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inning:3 動き出す時3

 少し重い巾着袋を持って、またも忘れ物をしでかした響子の為に学校へ。

試合の日は、あの野球部専用のグラウンドではなく校庭を使う。学校の外周に入った時、ウォーミングアップに励む響子らの姿が見えた。


「……あら?」


そして、鋼汰がグラウンドに差し掛かった時、西塔がそれに気付く。

その視線に聖川も気付き、少し息を吐いた。


「分かってるな?お前の事情に付き合うのはこれで最後だぞ」

「うん!分かってる!」

「幼馴染思いっすね〜」

「だね、友達だもん!協力しよ!」


響子がグラウンドの入り口に向かい、その背中に三妻と畠山が笑みを向ける。

そしてグラウンドにその巨躯が現れ、響子に続いて西塔と小幡がそこへやって来た。


「こんにちは、山田君」

「こ、こんにちは」

「おお、ひっさしぶりだなぁ山田ぁ」

「ど、どうも……」

「よーし!鋼汰!今日はよろしくね!」

「……え?よろしく?」


疑問符を浮かべる鋼汰。しかしそんな彼に、響子、西塔、小幡の3人は、お前こそ何を言っているんだと言わんばかりの視線を向けた。

そして小幡と西塔が後ろに回る。


「今日試合する松原第二高校の人にはもう言ってあるの。男の子の新入部員が入りましたって」

「……は?え?え?」


いきなりの展開に頭が追いつかない。

どうにか思考を回し、「あ、なるほど。冗談なんですね」と言う為に「な」の文字を発音しようとした時、その背中をものすごい力で叩かれた。


「うだうだ言わねーで!ほーら!さっさと来やがれ!ジャージで来たってことぁやる気あんだろ?お?」

「え、いや、その」

「さ、行きましょ?」

「!」


西塔は自分の胸を鋼汰の腕に押し付け、行動を催促する。


「なーに鼻の下伸ばしてやがんだ?」


そして隣の小幡が揶揄ってきた。

響子は後ろに回り込み、


「さぁ行こう!れっつごー!」

「わ、分かった!自分で歩けるよ」


と、西塔、小幡、響子の前を突っ切ってグラウンドの奥へと進む。

それを見て3人は微笑み、響子を筆頭に彼の元へと駆け寄った。


「やる気になった?鋼汰」

「勘違いしないでくれよ。あっちの学校に悪いと思っただけ。取り敢えず今日は上手くやり過ごすから」

「上手くやり過ごすねぇ」

「これは期待できるわね」

「えへへ、頑張ろうね!鋼汰!」

「……はぁ、おばさん知ってたな……」


響子ママのタイミングの良さ。あれを、ようやく図ったものと理解する。

……もしや?と、響子が一向に受け取ろうとしない巾着袋を、鋼汰は開いた。


「……マジかー……」


そこには、野球のユニフォームらしきものが入ってある。

取り出してサイズを見てみる。脚の長さに袖の長さ。しっかり鋼汰のサイズと一致していた。

そして中にレシートがある。それを一瞥し、その裏。


《見栄を張りながらでも良いから、本物になりなさい。母より》


……貴方も共犯だったんですか……。

母が口癖のように言うこの言葉。高校時代の恩師の先生に言われた言葉だそうだが、あまりピンと来た事はない。

見栄を張りながらでも、本物になる。そもそも、その本物ってやつがよく分からないんだけど。

こういう状況を作られてしまった以上、この状況を許可してくれ、更に来てもらったあちらの厚意を無碍にはできない。

校庭の一角、捕手の後ろに設営されている防球ネットの後ろで素早く着替えを済ませ、野球のユニフォームに身を包む。


「……」


……動きやすさの点では、悪くない。

手を握ったり開いたりを繰り返し、脱いだジャージを畳んで巾着袋の中へ。


「……なんだか、女装した気分」


