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第8話 広がる溝

 朝は苦手だ、基本的に。
 布団の中こそがベストオブプレイス。
 リプカはそう考えている。

 だからこそ、彼女は起きない。朝はギリギリまで寝ている。

 なので、彼女はいつも出勤時間のギリギリに出勤する。
 当然、ギルドにやって来るのはメンバーの中で一番遅い。

 今日もまた、リプカはいつも通りのギリギリの時間に出勤した。

 もちろん、リプカ以外のメンバーはもう出勤していたのだが、どうやら今日は、リプカが出勤してすぐに始まるいつもの朝礼はないらしい。

 昨日の喧嘩の続きだろうか。
 ギルドの扉を開けたリプカの目に飛び込んで来たのは、カルトとサイドが言い争い、グラディウスがそれを宥め、カルディアとローニャが心配そうに彼らを眺めているという、昨日の夕方と似たような光景であった。

「あ、リプカちゃん!」

 まるで救世主。
 そう言わんばかりの表情で、リプカの出勤に気が付いたローニャが彼女を振り返る。

 するとローニャと同じく彼女の出勤に気が付いた他の四人が、視線を一気にリプカへと向けた。

「え、どうしたの?」

 突然全員の視線を集め、戸惑ったようにリプカが眉を顰める。

 するとサイドに腕を押さえられていたカルトが、小さく舌を打ちながらその手を振り払った。

「とにかく、そういう事だから。じゃあな」
「あ、待て、カルト! まだ話は終わってねえぞ!」

 出勤したばかりのリプカの横を擦り抜けて、さっさとギルドを後にするカルト。

 そんな彼を見送りながら、リプカは「どうしたの」と改めて首を傾げた。

「それが、カルト。今日は南区のD地点に一人で行くって言ってるの」
「はあ? ディ、D地点ん!?」

 A、CときてD地点とくれば、何となく分かるだろう。
 そう、D地点というのはC地点よりも更に奥の、最も凶悪な魔物が生息する地点を指すのである。

 このエリアになると、街にはほとんど影響がないため、ここへの魔物討伐依頼もゼロに等しくなってくる。
 万が一そんな依頼があったとしても、大勢で襲い掛かって死人が出てくるレベルだ。
 当然、何の用もなく、一人で向かうようなアホはいない。

「何しに?」
「魔物討伐……ううん、討伐っていうより狩りだね。C地点のヤツじゃ物足りなかったから、D地点に行くって言っていた」
「はあ!? 何ソレ、バカじゃないの!? 死ぬよ!」

 D地点に向かうなんて自殺行為だ。当然止めなければならない。

 カルディアからの報告にリプカが声を荒げれば、先程までカルトと言い争っていたサイドが、ドンッと壁を殴った。

「止めたさ! けどアイツ、そんなのオレの勝手だろって! 昨日とは違ってきちんと行き先は告げたから何の問題もないだろって!」
「分かった。私が連れ戻して来る!」
「あ、リプカ!」

 クルリと踵を返せば、カルディアの引き止めるような声が聞こえて来る。
 しかしそれには構わず、リプカはカルトの後を追ってギルドを飛び出して行った。










「カルト!」

 すぐに追い掛けたせいだろう。
 特に捜す事もなく、彼はすぐに見つかった。

 駆け寄り、飛び掛かり、ぶん殴りでもしなければ止められないと思っていたリプカであったが、予想に反して、彼は呼び掛けただけでその足を止めてくれた。

「何、リプカ」

 その上振り返って返事までしてくれた彼に少々拍子抜けしてしまったが、リプカはすぐに気を取り直すと、鋭く彼を睨み付けた。

「何じゃないよ。あんた、何考えてるの?」
「何って、何?」
「D地点に行くなんて、バカじゃないかって言ってんの。一人でそんな所に行ったら、死ぬに決まってんでしょ」
「勝手に決め付けないでよ。死なないよ、オレ強いから。D地点の魔物なんてオレの敵じゃないよ」
「何自惚れてんのよ。そりゃ、確かにカルトは私達の中で一番強いけど。でもあんまり自分の力を過信していると、自分で自分の身を滅ぼすわよ」
「大丈夫だよ。C地点に行ったって生きて帰って来たじゃないか。リプカだって知っているだろ」
「そんなの運が良かっただけよ」
「運も実力の内って言うだろ」
「ああ言えばこう言う。十八にもなって子供みたいな喧嘩させないで」
「リプカにだけは言われたくない台詞だね」

