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第38話 エアストリア事件

 夕暮れ時。
 避難所となっている学校の前では、ポツポツと人が行き交っている。

 そんな中、ウィルが話すのは、僅か二年前の話。
 エアストリア。
 その街が滅んだ日の、精霊憑き保護団体のとある隊員の話である。

 あの日、レクエルドにある精霊憑き保護団体の支部に、緊急指令が出た。
 オルデールから逃げ出した氷の精霊憑きが、エアストリアにて目撃されたという情報が入ったのだ。

 今度こそ取り逃がすわけにはいかないと、当時、エアストリア支部の隊長を務めていたアンヘルは、エアストリア支部に所属していた半数の隊員を率いて、エアストリアに向かう事になったのである。

「アンヘル隊長! オレも連れて行って下さい!」
「ヴァルター……」

 隊員達がバタバタと出動準備をする中、同僚と打ち合わせをしていたアンヘルに、ヴァルターは直々にそう願い出た。

 それもそのハズ。
 その出撃メンバーの中に、ヴァルターの名前がなかったからである。

「エアストリアに逃げ込んだ精霊憑き、オレも確保に向かいたいです!」
「ヴァルター、すまないがそれは出来ない。現場に知人がいる隊員は、出動出来ない決まりだからな。それはお前だって知っているだろう?」
「でも、それは隊長も……ゲンガーも同じじゃないですか!」

 アンヘルと打ち合わせしていた同僚……ゲンガーを横目で見遣ってから、ヴァルターは更にそう主張する。

 そんなヴァルターの主張にゲンガーが困った表情を見せれば、アンヘルがゲンガーに代わって、彼を言い聞かせるようにして反論した。

「確かにオレもゲンガーも、ロゼとは知り合いだ。けど、お前と彼女は恋人同士。いざという時に冷静な判断を鈍らせるのは、恋人が絡んでいるヤツの方だ。それに、オレは隊長として現場の指揮を執らなくてはならないし、ゲンガーは隊員の中でも優秀な人材だ。ゲンガーを置いて行くわけにはいかない」
「それは、オレの腕が劣るって事ですか!」
「そういう事を言っているんじゃない。それに……」

 そこで一拍置いてから。
 アンヘルは改めてヴァルターの瞳を真剣に見つめ直した。

「ウィルはお前に一番懐いている。今は彼の傍にいてやってはくれないか?」
「……」

 初めて出来た、可愛い後輩。
 その名を出すのは卑怯だ。これではただ黙る事しか出来ないじゃないか。

「今、一番辛いのはおそらくウィルだ。お前には、彼の傍に付いていて欲しい」

 それは分かっている。分かっているが……。

「ヴァルター」

 ふと、これまで黙っていたゲンガーが、そっと彼の名を呼ぶ。

 そしてヴァルターの右肩をポンと叩きながら、俯く彼の瞳を優しく覗き込んだ。

「ロゼが心配なのは分かるけどさ。でもきっと大丈夫だ。いくら暴徒と化した街のヤツらでも、さすがに一般女子に手を上げたりはしないだろ? 任務が終わったらロゼの様子も見て来るし、お前が元気でやっている事も伝えて来る。だから安心しろって。な?」
「それは、そうなんだが……」
「それに、本当はお前だって分かってんだろ? この任務は氷の精霊憑きの保護じゃない。ただの……」

 ヴァルターを覗き込む、ゲンガーの優しい瞳。
 それがその言葉を境に、歪な笑みを描いた。

「ただの死体回収だってさ」
「ゲンガー!」

 と、それを聞いていたアンヘルが、怒りの声を上げる。
 そして咎めの色を浮かべた厳しい目線を、真っ直ぐにゲンガーへと向けた。

「心無い事を言うな。ウィルが聞いていたらどうする?」
「別に良いッスよ。オレ、間違った事は言っていませんし」

 突き放すようにそう言いながら顔を上げると、ゲンガーは歪な笑みから一変、呆れた眼差しを隊長であるアンヘルへと向けた。

「だいたい、先輩もヴァルターも、新人に対して甘いんじゃないッスか? 精霊憑きなんて、最早人間じゃない。生きているだけで迷惑する、人権なんてなーんにもない、奴隷以下の下等生物。そんなヤツにいつまで執着しているんだって、そう言ってやれば良いのに」
「ゲンガー! 何だ、その言い方は! 少しはウィルの気持ちも考えてやらないか!」
「気持ちも何も、オレにはアイツの気持ちの方が分からない。幼馴染だったとは言え、相手は精霊憑きだ。何でそいつの死を悼む必要があるんスか? 逆に死んで良かったって、そう思う方が普通でしょ? それなのに死を悲しむなんて……気持ちわりぃ」

