第39話 過ちは繰り返される
「……その後、副隊長が救援部隊を率いてエアストリアに向かった。けど、救援部隊が到着した時には、全て終わっていたらしい。精霊憑きが街で暴れた事と、保護団体による戦闘のせいで街はほぼ壊滅。その上、出撃部隊として向かった隊員は全滅。住民も半数くらいの人が亡くなった」
エアストリア事件。
当時、ヴァルターの身に起きた出来事をウィルは話し続ける。
ヴァルターや自分達がエアストリスに入ったのは、全てが終わった後。
街の後片付けをしている時に、全てを知ったのだと。
「街の生き残った人達から話を聞いた。当初の目的であった氷の精霊憑きは、予想通り過激派の人達に殺されていた。アンヘル隊長達は、彼女の遺体を回収しながら、過激派の人達と口論になっていたそうだ。精霊憑きといえど闇雲に殺すなとか、災厄を呼ぶ女を殺して何が悪いとか、街の部外者が口を出すなとか。でも、そんな時だったらしいんだ。血相を変えた街の人間が、隊長達の元に飛び込んで来たのは」
「血相を変えた街の人間?」
「ああ。長い黒髪の男と甲冑を着た兵士が、人を殺して暴れていると言って、彼は隊長達に助けを求めて来たんだ」
「長い黒髪の男? それって……」
その特徴には聞き覚えがある。
先日、アトフが話してくれたエアストリア事件。
その原因である闇の精霊憑き。彼もまた同じ特徴をしていたハズだ。
リプカのその予想は正解だったのだろう。
ウィルはその通りだと言わんばかりに、コクリと首を縦に振った。
「後から知った話だが、調査の結果、そいつは闇の精霊憑きである事が判明した」
街を襲ったのは氷の精霊憑きではない。
街に潜んでいたもう一人の精霊憑き、闇の精霊憑き。そいつが犯人であると。
では、何故闇の精霊憑きはエアストリアで事件を起こしたのか。
やはり街を潰してやろうと思い、運悪く目についたのが、エアストリアだったのだろうか。
「いや、違う。それについては目撃者がいたんだ。残念ながら亡くなってしまったが、彼の所持していた小型電話のカメラに、その映像が残っていた」
「どういう事?」
「運が悪かったんだよ……」
彼が録画した映像。
そして、当時その場にいた人物の証言。
それらから判明したエアストリア事件発生の原因は、偶然にも偶然が重なって起きた、とても運の悪い原因であった。
「エアストリアに、美味しいと評判の良い、おにぎり販売のキッチンカーがあった。常に長蛇の列が出来る程人気というわけではないが、それでもそこそこ人気があった。その日だって数人の列が出来ていて、店は賑わっていたんだ……」
□
世界的に有名なカフェのチェーン店がある。
そしてそのチェーン店は、復興の街であるオルデールにも進出を果たしたのだろう。
ザ・カフェランド・オルデール店。
カランと扉のベルが鳴り、一人の中年女性が入って来る。
ヴァルターはもちろんの事、客の誰もが気にも留めないその女性は、テイクアウト専門のカウンターの前に出来ている、数人が並ぶ列へと足早に近付いて行った。
そしてフードメニューを持ち帰ろうと注文していた青年の前に割り込むと、彼女は店員に向かって、ドギツイ声でこう言ったのだ。
□
「その時、キッチンカーの列の先頭にいた青年が、おにぎりの注文をしようとしていたんだ。けど、そこに突然割り込んで来た女がいた。その女は非常識にも、自分の注文を先にしろと言い出したんだ。後ろの人達が何個買うかは知らないけど、自分は一個しか買わない。時間は掛からないんだから、自分を先にしろと、そう言ったんだ」
□
「私、ホットコーヒー一つ! 早くして!」
「申し訳ございません、お客様。列にお並びになってお待ち下さい」
「えっ!? コーヒーたった一つしか買わないのに、こんなに長い列に並ばなくちゃならないの!? 何でよ! すぐに終わるんだから、先にしてくれたって良いじゃないの!」
「申し訳ございませんが、みなさん並んでいますので。順番にお待ち下さい」
「何で、コーヒー一つさっさと出せないのよ! その後ろのボタン押せばすぐ出るんでしょ! 一分も掛からないじゃない!」
「ですから……」
「いいから、つべこべ言わずに持って来なさいよ!」
その自分勝手な行動に、女の金切り声を聞いていたヴァルターは深い溜め息を吐く。
一言二言注意してやりたいのは山々だが、関係のない自分が出たところで、事態は更に悪化するだけだ。ここは店のスタッフに任せた方が良いだろう。
とにかく事態が収束するまで、もう少しここで待機しようと、ヴァルターは仕方なくその席に座り直した。
□