陸上の、お腹の見えるレディースユニフォームを着たような気分。

だけど20年前は、男性がこれを着るのが普通だったと聞く。

……だが、体の細い自分が着たら違和感しか無い。


「響子に笑われるな……」

「鋼汰、着替え終わった?」

「あ……」


正にタイムリー。そう考えていると、その場に響子が現れた。

響子は鋼汰の姿をじっ……と見て、先程までのテンションから一転、押し黙る。


「あ、あの、響子?」

「……はっ」


響子は少し赤くなった顔を隠しながら咳払いし、


「さ、行こ!」

「う、うん!」


響子と共に、鋼汰はグラウンドに駆け出す。

真新しいユニフォームに少し恥ずかしくなる。鋼汰は巾着袋をベンチに置いて、響子から帽子とグローブを受け取った。


「頑張ろうね!鋼汰!」

「う、うん!」


虚勢を張る。ここまで来ればヤケクソだ。

響子とキャッチボールをする姿を、側で白蘭高校野球部の皆が微笑ましく見つめている。

あちらからは好奇の目を向けられるが、それを気にせず。というか気にしないようにする。

恥ずい。帰りたい。だが、ユニフォームを捨てるわけにはいかない。

どうやら、母さんが自前で買ったみたいだし。

メンズの野球ユニフォームは最近ではあまり出回っていない。恐らく、最近来た宅配便はこれだったのだろう。

何が美容の道具だって?全く。

と、心の中で毒を吐き、鋼汰は響子にボールを投げ込んだ。


「準備は良いわね?鋼汰君?」

「は、はい!が、頑張ります!」

「そんなに硬くなるんじゃねえよ山田よぉ、もっと楽にしやがれってんだ」

「は、はい」


小幡に背中を何度も叩かれ、鋼汰は体を小さくする。


「まあ、ウチも人数ギリギリやからな。湯浅ちゃんのお願い聞いたるわ。この代金は高くつくでぇ」

「神干潟さん」

「カンタと野球ができまス!楽しみでスネ!」

「まー、友達(ダチ)の頼みっす。これも青春っしょ」

「だね!頑張ろう!山田君!」

「う、うん」


ふと、鋼汰と聖川は目が合う。

聖川はぶつ切りにするようち視線を切ると、キャッチャーミットと防具を身につけた。


「……足を引っ張るなよ」

「う、うん。分かってる」

「さぁ、頑張りましょう」

「はい!」


西塔の声に応え、高鳴る心臓を抑え込みながらベンチの前へ。

まさかのまさか、やってきたこの時。

なんの因果か、自分が野球の試合に出るなんて思いもやらなかった。

だが、あのレシートの裏。あそこに書かれたメッセージは、確かに山田鋼汰の心に火を付けたのだ。


見栄を張りながら、本物に。

その言葉の意味。今なら少しだけ、分かる気がする。

展開は早い。だが、これも青春。



「行くぞ!」

「「はいっ!」」


審判がグラウンドの中央に立ち、選手らは中央へ。

1人だけ体格も性別も違う。何処にいてもアウェイに感じるが、自然と焦りや緊張は無かった。

慣れているからか、陸上の経験が生きているのか。

相手からの好奇の視線は止まない。しかし、彼は何故か毅然としていた。

そんな様子に、隣の響子は頼もしく思ったり。


「礼!」

「「お願いします!」」


動き出す。彼の止まった時間は、この野球というスポーツの中で……再び、その長針と短針が動き始めた……。



 ⚾︎⚾︎⚾︎

1 (セカンド) 神干潟 東雲(かみひがた しののめ)
2 (ショート) 駒田 春香(こまだ はるか)
3 (ピッチャー) 西塔 悠于(さいとう ゆう)
4 (センター) 小幡 鞠(おばた まり)
5 (サード) 山内(やまうち)ソディア
6 (キャッチャー) 聖川 浴衣(ひじりかわ ゆかた)
7 (レフト) 三妻 志絵(みつま しえ)
8 (ファースト) 畠山 沙希(はたやま さき)
9 (ライト) 山田 鋼汰(やまだ かんた)

