第六話 はじめてのスフィアダイブ
「私ってこの施設の外って出られるんですか?」
惑星ディノスやエルドリアノス国での一般常識などの講義中、ここは首都のウィルムルだと聞いていたので外に遊びに行けるのだろうか。とヒューノバーに聞いてみた。ヒューノバーは抜けた笑顔で、今は保護期間だがしばらく経てば外へ出るのも可能だと告げる。
「今しばらくは講義に集中していただくことになりますが、自分を連れてが条件でなら出られるようになりますよ」
「まあ、ひとりだと迷子になりそうですね。首都なんだし広いんでしょうし」
田舎育ちなのもあり、あまり広い入り組んだ土地に馴染みがないのもあるが、ヒューノバーと共になら迷うことはないだろう。が、別に疑問が生まれた。
「そういえば、この国って人間は外国人感覚なんですよね。差別とかあるんですか?」
「表立ってはそうありません。が、全くないとは言い切れないですね。心苦しいのですが」
「そうですか……まあ暴言吐かれたりしたらヒューノバーさんに盾になってもらいます」
「自分で良ければお助けいたします」
ヒューノバーは笑顔でそう答える。デコイにされてもいいとか、割と肝が据わっている。のんびり抜けているとも言い換えれるだろうが。
しばらく話していて分かったが、ヒューノバーは結構のんびり屋だ。あと多分根明。根暗の私とは正反対に位置するヒトだ。
外出てみたいな〜、なんてぼやきを言いながらデバイス画面を見ながら行儀悪く椅子の上で体育座りをする。ヒューノバーはそうですねえ……、と呟くとこう言った。
「自分にスフィアダイブしてみませんか?」
「え?」
どうしてスフィアダイブが出てくるのだ。と聞いてみると、心の中の情景を眺めてみれば、少しくらい外の様子も分かるだろう。とのことだ。
「スフィアダイブは深く潜るには才能や技術を必要とします。また、潜らせる方も一般人ならば操ることはほぼ叶いませんが、自分は訓練を受けていますので、浅い場所、上層でならば案内くらいは務まると思います。それで外の様子を知るのも良いかと。危険も及びませんし、上層ならミツミさんならばすぐに潜れるでしょう」
「やったことないのに一発で潜れるものなんですか?」
「今までの喚びビトの方は大体は一、二回で潜れたそうです。元々最初に練習台になるのはバディですから、ちょっと実践が早まるだけですよ」
「んん、じゃあ、やってみようかなあ」
正直、心の中に潜ると言うのは興味はあったのだ。自分に突然湧いた異能だし、使ってみたいとは思っていた。心の中に潜ると言うのもなんだかファンタジー味があるし唆られていた。
ヒューノバーは向かいの席を立って、私の横の席に座る。姿勢を正して向かい合うように座る。ハードケースから出してきたらしい小箱を持って、手を出してください。と言われ私は両手を皿にして出した。
「すみません、左手失礼します」
ヒューノバーは机に置いた小箱を開けてから、何かを摘む。左手を取られると左手の薬指にすう、と指輪を嵌められた。
「ちょっと位置!」
「……心理潜航捜査班のバディは殆ど夫婦なんですよ。兄弟だったりするとネックレスだったりするんですが、喚びビトとのバディだとこの位置は習いみたいなものなので、ご容赦を。これはレムリィの石の使われた指輪です」
指輪には黒く鈍い光を放つ石が嵌められていた。これがレムリィか。とまじまじと見ていると、一瞬だが緑色に煌めいた。
「一瞬緑色に見えました」
「一般人にはただの黒い石でしかありませんが、才能があるヒトには違う色に見えることがあるんです。自分は初めて見た時は橙色に光って見えました」
「光る色で何か違いがあったりするんですか?」
「特にこれと言って。ただ才能あるヒトを判別するには使えるので、幼い頃に検査があったりします。一応これは心理潜航捜査官としての身分証でもありますので、出来るだけ着けていてください。指輪本体に認証コードが付いていますので」
身分証明を求められる度に左手薬指の指輪を見せなきゃいけないとかどんな拷問だよ。婚約したてのカップルでもそうしないだろうに。というかこの惑星でも結婚指輪は薬指の文化が続いていることに驚く。
重ねられたヒューノバーの左手薬指にも指輪を発見してしまい、なんとも言えない気分になる。本当に私はこいつと結婚するのだろうか?
