第七話 思いに応える勇気はない
深層心理ヒューノバー事件から数日経った。あの恐ろしいヒューノバーには二度と出会いたくないと言う思いから、スフィアダイブの練習が始まろうとしているのに私は駄々を捏ねていた。
「ヒューノバーさん勘弁してくださいよ〜」
「駄目です。潜ってもらいます。仕事ですよ仕事」
「えあ〜」
ヒューノバーは真面目くさった顔で私を諭すが、私はどうにも気が進まない。今回再びヒューノバー自身に潜って簡単な説明があるらしい。上層心理内に入るだけだから、と諭されるが操作をミスってまたあのヒューノバーに出会ったらと考えてしまう。
「大丈夫ですから、自分の言葉に従っていただければ危険はありません」
「ぐう……でも、いや、分かりましたよお〜」
ヒューノバーに対して疑心を抱きつつも、どうせ保護から抜け出すのは無理だ。居座るなら仕事を覚える他ない。私に選択肢なんてものは初めから用意されてはいないのだから。
ヒューノバーと向かい合うように座る。左手をヒューノバーの胸に当てる。
「前回のように潜るのを意識すればいいんですよね」
「まずはそれで構いません。ですが徐々に潜る深度をご自身で決めることが出来るよう訓練していきます。今回も自分が意識を操作しますから、上層心理に向かいます」
「はい」
さあ、目を瞑って。その言葉に目を瞑る。水の中へ潜るように、と意識をしていれば、以前と同じく緑色の眩しい光が広がってゆく。目を開ければ、緑の多い公園らしかった。
「今度は公園、か」
「ウィルムル公園ですよ」
私の目の前で煙がくゆるようにもやが発生したかと思うとヒューノバーの姿を形作り、はっきりとヒューノバーの姿が現れた。
「なんで公園なんですか?」
「前回紹介しそびれましたし、広い場所歩きたくはありませんか?」
「そうですねえ……建物の中に引きこもり状態ですからね」
「あまり苦には思ってはいなさそうですが、説明と気分転換を兼ねて」
歩きましょうか。とヒューノバーに言われて歩み始めた。さわさわと風が吹いている。太陽……らしき光も降り注ぎ体は暖かい。小鳥の囀りも聞こえてきた。長閑だなあ。なんて思っているとヒューノバーが言葉を発した。
「まず、心理潜航は初めは上層心理から始める決まりになっています」
「それは何故ですか?」
「受け入れる方、潜航対象者の精神に負担がかからないようにと、こちらの安全のためですね」
「安全って言うと……やっぱり深層心理に向かえば向かい合うほど本能に近くなる。のような感じですか」
「その通りです。一般人でも上層心理では多少本音や本能が漏れていてもそこまで危険性はありませんが、深層に向かうほど危険が付き纏うようになります。まあそれは身に染みて分かったでしょう?」
「はい……その、すみません」
思わず謝罪を口にする。人の心、秘密を暴くことへの自分への危険性は前回で理解した。本当に身に染みて分かったわ。
「でもゆっくり上層心理から潜っていくって言っても、どうやって潜るんですか? 入る時みたいにレムリィに願掛けして?」
「いえ、大体の方は上層心理内に何らかの階段、とでも言いましょうか。深層心理に近づくための昇降装置のようなものがどこかしらにあります。こんな風な」
ヒューノバーが指を鳴らすと目の前に降下の階段が現れた。
「人により階段だったりエレベーターだったり、ただぽっかり穴が空いていたりと様々ですね」
潜航対象者の日常の生活や精神状態から様々な形で現れるらしい。このような深層心理へと向かうために入り口を見つけるのも心理潜航捜査官の仕事のうちらしい。
今回はヒューノバー自身だから場所も弄り回せるが、一般人にはそのような操作は出来ないから自力で探す他ないと言う。
「潜りましょうか」
「う」
「大丈夫です。次の階層に向かっても自分はまだ介入できますから」
さあ、行きましょう。とヒューノバーが手を差し出してくれた。その手をおずおずと掴む。ゆるく引かれながら階段に足を踏み出した。
かつかつ、と二人分の足音が響く。鳥の囀りと温かな光は遠ざかってゆく。薄暗い階段を下ってゆくと、一軒家のような間取りの空間が現れた。
「ここは?」
「自分の実家ですね。リビングに行きましょう」
