バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

月流し.3


 涼風が天駈(あまか)ける碧空(あおぞら)のもと——

 シダ植物のような葉をつける落羽松(らくうしょう)の木陰に、ひとりの子供が立っていた。

 髪の毛先に弧状の癖がある金茶色のショートヘア。
 十二、三歳くらいの様相(ようそう)の男子だ。

 その複数の色調(しきちょう)をみせる瞳は、まばらに人が行きかう朱鷺(とき)色の家の庭先にあって、敷地(しきち)のはずれにいる人物を(うつ)していた。

 直径三〇メートルあまり。高さが、その半径ほどもありそうな緑の小山の前に立ち、ひときわ小さく見える、ひとりの少年を。

 二者(にしゃ)(あいだ)には、朝の日差しにさらされた対象人物の白っぽい頭が、いくらか青いと、ようやく見てとれるほどの(へだ)たり……距離がある。

 そしていま。

 淡紅色の建物の側から、すらりとした壮年(そうねん)の男子と、青い外套をはおった若い女性が出てゆこうとしていた。

 男の方は従順(じゅうじゅん)そうな栗毛の駿馬(しゅんめ)を二頭連れているが、女性の方は腰にバックを固定しているだけの軽装備だ。

 その足は、人待ち顔でいる、碧髪(へきはつ)の少年のもとを目指さしていた。

 🌐🌐🌐

「いい天気だなぁ…。(わたし)の時は、嵐がきていたから散々だったが……。こっちの(かた)は、査定にはいる審査官だ。美人だからって、手を出すなよ?」

 小高い丘の(いただき)に散らばる《法の家》の敷地を背景に――

 日焼けした若い講師に紹介された女性は、セレグレーシュへ、ちらっとだけ目を向けた。

 両サイドにひとつかみほどの軟らかな流れをのこしながら、癖のないまっすぐな頭髪を留め飾りで段階的に固定し、背後におろしている――明るい色調をそなえたその金色の流れは、持ち主の腰のあたりまであった。

 色白な成人まぎわの女性で、その瞳の虹彩は藍……いや、水色をしている。

 繊細そうな顔かたちもさることながら、印象のきれいな人で、セレグレーシュの鼻先ほどの身丈(みたけ)典雅(てんが)な立ち姿には、どこか、うらさびしげな陰を感じさせるところがあった。

(闇人だ……)

 そう示されたわけではなかったが、セレグレーシュは直感的に看破(かんぱ)した。

 稜威祇(いつぎ)こと闇人……、人、亜人の姿は、色彩的な相違(そうい)異形(いぎょう)があったりするものの、肉体的な特徴(とくちょう)が、驚くほど酷似(こくじ)している。

 比して、闇人……稜威祇(いつぎ)には洗練された容姿形容の者が多かったりするのだが、中間種である亜人ほど人間とかけ離れた発色をみせる個体は逆に少なく稀少(きしょう)なほどで…――

 その類似性、表面的な共通点の多さは、先祖が同じなのではないかと思えるほどだ。

 闇人、亜人のなかには、存在感をそれと見せかける者もいるので、ふつうは慣れがあっても容易(ようい)に見分けられるものではない。
 だが、その女性には、ただ立っているだけでも異質なものを(こば)む気配…――疎外(そがい)的な意思を感じさせる側面があった。

 人間のようにありながら、ありきたりの人の感覚ではつかみきれない向こうの霊調を濃厚に備え、それを隠そうともしていない。

 虹彩は水色におちつきがちだが、一瞬、藍の(ひらめ)きを見たようでもある。

 半数とも、限られた小数とも云われ、割合が不明確ななかにも、その眷属(けんぞく)に、ときおり見られる特徴。

 虹彩の発色が複数存在する瞳。

 初顔合わせの場面なのに名乗りが…――仮の呼称すら紹介がなかったのも、彼女が闇人……稜威祇(いつぎ)だからだろう。

 その種が名を告げるパターンは、かなり限られてくる。

 相手を好いているか、信頼し、気を(ゆる)しているか、もしくは降伏(こうふく)する時――

 そのいずれかだ。

 そんな事実から考え合わせてみれば、省略したり(くら)ましたりして正名を秘めおく人類の習慣は、彼らがもたらしたものなのかもしれなかった。

(あいつ以外の闇人を近くに見たのは、久しぶりかも)

 さほど遠いとも言えないあたりに、こちらの経過をうかがうその闇人(アイツ)の視線があるとも知らず、セレグレーシュは考えていた。

「……さて、もう承知していると思うが、おさらいしておくぞ」

 淡褐色の額にシンプルな白金のサークレットをはめた男が、《月流し》こと、適性考査の説明を始めた。

 講師陣の例にもれず、三〇になろうとしている現在(いま)稜威祇(いつぎ)がつかなくて《神鎮め》未満の《法印師》として教鞭(きょうべん)をふるっている男だ。

 《(組織)》に属する稜威祇(いつぎ)には、封じられて眠っている者もあるのだが、そちらにも、ことごとく言いわけられたらしい……このカフゥこと、カフルレイリ講師は、贔屓(ひいき)はしても、その正当そうな理由を公然と主張する専横(せんおう)な人物だ。

