な部隊』の隊員の人ですか?」
島田はそう言ってレイチェルと呼ばれた女性を指さした。
「こいつはうちの家内……隊長のことは知ってる……身内だ。それに第一期『特殊な部隊』には野郎しかいねえ。そりゃあむさい顔の連中さ」
そう言って大将はようやく誠達に顔を向けた。
蛇のような鋭い視線とそれに似つかわしくないユーモラスな顔に思わず誠は吹き出しそうになる。
「そこの一番デカいのが神前か……聞いてたよりマシな面構えじゃねえか……シュツルム・パンツァーの操縦下手なんだってな」
ぶっきらぼうに話題を切り出した大将の言葉に誠は照れながら頭を掻いた。
「隊長は……確か甲武軍治安機関の出身ということは……」
カウラのつぶやきに大将の目から輝きが消える。
「そうだよ。俺達は遼帝国で甲武国家憲兵隊の一員として『ゲシュタポ』の真似事をしてたんだ……当時はな。今はカタギでやってるのもいればいまだに戦場で傭兵稼業に励んでいる奴もいる……色々あるもんだ。プロの戦争屋。それが俺達の真実の顔だ」
大将はそう言うとにやりと笑った。
「昔話はそれくらいにしてだ。志村三郎の実家のうどん屋をご存じなんですか?」
レイチェルから受け取ったかけうどんをトレーに乗せた誠は意を決して無表情な店の親父に声を掛けた。
「あそこの親父は俺の兄弟子だ……俺も遼帝国の名店で修業した口だ。味は保証するぜ」
親父が言ったのはそれだけだった。かなめとランはわかりきっているというように黙ったままうどんをすすっていた。
「なんでそんなこと知ってるんですか?あそこって租界の中じゃないですか?って聞くだけ野暮ってもんですよね。第一期『特殊な部隊』なんですから。でも租界の中なんてそんなロートルが行くような場所じゃねえよ。怪我したって知らねえな俺は」
島田はそう言った。誠は島田の表情を不自然に感じていた。
甲武国陸軍の工作員として活動していた経験のあるかなめや、遼南内線で共和政府軍のトップエースとして鳴らしたランという二人の百戦錬磨の戦士に警戒感を抱かせる程に危ない男。この店の親父がまともな経歴の持ち主でないことは誠にもわかった。
「だからどうした。俺に意見する気か?兄ちゃん。腕っ節には自信があるのはいいが口の利き方には気を付けた方が良いぜ。喧嘩ってもんは相手がいるもんだ。気を付けな」
大将は黙ってそう言った。島田の顔にあざけりの笑みが浮かぶ。
「あそこは一般人は立ち入り禁止っすよ。危ないですから。俺達みたいな司法執行機関員でもない限り出入りは難しいように出来てる。アンタみたいな昔慣らした口のパンピーが行くところじゃないですよ。もうカタギに戻った元軍人さんが入れるような場所じゃ無いですよ。大人しく店でうどんでも打ってるのが似合いですよ」
そう言って島田は親父をにらみつけた。親父は口を真一文字に結んだまま島田の言葉を黙って聞いていた。
「正人……挑発するのやめなさいよ」
それまでうどんに夢中だったサラが止めに入った。それでも島田は不敵な笑みを浮かべて親父をにらみつけた。
「茶髪のあんちゃん。喧嘩慣れしてるな。腕っぷしに自信がある。そんな餓鬼の面だ。餓鬼は餓鬼。いつまでたっても大人になれねえのは感心できねえな」
そう言うと親父はにらみ合いに飽きたとでもいうように島田に背を向けて壁に並んだ湯切りざるの整理を始めた。
「ふん!」
勝ちを確信した島田がどんぶりに視線を落とした。
「茶髪の兄ちゃん」
ドスの聞いた女性の声が店中に響く。誠はそれがこれまで客向けの笑みを浮かべたレイチェルから発せられたことに気づいた。さすがの島田も彼女の突然の変化に驚いたように顔を上げる。
「あんた。半グレ上がりだね……せっかく今はこうして更生して司法局実働部隊なんて言う堅気の仕事についているんだ。自重しなよ……それと隣の嬢ちゃん……」
レイチェルの目。先程まで誠達を客として見つめていた目には人間性のかけらも見えなかった。
「はっはい……」
サラがおずおずと赤い髪に隠れそうな顔を上げた。
「あんたも自分の男が間違いを犯したら止めてやりなよ。特にこの兄ちゃんの目。狂犬だ。まあ、心根まで狂犬ならとっくの昔に人の道から外れていたんだろうけど……。兄ちゃん」
「なんすか?レイチェルさん」
島田は今度はレイチェルを挑発的視線でにらみつけた。
レイチェルも一歩も引く気はないと言うようににらみ返した。
「いい年なんだろ?喧嘩自慢は結構だが……相手を選びな。アンタ、そのままだと近いうちにその娘を泣かすよ。まあアタシの言葉の意味はアンタがくたばってその娘が悲しむってことだけど」
レイチェルはそれだけ言うとそのまま揚げ物に顔を向けた。その様子は戦場に慣れ切ったかなめの顔をほうふつとさせた。
『この人、かなめさんと同類……いや、もっと上だ。人の死んでいく様をかなめさん以上に見てきた目』
誠はレイチェルの青い瞳を見てそう思った。
「島田の。レイチェルさんの言うとおりだぞ。オメーは自分より弱い奴には手を上げないが、強い奴にはまるで土佐犬みたいに無境にかみつく。悪い癖だぜ」
うどんの汁を啜りこむのを一旦止めて、ランは顔を上げてそう言った。
「ランの姉御。ひどいですよ。俺が犬っころみたいじゃないですか」
島田は笑いながらランを見つめた。
ランの表情に笑顔は無かった。