 ⚾︎⚾︎⚾︎






 後攻の白蘭高校は守備につく。鋼汰はライトの守備位置に向かう。

しかしライトは一塁から三塁に進塁を試みる選手の進塁阻止の役割を1番に求められるため、今の僕には適役と言える。

外野の守備自体は元より、響子との野球で身に付いている。成り行きだが、それでもやるしかない。


「あんま無茶すんなよ。あたしがそっちカバーすっからな」

「はい、お手柔らかにお願いします」

「おう」


小幡はそう言って、センターの守備についた。


センターはライトの役割+広い守備範囲を必要とする。しかし外野の中で1番守備範囲が広いためか、俊足であることが第一に求められるポジションだ。

軽やかな足取り、そして響き渡る声。

センターの存在に僕は安心感を覚えた。


「(…まさかこんなことになるなんてなあ)」


しみじみと僕はそう呟く。
9番・右翼の僕は、どこまでやれるだろうか。



「プレイ!」


今、その狼煙が上がる。


「……すごい」


マウンド上……ピッチャーの西塔に、鋼汰は思わず釘付けになった。

響子の球は速い。彼女のキャッチャー役には何度も付き合った。

だけど、銀髪を振り乱しながら凛々しく投球する彼女は…響子よりも凄い。


綺麗な軌道を描くストレート。
それが外角低め、内角低めに決まっていき、バッターはきりきり舞いとばかりに三振していく。

極め付けは、その変化球。
落差のあるフォークで三振、カットボールで芯を外し、平凡なゴロを打たせる。

コントロールも申し分無し。
見事に初回、完璧な立ち上がり。


「驚いたか?」


ベンチに戻る最中、センターの選手がそう僕に尋ねる。


「はい。まるでプロみたいなピッチングですよね」

「あの人去年からプロ注だからな」

「やっぱりそうなんですか」

「ウチの絶対的エース、西塔悠于ってなぁ!」

「なるほど…肯けます」


そう言えば、響子も言ってたな。
記憶を掘り返し、ベンチに戻る。

するとレフトを守っていたさっきの黒髪の女の子がこちらにやって来て、


「や、山田君、行けそう?」

「ああ、うん。大丈夫です」

「そ、よかった」


三妻さんは、僕にそう笑みを見せてくれた。

その笑顔に、少し緊張している心が和らぐ。


「しゃー!切り込めよ東雲ぇ!」

「頑張ってくださーい!」

「おっしゃ!やったるで!」

「神干潟先輩、凄い脚速いの。見てて」

「う、うん」


……よく見ると、小さくて可愛いな。三妻さん。


「…山田君?」

「あ、いや。大丈夫。気にしないで」


そんなこんなしていると、猫目が特徴の
1番・セカンドの神干潟が左中間を割る長打を放つ。

2番の駒田が進塁打となるセカンドゴロを放って、3番の西塔が四球で出塁。


「っしゃあ!来いや!」


威勢の良い小幡が打席へ。初球からフルスイングをし、ピッチャーにプレッシャーを与えていく。

そして2球目。小幡は高めのストレートを捉えた。


「けっ!外野フライかよ!」


唾棄するように言って、センターが落下地点。

しかしそれを溢し、それを見た小幡は加速する。

ていうか、小畑先輩左投右打なんだな。

そしてかなりのスピードで一塁を蹴り、


「しゃー!」


小幡が二塁に到達して、ベンチにガッツポーズ。

三塁ランナーの神干潟が帰って一点を先取、尚も状況は一死二、三塁。


「ナイスバッティングやで!小幡ちゃん!」

「ナイスバッティング!」

「速いな…小幡先輩」

「でしょ?」

「うん」


打席には右打席、ソディアが打席に立つ。


「はあ…西塔先輩かっこいいよね…思わない?志絵」

「思う!エースでクリーンナップなんて憧れる!」

「響子も中学の時4番じゃなかった?」

「そうだけど、ホームランか外野フライか三振だからさ。なんか締まらないっていうか」

「県総体2打席連続ホームランの後6打席連続センターフライだもんね」

「う゛…嫌な思い出が」


ソディアが放った打球は一、二塁間を抜けるかと思われたが、セカンドの好捕で二塁はアウト。

そして6番の聖川はショートゴロに倒れて攻守交代。


「頑張ろうね!山田君」

「う、うん!頑張ろう!」


三妻さんの声に癒されながら、僕はライトの守備へ。


「……そう言えばどんな感じだったかな……外野守備」


最近野球は見るだけだから感覚を忘れている。

それも無駄に緊張させる理由の一つなんだけど。


