小さな革命編 3
次の日、太陽がすでに高く登っている頃に俺は起きた。
例によって時計がないので正確な時刻はわからない。
太陽の角度から察するにおそらく昼前ぐらいだろう。
俺を挟んで寝ていたはずの親父とお袋の姿もないし、一瞬で寝坊とわかる状況だ。
でも昨日は1日移動しっ放しで疲れていたし、夜寝るのも遅かったから無理もない。
そもそも俺は学校や会社に通っているわけではないから、用事がない限り何時に起きたって構わない立場だ。
だからこそ親父やお袋も俺のことを起こさなかったんだしな。
もちろん十分な睡眠のおかげで俺の体は快調。
親子3人並んで仲良く眠ることにより、親父やお袋に対して少しだけ親孝行を出来た気もする。
なので精神的にもいい寝起きだ。
唯一気にくわない点といえばアルメさんだな。
俺が寝ぼけ眼で親父たちの寝室から出た瞬間、たまたま廊下を歩いていたアルメさんと出くわしたんだけど、機嫌良さそうに「おはようございます!」と挨拶してきただけ。
俺のベッドを占領していたくせに、謝罪の一言も言わねぇんだ。
うーん……。
これ、アルメさん全っ然罪悪感を感じていないよな……?
この様子じゃ今晩も俺のベッドがアルメさんに占領されることになりそうなんだけど……。
いや、待て。
今日の夜は逆に俺の方からアルメさんの部屋に出向いて……そんで、その部屋でアルメさんを寝かしつけちゃえば……?
または、いっそ覚悟を決めて俺の部屋のベッドで2人仲良く寝ることにするか……?
俺のベッドもなかなかの寝心地だし、親父たちのベッドの寝心地も知ってしまった今となっては、正直椅子で寝るのが本当に嫌になってしまった。
それに俺は犬と一緒に寝るのには慣れている。
アルメさんは柴犬とは比較にならないぐらいの体格だけど、オオカミだろうが犬だろうが似たようなもんだろう。
最悪寝相の悪いアルメさんに蹴られたりしたら、それはその時ということで……。
よし、決まりだ。
まずはアルメさんの部屋での出張マッサージを画策し、それがダメだったら狭い俺のベッドでむりやり添い寝。
今晩はその計画でいこう!
「……今宵はもっと深い眠りに落としてやる……覚悟しておけ……」
アルメさんが2階の東側に向けて歩いて行ったので、俺は途中で彼女と別れ、1階の調理室に向かうことにする。
階段を降りながらそんな独り言をつぶやいていると、1番下の段を降りたところで別の使用人さんに遭遇した。
「あら、タカーシ様。おはようございます」
「はい、おはようございます。といっても随分遅くまで寝てしまいましたけどね」
「いえいえ。昨夜は夜遅くまでエスパニ様とお話しておられたのでしょう? 無理もありませんよ。もうそろそろお昼ご飯の時間になりますけど、どうしますか? 先に朝食だけ用意することもできますけど、朝ごはんとお昼ご飯を一緒にいたしましょうか?」
「うーん。そうですねぇ……一緒でお願いします。でも、やっぱりお腹すいているので昼食の前に軽く果物など……」
「はい。承知いたしました。それではすぐにお部屋に運びますね」
昨夜俺に話しかけてくれた鬼のような外見の使用人さんだ。
背丈は2メートル以上あるし、体の筋肉もバーダー教官みたいにムッキムキ。額に短い角が2本生え、下顎から大きな牙が上に向かって生えている。
つまるところ、まさに日本のおとぎ話の絵本に描かれているような“鬼”の風貌だ。
だけど声は女性らしく高めで、かつ、しっとりとした声。俺に対する態度も堅苦しいものじゃないし、昨夜親父と会話をしていた時も似たようなもんだった。
それらを総合的に踏まえると、この魔族は“弁当屋とかで働いていそうな気のいいおばちゃん店員さん”って感じだな。
名前は……確か“セビージャ”といったか。
「じゃあ、よろしくお願いします」
そのセビージャさんが俺の部屋に果物を届けてくれるとのことなので、俺は軽く会釈し踵を返すことにする。
再び階段を上がろうと1段目に足をかけた時、ふと聞きたいことがあったのを思い出し、俺は慌ててセビージャさんを呼び止めた。
「あっ、セビージャさん?」
「はい?」
「お父さんはもう仕事ですか?」
「えぇ。今日も朝早くからお勤めに行っております」
「そうですか。じゃあお母さ……ママは?」
「レアルマ様はつい先ほどヴァンパイア族の婦人会に行かれました」
ふ……婦人会だと……?