ヒューノバーに手が離れてゆき、少しだけ寂しさを覚えた。リビングらしき部屋は広い。一般家庭らしいそれなりに生活感のある空間だ。
「誰も居ないんですね」
「故意に消しています。何も意識していなければ、母や父、兄弟が居たでしょうね」
「心理潜航中に現れる空間って、どう言った空間なんでしょう。対象者に馴染み深い空間なんですか?」
「大体はそうです。自分は上層は操作可能ですから、やたら危なっかしい空間が出てくる潜航対象者は多く居ますね」
「やだなあ……。心の中って大体何階層くらいあるものなんですか?」
「一般の方で五階層から九階層ほどでしょうか。人によりますよ。心を閉ざしている人ほど下層への入り口が見つけにくかったり、階層が多かったり」
捜査官と名が付いているほど心の中を調べるのに特化しているのだ。想像しているほど楽な仕事ではないのだろう。
「最初の階層は街みたいですけど、次の階層がご実家なのは意図的に?」
「ええ、こう言った閉鎖空間だと探しやすいですから、次の階層への降下装置。探してみてください。自分も手伝いますから」
「はい」
歩き回ってもいいらしくリビングの観察からしてみることにした。目ぼしいもの、と言っても一般家庭らしくそこまで目立つものもない。机の上にあるのは縫いかけのぬいぐるみらしい。わたが横に置いてあり完成間近だ。が、別に何の手がかりにもならないだろうと別の部屋へ向かう。
キッチンだったり、夫婦の部屋だったり、子供部屋だったりを探してみるが、下層への入り口は見当たらない。
「本当にこの家に下層への入り口あるんですか?」
「あります。外に出ても意味ないですよ。この家に設定してありますから」
よくよく考えてみると、ヒューノバーの実家だろうし、子供時代に意識に残っている場所か。自分だったのなら実家で下層への入り口があるとすれば自分の部屋……、だがヒューノバーの部屋には何もなかったな。と思いつつ階段横を通った。そこで収納スペースを横目で見つけた。
そういえば、喧嘩したりすると階段下の収納スペースに閉じ込められていたな。と特に期待もせずに開けると階段がそこにはあった。
「あ」
「正解です。自分、昔悪いことをするとそこに引きこもって隠れていたんですよ」
思い出深い場所に降下装置があることが多いらしい。次の階層へと向かうのか? と聞くと今日はここまでにしておこう。とヒューノバーに告げられた。
「次の階層でも意識を保ち続けるのは可能ですが、これ以上行くと危険も出てきますので、今日は下層への向かい方の練習って感じです」
「危険なんですか?」
「ここでは意図的に自分の家族は消しましたが、次は他人を消せるかどうか怪しいもので」
「因みに次の階層はどんな場所なんです?」
「学校ですね。友人とか出てくると思いますよ」
「ちょっと楽しそうだな……」
ちょっと、ちょっとだけ行ってみませんか? と最初の心理潜航拒否はどこへ行ったのかと思うほど私は生き生きとしていた。
渋っていたヒューノバーだったが、お願いします。ともふもふの手を取って両手で握って頼んでみると、少しだけですよ。と折れてくれた。再び二人で下層を目指す階段へと足を向ける。
かつかつと靴音が響く中、ヒューノバーが私に問いかける。
「恐怖心は大分薄れてきたんじゃないですか?」
「そうですね。外の世界をまだ知らないと言うのもあるんですが、色んな場所を体験出来るので楽しいですね」
「……実際潜航対象者に潜り続けていると、そう言った感情は薄れてきますよ」
「やっぱり殺伐としているものなんですか?」
「まあ、相手は犯罪者が多いですから、危険もそれなりに出てきます」
「今のうちに楽しんでおきます。ヒューノバーさんの胸を借りて」
「そうしてください。忌避感がなくなるのは良いことですので」
かつ、と階段を終えると、学生らしき獣人たちが廊下を行き交っている。校内は小ざっぱりとした近未来感あふれる作りだが、私服姿の獣人たちを見るにアメリカとかの学校みたいだなあ。と思うのだった。
「ここが学校」
「母校の記憶ですけど、馬鹿やったりする仲がいい奴がいましたから、ここは高校ですね」
「へえ、どこかに居るんですか? その方」
「教室に行けば会えるかと」