確か…まずはピッチャーが動作に入った瞬間に少し後ろに下がってからほんの少しずつ前進。

バットに打球が当たる瞬間に、打球の方向に反応する。


「ファール!」


三塁線に切れてファール。

……これだ。特に響子は教えてくれなかったけど、何度も相手をさせられている中で身につけた方法。


「……よし、段々思い出してきた」


そう、少しだけ安堵した矢先。


「ライト!」


聖川さんの声が鳴り響く。

素早く反応した僕は右中間に飛ぶ打球の落下地点に入る。


「え、と、わ、お、よし!」


ファンブルをするが、なんとかリカバリーしてボールを掴む。

緊張がプレーに現れた。しかししっかりとフライを掴み、ボールを内野へと返した。


「やるじゃねえか」

「ありがとうございます」

「ナイスライトー!」


響子の声が響いて、僕は定位置に戻る。

そして次の打者…再び打球に反応。


ファールゾーン、落下地点に一直線。

打球を掴み、これでツーアウト。


「やるじゃん!鋼汰!」

「ナイスライト!」


少しずつ、緊張が解れて楽しくなって来た。

続く打者を三振として、攻守交代。


「やるじゃねえか、山田ぁ」

「はい、ありがとうございます」

「ナイスプレー!鋼汰!」

「すごいよ!山田君!」

「あ、ありがと……」

「おお?何照れてんだスケベがよ」

「い、痛い痛い」


小幡さんに背中を叩きまくられ、
僕の表情は苦悶に歪む。

ベンチに座ると、ニコニコしながら僕を見つめる三妻さん。

……隣、向いていいのかな……と考えていたら、既に彼女は打席に向かっていたようだ。

そして4球目を叩き、詰まった当たりが空に舞う。



「センター!」


7番、三妻の結果は浅いセンターフライ。


「ドンマイ、志絵!次々!」

「う、うん!」

「……」


鋼汰は立ち上がり、響子からいつも2人で野球をするときに使う赤いバットを借りる。

それを握って見つめ、大きく息を吐く。


「おっしゃ!ナイス沙希!」

打席に畠山が入り、ピッチャー返しでセンター前ヒットを放つ。

一塁を回ったところで止まり、沙希はベンチに笑顔を向けた。


「鋼汰ー!しっかりねー!」

「おいおい山田ぁ!緊張しすぎだ馬鹿野郎!」

「頑張ってー!」


響子に貸してもらえたのは予備の木製バット。ナイク社…巨人の陽選手モデル。

赤く染まるバットに、僕の心は燃える。


「響子、折ったらごめんね」

「大丈夫!宿題1ヶ月やらせるだけだから!」

「ははは」


と、鋼汰は打席へ。


「頑張れー!鋼汰ー!」

「肩の力抜いてー!」


打席に向かう僕。一塁ランナーの畠山さんが僕を励ますが、不思議と緊張はしない。

そして、打席に差し掛かった時。


「(あれ?僕左打ち?右打ち?どっちだっけ?)」


響子と野球をしているから大丈夫、と思ったが……そういえばバッティングをしたことは無い。

どっちだ?どっちだ?と確かめるが、慌てているためか全くしっくりと来ない。

取り敢えず時間をかけてはいけないので、一礼して左打席へ。


「(えーと、構えは)」


取り敢えず脚は肩幅に広げて…よし。


「(うはあ、緊張するなあ)」

「ボール!」

「(見えても当たらないよ)」

「頑張れー!見えてるよー!鋼汰!」

「その調子ー!」

「(…真剣にやらない理由は無いよね)」

「ストライク!」

「(うはあ、内角低めビタビタ)」


一死一塁で、打順は9番。これで終わっても次は1番から……。


「(だからって、ランナーを返さなくていいわけじゃない。でも僕に何ができるのか)」

「ボール!」

「(そろそろ、素人ってバレたかな)」


さっきの守備からか、配球がかなり厳しい。外低め、外低め、内高め。

変化球ではなくストレート。しかし、今の鋼汰にはこれを打つことすら難しいかもしれない。


「(できるかな……確か……)」


瞬間…僕はセーフティバントの構えを見せ、ボールに当てるが打球はファールゾーンに転がる。


「ファール!」

「(あー、やっぱり難しいか)」


これでツーツー。ピッチャー有利のカウント。確かここまでストレートのみ。次に変化球が来るかもしれない。


「(変化球打てるかな……いや、もう捨てよう)」


そして5球目……。


バットが出かかるが、なんとか止める。

決まったコースは内角低め、球種はカーブ……かな?


