inning:2 動き出す時2
……あのドタバタ劇を演じた土曜日が終わり、新たな隔週を迎えた鋼汰。
あの後、響子とソディアさんがお礼を言いに来た。エースで主将の西塔さんの活躍で勝利し、ウハウハな彼女達の笑顔が印象的で、こっちも嬉しくなった。
そうして、憂鬱な月曜日の授業が終わりを迎えたのだが……。
「……えーと」
鋼汰は非常に動揺している。
周りから突き刺さる視線、そして辺りから聞こえる恨み嫉みの声と野次。
そして、通りかかった女子生徒から向けられる白く冷たい視線。
「でけえのにナヨナヨしてんなぁ?」
「そんなガン飛ばしたらあかんてぇ、山田君困ってまうがな」
「……そうね。
「別に脅してねえっての」
しかし、その鋭い目つきはどうにかならないものか……と、鋼汰は涙目になりかける。
授業が終わり、先週でこの辺りにごった返していた部活の勧誘も無くなった今、何故ここで先輩方に囲まれているのか。それすらも理解が追いついていない今、小幡の視線はある種の凶器とも言えなくはない。
優しい性格をした鋼汰だからこそ、そこに違和感を覚えるのだ。
顔を覗き込むようにしてガンを飛ばす小幡は、正に不良のそれ。
鋼汰は少し後退り、後ろにいる誰かにぶつかった。
「よーし!鋼汰捕まえた!」
「きょ、響子!?」
後ろに待機していた響子に両腕を掴まれ、鋼汰は身動きがてきなくなる。
するとそこへ、ソディアの姿が見えた。
「カンタ〜!」
「わ!?」
ソディアは鋼汰に抱き付き、辺りから黄色い声が上がる。
そして鋼汰に頬擦りし、ソディアは満面の笑みで彼を見つめ、
「さア!ベースボールをしましょウ!」
「べ、や、野球?」
ていうか日本語上手くなってない?
そして小幡らが鋼汰に詰め寄り、
「ウチのキャップのお達しだ、ちぃとウチのグラウンドまで来てもらうぜ?山田ぁ?」
「もぉ、やから脅したらあかんてぇ」
「……はぁ、全く野蛮だわ……」
と、小幡を先頭にその集団はグラウンドへと向かっていく。
靴を履き替える時に逃げようと考えたが、響子と小幡に監視されそれもできず。下履きで廊下歩いてたのかよと小幡に心の中で突っ込んで、5人の監視下、グラウンドから逸れた道を歩いている。
グラウンドはあっちじゃないのか、と鋼汰は疑問符を浮かべた。
「あぁ〜。ウチの野球界なぁ、三洋のグラウンドあんねんよ。まあ狭いんやけどなぁ」
と、茶髪を短く切り揃えた猫目の先輩が、そう答える。
「硬式野球だもの……他の部の生徒当たったら危ないわ」
と、臍までありそうな長い黒髪を下ろした眼鏡の先輩が、猫目の先輩に鍵を刺すように言った。
納得をし、小幡の視線と響子に拘束されたままグラウンドへと向かう。
そうこう歩いていると、ちっぽけなプレハブ小屋が見えてきて、その向こうにあるグラウンドが見えてきた。
「じゃじゃーん!ここが野球部のグラウンドだよ!」
拘束が解け、目の前に回り込んで体を大の字にした響子を見やる。
……まるでサプライズと言うような響子の声色とは裏腹に、見窄らしさは否めない。
グラウンドから脇に逸れた場所故か、グラウンドの向こうにある茂みの木の枝は伸びっぱなしで、外野手がノックを受ける奥の方では雑草が群生している。
更にグラウンドの脇にある設備も、遠目から見てボロボロなのが分かり、更には校舎側の方向には防球ネットがあるものの、茂みの方には防球ネットが完備されていない。
公立高校だから仕方が無いと言えば仕方が無い。しかし、ここまで見窄らしいとどこか来てしまって申し訳ないとさえ思えてしまう。
グラウンドには4人の選手らが居る。そしてこちらの姿を見て、こちらにやって来た。
「ありがとう、小幡さん、神干潟さん、駒田さん、響子ちゃん」
「はい!」
銀髪の主将。と記憶にある、西塔さんはその銀髪を靡かせながら、5人に微笑みかける。
まるで母親に褒められた子どものように返事をする5人。彼女のカリスマ性と人望が垣間見え、彼女の器やその実力を本能的に理解した。
「えと……あの、僕は何故ここに連れてこられたんでしょうか?」
目下の疑問。それを、目の前の西塔にぶつける。