 本当にああ言えばこう言う。

 何を言っても冷たく返してくるカルトに、リプカは更に眉を吊り上げた。

「だいたい、何でD地点に行く必要があるのよ。そこに行かなきゃいけない依頼なんて来ていないでしょ」
「サイドから聞かなかったの? ただ魔物が狩りたいだけだよ。C地点の魔物なんかじゃ弱すぎてつまらないからね」
「魔物とはいえ、無駄な殺生はどうかと思うけど?」
「そうかな。万が一街を襲いに来るとも考えられるし。危険な物は排除しておいてもいいんじゃない? それで喜ぶ人はいても困る人はいないだろ」
「はあ?」

 その言葉に、リプカは不機嫌そうにピクリと眉を動かす。

 それで困る人はいない?
 ふざけるな。今現在私が困っているじゃないか。

「あんた、何見てんの? サイドもグランもカルディアもローニャも、カルトがC地点に行ったり、D地点に行ったりするから、物凄く心配してんじゃない。私達をこんなに心配させといて、困る人はいないなんて何言ってんのよ」
「……」

 イラついたリプカの一言に、カルトは不意に押し黙る。

 そして少しだけ考える素振りを見せてから、彼はその視線を改めてリプカへと向け直した。

「心配って……リプカも?」
「はあ?」

 その言葉に、リプカは再び不機嫌そうにピクリと眉を動かす。

 何だ、その言い方は。それじゃあまるで私が冷血人間みたいじゃないか。

「当たり前でしょ。そんな凶悪な魔物がいるって分かっているところに行くカルトを、心配しないわけないじゃない。私達、仲間なんだから」
「仲間、か……」
「カルト?」

 ポツリとそう呟き、考え込むように俯いてしまったカルトに、リプカは訝しげに眉を顰める。

 しかし、程なくして彼が再び顔を上げた時、リプカは驚愕に目を見開かざるを得なかった。

「カッ、カルトっ?」

 顔を上げたカルトの瞳。
 そこには、確かに涙が薄っすらと浮かんでいたからである。

「えっ、何、どうしたの!?」

 薄らと浮かんだ涙は、雫となりてやがて頬へと流れ落ちる。

 何故彼が泣いているのか。それは彼女には分からない。

 しかし、それでも分かる事が一つだけある。
 それは、泣かせた相手は他でもないリプカである、という事である。

「リプカには分からないよ。オレの気持ちなんて」
「え?」

 ポツリと呟かれた一言に、リプカは訝しげに表情を歪める。

 しかし、その時だった。

「ママー、あのお姉ちゃん、男の人泣かせてるー」
「えっ」

 突如、聞こえてきた子供の声に、リプカは視線を周囲へと向ける。

 するとそこでは先程の声の主であろう男の子が指を差していただけではなく、他の通行人達もジロジロとこちらを眺めていたのである。

「あの子何したのかしら。こんな公衆の面前で男の子泣かせて」
「ねえ、あの男の子カッコよくない? そんなイケメン君を泣かせるなんて最低ね」
「どうせ女の方が何か我が儘言って困らせてんだろ。マジ有り得ねえ」
「うわ、最悪ー」
「酷ーい」

 そしてまたここに一つ不可解な謎が発生する。
 何故自分は、街の人達から責められ、冷ややかな目で見られているのだろう。
 ついでに言わせてもらえれば、悪い事をした覚えなど一つも無い。

「とにかく、オレは行くから。付いて来ないで」
「えっ、ちょっと、カルト、話はまだ終わって……」

 クルリと踵を返して立ち去るカルトを、リプカは慌てて追い掛けようとする。

 しかしそんな彼女を引き止めたのは、やはり周囲からの冷たい視線であった。

「あの女、まだ追うのか?」
「あー、ヤダヤダ、未練がましい女は」
「しつこい女は捨てられて当然でしょ。ザマァ」

 何故自分が悪者にされなければならないのか。

 周囲の心無い声にいい加減に頭にきたリプカは、一言文句を言ってやろうと彼らを睨み付ける。

 しかし、

「リプカちゃん……」

 背後から聞こえた聞き覚えのある呆れ声に、リプカはハッとして振り返る。

 見れば、キミにはいい加減うんざりしていますと言わんばかりの表情を浮かべたムナールが、ワナワナと震えながら突っ立っていた。

「カルト君を泣かすだなんてよっぽどの事だよ。今度は一体何をやらかしたんだい?」

 何かをやらかした前提で話を進めるムナールに、今度はリプカの瞳に涙が浮かぶ。

 ムナールの事は信じていたのに!
 そう叫びながら、リプカは彼の誤解を解くべく、必死に状況を説明するのであった。

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