「ボール!」

「見えてる!良いよ鋼汰!」

「(ありがと響子)」


心の中で礼を口にして、カウントはフルカウント。

人生初打席がこんな落ち着いたものになるなんて思いもよらなかった。もっと、緊張と不安で頭の中がパニックになると思ったけど。

まあ僕は今日限りだし、思い出になれば良いかな……と、思いながら。


「ストライク!バッターアウト!」


結果は、三振。

盗塁を企図した畠山もアウトとなり、三振ゲッツーが成立。

2回裏、白蘭は無得点。そしてこのまま、試合は投手戦へと進む……。


「ライト!」

「!」


バッティングは素人のそれだが、守備だけなら玄人も舌を巻く。

センターの小幡の守備範囲まで侵略し、彼女に頭を叩かれた。

西塔はどこかのびのびと投げていき、鋼汰の守備にも少しずつキレが出始めた。

そこからは、尻上がりに調子を上げた西塔先輩がバッタバッタと三振の山を築き、気付けば7回を無失点に収めた。

ここまで1-0、そして鋼汰は2打席ノーヒット。

しかしその高い守備力で異様な存在感を放ち、鋼汰の表情は少しずつ良くなっていく……。




そして7回。6番の聖川から始まる攻撃。



「ボールフォア!」


見た。ストレートのフォアボールで出塁を果たし、そこに7番の三妻が向かう。

しかし、初球から代わったピッチャーのストレートに振り遅れ、その5球目。


「キャッチャー!」


平凡なキャッチャーフライ。一塁ランナーの聖川は動けず、ワンナウト。


「……」

「どんまいっす三妻ちゃん、元気出していこうっす」

「そうだよ!声出してこ!」

「う、うん」


少し落ち込む三妻を響子は励まし、打席には畠山。


「ボール!」


しっかりとボールを見極め、カウントはスリーボールワンストライク。

さすがは経験者、しっかりと落ち着いた様子でボールを見ている。

その様子に、ネクストバッターズサークルの鋼汰は感嘆の声を上げた。


「ボールフォア!」


そして、畠山も歩く。

ワンナウトから、一、二塁。そしてこのダメ押しのチャンス。


「……よし!」

「しゃー山田ぁー!アップは終わったろおー!」

「打ったれー!やでー!」


小幡と神干潟の声。

それに、鋼汰の心に火がつく。


「ストライク!」


初球を見逃して、ワンストライク。

左打席、鋼汰は息を吐いた。

そして落ち着いて、ボールを見る。大したスイングなど出来はしないので、とにかく出塁して脚の速さを活かす。

この後は神干潟に繋がる。自分の役割は、この状況を悪化させない事。


「ストライクツー!」

「……やば」


2球目、ストレートに空振り。

当てに行ったが、それが帰って裏目に出た。


「そんなチンケなスイングすんじゃねえー!思いっきり振れおもっきりー!」

「鋼汰ー!何も考えなくて良いからねー!」

「思いっきり振ってー!」


いきなり来て、いきなり試合に出ているのに……こんなにも、応援してくれる。

……暖かい。優しい。少しだけ、涙が出そうになる。


「ボール!」


目頭が熱い。熱いのに、何故だろう。

ボールが、回転と縫い目までしっかりと見えるのは……。



「ボール!ボールスリー!」


5球目のカーブを見逃して、フルカウント。

鋼汰は一度打席を外して、涙を拭いた。

そして左打席。陸上のスタートラインに立つように、彼はバットを構える……。


「……」


響子の見つめる背中、そして一緒に野球をしてボロボロになった木製のバット。