女の子に囲まれ、更には美人でかなりのプロポーションを持つ西塔を体を見てしまいそうになるのをなんとか堪え、彼女の目をまっすぐに見つめる。
すると西塔は、くすくす、と微笑んだ。
「そんなに緊張しないで良いわ、別に取って食べようってわけじゃないし。お礼が言いたくて」
「お、お礼?」
「そう。先週の土曜日の練習試合、山内さんを見つけてきてくれたでしょ?本当にありがとう。すぐに帰っちゃったからお礼言えなくて」
「あ、いえ……別に」
「thank you very much!カンタ!」
「ま、礼は言っとくぜ、山田ぁ」
「ありがとうなぁ」
「……」
駒田が鋼汰に会釈し、小さくありがとうと呟いて、聖川達が礼を言ったのを確認し、西塔達は再び鋼汰を見やる。
「それで、厚かましいのだけど1つお願いがあるの」
「は、はい……」
西塔は、柔和な目つきを鋭いものに変える。
「野球部に、入部してほしいの」
「……へ?」
「なんだその返事?大人しくはいって言えばいいんだよ」
「小幡はぁん、ヤクザちゃうんやから」
「あ、あの。言ってる意味が……」
「そのままの意味よ、野球部に入部してほしいの。貴方のその脚を、ウチで生かしてほしい。これは、響子ちゃんのアドバイスを受けた上での、私のお願いよ」
「きょ、響子?」
響子は満面の笑みで僕を見つめる。
「……あの、そもそも僕には野球経験なんて無いんですが」
「響子ちゃんの練習に付き合っていたから、守備は出来るって聞いたけど?」
「ま、まあ……素人に毛が生えた程度ですけど」
「なら大丈夫よ。私達は9人しか居なくて、1人でも欠けたら土曜日の時みたいになっちゃうから。君みたいな選手なら大歓迎よ」
「……」
……ふと、鋼汰は思い出す。
昨年の夏。全国大会出場を懸けた大一番で、その資格を取得したものの……天に味方されず、涙を流した苦い思い出を。
あの日の悔しさと、3年間の陸上人生。それらは、彼の記憶に色濃く刻み込まれている。
だからこそ、口の中に感じる苦い味に納得がいった。
「……すいません、僕はもうスポーツする気なくて」
「でも毎日トレーニングしてるんでしょ?それを見せる場所が無いって嫌じゃないかしら?」
「それは……」
と、鋼汰は響子を見つめる。
何故トレーニングをしていることまで言った、というニュアンスで響子は受け取り、「えへへ、ごめん」と謝る響子。しかし、鋼汰が向けているのはそれでは無い。
もっと違う、しかしバレたくない感情。
鋼汰はばつの悪そうな顔で、再び西塔に視線を戻した。
「……すいません、趣味でやってるだけなので」
「鋼汰!取り敢えずやってみようよ!」
「……」
聖川が、鋼汰を鋭く睨む。
鋼汰はそれに気付く。しかしそれを返すことなく、
「……申し訳ありませんが、お断りします。僕、もうスポーツする気ないので」
「……鋼汰……」
鋼汰の、少し重くなった声色に……西塔は、少し目を瞑った。
「……分かったわ。無理強いは出来ないもの。ごめんね、変なこと言って」
「いえ、ではこれで」
「ちょ、鋼汰……」
と、鋼汰は足早にその場を後にする。
あっという間に居なくなった彼の背中を遠目に見て、響子はその眼差しを西塔に向けた。
「響子、辞めろ。これ以上お前の私情で西塔先輩を困らせるな」
「で、でも……」
「はっきり言うが、私は反対だ。やる気もない、覇気もない。そんな人間に気を遣う暇は、我々には無い」
「ゆ、浴衣ちゃん……」
「言い方悪いっすよ」
「事実だ。さあ、練習をしましょう」
「そ、そうね」
「……」
グラウンドへと向かう皆。しかし、響子はもう見えなくなったその背中を、ずっと見つめている。
その眼差しは、彼のその色濃く刻み込まれたトラウマを知る者として……そして、1人の幼馴染として。
彼女の眼差し知らず、逃げるように、身を隠すように帰路を急ぐ彼。
「……僕は、もう」
どこかで折れてしまった、かつて自分を支えてきた反骨精神。
それを思い出したくても思い出せない。その悔しさを孕んだ呟きが、心情とは裏腹な雲一つない青空にこだました。
⚾︎⚾︎
……その夜、僕は野球中継を見なかった。