ヒューノバーの手が離れていきひと息吐いたが、本題はここからだ。
「で、どうやってスフィアダイブをすれば?」
「左手を自分の胸に当ててみてください。それで、深く潜ることを意識します。あ、今回は上層だけですのでこちらで少々こちらで操作しますが」
「はい」
ヒューノバーの胸に左手を当てる。深く潜る、と呟き、目を瞑る。
「意識の仕方は人それぞれです。水に潜るように意識する方や、眠るように意識を遠ざけたり、やりやすい方法でやってみてください」
「はい……」
水の中に潜るように、ならやりやすいかとそれを意識する。息を止めて、思い切り水の中に沈むのを意識した。
数秒の暗い視界の中、遠くに緑色の光が見えた。目を瞑っているのにやけに眩しくて眉を顰める。身を包むのではないかと思えるほど眩しく強く輝き出した。
中断して指示を仰ぐべきかと目を開けてみれば、街中のようであった。そびえ立つビル群、未来的な街並み。私は道路の真ん中にぽつんと立っていた。誰も居ない。道には人っ子ひとり存在しなかった。人々の喧騒が無いその場所は異質でしかないのに、何故か安心するような暖かな気候だ。
「出来ましたね。やはり素晴らしいですね。アースの方の才能は」
「うぉ!」
後ろからの言葉に声を上げた。振り向けばヒューノバーが立っている。にこにこと穏やかに微笑んでいる、ようだ。
「ここはもう、心の中なんですか?」
「光が見えませんでしたか? 眩しい光が」
「ああ、緑色で綺麗でしたけど、眩しくって目を開けたらここで」
「その光が心に潜ることが出来た合図です。自分はやはりいつも橙色の光ですね」
「ふうん……、ここ、外の街なんですか? 人居ないですけど」
「少々寂しいでしょうがご容赦を。自分も街の全てのヒトを覚えてはいませんし、無理矢理出そうとすると同じヒトばかりになりますから」
「それはちょっと、怖いですね」
流石にモブを出そうとすると色々と疲れるらしい。寂しい世界だと思ったが、別に人々の喧騒に包まれたい訳でもなかった。ただ外がどんなものか知りたいがためだ。説明を受けるのなら静かな方が聞きやすいだろう。
「あちらの建物をご覧ください」
ヒューノバーが私の後ろを指差す。厳荘としたレンガ造りの建物だ。周りの建物とは若干テイストが違う。まあビルに囲まれた東京駅だってそんなもんだし、と違和感は流す。
「あちらが現在おります総督府になります。心理潜航捜査班は総督府内の警務局に含まれています」
「へえ、一般の警察とかじゃあ無いんですね」
「まあ、主に政治犯の心を覗くことを専門にしておりますので。それ以外にも一般の警察からの応援で口を割らない犯罪者や、傷を負っている被害者の心理内に出向くこともありますね」
犯罪を起こしたり心を閉ざしたりすると無理矢理に心を暴かれる。なんだか恐ろしい話だな。犯罪者には死んでもならないでおこう。なんて思いながらもヒューノバーの話を聞く。
「暖かいと冷たいものが食べたくはありませんか?」
「え? でも心の中なんですよね」
「まあまあ、見ていてください」
ヒューノバーがぱちん、と指を鳴らす。瞬間、風景が様変わりした。カフェのような内装の場所に移動したようだ。丸い机の前の椅子に座るよう促され言葉に従う。再びヒューノバーが指を鳴らすと、一瞬にして目の前にクリームソーダが現れた。
「すごいですね。色々出来るの」
「訓練は必要ですが上層心理ならばある程度自由も効きます。心理潜航捜査班の人間ならば大抵は可能ですよ。どうぞお飲みになってください」
「ありがとうございます。頂きます」
スプーンで上のアイスを掬って口に入れる。甘味も冷たさも現実と相違無い。すごい技術だな、と感心しながらソーダを飲んでいると、向かいのヒューノバーはソフトクリームを食べていた。
「心にヒトを迎えるのは久々でちょっと不安でしたが、まだ鈍っていないようでよかったです」