「もちろん、キッチンカーの店員は断った。けど、女は言う事を聞かなくてな。子供が待っているんだから早くしろとの一点張り。でもその女も運が悪かった。これで割り込まれた青年が気弱なヤツなら順番を譲ってくれたかもしれないし、気の強いヤツなら口論になっただけで済んだかもしれない。でも運の悪い事に、青年はそのどちらでもなかったんだ」
「どちらでもないって?」
「女が割り込んだ相手は、その女の行動に腹を立てた、闇の精霊憑きだったんだ」
「え……」
「録画していたヤツは、その非常識な女を録画し、晒して非難するつもりだったんだろう。けど、次の瞬間、その女の首が飛んだ。よく見ると、青年の腕が黒い鞭のようなモノに変化していて、それが女の首を薙ぎ払ったらしい。当然、女は即死。現場は騒然とした」
□
「おい、ババア。お前もオレの事が見えてねぇのかよ?」
割り込まれた青年が、女の肩をポンと両手で押さえる。
否、押さえ付ける。
その場に固定するように。万が一にも逃げられぬように、そこから動けぬように。
「いったいわね! あんた、何する……」
しかし、女の言葉は最後までは続かなかった。
突如、女の足元から現れた鋭利な土の突起物。
それが女の股から頭上に掛けてを、一気に貫いたのだから。
「ゔが……っ!?」
まるで焼き鳥を作る串のように。
目から鼻から体液を吹き出しながら、鋭利な岩のようなそれが、女の体を下から上へと貫き通す。
まさかの事態に驚いたのだろう。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしながら、女は絶命した。
「え……」
「ひ……」
「な……」
しかし、そのまさかの事態に驚いたのは、どうやら女だけではなかったらしい。
びちゃびちゃと赤い液体を滴らせる串刺しとなった女に、店内はシンと静まり返った。
「クソッ、どいつもこいつも、オレの事無視しやがって! 誰が独りぼっちの少年だよ! 何で見ず知らずのババアにまで存在無視されなきゃならねぇんだ! ああ、クソッ! ムカつく! ムカつくーッ!」
誰もが目を見開いたまま動けなくなっている中、女を貫いたであろう青年が、苛立ったようにして悪態吐く。
そうしてから、串刺しとなった女を岩ごと蹴り倒すと、女の体液を浴びて血まみれになっている店員に、何に事もなかったようにして視線を向けた。
「すみません、シフォンケーキ四つ。あ、二つずつに分けて箱に入れて下さい」
「ひ……っ」
「何? 店員さん? どうかした?」
「きゃあああああああッ!」
血まみれの店員が、遂に悲鳴を上げる。
するとそれを機に時が動き出したようにして、店中から悲鳴が上がった。
「うわああああああッ!」
「人殺しだ!」
「逃げろッ!」
「ッ!」
そんな騒ぎの中、ヴァルターにフラッシュバックするのは、二年前の光景。
カメラに写っていた光景、実際にそれを見ていた生存者からの報告。
それによって描かれた彼女の最期がヴァルターの脳裏で再生される。
当時、キッチンカーにいた従業員は三人。
接客を担当していた女性従業員。
後ろでおにぎりを握っていたヴァルターの恋人ことロゼ。
そしてその手伝いをしていた彼女の後輩従業員。
割り込まれた事に腹を立て、その客を殺した闇の精霊憑きは、苛立ったように溜め息を吐く。
『バカじゃねぇの? テメェは一番後ろに並ぶんだよ。クソが。死ね』
次いでと言わんばかりに死体の胴体に唾を吐き捨てると、闇の精霊憑きは、その視線を震えたまま固まって動けない女性従業員へと移した。
『鮭とおかかと塩昆布一つずつ。あ、そのお茶も下さい』
『え、あ……あ……』
まるで何事もなかったかのように注文する精霊憑きに、女性従業員はもちろんの事、その様子を見ていた全員が怯え、固まっている。
そんな中、一番に動いたのは、ロゼの近くにいた後輩従業員であった。
『っせ、先輩! 何しているんですか! ポリスマン! ポリスマンを呼んで下さい! 早く!』
『えっ!? あ、え……っ』
『えっ、じゃないです! 早くして下さい!』
『あ、う、うん……っ』
後輩に促されるまま、ロゼは自身の小型電話を取り出し、ポリスマンを呼ぶべく震える手で電話を掛けようとする。
しかし、その直後だった。
鋭く尖った闇の槍が、ロゼのこめかみを右から左へと貫いたのは。
『は? 何でオレが通報されなくちゃいけないんだよ? オレ、何か悪い事した?』
音もなく突き刺さった闇の槍が、ズブッとロゼのこめかみから引き抜かれる。
まるで鉛の如く、ゴロンと転がるロゼの体。
ジワリ、ジワリと、赤い液体が地面を濡らしていった。
『なあ、キミもそう思うだろ?』
『ひっ!?』
ロゼを殺した精霊憑きは、すぐ後ろに並んでいた女性に振り返る。
そして闇に濁った狂気の瞳を、怯え震える彼女へと向けた。