 そんな感情を抱くなんて普通じゃないと、ゲンガーは己を抱き締め、ブルリと震え上がる。

 そんなゲンガーにアンヘルが眉を顰めれば、ヴァルターは、困ったように溜め息を吐いてから口を開いた。

「ゲンガー、お前の言いたい事は分かるし、お前の考えの方が多数を占める事も知っている。けど、ウィルにそれは言わないでくれないか?」
「分かってるよ。さすがにオレとて、本人に面と向かって言う度胸はないからな」

 ヴァルター先輩は後輩思いの良い先輩ですねー、と茶化すようにして付け加えると、ゲンガーは、ムスッと不貞腐れているヴァルターの右肩を、再びポンと叩いた。

「ま、とにかくロゼの事は心配すんな。どうしても心配だってんなら、今度纏まった休みでも取って、ロゼに会いに行って来いよ。そっちの方が、ロゼも喜ぶだろ」

 ウィルに向ける嘲の表情から一変、ゲンガーはニカッと明るい笑顔を浮かべる。

 そうしてから、彼はその視線をアンヘルへと移した。

「じゃ、隊長、そろそろ行きましょう。ヴァルターのためにも、早く帰って、恋人の無事を伝えてやらないと」
「ああ、そうだな」

 そう促すゲンガーに頷くと、アンヘルは、「では、後は頼む」とヴァルターに言い残してから、ゲンガーを連れてその場から立ち去って行った。

「……」

 二人の背中を見送ってから、ヴァルターは小さな溜め息を吐く。

 エアストリアに向かった隊員達とは違い、待機組である自分達にこれと言った仕事はなく、何かあった時のためにいつでも出動出来る準備をしながら、通常業務を熟すだけ。
 それにプラスして、ヴァルターにはウィルを励ますという仕事もある。

 さて、意外と厄介なこのプラスの仕事。
 とりあえずウィルの傍へ行き、何と声を掛けたら良いだろうか。

「すみません、先輩、オレのせいで……」
「っ、ウィ、ウィルッ!?」

 ふと、急に背後から声を掛けられ、ヴァルターは反射的にビクリと肩を震わせながら、思わず上擦った声を上げる。

 振り返れば、しゅん、と項垂れた可愛い後輩、ウィルの姿があった。
 びっくりした。いつからそこにいたのだろうか。

「お前、いつからそこに!?」
「ヴァルター先輩が、「アンヘル隊長! オレも連れて行って下さい!」と言ったあたりから、そこの柱の陰にいました」
「ほぼほぼ最初からじゃないか」

 全く気付かなかった、とヴァルターは溜め息を吐く。
 この場合、上手く気配を消せたなと誉めるべきか、急に背後に立つなと怒るべきか……些か悩みどころである。

「と言う事は、ゲンガーの話も聞こえてしまったか……」
「……」
「お前にとっては大事な人だろうに。悪かったな」
「いえ、良いんです。ゲンガー先輩の意見の方が正しいって事は分かっていますから」

 おかしいのはオレの方なんです。

 そう付け加えてから。
 ウィルはふにゃりと、繕ったような笑みを浮かべた。

「ゲンガー先輩の代わりに謝ってくれるなんて、ヴァルター先輩ってば相変わらずお優しいですね」
「優しいも何も、アイツが誰かれ構わず喧嘩を吹っ掛けるからだ。放っておけば、何故かオレのところにクレームが来る。無駄な争いを避けるべく謝って回るオレの身にもなって欲しいな」
「親友、なんですよね? ゲンガー先輩と、アンヘル隊長とは」
「……孤児院が、一緒なだけだ」

 その話は、ウィルも聞いた事がある。

 幼い頃に両親を亡くしたヴァルターは、孤児院に預けられる事になった。
 そこには同い年であるゲンガーと、年上であるアンヘルもいて、ヴァルターは二人と仲良くなり、彼らと一緒にいる事が多くなった。

 がさつで明るいゲンガーには振り回される事も多かったが、一緒にいると楽しかったし、年上でありしっかり者のアンヘルは、孤児院の中でも特にヴァルターとゲンガーを可愛がってくれた。