様になるその姿に、響子だけでなく皆がその快音を心待ちにする……。


「(…多分コントロールが良くないから次は自信があるストレートかな?内角のコントロールが良いからそこに来る……筈)」


鋼汰は、今まで見てきた野球中継……キャッチャーがピッチャーをリードする、その配球を思い出す。

攻め方、バッターの反応。それらが重要となるバッテリーの配球を、彼は見落としていない。


「(……首を振った、多分……ストレートだ……!)」


そして、フルカウントからの6球目。


「(来た!)」


左脚で体を加速させ、バットを振り抜いた。


「ゔんっ!!」


両腕を中心に体全体に伝わる衝動と衝撃、そしてその快音に見合う「行った」という本能的な感覚。

白蘭高校の選手が見ているその一塁側ベンチ。彼は駆け出し、2人のランナーもその打球を見て走ることのみに専念する。

そうして打球は、その本能的な感覚に応じるかの如く。右中間を真っ二つに割っていった……。


「鋼汰ああああ!?」

「すご!?」

「(僕が一番驚いてるよ!)」


響子と三妻の悲鳴。そして両軍から驚きの声が沸き、僕は遠慮なく一塁を蹴る。

聖川は悠々と生還し、畠山が二塁を蹴った。


「はっや!脚はっや!」

「おい!山田!ストップ!暴走すんじゃねえ!」

「鋼汰ストーーーーーップ!」


小幡が目を見開く中、三塁の畠山が止まっているのを見て二塁でストップ。

まだ両腕にある痺れを取ろうと両手をぷらぷらと振って、


「人生初ヒット、二塁打、いえい……あはは」


そう呟き、響子に向かって…いや、何もしない。


「(雰囲気悪くしたらダメだね)」


そう呟いて、異様な盛り上がりを見せる白蘭高校グラウンド。


「アウト!」


しかし気を抜いてしまったのか、ショートライナーに反応できず鋼汰はタッチアウト。

これで攻守交代となり、鋼汰は走ってベンチに戻る。


「ナイスバッティング、山田君」

「ありがとうございます」

「ナイス山田ぁ!やればできんじゃねえかぁ!」

「は、はい」


西塔先輩とハイタッチを交わし、小幡先輩に背中をバシバシ叩かれる。

そして響子とハイタッチを交わそうと、彼女の前に出て手を差し出す……


「……響子?三妻さん?」


どうやら、驚きのあまり放心しているようだ。


「響子!三妻さん!チェンジだよ!」

「「はっ」」

「何そのリアクション、打ち合わせしてたの?」

「いや、鋼汰野球の練習してたの?」

「いや?プロ野球見てただけだよ」

「それだけで……あんな打球を?」

「おら1年!早くしろ!」

「は、はい!」





そうして、僕達は守備につく。





その後、8回からは響子が登板。

その回の攻撃を三者凡退とし、順調なピッチングに見えた。

しかし9回。ワンナウトから連打に四球で
満塁のピンチを抱え、響子は絶体絶命のピンチを迎えている……。



「……やっば」


そう呟いて、ランナーを目で牽制。

鳥籠に捕らえられたかの如く、扇の内側で小高い山の狩人は命のやり取りをしている。

ワンナウト満塁。守備陣はホームゲッツーを狙う為、内外共に前進守備のシフトを敷く。

そして圧迫感に汗を流すバッター。響子は帽子を取り、汗を拭った。


「……ふう」


カウントはツーボールワンストライク。


「ボール!」


これでスリーボール。フォアボールなら押し出しで一点差。

西塔から渡されたバトン。7回無失点と先発の役割を果たした彼女の思いを、繋がない理由は無い。


