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  Ⅱ 俺たちの専門分野



 

 二時間目終了のチャイムが鳴ったのもかまわず、クーラーの効いた教室で熟睡していた龍樹は、いきなりシャツの襟首を捕まれた。



「起きろ、龍樹」



 声の主は、間違えるはずもない、忍である。



「んー…?なんらよ、次、体育だっけかぁ…?」



 半分寝呆けながら答えて、とろんとして重い目蓋を開けた。一晩貫徹したのを補うのには、二時間ではまだまだ足りない。



「図書室に行くから、付き合え」



 学校では至って無表情に撤している忍が、ほとんど感情の読み取れない声で言った。



「…図書室?」



 頭がまた半分以上眠っている龍樹はそのままずるずると忍に引きずられ、同じ三階にある図書室に連込まれる頃、やっと意識が回復した。



「…あ?なんで俺こんなとこいんだ?」



 [OPEN]のドアプレートがかかっている図書室のドアを見て、龍樹はしばらく空白だった記憶に呆然とした。



「おまえ、ほんっとに寝起き悪いな。さっき図書室に行くから付き合えって言ったろ」



 呆れた顔でドアを開けてさっさと中に入っていく忍を追いかけて、龍樹は閉まりかけたドアを慌ててくぐった。



「忍っ」



 一人でさっさと入った忍は、自分の本棚でも見るようにあっさりとお目当ての本を見付けて、その場で立ち読みしている。



 龍樹はコーナープレートに目をやって、ますます混乱する。忍の立っているコーナーには[日本の歴史]と、龍樹だったら思わず敬遠しそうなプレートが光っている。



 直立したまま素早く本に目を走らせてページをめくっている忍の姿は、まさしく優等生の看板にふさわしく、龍樹はあきらめて手近な椅子に腰を降ろした。



 あんな風になったら、横でなに言ったって聞こえてやしねーんだ。あいつは…。



 ふうっとあくびとも溜息とも判断できないような吐息を漏らして、龍樹は机の上に頬杖をついて忍が復活するのを待った。



 十分間の休み時間が五分ほど経過したときだった。



 ふわわっとあくびをした途端、ぞくっと悪寒が背筋を走り、ただならぬ冷気に身体中がビシビシと反応を示した。



 なんだ、これ!?



 辺りを見渡して、龍樹はぎょっとした。忍と龍樹以外誰もいなかったはずの図書室に、無数の人影が蠢いているのだ。



 げっ、これはもしかしなくても、完璧な霊気!



 蠢く人影は、半透明。形ははっきりしていなく、どろどろとした固まりのようだ。



 …そーいや、この学校って結構進学校で有名だったんだよな…。ってことは、この人影は、受験戦争でここを利用した先輩方の、強い闘争心の残留思念…。



 ゾクゾクとする霊気の中、全く平然として立っている忍を見やって、龍樹は思わず恨めしくなる。



 おまえが呼び起こしてるってのに、なんでおまえは全く平気なんだよ、この鈍感っ!



