Ⅲ 紫蓮の事情
「じゃ、俺反対方面だから…」
学校帰り、駅の改札をくぐったところで龍樹が忍に声をかけた。
「…そうか、今日は二週目の金曜日か。帰りは?」
ああ、と思い出したように忍が言って、龍樹は腕時計に目をやって、時間を計算した。
「九時には帰ると思う。前後しそうなときは、電話入れるから」
どことなく表情を曇らせている龍樹に引っ掛かりながらも、本人が行くと言っているものを止める訳にもいかないので、忍は何もなかったように頷いた。
「そうか、じゃあな」
お互いに手を挙げて、龍樹は忍と反対方面のホームにいき、すでに到着していた電車に飛び乗った。
ぷしゅっと後でドアが閉まり、龍樹ははあっと溜息を吐いた。
[紫蓮]は昔から陰陽師として存在した家系で、龍樹の父はその紫蓮の本家の次男で、今でもちゃんと陰陽師としての仕事をしているのだ。
父の本家の血、母の分家血のせいで、龍樹ときょうだいは全員が霊能力者で、兄二人はしっかり父の後を継いで紫蓮の陰陽師になる様子だし、姉は分家の息子と結婚してしまった。
霊能力に関しては他の兄弟とはほとんど引けを取らないが、龍樹は生業陰陽師になるのが嫌で、修行は受けながらもいつも反抗していた。
兄たちが後を継ぐと言うまでは、龍樹にもしつこく紫蓮の陰陽師になれと言っていた父も、龍樹のしつこい反抗についに降参して、龍樹はやっと後継ぎ問題から開放された。
紫蓮本家の方は長男が継いでいるので龍樹たちは本家から離れてはいるが、そこにはやはり繋がりというものがあり、月に一度は本家と交流しなければならなかった。
それが、お決まりの二週目の金曜日だ。その日に必ず本家に出向くというのが、家を出る代わりに父の出した唯一の条件だった。
そういう訳で、龍樹は一年生の年明けの二月には家を出て、忍の家に居候することになった。
なぜここで忍の家が出てくるかというと、クラスメートで、一人暮らしでしかもおもいっきり金持ち。という材料はゴロゴロ出てくるが、一番仲が良く、お互い正体を知っている、という一言に尽きる。
女子の希望がなくて副学級委員を押しつけられ、学級委員長の忍と親しくなったのは、入学したての四月の初めだった。
超能力と霊能力、お互いのまるで正反対の能力がバレたのは、単なる偶然だった。委員会の帰り、忘れたスマホを取りに教室に戻った龍樹がポルターガイストに遭遇している忍と出くわしたのだ。
咄嗟に龍樹が霊を払ったせいで弾け飛んだガラスを、忍が超能力でピタリと止めて見せたのだ。
お互い何が起こったのかわからず、顔を見合わせてポカンとしていた。
そのおかげで、しっかりと名前で呼び合うようになり、必要以上に仲良くなってしまったのだが…。
今日はその交流会みたいなものに出なくてはならないわけだが、龍樹としては出たくないというのが本音だ。
重苦しい雰囲気も嫌いだし、はみ出し者している龍樹としては、片身が狭いだけなのだ。それを知っていて必ず来るのが家を出る条件だなんて、父も意地が悪い。
おまけにあそこの譲伯父さん、俺のことなーんでか気に入ってくれちゃってるみたいだから、よけー行きにくいんだよなぁ。裏切ってるみたいで…。
ゴトトン、と電車が揺れた。建物の影になって、ドアの窓ガラスに龍樹の顔が映る。モロに、「行きたくない」と表情に出ている顔が…。
あーあ、胃がイテェ…。
はあぁ、とため息をついて束の間、降りたくもない駅名が次の停車駅としてアナウンスされた――。
何度見ても思わず恐縮してしまいそうな立派な門を見上げて、龍樹はため息をつきながら玄関脇のインターホンを押した。
「どちら様でしょうか」
あー。なーんかこの一言で門前払いされてる気になるー。
内心で文句を言いながら、龍樹がインターホンに向って言った。
「龍樹です。十六夜に呼ばれたんですけど」
十六夜とは二週目の金曜日の交流会のようなものの、正式名称だ。
なんでこんな日がバラバラで陰暦の関係ない日が、十六夜なんだか…。
「皆様もうお揃いです。いつもの広間にお通りください。どうぞ」
はいはいそーですか、と龍樹は勝手に大きな門を開けると、綺麗に純日本風庭園に仕上げてある庭の小川に沿った飛び石を辿って、石灯篭や手水鉢を眺めながら数寄屋造りの離れの方に向った。
一戸建の平屋といっても十分通じるほど大きな離れの、引き戸をからりと引いて中へ入った。
「遅くなりました、龍樹です」
「おや、龍樹くん、何かあったんですか?顔色が優れないようですが」
中に入った途端、譲(今は[紫蓮]本家の当主で、龍樹の伯父にあたる)が、龍樹の顔を見るなり言った。
昨晩から金縛りと格闘した挙句、休み時間には残留思念を浄霊してきたのだから、顔色も悪くなるだろう。
霊能力というものは、精神力を消耗するのものだから。
ぎくりとして龍樹が顔を引きつらせていると、譲は紫蓮当主としての厳しい表情を龍樹に向けた。
「先月の十六夜から今日までに起った霊関係の事件は、どんな些細なことでも報告するのが、この集まりの決まりだったと思うんだが。龍樹くん、今日だけで何回か霊と対峙したんだろう?疲れた顔をしている」
龍樹の家族と、本家の家族が一斉に俺に目を向けた。
なんだよーっ、これじゃほとんど尋問にかけられてるよーなモンじゃねーか!