魔族のくせに、そんなんまであるのか?
貴族のご婦人様たちの社交場ってか?
「婦人会? それは何をする会なのですか?」
「はい。ヴァンパイアの皆さんでお茶を飲んだり、手芸教室を開いたり……普段はそういうことをやっていると聞いております」
完っ全にただの婦人会じゃねーか! もう魔族関係ねぇじゃんッ!
生まれて間もない子供の俺が今日から仕事に取り組むっていうのに、その母親がのんびりお茶会とはいい身分だな、おいッ!
「でも、戦争が近いとの噂があります。そのための情報交換や武具の修理など。おそらく今日はそのために集合がかかったのでしょうね」
「武具の修理?」
「はい。ヴァンパイア族は女性といえども戦場に出ます。しかし出陣は当番制となっておりまして、通常西の国との戦いでは出陣するヴァンパイアはごく一部でして、ほとんどは待機戦力としてエールディに残ることになります。そんな待機役のヴァンパイアの皆様が事前に集まって、出陣部隊のための準備をするのが習わしなのですよ」
「へぇ。じゃあママは今回待機組なのですか?」
「はい。怪我や病気、あと仕事の都合で待機になる場合もありますが、レアルマ様はタカーシ様をお産みになってまだ日が浅いですから、優先的に出陣を免除されているはず。それゆえに婦人会の方に行かれたのでしょう」
そ、そうか。
そういう事情なら許してやろう。
――ん? じゃあ親父は?
「なるほど。じゃあお父さんは? 今回出陣する当番なのですか?」
「いえ、エスパニ様はバレン将軍と行動を共にすることになっておりますので、当番の名簿には入っておりません。バレン将軍の軍が出陣するときは必ずエスパニ様も出陣なされます」
まぁ、そりゃそうだよな。
親父は戦争のたびに収集される一般魔族と違い、平時から軍に勤務する職業軍人だ。
それにバレン将軍が“軍の頭脳”って言うぐらいだから、親父がいないとバレン将軍の軍が上手く回らないだろうし。
「まぁ、まだ戦争が始まるとは決まってないんですけどね。でもこんな時期に婦人会の集合がかかったぐらいですから、近いうちに戦いが始まると見ていいでしょう」
「なるほど。分かりました。お止めして申し訳ありませんでした。じゃあ果物をよろしくお願いしますね」
「はい。では」
最後にセビージャさんが俺に頭を下げ、俺も頭を下げる。
階段を上がる時にふと後ろを振り向くと、セビージャさんの屈強な後ろ姿が調理室の中に入っていった。
つーか、あの魔族、絶対に日本の“鬼”だよな……?
それと昨日エールディを歩いていた時、日本の妖怪みたいな外見の魔族もちらほら見た気がする。
例によって俺はそういうのに詳しくないから断言できないけど、この世界はヨーロッパの神話はおろか日本の伝承に出てくるような妖怪もいるっぽい。
そうなると、他のアジア地域や南北アメリカ、あとアフリカとかについてはどうなんだろうな。
そっちの方の神話はなおさら詳しくないんだけど、そういう地域の神話の生物もこの世界にいるのだろうか。
もしかすると俺が気付かなかっただけで、エールディのあの光景には他の地域の神話の生物も混ざっていたりしたのかもしれないな。
そうじゃないとしても、西洋と日本の神話に出てくる生物がいる時点で、この世界と俺が前いた世界は決して無関係ではなさそうだ。
うーん――どういう繋がりがあるんだろうか……?
まぁいいや。寝起きでそんなややこしいことを考えるのはやめよう。
流石にしんどいわ。
さっき2階の廊下で別れたアルメさんが向かったのも俺の部屋だろうし、さっさと部屋に戻って企画書の件をアルメさんにお願いしておかないとな。
「アルメさーん」
自室に戻ると、案の定アルメさんがそこにいた。
前足の肉球を器用に操り、洗濯を終えた俺の服を綺麗に畳んでくれている。
うん。アルメさんはオオカミの体だけど、このように肉球を駆使することが出来るんだ。
もちろん筆記用具を持って文字を書くこともできるし、その件はすでに確認済みだ。
だからこそ俺は企画書の代筆をアルメさんにお願いしようと思っている。
「はいはい? どうしましたぁ?」
俺の声にアルメさんが手を――じゃなくて前足を動かしながら優しい口調で答えた。
「アルメさんに手伝ってもらいたいことがあるんです。おそらく今日丸一日かかると思うですけど……」
「あぁ、なにやら書類を作るという話のことですね? 今朝エスパニ様から聞きました。もちろんいいですよ」
うし! 第1関門クリアーだ!