 害意がないならこのまま放っておこうかと考えた途端、残留思念の固まりたちが、一斉に忍に目を向けた。



 ――トップの奴を引きずり落とせ――。



 明らかな、敵愾心。龍樹は思わず頭を抱えたくなった。



 しーのーぶー、おまえって、ほんっと無意識に敵作る奴だったんだなーっ。



 その時忍の前の本棚がガタガタと揺れ、龍樹はその本棚を揺らしている残留思念の固まりを見付けた。



「忍!結界張れ!」



 言うが早いか固定されているはずの本棚から、ばさばさっと大量の本が忍の上に降りかかった。



 忍に直撃するはずだった本は忍の張った結界に阻まれ、ばさばさとあらぬ方向へ弾かれて落ちていった。



「龍樹、外野がうるさいぞ」



 一言言って、忍がなんでもないように本に視線を走らせた。



「わっかりましたよ、善処させていただきますっ」



 龍樹は立ち上がると、浅く呼吸を整えて、指を組んだ。



「――縛」



 それまで蠢いていた残留思念の固まりたちの動きが、ぴたりと止まる。見えない力に縛られたのだ。



 それに続けるように、龍樹がはっきりとした口調で真言を唱えた。



「のうまく・さんまんだ・ばざらだん・かん」



 ばしっと霊気に亀裂が入り、残留思念の影がゆらゆらと薄くなり、そのまま、消えた。



「――浄霊」



 合掌して黙礼をすると、龍樹は目を開けてふうと溜息を吐いた。



 実際に残っている怨霊や自爆霊などとは違うので、残留思念程度なら、長い真言を唱えなくても、十分に効果は発揮できる。



 それでも気を集中するので幾分疲れた顔をする龍樹に、忍が声をかけた。



「ご苦労さん、あと三十秒でチャイムだ。戻るぞ」



 いつのまにか本を閉じた忍が龍樹の前に立って、ポンと背中を叩いた。



「…おまえ、なんで休み時間にわざわざこんなとこ来たわけ?」



 人の苦労も知らないで、と眉根を寄せて言う龍樹に、忍はあっけらかんとして言った。



「さっきの授業の[平家物語]で、ちょっと引っ掛かることがあったから調べてたんだ。間違ってたら泣かせてやろうと思ったけど、合ってた」



 思わず、龍樹の頭がピキッと音を立てる。



「そんなことで超寝不足の俺を叩き起して図書室に連れてきた挙句、自分が呼び起こした残留思念まで片付けさせて、礼一つも言わないなんて、見上げた根性じゃねーか!」



 忍はそうだったのか?とでも言いたげな顔を向けて、ポンポンと龍樹の頭を叩いた。



「そーかそーか、苦労かけたな、龍樹」



「おのれはあぁぁっ、頭を叩くなと何度も言ってるだろーがぁっ!」



 激昂する龍樹に向って、忍は無情に一言投げてくるりと背を向けた。



「はいはい、気が済むまで怒っててくれ。じゃ、あと十秒だから俺は行くぞ」



 くぅおぉのやろおぉぉっ!許さん、おまえだけはずえーったいに許さーんっ!


 龍樹は心に誓いながら、忍の出ていったドアをダッシュでくぐった。







 悪夢の休み時間から二時間が過ぎた。



 龍樹はその後二時間もしっかり熟睡したのだが、まだ激怒中なのを確かめた忍の「昼飯をおごる」という台詞に乗せられて、食堂にやってきた。



「なに食う?」



 両手を後のポケットに突っ込んだ姿勢で忍が尋ね、龍樹はメニューが書かれた壁のプレートを見上げた。



「えーと、きつねうどんとおにぎりセットと烏龍茶」



「OK」



 パチンと忍が指を鳴らすのと同時に、忍の掌に食券が現れた。



「ほら、これ持って並んでこい。今ならまだすいてるほうだ。俺は烏龍茶を買って席取っとくから」



 食券を数枚渡されて、龍樹はとんとカウンターの方に押された。



「おまえ、これ…」



 掌の食券を見て龍樹が語尾を濁した。



「食券販売機の中から頂いたんだ。わざわざ並ぶの、バカらしいだろ」



 あっけらかんと言ってくれる忍に怒る気も失せて、龍樹はさっさとカウンターに向った。



 二枚ずつ同じ食券だったらしく、全く同じメニューを並べて、龍樹はトレーを持って忍を探した。



「ほい、おまえの分」



 端を陣取っていた忍の前にトレーを渡し、龍樹はその前に腰を降ろした。



「いただきます」



 箸を手にちゃんと合掌してから、龍樹は徐に忍に言った。



「おまえさぁ、なんでもかんでも能力使わない方がいいんじゃねーか?なくなったときどーすんだよ」



 ずずっとうどんをすすった忍がふと数に目をやって、ごくりとうどんを喉に滑らせた。



「なくなる可能性がないと言い切れないから、今思う存分に使ってんだよ。よく言うだろ、大人になったらそれまであったはずの能力が消えたって、さ」



 もごもごときつねうどんのアゲに噛みついていた龍樹が、渋い顔をする。



「そりゃ、理屈はそーだろーけどさ。あんまり頼ってると、なくなったときに困るんじゃないのか?」



 口では偉そうなことを言いながらも、頭の中では、「久々に食べるきつねうどんはうまい」などと考えているあたり、龍樹もまだ未熟者だ。



「今の台詞、訂正しておく。俺は頼ってなんかいないさ。使ったって差支えのないことには、遠慮なくいくらでも使う。テストは実力じゃなければ意味はないし、周りに迷惑をかけるようなことはしない。能力なんて、あるから使ってるだけだ」



 忍にきっぱりと言い切られて、龍樹はあきらめて丼に残ったうどんを掻き込んだ。



 まだ、自分にとって使い道がある能力だからいいよな、忍は。俺なんて、自分の意志に関係なく、周囲のことや後々のことを考えると使わざるを得なくなるって状態に、近いんだから…。



 三つ入ったおにぎりセットのパックを開けて、シソまぜおにぎりをぱくんと口に頬張った。



 あんな風に、言うつもりじゃなかったのに…バカだ、俺…。



 もごもごとおにぎりを頬張りながら、龍樹はどう言えばいいか考えてみるが、的確な言葉が見当らない。



 だいたい俺の言い方で、忍があっさりYESと言うはずがないんだ。意地も見栄も人一倍だし、ズル賢さや挙げ足取りなんて人二倍な奴なんだから…。



 ちらりと忍に目をやると、忍はしれっとした顔で同じようにおにぎりを食べている。



 あー、もうっ、このひねくれまんじゅうっ!