 その豪放(ごうほう)さ・容赦(ようしゃ)のなさを苦手とする者もあるが、彼の打ち解けやすいあけっぴろげな性格は、人の好感を誘う種類のもので、好みが分かれる中にも、生徒ウケはいい(ほう)である。

 妙なとり巻きがいて、やんごとない身の上という噂も聞こえてくるが、その人がどんな素性にあるのかは(おおやけ)にされていない。

 当然のことながら、いっかいの門下生でしかないセレグレーシュは知るべくもないことだ。

「試験には、この(かた)が同行する。現地についたら、君は自身の判断で行動することになるが……、行楽(こうらく)じゃない。あくまでも試験だ。楽しむのもいいが、うかれて遊びまわるようでは落ちるぞ。セオリーにのっとって、現地を探ることからでも始めるといい」

 講師の青い目が承諾(しょうだく)を問うような気配を見せたので、セレグレーシュはとりあえず、うなずいておいた。

「現地課題を提起(ていき)される場合もあるが、戻るか、どこに(とど)まるかの選択は君の自由だ。期日前に帰還(きかん)をはたした場合をのぞいて、帰りの過程……どこかに逗留(とうりゅう)している時でも、開始からひと月が経過したところで試験は終了とする。
 緊急の事態にさいして、審査官が中止を宣告することもある。
 経過にもよるが、自分からドロップアウトを宣言した場合、それにストップを言いわたされた時は不合格と思ってくれていい。
 そこそこ真面目にやっていれば、三年後、五年後……試験を受けるチャンスはある。その分、裁定は(から)くなるが、状況や成長しだいでは、前倒しすることがないわけでもない。
 いずれにせよ、これを通過しなければ不適切と判断して伝授(でんじゅ)しない知識があるから、正規(せいき)の《法印士》には成れない。
 試験開始は現地到着後。通常、予定期日からになるが、今から審査は始まっていると思ったほうがいいぞ――以上だ。
 質問はあるか?」

「ほかに審査官は?」

「なんだ? この人だと不満なのか?」

「いえ。そういう(ゆう)ことじゃなく…」

「せいぜい売りこんでおけよ? 方々(かたがた)の目に()まる機会なんて、そうはないことだ」

 どうにも煮えきらない顔をしているセレグレーシュの視界で、カフルレイリ講師が審査に入る女性に頭をさげた。

〔では、よろしく〕

 左手の指先を自身の左耳の上のあたりに()えて、照れたようなしぐさをしている。

 いっぽう。
 おとなしそうに見えて、炎のような気性も感じさせる女稜威祇(おんないつぎ)は、(もく)したまま、ちらと講師を見ただけで、ほとんど無視していた。

「ぁあ、忘れるところだった」

 たち去るかに見えた講師が、ふたりの方へ足を返した。

「馬を宿にあずける時も、馬具は外すなよ?」

「どうして?」

「この装具(そうぐ)には守護作用がある。
 着けたままでも、こいつらの負担になる仕様じゃないから、そっちの心配は無用だ。
 まわりにとやかく言われることもあるだろうが、そのへんは、どうにかして、うまく切り抜けろ。脱着(だっちゃく)の手間と時間も(はぶ)ける。
 こいつらを守ってやるだけの実力があるなら外してもいいが……。予備的な知識だからな。おまえは、こいつらに着けられた法具のあつかいを(なら)っていないだろう?」

「ん」

「なら外すな。そこそこの心力と(かん)があれば素人(しろうと)でも(くら)くらいは外せるが、次に装着させるのは事だぞ」

 にやりと挑発的な笑みをみせた講師は、さらに言葉を補足した。

「できない人間が試すなよ? それをやってケガした例もある。
 今回の審査官は同業者じゃないから、その方面のサポートは難しいだろう。
 ()けられる迷惑は、かけないのが利口ってものだ。
 考査中に、(そ)んな冒険し(バカやっ)たら、どんな審査官も落第点をつける。
 挽回(ばんかい)するのは大変だぞ」

「やらないよ」

「なんだ、はりあいのない奴だな」

 あっさり応じると、残念そうに返された。
 からかわれているのはわかったが、セレグレーシュは、そのままにうけ流して正直に真意を告げた。

「オレ、合格したいから」

 そうと聞いて青い双眸を細くしたカフルレイリ講師が、ぽんとセレグレーシュの肩に手をのせる。

「そうか…。がんばれよ」

「うん」

しおり