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第4話 リーフ国立博物館

「あの趣味の悪い骸骨(がいこつ)どもは商品なのか?」
 博物館とは何か、という根本的な質問に続け、レオはもう一つの疑問を教授に投げ掛ける。

「趣味が悪いとはあんまりじゃのう。それにあれは商品などではないぞ。これらは標本と呼ぶのじゃ」
 大げさに肩をすくめながら、教授は苦笑いを浮かべた。

「ヒョーホン?」
 聞き覚えのない言葉に、レオは思わず気の抜けた声を上げてしまう。
「標本とはいわば、生き物たちがこの世界に存在した証《あかし》。何らかの理由で彼らが滅び、また姿を変えてしまうことがあっても、その存在をはるかな未来までも語り継いでいくのじゃ」
 教授はまるで、学生たちの前で講義をするかのように立ち上がって語り始めた。

「標本はともかく、図鑑ぐらいなら見たこともあるじゃろう?」
「孤児院にいくつかおいてあったな。他の男子は虫の図鑑なんかをよく見てた気がするが、おれは暴食竜(レマルゴサウルス)のところを見るくらいだったな。いつか、仇は取ってやるってよ」
「まあ、孤児院にあるものは子供向けに簡略化したもんじゃがな。いきなり子供たちに専門書を見せたところで、理解するのは難しかろう」
 子供扱いされたと感じたか、レオは不機嫌そうな表情を浮かべる。

「それに、図鑑で見たことはあっても、また実物は違ったじゃろう」
 少年は無言のまま、不承不承といった風情でうなずいた。

「さきほど見せた戦いがあれほど有利に進んだのは、レマルゴサウルスの能力や動きを記録したデータがあってのことじゃ。そりゃもちろん、英雄たちの強さもあるんじゃがな」
「そのデータとやらは、ここにあるのか?」
「うむ。現れた獣がレマルゴサウルスであると断言できたからこそ、蓄えられた知識を元に十分な備えができた。それは図鑑や専門書があってのことであり、ひいては標本などの資料収集が十分に行われてきたからじゃ」

 続けて教授は、先ほどレマルゴサウルスの幻を作り出した宝珠を取りだす。
「それから、これじゃ。これは映想珠《えいそうじゅ》といってな、人の記憶を写し取り、再現する魔道具じゃ」
 魔道具とは、文字通り魔法の力を込められた道具のことだ。簡単な照明器具程度なら安く販売されてもいるが、使用者が魔力の使い方を学ぶ必要があるため、庶民にはあまり普及していない。映想珠のような特殊なものならなおさらだ。

「研究の上で、行動を記録するという意味では便利なものじゃが、必ずしも実在の映像とは限らんのじゃ」
「と言うと?」
「魔法に長けたものなら、自らの想像だけで偽の映像を作り出すことも可能じゃ。あるいは、思い込みが記憶を補完し、時には書き換えることすらもある。それゆえ最近では、補助的なものとして使われることが多い。レマルゴサウルスのような野外観察が困難なものについては、専門書や論文、そして標本が研究の中心となるのじゃ」

「標本と言えば、何であんな骨だけになってるんだ?」
「標本にも色々な形があるんじゃが……これほど大型の獣の場合、そのまま乾燥するというわけにもいかなくてのう。肉や内臓はすぐに腐るし、大きすぎて保存液に漬けることもままならん。たいていは剥製(はくせい)にするか、骨格と皮を残すという決まりになっておる」
 再び椅子に戻った教授は、残念そうな表情で話を続ける。

「しかし、皮は防具の材料として高く売れる。肉の方は……肉食獣にはよくあることなんじゃが、臭みが強く非常に固い。食用にするには手間がかかりすぎて、ほとんど価値がないんじゃ。というわけで、皮は国と傭兵隊にほとんど取られてしもうた」
 その時のことを思い出したかのように、教授はがっくりとテーブルに頭を落とした。

「それはさておき、わが博物館の役割の一つが、そういった資料の収集じゃ」
 落ち込んでいるかと思いきや、声をかけようとしたレオの目前で教授はがばっと顔を起こした。そして、何事もなかったかのように話を続ける。

「博物館というものについては、長くなるので今はこれぐらいにするとしようかのう。詳しいことが知りたくば、学院でわしの授業を受けに来るがよい」
「い、行けたらな……」
「それと、この博物館はまだ準備中じゃ。標本、文献、そして研究者。まだまだ集めねばならぬものがたくさんある。正式な開館は、お主が学院を卒業する頃になるんではないかのう」
 そう言うと教授は、一息ついて姿勢を正した。

「さて、今度はこちらが質問する番じゃぞ」
「お、おう」
 その言葉に、レオは身構えるかのようにその身をこわばらせる。

「お主はまだ、あの暴食竜(レマルゴサウルス)に挑むつもりか? 家族や村の仇ならば、もうこの世におらんぞ」
「……ッ!!」
 挑発じみた教授の言葉が、少年の心に炎を生んだ。それは全身に熱を巡らせ、顔色をも赤に染め上げる。