見ていると、中途半端な答えを出しそうで。
あの人達の邪魔はできない。そう自分に言い聞かせて、野球からできるだけ離れることを決めた。
そもそも野球はしていないけど、そんな僅かな繋がりでさえも、今は断ち切るべきだと考えた。
翌日。僕は1人、通学路を行く。朝練で先に学校へ向かった響子の忘れ物をおばさんから預かって、ゆっくりと学校へ。
教室に入る時、たまたま通りかかった響子と挨拶を交わし、忘れ物を渡して、大した会話もせずに教室に戻った。
野球。その繋がりは、響子も含まれる。気分は悪いが、響子の為でもあるし自分の為でもあるし、何より野球部の為にもなる。
机に突っ伏し、気配を消す。こうしていれば、暫く経てば響子も声をかけてこなくなるだろう。
元々部活も違う。大人しい自分に、陽気な響子は合わない。
予鈴が鳴る。ようやく、安息の時がやってきた。
授業はあまり好きではないが、これほどまでに安堵の感情を覚えたことは今までにあったろうか。
そんな事を考えながら、火曜日という時間が過ぎていく……。
「おーい、行ったぞー」
3時間目は体育。新体力テストの50m走の後、野球をすることに。
これまたタイムリーな話だ。ウチの学校の体育はほぼ遊びと言っても遜色ないらしく、生徒がやりたい好きな事をして評価される。
誰だ?野球って言ったのは。手動で5"50をマークしてウッキウキなのに。と、心の中で毒を吐いた。
「……」
バッターが放った打球が、センターを守る自分の場所に飛んでくる。
ある程度の落下地点を予測し、減速しながらそれを難なく掴み、内野にボールを返した。
この動きも、響子直伝。なんなら、外野の守備は響子より上手い自信がある。
そんなことを考えながら、時間はゆっくりと過ぎていく……。
「なぁ、昼飯どうする?」
「食堂行こうぜ」
昼休み。これまた憂鬱な時間だ。
野球部の人達と出くわすかもしれない。そう考えると、無闇に外に出るわけにはいかないのだ。
目の前を通り過ぎる黒髪の女子生徒に少し見覚えがある。だが、それを無視して自分の鞄を漁った。
「……あー、今日母さん寝坊したんだった」
普段母さんは朝5時に起きて弁当を作ってくれる。だが今日は寝坊したようで、僕と同じ時間に起きてしまった。
となれば、食堂か購買で昼食を済ませるしかない。と、鋼汰は財布をポケットに入れて立ち上がる。
「山田君!」
ふと、後ろから甘い声が響く。
振り向き、そこに立っている黒髪ロングの女の子を見つめた。
「昨日ぶりだね!」
「……え、えーと」
「あ、ごめん。自己紹介まだだったね。私、野球部の三妻志絵!野球する時はポニテにしてるんだー」
「ポニテ……あ」
響子と、あの紫色の子と一緒にいた。
それを思い出し、名前を名乗って頭を下げる。
「えへへ、今からお昼?」
「そうだけど」
「一緒に行かない?」
「……わ、分かった」
何が狙いなのかは分からないが、取り敢えず着いていってみよう。
そんな訳で、そのまま僕は購買でメロンパンを買い、少し話しながら三妻さんと一緒に教室に戻ってきた。
「あ!鋼汰!こっちこっち!」
教室に戻ると、僕の席を響子が占領している。そしてその隣。紫色と子と、黒髪セミロングの子。
「(……はめられたかー)」
「志絵!ナイス!」
「イエイ!」
ハイタッチを交わし、踵を返そうとする鋼汰を、響子が止めた。
「逃がさないよー」
「……はい、分かりました」
闇に落ちた声色が僕を淘汰し、結局4人の近くに座る。
紫の子が僕を訝しげに見ていたが、それを無視して席に着いた。
「いただきまーす!」
「あれ、響子ちゃん今日もいっぱい食べるんだね」
「ふふん」
「山田さんはそれだけで足りるんすか〜?」
「あ、うん。僕小食だから」
「鋼汰は草食でしょ」
「……まあ、そうかもね」
適当に返し、メロンパンに齧り付く。
聖川は鋼汰を睨み、彼はそれに気付くも無視。
白いブレザーに白いミニスカート。白蘭高校の制服は白を基調としているため、汚れは目立ってしまう。
とは言えど、女の子はそこからストッキングを履いたりソックスをあげたりしている。流行りなのだろうか。