 当然ヴァルターとゲンガーも、アンヘルの事は尊敬していた。
 だから彼が精霊憑き保護団体に入隊すると言って孤児院を出て行った時は泣いたし、絶対に彼の後を追って自分達も入隊すると誓い、見事その夢を叶えたのである。

 同じ孤児院で育ったヴァルター、ゲンガー、アンヘル。
 幼い頃からいつも一緒だった三人であるが、実は一緒だったのは三人だけではない。

 幼い頃、彼らと親しかった人物がもう一人いたのである。

「その孤児院、彼女も一緒だったんですよね?」
「ああ」
「すみません、先輩も行きたかったですよね? でも、オレのお守りを仰せつかったせいで……」
「……。冷静になって考えてみれば、オレが出動部隊に入れてもらえなかったのは、団体規約のせいだ。お前のせいじゃない」
「すみません……」

 申し訳なさそうにもう一度謝るウィルに、ヴァルターは「気にするな」と儚げに微笑む。

 孤児院時代、彼らと親しかった人物。それが、ロゼと言う少女であった。

 活発で面倒見が良く、それでいて男勝りな彼女は、女の子といるよりも男の子といた方が気が楽だったらしく、ヴァルター達といる事が多かった。
 がさつなゲンガーを逆に振り回している事も多かったし、年上であるハズのアンヘルにも物怖じする事なくガンガン意見を言っていた。
 そして時折見せる年相応の無邪気な笑顔に惹かれたヴァルターが、ロゼに恋心を抱くのには、そう時間は掛からなかったのである。

 幼少期が終わり、思春期を迎えた頃、ヴァルターとロゼは付き合う事になった。それはもう、孤児院の仲間達が妬み、どん引く程のラブラブバカップルだったらしい。
 その辺の話は詳しく聞きたくないが、孤児院を出た後、ヴァルター達は保護団体に、ロゼはエアストリアで好きな仕事を点々としながら、自由気ままに生活しているらしい。惚気たヴァルターの話に寄れば、今はキッチンカーでおにぎりを販売していると言う。

 その恋人のいるエアストリアに、氷の精霊憑きが逃げ込んだ。
 周囲が引く程恋人大好きなヴァルターの事だ。本音を言えば、今すぐにでも飛んで行きたいところだろう。
 団体規約のせいだ、とは言ってくれるが、それでも自分のお守りを押し付けられたのもまた事実。
 やはり悪い事をした。

「それに、お前はオレの事など気にしなくて良い。お前は、お前の事だけ考えていれば良いんだ」
「……すみません」
「……生きて、保護されると良いな」
「ありがとうございます」

 恋人の事が心配だろうに。
 それでも自分の事を気遣ってくれるヴァルターに、ウィルは素直に感謝の言葉を述べる。

 ヴァルターはそう言ってくれるし、保護団体の出撃部隊も、目撃された氷の精霊憑きを保護するためにエアストリアへと向かった。

 そうだ、保護団体の本来の目的は、精霊憑きを保護し、誰の迷惑にもならない北の大地に送る事だ。
 生きている彼女を保護する。そのために彼らはエアストリアへと向かったのだ。

 だけど……。

(おそらくもう、死んでいる)

 ゲンガーが言っていた、ただの死体回収。
 心無い言葉のようだが、でもそれはきっと間違ってはいない。

 だって逃げ込まれた町の人達は、精霊憑きを許さないだろうから。
 災厄を呼ぶ精霊憑き。その呪いが自分達の身に降り注ぐ前に、それを呼ぶ原因を排除する。
 それが、世間一般の普通の人の行動なのだから。

(せめて、無事に保護してやりたかった)

 でもその気持ちは、ゲンガーの言う通り普通じゃない。
 精霊憑きを人として接しようとする自分達の気持ちなど、理解出来ない異常な感情なのだから。

「先輩、その……ハクロはどうなりますか?」
「……」

 ウィルが口にした、その隊員の名前。
 それにヴァルターは一瞬表情を曇らせる。

 精霊憑きの逃亡に加担した隊員。
 その前例がないため、彼がどのような処分を下されるかは分からない。
 しかし分からなくとも、並大抵の処罰にはならないだろう。

「謹慎処分くらいにしてもらえるよう、オレからも隊長に頼んでみるよ」
「……ありがとうございます」

 その程度で済まない事は明白だが。
 それでも優しく微笑みながら励ましてくれるヴァルターに、ウィルもまた、出来る限りの作り笑いで応えたのであった。










 数時間後、氷の精霊憑きを確保したとの連絡が入る。
 ただその精霊憑きは既に住民によって殺されており、ただの死体になってしまっていた。
 だからこれより出撃部隊は氷の精霊憑きの死体を回収し、帰還する。
 そして死体になってしまった精霊憑きは、もう精霊憑きではなくてご遺体。だから保護団体で丁重に葬って差し上げようと思う。
 我々が帰還するまでの間に、その準備をしておいてくれ。