「……これって、ヒューノバーさんは現実世界で覚えているものなんですか?」
「訓練を積んでいますので、自分は記憶の引き継ぎは出来ますよ。ただ深い場所に潜れば潜るほど難しくはなりますね」
「玄人の技ってやつかあ」
「何度か、自分がミツミさんへ心理潜航をしなければならない場面も出てくるとは思います。訓練上どうしても仕方がないのですが、大丈夫ですか?」
「……上澄みだけでご容赦ください」
「ミツミさんほど深くは潜れないですから、本当に知られたくない秘密は自分に引き摺り出すのは難しいと思われますよ。才能あるヒトほど深層心理は暴きにくいですから」
ふうん、と思うと共にふと考える。私がここで一気に深い場所に向かうとどうなるのだろうか。と。
クリームソーダを飲みながら目を瞑って、再び潜ることを意識してみる。再びあの緑色の光が現れ目を開けると薄暗い部屋であった。
「ここは……」
ヒューノバーの自室だろうか? ベッドや本棚、PCらしきデバイスが置かれている。所々生活感はあるが割と綺麗な部屋だ。私のアパートの元自宅よりは綺麗だよ。
ベッドの下にエロ本が無いか探してみるか。と膝を着くと誰かに後ろから抱きしめられた。もふもふとしており、ヒューノバーだと分かった。そもそも彼以外あり得ない。
「ミツミ、駄目だよ。勝手に覗いちゃ……」
「ひ」
囁かれた声はヒューノバーのものだ。しかし、重い色気を孕んだその言葉が耳の近くから発せられた。ぞわぞわと悪寒が走る。
「ヒィイ! エロ本探そうとしてごめんなさい!」
叫びながら腕を振り払って部屋の隅に退避する。ヒューノバーは見慣れないラフな部屋着姿。虎の顔は怪しげな色を纏った見たことのない顔。近づいてきたヒューノバーから逃げようにも場所が悪くすぐに囲い込まれた。
もふもふでゆるいのんびり屋らしき顔は隠れて見えない。動悸が酷い。得体の知れぬ恐怖が湧き上がっていた。体が硬直する。
「そんなに本当の俺を見たかった……?」
「……で、出来心なんですぅ〜!」
「へえ、じゃあ今度、ミツミの心も覗かせてね?」
「ぎえええ〜! はい! はいっ!」
「普通の抑えのないヒトだったら、すぐ、襲っちゃってたかもよ……?」
ね、可愛いヒト。頬に口付けを数度も受けながら再び目を瞑る。脱出!!!
「ぎゃひい!」
一瞬でぐんっと意識が昇っていくが分かった。目を開ければミーティングルームだった。目の前には目を瞑っているヒューノバーの姿。先ほどの色気たっぷりの姿がよぎり椅子を転ばしながら遠ざかり部屋の隅でうずくまる。
「……ミツミ、さん?」
「でぁあっ!」
目を開けたヒューノバーは元ののんびりとした雰囲気を発していた。しかし先程の光景が目に焼き付いており思い切り飛び上がる。
「……突然居なくなったと思ったら、もしかして深く潜りましたね」
「あー! すみませんすみません! 出来心だったんですう!」
「その様子だと深部の自分に何かされましたね? ひとりでは危険だからこそのバディなのに……ひとりで深く潜る危険、分かりましたか?」
ヒューノバーは何も覚えては居ないようだったが、もうしません〜と半泣きになりながら謝罪した。死ぬかと思った。
「ひぃん、もう嫌だ」
「自分に何されたんですか?」
「言えないよお〜……」
「……そうですね。その方が自分も助かります。危険が分かったのなら、もう二度としないことですよ。精神を壊す危険性もありますからね、場合によっては」
「はい! はいっ! さっせん! 申し訳ねえ!」
壊れた人形のように思い切り頭を振りながら、再び謝罪の言葉を繰り出していると呆れた表情のヒューノバーであったが、講義に戻りましょうか。との言葉に席に連れ戻された。
その後は講義どころではなく、深層心理のヒューノバーへの恐怖と普通のヒューノバーへの安堵が混ぜこぜになりながらその日は終わるのだった。