聖川はストッキングで素足を隠し、畠山はソックスを膝下まで上げている。響子は相変わらず素足を曝け出していて、三妻はスカートが長い。
それぞれ、女の子はその辺り自由な校風なのだ。
メロンパンを齧り終え、紙パックのオレンジジュースを飲み干した鋼汰は、ゴミ箱に捨てる為に席を立つ。
「あ!鋼汰!これもよろしく!」
「これもっす〜」
「はいはい……」
と、手一杯にゴミを持ってゴミ箱へ。
響子は細く小柄な体格に似合わず健啖家な部分があり、対して鋼汰は大きな体に比例した食欲を持たない。
席に着き、机に突っ伏しようとするが、自分の席を響子が占領していることに気付いて辞めた。
「かーんた!放課後どうするの?」
「帰る。それだけだよ」
「じゃあ今日野球しよう!」
「野球部には入らないよ。そこの友達にも迷惑かかるし」
「違うよ、家の近くの空き地!部活終わったら連絡するから!」
「……まあ、それなら」
「約束だよ!」
「うん」
と、鋼汰は窓の外を眺め黄昏れてみたり。
最近は毎日、昼休みや暇な時にはこうしているが、隣から、響子達が雑談に花を咲かせる音が聞こえている。
そうこうしていると、予鈴が鳴り……響子と紫の子は立ち上がった。
「では、放課後」
「じゃね!」
「うん!また!」
と、響子と紫の子は教室を去り、三妻と黒髪セミロングの子は自分の席へ。
「……図ってた?」
「ふふん!」
「えっへん」
2人はドヤ顔を見せ、席へ戻る。
響子に占領されていた席に着き、ようやくやってきた安息の時間。
しかし、もう5分もない。溜息を吐きながら起き上がり、
「……はぁ」
再び溜息を吐いて机に肘をつき、掌に頰を乗せた。
⚾︎⚾︎
放課後。日課のトレーニングを終え、食事を済ませる。
そして響子から連絡を受け、互いに夕食後の腹ごなしをすることに。
時刻は20時。普通こんな時間に周りに民家のある空き地でキャッチボールなんてしたら完全な近所迷惑にしかならないが、響子の愛想の良さでそれはどうにかなっている。なっていいのか?
「鋼汰、行くよー」
「はーい」
響子のボールを掴み、それを返す。
硬球だからか、響子は痛そうだ。
しかし自分以上の質を持ったボールを返してくる辺り、彼女の力量を感じる。
そうして5球6球と投げ込んでいると、少しずつボールの速度が上がり始めた。
「鋼汰調子良いじゃん」
「まあ、あったかいからね」
それとない言葉を返し、響子のペースが上がっていく。
彼女はフィールディングに自信を持っており、グラブのハンドリングやボールの握り変えなど、内野手特有の細かい技術を得意としている。
だが、脚の速さを必要とする外野守備は苦手で、こちらは鋼汰の守備範囲。
ピッチャーとして、最速130km/h超えのストレートを中心とし、縦に大きく割れるカーブとスライダー、チェンジアップを武器とする本格派右腕。
コントロールに課題があるものの、調子の良い日には手がつけられなくなる選手だ。
「……」
辺りに、乾いた音が鳴り響く。
響子のストレートが鋼汰のミットを劈くと、痛みで思わずその手をぷらぷらと振った。
「受験勉強してたわりには、調子良くない?」
「全然!去年ならもっと伸びてた!」
「そう?よく分からないけど」
と、鋼汰も強めのボールを投げ返す。
「そういう鋼汰もね!」
「わ!」
速球を返してきた響子は、こちらが驚く顔を見てにやにやと笑っている。
やったな、とボールを握り、強いボールを返してみた。
「おりゃ!」
「ふっ!」
握り変えを重視したフットワーク。勝敗を決める時は、いつもこれだ。
ボールを受け取る時は左足の踵を地面につき、取ってすぐにその左足で踏みしめてボールを返す。
そうこうやっていると、15回のラリーが続き……。
「あ」
「鋼汰!エラー!」
嬉しそうに言ってくる響子。ボールを握り損ねてしまった僕はボールを拾い、グラブに収めた。
「えへへ、プリンは私が貰うから」
「ちょ、それとこれは違うって!」
「ちがーわないよー!あはは!」
楽しそうに笑う響子。
その笑みに、鋼汰も思わず笑みが溢れてしまう。
「このまま野球部入っちゃう?」