『一番に[紫蓮]の陰陽師を放棄したくせに』
無言の視線のいくつかが、そう言ってるように感じた。
「…昨日の夜から、朝まで金縛りに遇い、その後学校で、校舎の一部に残っていた残留思念が俺の友人に危害を加えようとしたので、浄霊しました」
何を言われるだろうとびくびくしている龍樹に、譲が尋ねた。
「御友人は、御無事でしたか?」
「あ…はい、大丈夫でした」
キョトンとする龍樹に、譲はふと口元をほころばせた。
「それはよかった」
…貫禄、っていうんだろーな…。周りの空気まで、譲さんの一言でがらりと変わってくる…。
「ところで、龍樹くんもかなりの能力を持っていると僕は思っているんだが、その龍樹くんが朝まで金縛りに遇うっていうのは、どういうことかな?」
両家すべてを見渡せる上座に座っている譲が、興味深そうに和服の袖を揺らして、口元に手を当てた。
口元に手をやるのは、譲が興味を持ったときや、考え事をするときの癖だ。
「あの…俺が友人と同居してるのは、前に言ったと思います。その同居人が、すごく霊関係のものを呼びやすい体質なんです。
本人はまったく霊能力は持ち合わせていないんですけど、霊的作用を全部跳ね返してしまうんです。
それが月に一度か二度ほど、まとめて周りの霊を跳ね返すので、俺がその跳ね返しをまともに受けて、金縛りにあったり、止むを得ず浄霊を行なったりすることがあるんです」
そーだ、ぜーんぶ忍のせいなんだ。確か同居の初日の夜、おもいっきり金縛りにあって、窒息しそうになったんだ。あいつの体質を知らなかったおかげで…。
「へぇ、そういうケースは珍しいね。僕も初めて聞いたよ。龍樹くんのことだから大丈夫だとは思うけど、くれぐれも、霊的作用を侮ってはいけないよ?危険だからね」
にっこりと笑って、譲が締め括った。周りの空気の流れが、完全に変わっていた。
…本当に、この人はすごい…。
「…はい。肝に命じておきます」
龍樹は、本当に素直な気持ちで頷いた。
「龍樹、こっち!早く!」
龍樹よりも数歩前に行って急かす従妹の楓に、龍樹は肩をすくめて少し速度をあげて追い付いた。
「暗いのに、そんなにはしゃぐと転けるぞ」
ポン、と頭に手を置いて、龍樹は楓の隣に並んだ。楓は龍樹が頭に手を置ける、唯一の相手だ。
「あのねぇ、幼稚園児じゃあるまいし、自分の家の庭で転けるほどどんくさくないわよ、あたしっ」
くってかかってくる楓を軽くあしらって、龍樹は広い庭の飛び石をトントンと渡っていく。
血のせい、というのだろうか。龍樹と楓のリアクションはどことなく似ている。
「もうっ、龍樹っ!」
楓といると、龍樹と忍のいつもの立場が逆になったような気になる。
でも忍と俺は同い年だから、あいつの方が精神年令が上ということになるのだろうか…。
楓は紫蓮本家の末っ子で、龍樹より一つ年下の高校一年生。
鳶が鷹を生む、の逆で鷹が鳶を生んでしまった、という表現をすると本人が激怒するので言わないが、楓は本家に生まれたにもかかわらず、まったく霊能力を持ち合わせていない、兄弟の中でもはみ出しっ子だ。
だから、龍樹も楓がどれだけ十六夜の席に出ることを嫌がっているかも知っているし、楓も龍樹が嫌がっていることも感付いている。
要は、二人で休憩を理由に十六夜から抜け出してきた、ということだ。
「捕まえたっ!」
後からタックルをされて、龍樹は咄嗟に手を伸ばして手近な石灯篭で身体を支えた。
「楓っ、おまえ幼稚園児じゃねーんなら、もう少し落ち着け!高校生なんだろ!?」
「…ごめん」
龍樹が声を荒立てると、楓はしゅんとして謝った。
「よし、わかればよろしい」
「なによー、エラそーにっ」
一変してむくれた楓の頭をぐしゃっと掻き回して、龍樹はくすくすと笑った。
ちょっと触るとくるくる表情を変えて、万華鏡みたいな奴…。
「あんまし大声出すなって。俺たち抜け出してんだから、見つかったら連れ戻されるぞ」
釘を刺してから、龍樹と楓は鯉の泳いでいる小川に沿って歩きだした。
…抜け出したりしてるときは、このでかい家ってのも役に立つ。普段は歩くのがメンドーなだけだけどさ。
「ねぇ…龍樹。なんで、あたしだけ能力、ないんだろ…」
いきなりの問いに、龍樹は答えにつまった。
今のはフェイントだぞっ、咄嗟に答えが出てこねぇじゃねーか!