『この女、オレの順番を横取りしようとした、それはキミも見てただろ? だから殺した。どう考えてもこの女が悪い。それなのに、何で被害者であるオレが通報されなくちゃいけないわけ? そんなの、おかしいと思うよな?』
『ひ、あ……っ』
『なあ、みんなもそう思うだろ?』
『ッ』
その狂気の視線を、その場で固まっている全員へと向ける。
しかし、返事をする者は誰もいない。
何故なら返事をする事が出来ないからだ。
そうだと頷けば命は助かるかもしれないが、彼の殺人行為を認める事になってしまう。
違うと否定すれば、彼を否定したとみなされ、瞬時に殺されてしまうだろう。
誰かが返事をするのを待つ。それしか出来る事はない。
しかし誰もが何も返さないその行動が、逆に彼を苛立たせた。
『は? 何? 何で誰も何も言わないわけ? はっ、そうか。お前らみんな、この女の味方か。何で割り込まれた被害者たるオレが非難されて、当たり前の顔して常識すら守れないこの女の方が擁護されるの? おかしいよな? おかしいだろ? なあ、お前も……見世物じゃねぇんだぞ!!』
ロゼを貫いた闇の槍が、真っ直ぐにカメラに向かって飛んで来る。
カメラを貫く事はなかったが、その持ち主は即死したのだろう。
持ち主の断末魔を録音しながら、カメラは激しく地面に叩き付けられた。
『何、この街? 全員でオレを非難するわけ? オレが悪いわけじゃないのに? はっ、クソ女がいる街は、住民もみんなクソか。じゃあ、この街はいらないな。よし、全員……死ね』
その直後、どこからともなくやって来た甲冑の兵士達と、闇の精霊憑きによって、エアストリアは滅ぼされる事となる。
そして肝心のあの女はというと、ロゼが殺されたか殺されないかくらいの段階で、一目散に逃げて行く姿が、カメラに小さく映っていたのである。
(その後、闇の精霊憑きによって街は壊滅状態に追い込まれた。でも接客していた女の店員は、混乱に乗じて命からがら逃げ延びる事が出来た。ああ、そうだ。つまり、あの後輩の女がロゼに通報しろと言わなければ、ロゼだって逃げる事が出来たかもしれないんだ)
それなのに、あの後輩はロゼに通報するように命じた。
あの後輩が自分で通報すれば、ロゼは精霊憑きの目に留まる事なく、女性従業員と一緒に逃げ延びる事が出来たかもしれないのに。
いや、そもそもあの後輩が通報しようとさえ思わなければ、精霊憑きが暴れる事はなかったかもしれない。
それなのにその可能性を全て潰されて、ロゼは殺された。
そしてその可能性を潰した女はまんまと逃げ延び、今、目の前で同じような境遇に立たされている。
今、ヴァルターの目に映るのは、震えている店員でもなければ、逃げ惑う客でも、ましてや人を殺した男でもない。
カウンターの奥の方で同じ過ちを犯している、あの金に近い茶髪女だけであった。
「ちょっと、何をボサッとしているの!?」
その声が直接聞こえたわけではない。
茶髪女が近くにいた年下の従業員に声を掛けた。
ヴァルターはそれを見ていただけ。
彼女の声が聞こえて来たわけじゃない。
でも、ヴァルターにはそう聞こえたのだ。
茶髪女が年下の従業員に鬼気迫った様子で何か話しかけている。
それを見ただけでその正しき幻聴が、彼の耳に聞こえて来たのである。
「ポリスマン! ポリスマンを呼びなさいよ! 早く!」
「えっ!? あ、わ、私……?」
「そうよ! 早くしなさいよ!」
「は、はい……っ!」
茶髪の女に強く命じられ、年下の従業員は震える手で固定電話に手を掛ける。
その後、年下の従業員が生き延びたか、殺されたのか、ヴァルターは知らない。
裏口から逃げるつもりなのだろう。
その混乱に乗じてバックルームに逃げて行く茶髪の女を追って、ヴァルターもまた、勢いよくその場から飛び出して行ったからである。
「うわ、やべっ、思ったよりも騒ぎになっちゃったなあ」
二人がいなくなった後、女を殺した青年は、溜め息交じりに頭を掻く。
何人も逃げて行ったし、カウンターの奥では、どこかに電話している店員もいる。
彼らがこの騒ぎを聞き付けて来るのも、時間の問題だろう。
「大事にすんなって言われていたのになあ……」
だから時と場所とやり方を考えろっつっただろうが! テメェに頭付いてねぇのかよ! このボケがッ!
そう怒鳴り声を上げるハクロの顔が脳裏に過る。
しかしだからと言って、あれこれ考えていても仕方がない。
だって騒ぎになっちゃったんだから。
ここは「それでも最小限の騒ぎになるように努力はしました」という誠意を見せる方が優先だろう。
「よし、始末出来るだけ始末しよう」
良い事を考えたとばかりに、青年はポンと手を打つ。
その後、轟音と砂煙を上げながら、ザ・カフェランド・オルデール店は倒壊したのである。