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「ししょう! 準備できた」
「ん。じゃ、やろっか」
いつもの仕事道具を机に並べ、弟子には指定した薬草を揃えてもらった。
彼女はその中に、昨日イルからもらった毒花が混ざっているのが理解できないようだった。
「ししょう、これ、毒だけど……」
「ううん、これでいいの。それじゃ、毒と薬は表裏一体、授業をやっていくよー」
薬草をミリ単位で細かく測り、それを次々薬研にくべていく。
「おっと待った。テオ、その毒花はそのままだと本当に毒になっちゃうよ」
「え? これでいいって言ったのししょうだけど? どうすればいい?」
「あげた本に書いている。探してみて」
テオが本を取りに行く。
それを真剣に読み込んでいる間、メェリャはこっそり花の中の一部、花弁を一枚摘み取って、それと知られぬよう薬研に交ぜた。
「分かった! その花は茹でると微毒化するんだ!」
「うんうん、そうだね。でも、茹ですぎるとどうなるって書いてある?」
「え、ええっと……。薬効を失う?」
「そう。この花の場合、見分け方としては茹でて花がくたってなった時。おしべが一本、二本離れ始めた時だね」
丁寧にレクチャーすると、弟子は真剣な顔で聞き入っている。
「やってみようか。鍋は薬調合用のがあるからそれを使って」
「はい!」
素直な返事をするテオ。
鍋に水を入れ、火にかけて煮立った中に毒花を入れる。
メェリャは弟子にあえて言わなかったことがある。
それは、この花は火を通すと、あっという間に茹だること。
呑気に構えていると……。
「あっあっ、茹ですぎた?! どうしよ、お花バラバラになっちゃった!」
「あーらら。こうなると薬効はもうなくなっちゃうねぇ」
「……ししょう、分かってて黙ってたでしょ」
じっとりした目で見下されるが、メェリャはどこ吹く風。
「何でもかんでも教えていたら、自分で考えることができなくなっちゃうからねぇ」
不服そうな弟子に笑みを零す。
「テオは今、その毒草がこのくらいのスピードで茹だることを知ったでしょ。そういうのは、書いたって感覚が違うから伝わりようがないのよ」
自分で見つけていくのも、薬師の仕事よ。
メェリャは笑んだまま言った。
「今日はお勉強だからねぇ。それを使って手順を教えていくわよー」
「でも、使えないんだよね?」
「当然。でも代わりのその花はないからね。ひとまず形にしていくわ」
「……はぁい」
頬を膨らませ、渋々それを薬研に入れる弟子。
「成功してたら何の薬になってたんだ?」
「解毒薬よ。この毒草をうっかり口にしてしまったときの解毒薬」
「……毒草なのに?」
「そうよ。世の中には、あえて毒を薬として使うこともあるの。毒ヘビに噛まれたときとかね、同じ種類のヘビの毒を使った薬が特効薬になるのよ」
「変なの」
「これが、薬と毒は表裏一体って言ってたことのひとつよ。まだ他にもあるけど、今日はその薬を作っていっちゃいましょう」
「解毒できない解毒薬ね」
ヤレヤレ言いながらも、薬研を転がす手は止めない。
潰したものを絞り、液体として瓶詰めしていく。
「なんだかすごく毒々しい色してない? どす黒紫色だよ?」
「そういう色なの。おかしくないわ」
そう。おかしくない。
あの毒の花は、微毒化させること無く絞ると、こういう色になる。
なんにもおかしくない。
テオは間違っていない。
……ただ。
(ただ、観察眼はまだまだね。異物混入、ちゃんと見分けられないと、手遅れになるよ)
心の中で呟き、片付けを始める。
道具を片付け終わり、机には薬瓶のみが残る。
いつも通りであれば、そろそろ……。
「テーオー氏ー」
……やはり、イルは来た。
喜び勇んで扉を開けるテオの後ろをついていき、彼女を挟んでイルの真正面に立つ。
「テオ、ちょっとイルとお話があるから、お外に先に行っててもらえる?」
きょとんと首を傾げるテオは、その疑問が解消されぬまま、肯定の返事をして外に出ていった。
「何ですかぃ?」
「お願いがあるの」
まぶたを閉じる。
思い出すのは、テオと出会ってから今までのこと。
少しは未練が残るけど。
(……うん。大丈夫。色々考えたけど、やっぱり後悔はない)
ほっと安堵する。
自身の心変わりが無かったことに。
「今日は、少し遠くで遊んでもらえる? そうだね、小屋から見えなくなるくらい遠くで」
「……構いませんがぃ」
「それから、今日は日が落ちるまで遊んできていいよ。だけど、帰ってくるときは絶対に裏口から」
「……」
イルは大変訝しがっている。
構わずに伝え続ける。
時間が惜しい。少しでも多くのことを伝えなくてはいけない。
メェリャの口は止まらない。
「それでね、異変を少しでも感じたら、この小屋から全力で離れてちょうだい」
「メェリャ氏、アンタさん、なに言ってるんですかぃ……」
「……イル。アナタは師匠ポイントマイナス5千兆点だけど」
「待ってくだせぃ。あっしそんなにマイナスされてたんですかぃ」
「でも、アナタの危機察知能力だけは信頼してる」
「ひでぇ言い草でしてぃ」
イルが口をなんとか弧月型に歪めようとするが、うまくいかないで中途半端な形になっている。
「……最期に」
テオの荷物をまとめた袋を、イルの体に押し付ける。
口を歪め、何かを言いたげにしているイルの顔を見て、不覚にも泣いてしまいそうになる。
「テオを! どうか、よろしくね……」
返事は聞かない。
何事かを言おうとするイルの背中を力強く押し出し、扉を閉める。
扉に凭れ、ズルズルと床に座り込んだメェリャの口から漏れるのは笑い声。
「……ふふ、あはは。良かった。本当に、良かった……」
小さな呟きは、誰も聞かない小屋の中に溶けて消えていった。