 気まずい雰囲気の中、龍樹は苛立ちに任せて米粒を烏龍茶で流し込んだ。



「ま、おまえが心配してくれるのなら、善処するよ」



 意表を突かれて忍にぽつりと言われて、龍樹が顔を上げた。



「お、俺は、おまえの心配なんかっ…」



 してなんかない、という前に、忍ぶのにやっと笑った口に遮られた。



「おーおー、吃っちゃって。かわいいーねー、龍樹くん。俺はおまえのそーゆーところが好きだよ。変わらずそのガキのまま大きくなるんだよ。よしよし」



 わざわざ前から手を伸ばして龍樹の頭を本当によしよしとする辺り、忍は冗談抜きで性格が悪い。



「なっ…にしやがるっ!ああもう、おまえなんか知らん、勝手にしやがれ!おまえなんか大っ嫌いだ!」



 案の定ブチ切れてしまった龍樹ががなり立てると、忍はにこにことした笑顔を崩さずに、殺し文句を一言。



「大丈夫、俺は、好きだから」



「…」



 俺、時々マジでこいつがなに考えてるかわからなくなる…。



 おもいっきり脱力して怒る気が失せると、龍樹は一度持ち上げた腰をすとんとスツールの上に戻した。



「…おまえ、よく臆面もなくそんなことが言えるな…」



 おにぎりセットの今度は昆布入りにかぶりついて、龍樹が呆れながら言った。



「本当のことを言うのに、なにをためらわなくちゃならないんだ?」



 あくまでもしれっとした顔のまま、忍がそんなことを言う。



「だーかーらー、そーゆう誤解を招くような台詞を言うなとゆーに」



 龍樹が言っている訳でもないのに龍樹は少し赤面して、残った昆布おにぎりをがつがつと平らげた。



 ごくんと烏龍茶で飲み下すと、龍樹は最後に残った梅干し入りを食うべきか否かにしばし迷った。実は、梅干しが苦手なのだ。



 うーん、忍のおごりだしなぁ…。



 梅干しだけ出して食べようと思った瞬間、すいっと前から手が伸びて龍樹の梅干しおにぎりの残ったパックを引いて、昆布おにぎりが入ったパックを差し出した。



「…忍?」



 自分の前に差し出されたパックを眺めて、龍樹は忍に向き直った。



「おまえ、梅干し駄目だったろ。俺平気だから、そっちの昆布食っとけ」



 思わず感動の目を向けると、忍は少し照れたようにふいっと顔を背けて、梅干し入りおにぎりにかぶりついた。



「さんきゅ」



 ほんと、人の表情読むのが上手いよな、こいつ…。



 龍樹は感心しながら、忍が交換してくれた昆布おにぎりに、有り難く手を伸ばした。



「ところで、マジでさっきみたいな台詞言うなよな。おまえは良くても、俺は誤解されるのは嫌だからな」



 釘を刺すつもりで言ったのに、忍はにやっと笑っただけだった。



「安心しろ。俺に関してあらぬ噂を立てるような阿呆な奴はおらん。噂を立てたが最後、俺がこの学校にいられないように十倍にも二十倍にもして返してやるからな」



 …できれば、一生敵に回したくないタイプの奴だな…。



 不敵な笑みを浮かべて言う忍に、龍樹は少しゾッとした。



 そーいや、こいつ生徒会長なんて肩書き背負ってるくせに、みんなが興味本位で流すようなチャチな噂流れたことないよな。



 ふと思って、一瞬、とってもありそうで、できれば信じたくないような考えが龍樹の頭をよぎった。



 …まさか、噂を流しそうな奴にはあらかじめ手を打っておくとか…。



「まさか、それは人徳というものだよ」



「…え?」



 一瞬、忍がしまった、というような顔をして慌てたように視線をそらせた。



「…おまえぇぇっ、人の考えを勝手に読むんじゃねぇっ!」



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