①
タクシーの揺れにより目が覚める。揺れと言っても不快なものではなく、タクシー特有の心地よい揺れだ。
車窓から外を見ると、今にも崩れそうな地層が見える……本当にここは横須賀なんだろうか?
停車した事を確認し、俺は運賃を支払う。料金自体は朝日と折半だから、それなりの出費で済んだ。
ある者は引きずられ、また、ある者は引きずるという謎の行動が見られる。まぁ、美咲ちゃんが真希ちゃんを引きずっているだけなのだが。
……散歩を拒否する老犬みたいになってるよ真希ちゃん。
「あ、ほら玲さん早く! 置いてっちゃいますよ」
……置いてかれるとか以前にそもそと別行動するつもりなんだけど、とは口に出せない。
どうせ朝日達は喫茶店で少し遅めの朝食をとるつもりなんだろう。
もしくは、多数決なら鎌倉パスタ。男女比を見れば同じだが、昨日の一件もあり女性陣に俺は意見を出しづらい。
別にそれ自体はいつものことだからいいとして。
問題は朝日《シスコン》がわざわざ自身の株を下げてまで美咲ちゃんの意見に異を唱える姿が微塵《みじん》も想像できないことだ。
「そいや、どこでご飯食べるか決まった?」
三人の後ろをのそのそ歩きながら俺が尋ねると、美咲ちゃんはくるりと振り返って答えてくれる。
「えっと、鎌倉パスタで済ませようかなと……。あの、玲さんもしかしてパスタ嫌いでしたか?」
「いや、男子高校生はみんな麺類が好きだから無問題だよ」
とはいえ、流石にパスタで済ませるのは少々物足りない。
怪しまれないように鎌倉パスタのある八階まで大人しく付いていくか。
あいにくエレベーターは点検中だった為、エスカレーターで二段後ろをしょんぼりとしながらついていくこととなった。
八階に着き鎌倉パスタへと向かう。
鼻歌交じりの美咲ちゃんを筆頭に、寝起きだからかはぐれメタルのように蕩けた真希ちゃん、その二人を微笑ましげに見ている朝日が入店。
それを見届けてほくそ笑むと、俺はその手前の紅虎餃子房へと入る。
入ってすぐに人差し指を立て一名アピールをした。このとき決して「一名」と口にしてはならない。
うっかり「一名」なんて言った日にはお一人様ランチがぼっちメシへと退化してしまうだろう。
おひとり様ランチもぼっちメシも一人じゃねーか。自分でボケて自分でツッコミを入れる。それくらい浮かれていた。
案内された席に着くと、
注文を受けに来た店員に「よくばりセットをエビチリで」と告げ再び思考の渦へと身を任せた。
どうしたら計画通りに過ごせるだろうか。……どう考えても店を出たときに捕まる未来が見える。
まるで既に王を取られて投了した状態の棋譜で詰将棋をやってんじゃねーかってくらいに脱出ルートがない。
……というか、そもそも詰んでいるから考える必要もない。
油淋鶏を咀嚼しながら溜息をこぼす。このままだと十中八九今日の予定は潰れてしまう。
「あ、やべ……」
焦っていたのかライスと共に食べる予定だった
……単品でもいけるな。香辛料の濃い味と畑のアワビと評されるコリコリとした食感で食欲が増進する。
新たな発見をした喜びを胸にレジへと向かう。
いわゆるライトノベルであれば、店の外に出た途端にきょろきょろと挙動不審になり、挙げ句呆気なく捕まるが、俺はそう簡単に捕まる気はない。
否。俺でなくとも自分の予定を潰してまで行動を共にしようとはしないだろう。
会計を済まし、ちらと鎌倉パスタを覗くと丁度料理が届いたところだったのか、皿に綺麗に盛りつけられたパスタと疲労しきった朝日が見えた。
ちらと見えた朝日の瞳が俺に何かを訴えているような気がしたが、九分九厘恨み言だろう。
そうでなくとも俺にとって不利なことになるのは間違いない。
原因は俺だが、店内に足を運ぶ気にはならない。それに、既に空腹は去っている。
わざわざ面倒事に突っ込む趣味がある訳でもない俺は、目を逸らしエスカレーターを降りていった。
※ ※ ※