あと、この様子じゃアルメさんは親父から昨夜の話の内容を結構詳しく聞いているっぽい。
状況によっては「なぜ私が人間ごときのために!? むきゃー!!」とか言われるのも覚悟してたし、その場合は“お腹わしゃわしゃの刑”を取引材料にしなきゃいけないかもと思っていたけど、これなら一安心だ!
「ありがとうございます。じゃあ、お昼ご飯を食べた後にでも作業に取り掛かりたいので、そのようにお願いしますね?」
「はい。“速記のアルメ”と呼ばれた私の力をとくとご覧にいれましょう!」
いや、それぜってぇ嘘だから!
一昨日親父からなんかの指示を受けていた時、めっちゃゆっくりメモ書いてたじゃん!
俺、心ん中で(ぷぷっ! 字ぃ書くのおっそ!)とか思っちゃったから!
いや、分かるよ!? もしかするとオオカミ族の中では速い方なんだろうけど!
それは分かるけど、その肉球じゃ俺たちみたいな指の長い種族に勝てるわけないじゃん!
なんでそういうちっちゃい見栄張るかなァ!?
いや、そんなアルメさんも可愛いけども!
「はい。期待してますから!」
「いえ、嘘です……私たちの手は……細かい作業をするのが苦手で……」
訂正すんのはっや!
あと急にテンション下げんな!
こちとらそれも重々承知の上で、それでもアルメさんにお願いしたいんだよ!
「いえ。僕なんてまったく文字が書けませんから、そんな僕よりははるかに心強いです。でも、今の僕がこんな大変な仕事を頼めるのはアルメさんしかいませんので、ぜひともお願いしたいのです。2人で力を合わせましょう!」
俺は慌ててアルメさんを勇気づける。
でも――
「じゃあ……今晩も“アレ”お願いしていいですか?」
そうくるか!?
いや、いいけどさ!
でも言葉の使い方に気をつけようや!
その言い方……誰かがこの会話聞いていたら間違いなく誤解されるから!
「はい。ならば、今宵はアルメさんをさらなる快楽へとお導きいたしましょう」
まぁ、こういうふうに返す俺も俺だけどな。
でもアルメさん。俺のベッドを占領したことについて、本当に何とも思っていないっぽい。
そもそもわしゃわしゃタイムの頻度を減らそうなんて土台無理な話だったってことか……。
じゃあ、やっぱり今晩は刑の執行場所をアルメさんの部屋にするか、または俺の部屋で添い寝することにするかの二択になるんだな……。
うーん……これがこの世界の主従関係か……。
いや、気を取り直していこう。
その後、俺は部屋の隅に置かれた棚の中から今日着る服を取り出す。
その衣服に着替え、入れ替わる形でアルメさんが畳み終えた服を棚に置いていると、セビージャさんが果物を乗せた皿を手に持って入ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
今回の果物は、イチゴとバナナが合体したような不思議な食感と味のするフルーツだ。
けどなかなかに美味しい。
あと、大したことじゃないんだけど皿を置いたセビージャさんは俺に頭を下げた後、アルメさんにも頭を下げて部屋を出て行った。
この感じから察するにどうやら使用人さんたちの間にも上下関係があるらしい。
でも、屈強なセビージャさんとアルメさん、どっちが強……いや、それは明白だな。
絶対にアルメさんだ。
バーダー教官にも匹敵するアルメさんの強さ。
あと、なんとなくだけどセビージャさんから感じる魔力はアルメさんが垂れ流しているものより弱い気がする。
もしかするとこの感覚がバレン将軍との会話に出てきた“探知能力”なのかもしれないけど、どうやら魔力に対する俺の感覚も少しずつ磨かれているようだ。
「美味しそうですねぇ……」
それと絶対におかしな話だけど、主人である俺が今食べている果物をアルメさんが欲しそうに見つめている。
おかしいだろ! なんで主人の食いもんに目ぇ付けんだよ!