「入らない」
「えー、鋼汰が入ったら絶対楽しいのにい」
「僕には野球は無理。そもそも、僕球球技ダメな人なの覚えてない?」
「そだっけ。野球できてるから忘れちゃってた」
「おいおい……」
ふと、ポケットのスマホから着信が鳴る。差出人は母さん。そろそろ帰ってこい、響子が危ないから、という旨のメールだった。
「響子、時間も時間だしそろそろ帰ろう」
「えー」
「こどもじゃないんだから。ほら、行くよ」
「はーい」
頬を膨らませながら、彼女は僕の隣を歩く。
街頭が照らす夜道、たまに通りかかる自転車や車を一瞥しながら、2人は会話も無く家路を行く。
響子は鋼汰の顔を見上げ、眺めながら。少しだけ頬を赤くして、彼に問いを投げてみる。
「……ね、ねえ?鋼汰?」
「何?響子」
「その……陸上、やらないの?鋼汰脚速いし、いいとこまで行けると思うんだけど」
「……良いんだ。僕母子家庭なの知ってるだろ?」
「……」
「僕には才能が無いんだよ。運にも恵まれない。だから良いんだ」
「……でも」
「……家、着いたよ」
幼馴染らしい、隣同士の家。
こっちに引っ越してくる時に、一緒に選んだ家だ。
ベランダからお互いの部屋に行き来できる、プライベートもクソも無い家。
だけどそれを、お互いは気に入っているのだ。
「また明日、響子」
「あ……」
そう言って、鋼汰は家に戻っていく。そしてその背中を響子は、見送るしかできない。
「ただいま」
「おかえり、楽しかった?」
「まあまあ、部屋に居るね」
「ねえ鋼汰?母さん今度同窓会あるんだけど」
「ああうん。行ってらっしゃい」
「へへん、私高校の時は球女だったのよ?」
「知ってるよ、あのホームラン打った時の気取った写真」
「気取ったって何よー」
「はいはい……じゃ、上にいるから」
「鋼汰」
階段に足をかけた時。母は優しい笑みで彼に語りかける。
「……母さんは、鋼汰のやりたいことを応援する。それがなんでもね」
「……ありがとう、母さん」
と、彼はゆっくりと階段を登って行った。
「……」
居なくなった彼の背中。
そして自室に明かりが見え、響子は痛くなる胸を押さえた。
「……」
また明日、告げた鋼汰の、寂しそうな顔が……響子の頭の中にこびりついて離れない。
昨年までの、陸上に青春を賭けていた彼は……あんな、無機質な画用紙のような顔をしなかったはずだ。
幼馴染として……彼に、あの時のような輝きを取り戻してほしい。
だが、彼の決意は固い。彼はこうと決めたら譲らない、頑固な一面があることも知っている。
それを含めて、思考を巡らせる。
そしてその時、彼女は何かを閃いた。
「……!そうだ!こうすれば……よし」
彼女はそう呟いて、自分の家ではなく鋼汰の家へと入っていった。
⚾︎⚾︎
……何やら響子と母さんが仲良く話していたが、それは置いておいて。
それからは特に響子と特別話したり事はなく、熱りも冷めたようで。
そうして金曜日の放課後を迎え、特に何も無く、高校生になって数回目の休日を迎えた。
「……」
日課のトレーニングも終わり、ソファで横になりリビングで休む。
土曜日の朝。時刻は11時、この後どうやって過ごそうか考えていた。
「……ん?」
先週同様、インターホンが鳴る。
その音に玄関へ向かうと、またも響子の母がそこに居た。
「あ、おばさん。こんにちは」
「こんにちは。ごめんね、また忘れ物なの」
「そうですか……分かりました」
「あ、そうだ。行くならジャージの方が良いわよ?あの学校、文化祭の時以外私服で来たら注意されるから」
「あ、はい。分かりました」
ウチの母と響子の母は白蘭高校野球部のOGで、その辺りの事情を理解している。
その指摘の通り、鋼汰は一旦ジャージに着替え直し、響子ママから忘れ物の入った巾着袋を受け取った。
「行ってらっしゃい。まだ試合まで1時間あるから、焦らず気を付けてね」
「はい!」
と、響子ママに手を振って学校へ。
「(……何が入ってんだろ?なんか重いな?)」
かさばっているような、重いような。
そんなことを考えながら、僕は学校への道を行くのだった……。