案内しますよ。とヒューノバーが先行する。きょろきょろと見回すが、人間である私を気にする獣人は居ない。ヒューノバーに人間は居るのかと問いかけると、少数ではあるが在校していたようだ。
「表立って嫌がらせは無かったですが、やはりどこか壁はありましたね。獣人と人間の間には」
「いじめあったら心折れそうですね。この獣人空間にひとりぽつんとだったら」
「自分の母校はいじめ問題には結構きつめでしたよ。でも遠巻きに馬鹿にするとかはあったと思います。あ、ここ教室です」
教室の扉を開くとわいわいと賑わっている。こちらを気にする獣人は居ない。ヒューノバーがルーク! と名を呼ぶと、ひとりの獣人が反応して振り返る。見た感じイエネコだ。
「遅えよヒューノ!」
「ごめんごめん。紹介したい人が居るんだけど」
「あ、人間じゃん。なんだよ彼女か?」
「そうだよ」
「違います!」
ルークが近くに来る。黒のハチワレ猫ちゃんだ。ヒューノバーよりは身長は無いがそれでも私にすれば大きく感じる。
「ねえ彼女〜どこで出会ったの? のんびり虎ちゃんと」
「職務上と言いますか」
ここヒューノバーの心の中だから、ヒューノバーがこいつならこう言いそうだな。というイメージでルークは存在しているのだろう。結構チャラめの猫ちゃんだ。
「ね、ね。彼女ちゃんはヒューノバーのどこがよかったの?」
「もふもふしているところって言うか……彼女ではないです。まだ」
「まだってことは意識してるってこと!?」
「いやまだその段階では……」
「ヒューノぎゅっと抱きしめてあげなよ〜ころっといっちゃうかもよ?」
「ヒューノバーさん、あの、この方本当にこんなにチャラかったんですか?」
「まあ自分のイメージではこんなもんですね。でもいい奴ですよ」
ひゅーひゅーと囃し立てるルークに対して、こそこそとヒューノバーと話していると、ルークが背を押して私はヒューノバーの胸に思い切り顔面を押し付けられた。
「ぶふ」
「ほらヒューノぎゅっとぎゅっと」
ヒューノバーが私の背に腕を回して閉じ込められてしまう。抗議しようと顔を上げると、ヒューノバーは目を少しばかり細めて私を見つめていた。
「心に潜れば潜るほど、自制が効かなくなるものなんですよ」
「え、と」
「……俺、やっぱりあなたと共に居たいです。仕事だけでなく……ずっと」
思わず胸がぎゅっときたが、ここで絆される訳にはいかない。と毅然とした態度で接する。
「ヒュ、ヒューノバーさん。これは一応仕事でしょう。階段探すかしてもう上がりましょう」
「もう少し、駄目ですか」
「ヒューノバーさん!」
「……すみません。そうですね」
す、とヒューノバーが身を引いた。自由になった体で少し距離を取った。
「あれ、もうやめちゃうのかよ」
「ルーク、用思い出したから、またな」
「おう、彼女ちゃん後で話聞かせてね〜」
「彼女じゃあ無え〜」
ばいばーい、と手を振るルークに背を向けて教室の外に出た。ヒューノバーは顔に片手を当てて無言で立ち尽くしている。
「あ、あのう。……ヒューノバーさん?」
「……すみません。自分もまだまだですね。今日はもう上がりましょう」
「は、はい」
そういえば、前回は脱出! と思って逃げるように現実世界へと戻ったが、ちゃんとした上がり方を知らない。階段を使わずとも上がれるのだろうとは前回で分かっては居たが。
「上がる時どうすればいいんですか?」
「入る時と同じようなものです。水から上がるとか、ベッドから起きるぞ〜みたいに想像してみてください」
私自身の胸の前で神に祈るように手を組んだ。目を瞑っていると緑色の光が現れて光り輝く。再び目を開けるとミーティングルームだった。目の前のヒューノバーは目を瞑ってまるで寝ているかのようだったが、すう、とゆっくりと瞼を開いた。
「……すみません。失礼をしてしまいましたね」
「い、いえ」
「明日は潜航心理捜査班の部署にでも行ってみましょうか。顔合わせでもしてみれば、気分も変わるでしょう」
「……はい」
ヒューノバーは少し寂しそうに笑った。なんというか、彼の思いに応えられない現在の自分に嫌気が差してしまった。でも突然番、夫婦になる前提でバディを組めと言われても、そう簡単に意識を変えられるものでもない。
その後は今回潜った事への簡単な説明でその日の講義は終えるのだった。