「楓…その話は、タブーじゃなかったのか?」
龍樹が思わず立ち止まって言うと、楓は龍樹の横に並んで、ぷいっと顔を背けた。
「あたしから言うときは、いいの。他は絶対駄目だけどっ」
…ワガママな奴。
「ねぇ、なんでだろ。なんであたしだけ、能力がないんだろ。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、みんなすっごい能力持ってるのに。あたしだけ、見ることも消すこともできない…」
十六夜は、交流会と報告会のようなものだ。一月の間、自分がどんな霊に対峙し、どういう風に処置したかを、細かく報告する。
その手のものを見ることさえできない楓にとっては、針のむしろの会だろう。参加は自由といっても、半強制的なものだし、本家だから他の分家の何かあった時も出席しなければならない。
分家の枝分かれの細かな家にまでなると、能力を持った人の方が珍しくもなるが、楓はどう足掻いても本家の娘なのだ。腑に落ちないのも、卑下するのも仕方ないだろう。
「…そんなに卑屈にならなくても、いいんじゃないか?楓は、能力があっても後を継ぐ気はないんだろ?」
楓が足元の小石を蹴って、小川に落とした。ポチャン、と音がして、石灯篭に照らされた水面に波紋が広がった
「…ないよ。どっちみち、末っ子だモン」
楓は姉が一人、兄が二人の末っ子だ。確かに、上の三人は本家にふさわしいほどの強い能力を持っていて、長男は紫蓮の頂点に立つ譲の片腕として働いていて、他の二人も陰陽師になるらしい。
「…それなら、ない方がいいと、俺は思うぞ。後を継ぐ気も、陰陽師になる気もないなら、半端な能力があったら邪魔なだけだ。いいじゃないか、普通の女の子には、必要のないものなんだから」
「…龍樹は、能力を持ってるから、そんな風に言えるんだ」
そっぽを向いたままの楓が、ぼそっと言った。パチャンパチャン、と石を蹴り入れる音が続く。
「…いらないって思いながら持ってる龍樹と、なくちゃ駄目なのにないあたしとじゃ、全然違うもん」
楓の台詞にかちん、ときた。
「…ほしいとも思わない能力があって、そのせいでなりたいなんて思ったこともない陰陽師になれって言われ続けて、小さい頃から遊ぶひまもなく兄貴たちと一緒に修行に駆り出されて…望んでもいない道を決められかけた俺がどんな気持ちだったのか…おまえに、わかるか?」
語尾が、震えていた。自分でも驚くほど、声が強ばっていた。
「どれだけ、普通の生活がしたいと思ったか。いりもしない能力のおかげで金縛りには遇うわ、霊には襲われるわ、友達に気味悪がられたり、恐がられたり…誰が、そんな生活、望むもんか。
能力もずば抜けていい訳でもないから、父さんや譲さんみたいなすげえ陰陽師になれる訳でもない。能力があるから、どうなるって言うんだよ…」
…俺、なに言ってるんだ!?楓相手に、何を必死に…!
喉が熱くて、震えて、声が詰まる。絞りだすように言わなければ、喉の途中で熱の固まりになってしまいそうだった。
「…龍樹…ごめん、そんなこと、言わせるつもりなかったの…ごめん、泣かないで、龍樹…」
泣かないで?俺が?泣いてる?
見開いた龍樹の目から、パタパタッと雫が落ちた。
「バカやろ、泣いてなんか…」
声が詰まって呑み込まれた。震える喉に手をやって、龍樹は俯いた。
なんで、泣くんだよ、この俺が…!
「ごめん、ごめんね、龍樹…」
少し見上げる様にして、楓が龍樹の顔を覗き込んだ。
「ごめんね…」
楓の唇が、龍樹の頬に触れた。何が起ったのかわからず、呆然としている龍樹の瞳を覗き込んで、楓は唇を重ねた。
「好きだよ、龍樹。泣かないで…」