41、婚約者
アリツィアは呆然とした。
ラウラとカミル・シュレイフタが婚約?
他の貴族たちも、予想外だったようで、祝辞の言葉が少し遅れた。やがて。
「おめでとうございます!」
「素晴らしい組み合わせだ」
「さすがジェリンスキ公爵家」
天井から降り注ぐ光の雨のように、二人の婚約を祝う言葉が次から次へと投げ掛けられた。
ラウラは誇らしげに微笑み、カミルも薄く笑っていた。
呆然としたアリツィアの隣で、ミロスワフが抑え目ながらも驚いた声を出す。
「どうしてあいつが?」
イザが小声で答える。
「魔力保持協会とがっちり手を組んでいることを表したいんじゃないかしら」
それらすべて、アリツィアには聞こえてなかった。思うことはひとつだけだったから。ただひとつのことで、頭がいっぱいだったから。
コツ、コツ、コツ、と大理石の床を鳴らしてアリツィアは歩き出した。コツコツコツ……段々とスピードが速くなる。はやる気持ちを抑えられない。
ラウラの肩を抱き、大勢の貴族から祝福されているカミル・シュレイフタに向かって、アリツィアは一直線に向かっていく。
「アリツィア?」
ミロスワフが後を追ったが、アリツィアの方が早かった。アリツィアはもうカミルのすぐ前まで来ていた。腕を伸ばし、逃げないように上着の裾を掴む。
「なになさるのあなたーー」
ラウラが咎めたが、どうでもいい。アリツィアはカミルに詰め寄った。
「ーーイヴォナは?! イヴォナはどこですの!」
「アリツィア、落ち着いて」
追いかけてきたミロスワフが宥めたが、こればかりは聞けなかった。カミルから目を離さず言う。
「不躾を承知で失礼いたしますわ。カミル様はまた消えてしまうかもしれませんもの。その前にわたくしの妹を出していただかないと」
ラウラが遮る。
「あなたの妹なんて知らないわよ」
「関係ない方は黙っていてくださいませ」
「な……」
周りがざわざわと騒ぎ出す。肝心のカミルは、嬉しそうにアリツィアを見つめていた。上着の裾を掴んだアリツィアの手を、自分から握る。ミロスワフが反応したが、いつの間にかそこにいたイザが止めた。
「……しばらくは様子を見ましょう」
カミルは嬉しそうに、アリツィアの手の甲に口付けた。それから微笑む。
「久しぶり、お姉ちゃん」
アリツィアはぴしゃりと言い返した。
「あなたの姉ではありませんわ。それより、イヴォナはどこですの」
「内緒にしたら怒る?」
「もう怒ってますわ、わたくし」
「それでこそお姉ちゃん」
「おい、お前、何をしてる、離れろ」
ジェリンスキ公爵がアリツィアの腕を引っ張ろうとしたが、カミルが止めた。
「邪魔しないで」
「カミル様……?」
「えーと、落ち着ける部屋、用意して? アリツィアと話があるんだ」
ジェリンスキ公爵は渋った。
「しかし、そんな女に耳を貸す必要などないかと」
「命令しないで。怒るよ」
「……サロンをどうぞ」
「ありがと」
カミルはアリツィアの手を引いて歩き出した。ミロスワフが追いかけた。
「待て。私も行く」
ラウラも後を追った。
「わたくしもですわ。婚約者ですもの」
カミルは、アリツィアの手を取ったまま、振り返った。
「ふーん、じゃあ、ミロスワフとラウラだけ。これ以上ぞろぞろ来たり、盗み聞きしようとしたらすごく怒るよ」
ついてくるものは誰もいなかった。
‡
豪華な客間を借りて、四人で話すこととなった。アリツィアは焦れる気持ちを抑えられず、ソファに座ることなく、同じ主張を繰り返した。
「イヴォナをどこに隠しているのですか」
ひとりで長椅子を占領したカミルが頷く。
「ということは、僕の家見張っているの、やっぱりアリツィアたちなんだね? 止めてくれない? 家に帰れなくて困ってるんだ」
「イヴォナを返してくださればすぐにでも止めますわ」
カミルはどうしようかな、と呟いた。
「イヴォナはねえ、僕がアギンリーをズタボロに攻撃したことですごく怒っちゃって、うるさいから今眠らせているんだ」
「……眠らせている? いつからですの」
「ずっと。あ、心配しなくていいよ。眠っている間はお腹も空かないし、年も、すごくゆっくりしか取らないから。そうだ、アリツィアだって乾燥花を付けていたじゃない。それと一緒だよ」
「人間は花と違います……イヴォナを起こしてくださいませ」
「一緒だよ、花も人間も」
「でもわたくしにとってイヴォナはイヴォナですの。返してください」
「嫌だなあ」
「ラウラ様がいらっしゃるじゃないですか。イヴォナがいても邪魔でしょう?」
そこでようやくラウラが口を挟んだ。それまでぽかんとして話を聞いていたのだ。
「ねえ、さっきから聞いてたらなんなの? カミル様はこの女の妹を囲ってるの? わたくしと婚約しながら?」
カミルは興味なさそうな視線を寄越した。
「関係ない人は黙ってて」
「なんですって!」
「カミル様、お言葉ですが、ラウラ様は無関係ではありませんわ」
アリツィアが反論したので、ラウラが驚いた顔をした。
「婚約者様もおられる以上、わたくしの妹など不要でしょう。ただ眠らせているだけならなおのこと。こちらで引き取りますので、どうそお渡しください」
「そうなの? 婚約ってめんどくさいな。止めようかな」
「カミル様!」
それまで黙って話を聞いていたミロスワフが、おもむろに口を開いた。
「カミル、お前のしていることはただの犯罪だ。いい加減にしなくては、しかるべきところに出て、法的な措置を取る。いくら魔力使いでもこの国にいる以上、この国の法に従わなくてはならない」
「なんでミロスワフがそんなことを言うのさ」
カミルが嫌そうな顔をした。
「この国の国民としても、アリツィアの婚約者としても、お前のしてることを見過ごせないからだ」
それを聞いたカミルは、面白くなさそうな顔をした。それから、ふっと笑った。
「じゃあ、アリツィアと二人だけで話をさせて。そしたらイヴォナを返したげる」
「二人? それは」
「なにもしないよ。話だけ。君たちはドアの前にでもいたらいい」
「だがお前は魔力が使える」
「どうせ魔力で防御しているんだろ」
その通りなのか、ミロスワフは黙った。アリツィアは決意した。
「ミロスワフ様、わたくしからもお願いします……ラウラ様もどうか」
わかった、とミロスワフが渋々頷いた。ラウラも複雑な顔をしていたが、10分だけという条件で結局は受け入れた。
イヴォナを取り戻すのだ。ただそれだけの思いを胸に、アリツィアはカミルと二人きりになった。