第9話 不可解な点
あの冷たい視線の中で落ち着いて話が出来るわけもなく。
リプカは近くの喫茶店『シュロチク』にて、ムナールと話をしていた。
あの場にいた者にはあらぬ誤解を与えてしまったものの、場所を移した甲斐あってか、ムナールの誤解を解く事には成功していたのである。
「何だ、そういう事か。ビックリした。今度は何をしたのかと思った」
「何でムナールは、私が何かした前提で話をするのよ」
「そんなの日頃の行いが悪いキミが悪いんだよ」
「酷い!」
二人が挟むテーブルの上には、コーヒーの入った二つのカップ。
一つはミルク入りで、一つはブラック。
そのミルク入りの方に口を付けてから、ムナールは、それはさておきと話を進めた。
「それにしても、C地点、D地点か。そんなところに一人で行くだなんて、何か気になるね」
「そうなの。あそこが危険エリアだって事は、この大陸に住む人なら誰でも知っているハズなのに」
「それに、C地点の魔物三体も一人で倒したってのも気になるね。カルト君が強いって話はキミから聞いているけど。でもそこまで強いとは知らなかったよ」
「私だって知らなかったわよ。そりゃB地点を二人で行くサイドとグランとは違って、カルトは一人で行っちゃうくらいだけれど。でもC地点なんて……」
D地点はおろか、C地点でさえ、特別な依頼がなければ近寄らない場所だ。
現にカルトは、以前サイドとグラディウスと引き受けた任務でC地点へと向かい、思った通りに怪我をして帰って来た事がある。
「やっぱC地点ともなると、魔物のレベルが全然違うなー」とか言っていたハズなのに。
それなのにどうして突然、自ら危険区域に向かって魔物を討伐しようとなんて思ったのだろうか。
「どうしたんだろう、カルト。何か突然人が変わっちゃったみたい」
瞳を伏せ、寂しそうにそう言葉を漏らす。
ちょっと前までは、いつもと変わらぬカルトであった。
休日であったリプカをキャンディー缶一つで買収し、受付台に座らせた時だって、いつもと変わらぬ彼であったのに。
そう思えば彼が変わってしまったのは、あの日が境目だったかもしれない。
あの日、彼の中で何かが変わってしまったのだろうか。
「……ちょっと行って来ようかな、D地点」
「はあ?」
ポツリと呟いたリプカの一言に、ムナールは思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
これが冗談であったならどんなに良かっただろう。
しかし今呟かれた一言は、決して冗談で言ったわけではない。
口角を引き攣らせるムナールの前で、リプカは一人納得したように、うんうんと頷いていた。
「うん、そうしよう、それがいい。あそこに行けば何か分かるかもしれないし。カルトに聞いたってどうせ何も言わないんだろうし。今から行ってカルトの様子見て来るのが一番だわ」
「いや、ちょっと待て。本当に待って」
リプカの事だ。この喫茶店を出たら直で向かうつもりだろう。
そうなる前に、このアホを止めなければいけない。
それが今のムナールの、優先すべき任務である。
「キミはバカか」
「え、酷いムナール。何よ、突然」
ムッと眉を顰めるリプカに、ムナールは溜め息を吐くとともに頭を抱える。
よくもまあ、これでカルトに文句を言えたモノだ。自分も他人の事言えないじゃないか。
「キミ、C地点、D地点が大変危険だという事は知っているよね?」
「大丈夫、あれくらいなら私でも倒せる」
「……」
何で彼女はカルトを止めたのだろう。言っている事が彼と同じじゃないか。
そう思ったムナールであったが、それを追求していては話が進まない。
彼は深い溜め息を吐くと、気にせず話を進める事にした。
「あんな危険な場所に、キミを一人で行かせるなんて賛成出来ないな」
「大丈夫。ムナールが賛成しなくても行って来るから」
「……」
言っている事が、カルトとまるで同じである。
「だってムナールも気になるでしょ、カルトの突然変異。だから私が行ってパパっと調べて来るよ。原因が分かればスッキリするし、何よりカルトが危険区域に行く事も二度となくなるし。みんなもいらない心配しなくて済むし。いい事ずくめだもの」
「……」
ニコニコと微笑むリプカに、ムナールは深い深い溜め息を吐く。
しかしその時だった。
不意に影が落ちたかと思えば、よく知る少女が二人を見下ろしていたのは。
「こんな所にいたんですか、リプカさん」
「あ、レイラ」
「レイラちゃん、どうしてここに?」
突然現れた少女レイラに、リプカとムナールは揃って目を丸くする。
するとそんな二人を見下ろしながら、レイラは呆れたように溜め息を吐いた。
「先程、私用でリプカさんのギルドに行ったんですけど。サイドさんがブチギレていましたよ」
「え、サイドが? 何で?」
ブチギレられるような事をした覚えのないリプカは、不思議そうに首を傾げる。
するとレイラは、もう一度溜め息を吐いてから話を続けた。
「リプカさんがカルトさんを泣かせた事、街でちょっと噂になっていましたよ。もちろんあなた方がギルド・ブロッサムのメンバーだという事を知っている人もいるようですから、その噂に悪いイメージを持った方達が来なくなって売上が落ちたらどうするんだって。それだけならまだしも、そんな噂を作っておきながら、カルトさんを連れ帰れなかった事もバレているみたいですね。でも彼が一番怒っていたのは、仕事中だというにも関わらず、カルトさんを迎えに飛び出して行ったっきりリプカさんが帰って来ない事にあるようです。サボりだ、減給だって叫んでいました」
「減給っ?」
その言葉に、リプカは勢いよく椅子から立ち上がる。
ただでさえ、既に今月は減給されているというのに。一体どれだけ人の給料をカットすれば気が済むのだろうか、あのリーダーは。
と、今現在絶賛仕事サボり中という失態を棚に上げると、リプカは温くなったコーヒーを一気に飲み、そのお代をテーブルの上に置いた。
「ムナール、私帰るね。これ、お金。じゃあね!」
そう言うや否や、リプカは慌てて店から立ち去って行った。
「……」
「どうしました、ムナールさん?」
リプカを見送った後。
顎に手を当て、考える素振りを見せるムナールに、レイラが首を傾げる。
「リプカちゃんには、ああ言ったけど。でも僕もちょっと気になっているんだよね、カルト君の豹変ぶり。レイラちゃんはどう思う?」
「それは、まあ……話を聞くだけでもおかしいと思いますよ。最初は何か悩みでもあるのかと思いましたが、一人でC地点に行って無傷だなんて異常です。何か事件に巻き込まれているのではないでしょうか?」
「そうだよね、やっぱりおかしいよね……」
彼の豹変。その原因が彼自身にあるのか、はたまた南区のどこかにあるのか、レイラの言う通り、何か事件に巻き込まれているのか……。
「ねえ、レイラ。ちょっと調べたい事があるんだけど」
「……いいですよ。我らが未来のリーダーの頼みとあらば、喜んで引き受けましょう」
そう頷いてから。
レイラはその口元に、フッと強気の笑みを浮かべた。