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(と、いうわけでぃ……)
「来てしまいましたよぃ……。件の出店」
イルはがっくり肩を落とす。
商売の販路なんて、商人にとっては機密も機密。
極秘情報なのだから、そんなにすんなり教えてもらえるわけがない。
いいとこ、怒鳴られて出禁である。
「いいですかぃ、ウミ氏。商人にとって商売のことは本当に大切なことで極秘事項なんですよぃ。ここは慎重に……」
「すいませーん! おじちゃーん!」
「はいよー」
「さっき買ったペンダントなんだけどー」
「ウ、ウウウウ、ウミ氏?!」
少し目を離した隙に隣からいなくなっている。
気が付いた時にはもう既に、出店の店主に話しかけている。
イルは肝が冷えた。
どんな罵詈雑言を浴びせられるだろうとハラハラしながら見守っていると。
「それでねー、なんでこんなに安く買えるか知りたいの!」
「お嬢ちゃん、いい着眼点を持ってるねぇ!」
彼の思いとは裏腹に。
少女は順調に
(そういや、子供でしたねぃ……)
イルは忘れかけていたが、少女はまだ年端もいかない子供であった。
余程の変わり者で無ければ、子供への対応は
とはいえ、余程の変わり者もいるにはいるから、安心はできないのだが。
「テオ氏、さっきのペンダントですがぃ……」
「ああ。玻璃の裏にこれが描かれていた」
テオの手元に小さく千切った紙。
そこに描き写された魔法陣の絵を見て、イルは首を傾げる。
「あっし、魔法には詳しくないんでぃ。これはどういうものなんですかぃ?」
「詳しく読み解かないと詳細は分からないが……。簡単には、使用者の魔力をどこか別のところへ転送する魔法陣のようだ」
「充分じゃないですかぃ」
「詳細に解読できれば、どこに魔力を運んでいるのかまで分かるようになる」
「使っている人間も、ですかぃ?」
「使用者は残念ながら。それが分かるのは相当の
「それで、ペンダントはウミ氏に返したじゃないですかぃ。大丈夫なんでぃ?」
「ああ、陣の一部を削って起動しないようにした。本当であれば全部消したかったんだが……」
「時間もなかったですしねぃ」
コソコソとテオと話していると、少女が手を振り回しながら走ってくる。
「イルー!」
まるでそれは飼い主を見つけた犬のよう。
耳と尻尾を幻視して、イルは噴き出すのを堪えた。
「あのね、あのペンダントね!」
「ウミ氏、もう少し声小さく!」
しーっ、と指を口元に当てると、少女も両手を口に当て、声をひそめる。
「あのね、ある偉い人から、たくさん渡されたんだって。タダ同然だったんだって。それでね、趣味で絵付けしたものをできるだけ多くの人に持っていてもらいたいから、安く売ってほしいって頼まれたんだって」
イルは眉を上げる。
テオも訝しげな様子で腕を組んでいる。
「妙ですねぃ……。貴族の道楽にしては、金をかけすぎですぜぃ」
「貴族さまって、趣味にもお金をかけるものじゃないの?」
「それにしては原価が高すぎるんですよぃ。趣味に城ひとつ分の金をかけるような人間は……まあ、いないことも無いですけどぃ」
しかしそれだけのお金をかけられるとなると、どうしても対象者は狭まってしまう。
(貴族。もしくは王族ですかねぃ…。羽振りのいい商人って線も捨てきれませんがぃ……。魔法陣に詳しい者を囲い込めるだけの商人というと、それこそ数えるくらいしかいませんしぃ……)
イルはふっと顔を横に向けた。
そこにいるテオに意見を求めるために。
しかしそこには誰もいない。
忽然と消えたテオを慌てて探すと、さっきの商人のところにいた。
「親父さん。話をちょっと聞きたいんだけど」
(テオ氏ぃーーー!!!)
この少女といい、この友人といい、一体何なんだ。
イルは心の内で叫ぶ。
大通りは人目も多いものであるために。
(この! 自由人共がぃ!!)
イルは疲れを全身に浮かべ、テオの元へ走る。
自由人の大きい方は、随分自由に出店の店主と談笑している。
「いや本当、かなり細かい装飾だからな。この辺では見ないんじゃないか?」
「いや旦那、そりゃそうよ! これを預けてくだすった御仁の素性は明かせませんがね、ココだけのハナシ。これが出てきたのはリガルド王国の方向でしてね」
「リガルド……?」
「その国はご存知無かったですか?」
「……いや、随分遠いところから来たのかと、驚いただけだ」
「そうでしょう、そうでしょう。しかもココだけのハナシ、このペンダントの、そう、この玻璃ですね! その御仁が持っていた大きな玻璃を砕いて埋め込んでいるそうで」
「そうなのか。これほどの量ともなれば、決して安くは無いだろうにな」
予想外の和やかさに、イルは前のめりにズッコケそうな勢いで肩を落とす。
「実はこの玻璃、魔道具というハナシでしてね」
「魔道具?」
「ええ。旦那だけにお教えしますが、なんでも玻璃を覗いた人間に美貌を与える代物だとか」
「それはご婦人方が黙っていないだろう?」
「買い占められちまうかも」
「間違いない」
「まあ、ここまで小さくしちまったら、効果なんて大して無いでしょうが」
談笑を打ち切り、戻って来るテオを見て、イルはどっと疲れが襲ってきた。
「イル、そんなに疲れてどうした?」
「……もう、テオ氏、商人になったほうがいいんじゃないですかぃ……」
「向いてないから無理」
「どこがですかぃ」
疲れているイルの隣から、嬉しそうに少女はテオに駆け寄る。
ペンダントについて問いかける彼女の口から鈴のような音が鳴るたび、テオの雰囲気が沈んでいくのをイルは感じた。
「ウミ」
テオが彼女の話を遮る。
「なぁに?」
無邪気に問い返す少女の眼には、一片の曇りもない。
「ウミ。ここに残る気はないか」
「……え?」
少女は呆然と呟いた。