踏段《ステップ》の中央に立ち、7階へ降りる。
音声案内板と入口に置かれていた携帯用フロアガイドを見ながらであれば迷わない程度には把握をしている俺は、迷うことなく目的地……もとい書店へと歩く。
書籍に雑誌、果てはアニメのキャラクターグッズまで取り扱うその書店は同フロアの他店と比べてもかなり広く、その広大な敷地に見合う書籍数を誇る。
そして、エスカレーターから一四、五メートル程という立地条件もあり喧騒に満ちたそこは、むしろ迷子になる方が至難の業だろう。
要するに、杞憂だった。
大開口のドアが開くと、先刻の喧騒とは打って変わり、心地良い静かな空間が広がっていた。
「…………」
入ったはいいものの、どの棚にどこのレーベルが陳列されているかわからない。
とりあえず、大まかに把握するために店内を一周する。
入口付近にはハンドメイド雑誌やレシピ本が並べられ、その表紙はいずれも複雑な刺繍であったり飾り切りで凝っているのだが――
「……これ、本当に初心者にできるのかよ」
精巧な立体刺繍の雑誌には『初心者にもカンタン』と表紙に不似合いなキャッチコピーが書かれ、なんなら老舗旅館のレシピ本に至っては『誰でもかんたん! プロの味』と謳っていた。
手順通りにやれば俺にもできるのではないかと淡い希望を抱き数ページ読んでみたが、案の定。
最初はそれなりに理解できたのだが、自炊するとはいえ家庭科の延長でしかない俺には、途中から出てくる技術が全然わからなかった。
もう、たたかいつかれておやすみグッナイって感じ。
実際、よくわからない疲労感を伴い雑誌売場を抜けると、眼前に広がるはどこか懐かしさを覚える児童書売場。
児童書の陳列された一角は青、橙、緑の三色が棚の大半を占め、平台にはかわいらしくデフォルメされた伝記が積まれていた。
「……光秀ふさふさって。たしか金柑《キンカ》頭だったような」
『義残後覚《ぎざんこうかく》』によれば酒宴の際に中座しようとした光秀をこの蔑称で呼び詰問したらしい。
もっとも、文禄五年に成立したこの寓話集は怪異についても扱っているため、これを金柑頭と呼ばれていた証拠とするのは些か説得力に欠ける。
それに、大河ドラマでも光秀が附髪をしている表現はおろかハゲを指摘されるシーン自体見たことがない。
なんなら光秀を主役としたドラマがあったが特にこれといってハゲ散らかしているシーンはなく、あれだけ苦労しているのによくハゲないなと密かに思ったくらいだ。
こうして見ると日本人の社畜適正の高さはここら辺がルーツな気がしないこともない。
それはさておき、年齢により附髪していても何らおかしくないとする所謂、明智光秀六十七歳説を密かに推している俺は、少々後ろ髪を引かれる思いで目当てのラノベコーナーへと向かった。
「……やっぱ長文タイトル多いな」
平台に積まれたラノベ……名前は知っていたがタイトルからつい避けていたものを手に取る。
シュリンクのされていないそれは、もはやサブタイトル込みで大掴みな流れを表しているといっても過言ではないだろう。
ヒロインとおぼしき凛とした少女が体育座りをしたイラストに思わず目を奪われるその表紙は、白を基調としており、タイトル自体を左上端に書き入れ、ラベンダーや一斤染《いっこんぞめ》のサブタイトルをさながら背景のように見せていた。
……ちなみに裏にもあらすじは書かれていた。
黙々とページを繰る音が間断なく響く。
そう言えばいくらか格好がつくものの、あくまでやっていることはシュリンクに包まれていないそれを単に読んでいるだけ。
要するに立ち読み。そう自分を改めて客観視すると、俺はぽんと本を閉じる。
……ふう。タイトルから避けてきたものの、ここまで興味を沸かせてくるとはなかなかやるな。
少し悔しいし、なんなら財布にも深手を負うが……まあ、しかたない。
そう、しかたない……買ってしまうのはしかたない。