「(困った時はど真ん中ストレート!一択だね!)」


意を決した響子は、ボールを投じた……





「ライト!」



再び、打球は僕の所へ。

浅いライトの、遥か向こう。鋼汰は素早く反応して背走し、打球へと追い付く。

簡易的に撮影した防球ネットの手前、下手くそなスライディングをしながらそのボールを掴み、フェンスを薙ぎ倒しながら大勢を立て直した。


「山田ぁ!」


カバーにやってきた小幡に、フェンスに足を捉え立ち上がれない鋼汰はボールを投げる。

そして小幡から内野へ返球が帰ってくるときには、既に三塁ランナーは生還。

ツーアウト、ランナー二、三塁。ランナーは皆タッチアップし、少ないチャンスを広げてきた……。


「ナイス、ライト!良いよ!」


ベンチから、絶えず声を張る西塔。

緊迫した場面。またもファインプレーを見せた彼。なんとかフェンスから脱出して、それを立て直した。


「鋼汰……」

「響子、後ろは大丈夫だ。バッター集中。良いな?」

「う、うん!」


女房役の聖川とサインを交換し、彼女の凛々しい顔に響子は心を引き締める。


「ストライク!」


慎重かつ大胆。得意のドロップカーブで慎重にカウントを稼ぐと、続く外角低めへのカーブもストライクを取る。

これで追い込んだ。しかし、自慢のストレートが機能してくれない。


「ボールツー!」


ストレートが2球続けて外れ、響子の表情は苦悶に歪む。

小幡の声がグラウンドに轟く。投手の真後ろ、そしてその声。チームを引っ張る主軸として、見事な存在感を発揮している。


「ボール!ボールスリー!」


ストレートが外角低め……には、決まらず。

惜しくもボール半子分外れて、フルカウント。

聖川が立ち上がり、響子に腕を触れとジェスチャーで伝える。しかし、彼女の不安は拭えなかった。

こんな時……何ができるか。自分の守備に専念するしかない鋼汰には、全く頭が回らなかったのだが。


……その時、その瞬間が訪れる……。





「ライト!山田!!」


耳に轟く、聖川の声。

素早い反応を見せた鋼汰は、定位置からそのスピードで前進していく。


「……!」


捕れるか、捕れないか。

外野手の中でも難易度の高いプレーである、正面のライナー。彼はそれに臆する事なく駆け抜けていき、同時に追っていたセカンドの神干潟はスピードを落とす。


彼の思考回路が導き出した答え。それは、「捕れる」。という単語3文字。

そして彼は、そのボールに自らを差し出すように……グラブを差し出す……。






「……!!」






左手に、ボールの重み。





それを感じて、彼は思わず起き上がった。



「アウト!ゲームセット!」



グラウンドから拍手が沸き起こり、その場にいの一番にやってきた神干潟は彼の背中を叩く。

起き上がった彼は神干潟とハイタッチを交わし、小幡から背中叩きの洗礼。

そのまま内野へと戻ると、響子は彼に飛びついた。



「かんたー!!」

「うわ!?」


響子は鋼汰にぶら下がり、すぐさま降ろされる。

その場に居合わせた聖川が響子を戒め、鋼汰の方を向き、


「見事な送球だった」

「あ、ありがと…」

「ほんと!ナイス!鋼汰!」

「痛!」


と、僕は手厚い歓迎を受け……忘れていた整列へ。


「礼!」

「ありがとうございました!!」


こうして、僕の人生初の野球は……終わりを迎えたのだった……。





 

しおり