 ……と、連絡が入る事を、誰もが信じて疑わなかった。

 しかし、実際は違った。
 予想外の出来事が起きてしまったのだ。

「エアストリアで事件発生! 住民にも隊員にも多数の死傷者が出ている模様!」
「現在、出動部隊が敵と交戦中! アンヘル隊長とも連絡が取れず! 死亡、もしくは重症の可能性あり!」
「ただちに救援部隊を結成し、エアストリアへ向かう! 総員準備に掛かれ!」

 待機メンバーにその連絡が入った時、彼らに戦慄と緊張が走った。

 だってそうだろう?
 みんな、ただの死体回収だと思っていたのだ。出撃部隊が、住民に殺されてしまった氷の精霊憑きの遺体を運んで来ると、そう思っていたのだから。

 それなのに住民にも隊員にも多数の死傷者が出ている? アンヘルは死亡したかもしれない?

 え、なんで?

「どういう事ですか、副隊長! 住民も、アンヘル先輩も死んでしまったって! 何で!? どうしてなんですか!」
「落ち着け、ヴァルター! 誰もまだ状況が把握出来ていないんだ! とにかく我々はエアストリアへ向かうが、お前は新人隊員達とここに残れ! 何かあればまた連絡する!」
「嫌です! アンヘル先輩やゲンガーはどうなったんですか!? ロゼは!? ロゼはどうなったんですか!? アイツはあの街で暮らしているんだ! まさか、死んだなんて事……っ!」

 土色の顔で取り乱すヴァルターを、アンヘルに代わって指揮を執っていた副隊長が必死に諭す。

 しかしそんな彼の声が聞こえているのかいないのか、ヴァルターは頭を搔き乱しながら悲鳴にも似た声を上げた。

「だって、死体を回収して来るだけだって! そう言って笑って出かけて行ったじゃないか! みんな無事に帰って来るハズだっただろ!? それなのに何で死んで……っ、嫌だっ! いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……っ!」
「ヴァルター、落ち着け! 誤報も飛び交っているんだ、まだみんなが死んだと確定したわけじゃない! おい、誰か! ヴァルターを取り押さえてくれ!」
「氷の精霊憑きがやったんだ! 逃げた先でみんなを殺した! だったら故郷でやれば良かったのに! 何でエアストリスで関係のない人達を! 許さない! 許さない、許さない、許さない、許さないッッ!」
「ヴァルター! 落ち着け!」
「おい、しっかりしろ!」

 騒ぎを聞き付けてやって来た隊員達に取り押さえられながら、ヴァルターは医務室へと連れ込まれて行く。

 そんな彼の姿を、ウィルは遠くから呆然と眺めていた。

 ショックだったのだ。尊敬する先輩の変わり果てた姿を見て。
 厳しくも優しく接してくれた先輩が、頭を搔き乱しながら、恨みや暴言を吐き散らかしている。
 さっきは「生きていたら良いな」なんて、気を遣ってくれていたのに。
 それなのに今は……。

(仕方がないだろう。ヴァルター先輩の大切な人達が、事件に巻き込まれたかもしれないんだから。アイツだって殺され掛けたんだろう。抵抗して相手を殺したとしても、何もおかしい事じゃない……)

 でもまさか、氷の精霊憑きがそんな事をするなんて。

 まだ信じられない。
 ヴァルター先輩にどんな言葉を掛けたら良い?
 アイツら、生きていて良かった。

 そんな矛盾する想いがウィルの胸中に渦を巻く。

 しかし彼も誰も、まだ知らない。

 その一部は誤報である事。
 そしてもう一人の精霊憑きが関与している事。
 その『原因』によって、優しかったヴァルターが変わってしまう事。

 それらを知るのは、エアストリア事件が全て終わってからになるのであった。

しおり