「一切れ……食べますか?」
「え? いいんですかぁッ? やったぁ!」
そして即座に皿の上から果物を一切れ奪うアルメさん。
……
まぁ、別にいいんだけどさ……。
そうじゃなくて――昼飯の前に済ましておきたいことあったんだっけ。
「そうそう。僕、お昼ご飯の前に一度地下に行って人間とお話してきます。ご飯の用意が出来たら呼びに来てください」
善は急げ。
昨夜のうちに済ましておきたかったけど、親父の世間話に夜遅くまで付き合わされたから無理だった。
でも今は昼飯まで少し時間がある。その時間を利用しない手はない。
なにより俺自身が地下にいる人間との会話を熱望しているんだ。
この世界の人間。
この世界に生まれてから、俺はすでに1人の人間に会っている。
でもその人間はこれから死のうという狂気に似た覚悟を持っていたし、彼の精神状態やあの時の状況を踏まえれば、まともに会話など出来るはずもなかった。
しかし今度は違う。
もちろん今地下にいる人間も全員“ヴァンパイアに殺されたい”というおかしな宗教観念を持っているだろうし、俺が地下に姿を現した瞬間にその想いをぶつけてくるかもしれない。
要するに人間たちがいる部屋の扉の向こうには、俺にとって異常な光景が広がっている可能性が高いということだ。
まぁ、これはあくまで俺の予想だから、意外と普通に出迎えられる可能性もあるけどさ。
なんにせよそれぐらい心の準備はしておいた方がいい。
でもこれが俺にとって非常に意味のあるイベントだということは間違いないだろう。
「あら? 私もご一緒しましょうか?」
あと、アルメさんが一緒に来るのはダメだ。
人間を食料と見なしている獣人のアルメさん。
今後の俺の計画や、人間をなるべく殺したくないという俺の考えについては親父から説き伏せられているっぽいけど、それは俺が主人だから従っているだけで、アルメさんの価値観自体が変わったわけではない。
アルメさんには申し訳ないけど、俺と人間との話し合いの席にそういう魔族は邪魔な存在となる気がする。
いちいち人間を威嚇し、彼らに“食われる側”としての立ち場を再認識させちゃうと、人間の自由な行動を促すことが難しくなるからだ。
このプロジェクトは人間が“意志のない奴隷”のままじゃ意味がない。
でもアルメさんは絶対にそれを人間に強いる。
だからダメだ。
「いえ、僕1人の方がいいかと。僕が1人で地下に行っても危険ではないですよね?」
「えぇ。地下にいる人間は弱いですから大丈夫です。でも……本当に1人で?」
「はい」
うーん。
でも、願わくば誰かについてきてもらいたい。
もちろん“人間が怖いから”という理由ではなくて、俺と地下にいる人間の会話を客観的に聞くことが出来る魔族の存在が欲しいって意味だ。
この計画の表向きの目的は“人間の生態観察”だからな。
俺が地下の人間と話し、お互いの価値観に違いを見出したところで、それは“東京に住んでいた俺”と“この世界で生まれ育った人間”の違いを見つけ出すだけだ。
国の上層部が求める情報は“人間と魔族の習性の違い”だから、そういう視点を持てる魔族から事あるごとに気付いた点を教えてもらえると、俺としても非常に助かるんだ。
でもそれもアルメさんに頼めないし、この屋敷で働く他の使用人さんたちだって、俺が先日殺した人間の肉をみんなで美味しく頂いたって言ってたし。
うーん。
魔族だけど、人間を食わないタイプの種族……いないかなぁ……?
「こんっにっちわーーーッ! タカーシの家はこっこでーすかぁーーーッ? あっそびに来ましたわーーッ!」
その時、屋敷の玄関の方から子供の叫び声が聞こえてきた。
俺の部屋の窓からは玄関が見えるので、身を乗り出して見てみると、ヘルちゃんとガルト君がそこにいた。
多分フライブ君たちから俺の家の場所を聞いたんだろうけど、子供らしく大きな声で挨拶した後、出迎えに現われた屋敷の使用人さんに挨拶している。
ヘルちゃんとガルト君は昨日学校だったらしいから逆に今日は暇となり、遊びに来てくれたんだろう。
「その2人は僕の友人です! 今下りるから玄関に入ってもらってください!」
ヘルちゃんたちに応対している4本腕の使用人さんに向かって、俺は窓から大きく叫び、すぐさま走り出す。
しかしながら、今日の俺は忙しい。
わざわざ来てくれて申し訳ないが、ヘルちゃんたちと遊んでいる暇はない。
と思ったけど、ここで嬉しい誤算が起きた。
ヘルちゃんたちに対し、“人間の生態観察計画”の説明も交えながら遊びの誘いを断ろうとしたら、説明の途中でヘルちゃんがとても素敵な発言をしてくれたんだ。
「あら、面白そうなことやるんですのね。その話、私たちにも詳しく教えて下さいな。私たち妖精族は人間を食しませんので、人間の事はあまり知りませんの」
人間を食べない魔族――というか妖精なんだけど、意外と簡単に見つかったわ。