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月流し.2


 その草原は、赤い……。
 どこまでも深紅(しんく)に染まって見えた。

 いっけんには、自然そのままの原野から樹木をとっぱらっただけに見える雑草蔓延(はびこ)る大地。

 わけあって背の高い植物が根づきにくく、雨に見まわれようと窪地(くぼち)に水たまりができることもない、なだらかな起伏の連続。
 見る目をそなえ、その異質さを感知する者には、奇怪な側面を見せる土地。

 セレグレーシュがその地面を行けば、他者の血が染みこんだ糸や葉脈、樹形のようなものに(から)めとられた生きものを(じか)に踏みつけて歩いているような錯覚(さっかく)をおぼえ――…

 踏まれた存在が、その苦痛に(ふる)いたち、起きだしてきそうな予感に(さいな)まれるところ。

 ともすれば身の丈のはるか上にもおよぶ、そういった空域に迷いこんでしまった感覚…――悪酔いするのにも似た幻想的な予感にのまれそうになる土地だ。

 現実には、その大地に(きざ)まれた(おさ)え――ほどこされている法則構想に()れぬかぎり、これという害もない草のはらっぱで……。
 一〇〇〇年あまり続く平穏が、その事実を証明している。

 永遠に(たも)たれるものではないにせよ、いま(くず)れるというものではないのだろう。

 けれどもそれは、あまりにも生々(なまなま)しすぎて……。

 いつの日か、突然の怪異に襲われそうな予感をおぼえてしまうセレグレーシュとしては、どうしてもなじめない。腰が落ちつかなくなる一帯だった。

 《法の家》は、そんな怪しい土地のただなかに位置し。
 もとの敷地の高さのままに残された内苑を中央に囲いながら、こんもりと。
 ドーナツ状に土が盛られて形成された人工の丘陵に鎮座(ちんざ)している。

 二年前は、恐る恐る踏みだし…――いてもたってもいられなくなって、全力で走りぬけた草地。

 淡紅色(あわこういろ)の家を目指す人間が、その大地を闊歩(かっぽ)してゆく姿を見かけなければ彼は、いまもそれを(かこ)う地気の狂った森林のきわを徘徊(はいかい)していたかもしれない。

 とにかく嫌なところだった。

 けれども試験の待ちあわせ場所として示されたのは、そのただっぴろい緑の草原の中に、ぽとぽとと散らばっている円形の植物の小山。
 窮屈(きゅうくつ)なまでに草木が蔓延(はびこ)る《空白(くうはく)(えん)》と呼ばれるものの前だったので、我慢(がまん)するしかなかった。

 どの方面に向かうものだろうと、一次考査は、だいたいそこが始点とされるという。

 《転移法印》は、みだりに使わないというのが定式(特例がないわけではない)なので、《法の家》の外に出ようと思えば、嫌でもこの赤色(せきしょく)の人血が染みこんでいるように思える土地を渡ることになる。

 待ち合わせの目印としてあげられた《空白の円》とは、《千魔封(せんまふう)じの丘》と呼ばれる土地の一定範囲のところどころに、これという規則性もなく残された無印(むいん)の地面をいう。

 魔封じの()めつけが強くて、樹木の根をうけつけない大地のただなかにあって、異常なほど豊富に植物を(やしな)うところ。

 一般には、家の南に位置する(彼が、いま背にしている)その緑のしげみが最大の円と受けとめられがちだが、実際は法の家が立つ敷地に、それをうわまわる規模で三つ存在し、《リセの家》は、そのなかで一番大きな空白地の中央付近に建っている。

 抑圧的な法則で拘束された大地に点在する術のほどこされていない部分であり、
 ひっくるめて《円》と呼ばれてはいるが、形成の目的と手順を異にし、ときに《垣根(かきね)》と呼ばれることもある家の敷地中枢の三箇所(かしょ)以外は、一帯に敷かれた封印構成の影響で、吹きだす土地の気が(つね)ではありえないほど過剰(かじょう)にわだかまり循環(じゅんかん)するポイントである。

 内部に踏みこめないほど植物が蔓延(はびこ)り、表層に見える葉や芽、花を散らし、小枝を折ることを気にしなければ、人間がすがり登れるほどの密度と厚みがある――半球状に組みあがり、圧縮されているような奇形樹林(きけいじゅりん)が密集する場所。

 セレグレーシュは、この丘を歩いていると、ぽつぽつと、とり残されてあるその樹林の中(ちょっとやそっとのことでは内部に侵入できないので、明確には表層上面)へ、逃げこみたい衝動にかられるのだが……。

 集合場所は、あくまでも、その中や上ではなく()(家と向かいあう側)だ。

 だから、しかたなく…――。

 その緑深い植物の小山の手前——これと示された円の北側で、不安そうに肩を萎縮(いしゅく)したりしながら、たたずんでいるのだった。

 視界に広がる一面の大地。

 現実にどれだけの個体が封じられているのか……。

 確認したいとも思わなかったが、それが一体や二体ではなく、けっこうな数にのぼることをセレグレーシュは感じとっていた。

 くわえて、これといえる()もなく土壌と混ざり合い、多くの妖威(ようい)をふくんでいるように感じられるこの大地は、うっすらと血の(にお)いがする。

 大昔に()かれたものなのに、今となっても生々しい、殺伐(さつばつ)とした惨劇(さんげき)の予感がするのだ。

 この丘は、いまでは法印技術の()といわれるリセの子供たち――弟子(教え子)(※リセは子を残さなかったので、親族系はあっても直系はない)――が、対抗勢力との争いの中に、千の妖威(ようい)(しず)めることで、形成されたものだといわれている。

 初期の(しず)めの技が、どういう(どうゆう)ものだったのか……。その本質を疑いたくなる土地だ。

 《適性考査》を目前にした移動期日(いどうきじつ)初日。

 待ちあわせ場所におもむいたセレグレーシュは、自分の胴より太く厚みのあるリュックを肩にひっかけたまま、おろそうとはしなかった。

 できるだけ妖威の密度が薄そうなすきまを選んで、つま先や(かかと)立ちに足をおく。

 ほんとうは、きちっと固まって見えても、人血が染みこんでいるように思える地面には、足はもとより荷物も乗せていたくないのだったが……

 彼は、気もそぞろに足もとを意識しながら、試験に同行する者が(おとず)れるのをひたすら待ち続けた。

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