「ガ●ガと講談社の新刊だけの予定だったけど……しかたないか」
平台の下の方に積まれた包装《シュリンク》無しにしては角潰れ等が見当たらない比較的状態のよい本と入れ替え、俺は当初の目的通りに新刊探しを再開した。
油淋鶏定食代と併せると、この予定外の出費は少々……否、かなり痛いものではあるが、電気•ガス•水道代は毎月余裕を持って払えている。
それに食費もいつもは昼食を抜き朝晩の二食を質素に済ませているから問題はない。
元来出不精であり、高校入学から帰宅部エースの座に君臨し続ける俺がこうして休日に外食などそうするはずがなく、まして本を買うために定期区間外まで赴くなどもってのほかだ。
ここまでイレギュラーな現象が起きたのだから、平常通りに過ごすにはそれ相応の対価が必要だろう。
それが今回はこの出費という視認できる形となっただけ。
そう自身の財布の紐が緩い言い訳をそれっぽく考えつつ、目当ての新刊を片手にレジに並ぶ。
レジ前にはバンクルやシュシュ、イヤリングといったアクセサリーが陳列され、そのいずれも見た目や品質に反して手頃な価格で販売されていた。
あの姉さんですら、よくビーズボールを作っていたくらいだ。きっと大抵の女子はこういった類のものが好きなんだろう。
「……どれにするべきか。いや、どれも似合いそうなんだよな」
結局俺はシンプルなパールヘアピンとサテンフラワーのあしらわれたビーズクロッシェのヘアゴムをそれぞれ二つずつ買うことにした。
ヘアゴムはデザインこそ同じにしたものの、色は真希ちゃん達のイメージに似合うようピンクと水縹《みはなだ》の二色にし、印象を対照的にした。
我ながら粋な計らいだと思う。
慣れないヘアゴム選びに苦戦しつつも、並行しなんとかヘアピンを見繕った俺をまずは労うべきだろう。
レジのお姉さんに「ご姉妹へのプレゼントですか?」と聞かれたのは少々腑に落ちないが、実際「彼女さんへのプレゼントですか?」と聞かれるよりはまだ幾らかマシなのかもしれない。
「はい。そうなんです」と答えたら後ろめたく、「いや、違います」と答えれば店員に気を遣わせてしまう。何その無理ゲー。
手早くラノベにカバーがかけられていくのを他所に、アクセサリーが丁寧にギフト用の紙袋に梱包されていく。
綺麗に包装されたアクセサリーとラノベをリュックにしまい一旦外に出る。
モアーズから出て数歩のところにあるゲームセンターは、朝日いわく幅広くゲームが揃っているとのこと。
自動ドアを抜けると、クレーンゲームや格ゲー、音ゲーの混ざった人工的な音に出迎えられ、そのままエスカレーターで4階まで登った。
「へー……、こんなのあったのか」
従来の音ゲーとは異なり、使用キャラを選べたり、カードに印刷できたりとなかなかに斬新だと思う。これならライト層から廃課金勢まで楽しめるだろう。
そのカードも百円でホロ加工をほどこせたり、十連ガチャが引けたりとガチャ好きや見栄えに拘るプレイヤーのことまで考えられていて素直に感心した。
どうやら新規プレイヤーは一プレイ無料らしく、早速プレイする。
チュートリアルによると、画面に現れるデフォルメされたキャラクターをレバーと左右に設置された赤、緑、青のボタン、筐体側面のサイドボタンで操作するようだ。
ちなみに左右のボタンは同じようで、利き手がどちらでも操作がしやすいような良心設計になっている。
一通りチュートリアルを終えプレイする曲を選ぶ。正直言って流行りのJ-POPなんて洒落たものは知らず、覇権アニメのアニソンくらいしか把握してない。
が、この手のゲームは大体アニソン中心に収録されているから問題はないだろう。
「……いや、アニソンはよく聞くけど曲名知らねえじゃん」
というのも、アニメ自体はよく見るが、これといって主題歌や声優を気にして見てきたわけではなく、なんならクラスメイトとアニメの話をしてもついていけないレベル。
「まあ、調べればなんとかなるか」