「だからって、このまま何もしないわけには……っ」
「ならば、具体的には何をするつもりじゃ?」
 立ち上がって息も荒く叫ぶレオを見上げ、教授は冷静に問う。

「他にもレマルゴサウルスはいるんだろう? こっちから奴らを探しに行って、やられる前にやってやる!」
「この世界にレマルゴサウルスが何頭おるか、お主は知っておるか?」
 その問いに意表を突かれたか、レオを勢いがわずかに弱まった。

「何頭って、そんなの数えた奴がいるのかよ」
「まさか。生息域の面積、植生などの環境、餌資源の種類と量、移動能力と行動圏、寿命や繁殖力、目撃や痕跡による確認記録。そんな多数のデータをもとに、計算によって求められたものじゃ」
 腕を組み、データを思い出すかのように教授は目を閉じる。

「この大陸、といってもレマルゴサウルスの生息域はこの大陸の中央を東西に横切る山地帯じゃ。そこに現存する推定個体数は……五千から一万頭」
 教授の言葉に、レオは一瞬驚きの表情を見せるが、しばらくしてそれは疑いへと変わった。
「ずいぶんバラバラだな。いい加減な計算じゃねえのか?」
「元となるデータがちょっとずれただけで、結論は大幅に変わったりするぞ。特に奴らは、観察自体が危険を伴うからのう」

「五千……一万……」
 少しばかり、レオの顔は青ざめたように見えた。それを見ないふりをして、教授は言葉を続ける。

「よもやお主は、奴らを全て滅ぼそうとでも言うつもりか?」
「そ、それが悪いのかよ!?」
「生き物の世界と言うのは、多くの種が複雑な繋がりの中で生きておる。そして、レマルゴサウルスのような大型肉食獣は、多くの獣を捕食する。餌となっていたはずのものたちが食われなくなれば、どうなると思う?」
「ちょっとは世の中が平和になるんじゃねえか?」
「悪いがな、そんな簡単な話ではないぞ」
 教授の声が、少しだけ低くなった。

「食うものと食われるものの関係は、絶妙なバランスのもとに成り立っている。特に、その頂点に立つ存在がいなくなれば、その影響は測りしれん」
「バランス?」
「簡単に説明するぞ。肉食獣が減れば、食われなくなった草食獣が増える。するとその餌となる植物は減り、餌が増えた肉食獣は増加する。その後、餌の減少と捕食者の増加で草食獣も減少に転じる。草食獣が減れば肉食獣も減り、植物は増える。そして、時がたてばまた草食獣が増える。そうやって自然と言うものはバランスが保たれているんじゃ」
「じゃあ、その肉食獣が減るんじゃなくて、いなくなったら……?」
「草食獣の増加に歯止めがかからなくなり、餌となる植物は急激に減少する。それとともに草食獣も減りはするが、それでも草を食わないわけにはいかん。最悪の場合、植物は食い尽くされ、食べるものがなくなった草食獣も……滅びを迎える」
 レオを脅かそうとするかのように、教授はおどろおどろしい声と表情に変わる。

「じゃ、じゃあ、その研究とやらで、奴らの動きを予想したりできないのかよ」
「そんなものは動物学とか行動学とは言わん。未来予知の類《たぐい》じゃ。同じ人間とて、誰かが次にどんな行動を取るかなど、そう簡単には読めまい」
 レオの言葉に、教授は大げさに首を横に振って見せる。
 なお、その未来予知が決して夢物語などではないことを教授は知っている。ただし、まともに使いこなせる人間など、世界中探しても十人いない程度のものであった。

 静寂の中、時間だけが流れてゆく。苦しげな表情のまま考え込んでしまったレオを、教授は何も言わずにただ見守り続ける。

 どれほどの時間がたったか。レオはなんとか、想いを言葉にして絞り出す。
「それでも……やっぱりあいつは、家族の仇なんだ。おれが何かしたって、みんなが帰ってくるわけじゃねえ。だけど、このまま何もしないなんてわけにはいかねえんだ。これから同じようなことが起こるかも知れねえんだったら、何か出来ることがあるんじゃねえか」

「なら、まずは勉強じゃな」
「うぐっ!?」
 思わぬ教授の反撃に、うめき声を上げるレオ。

「勉強って、戦うのにそんなもんが必要なのか?」
「さっきも言ったじゃろう。戦いの上で、敵を知ることは極めて重要じゃ。格上の相手にぶっつけ本番で挑んでも、勝ち目は薄いぞ」
「ううう……」
 確かに、教授の言うことは正論だった。

「まあ、お主が新たに見つける、という道もあるかもしれんな」
「見つけるって、何をだよ?」
「レマルゴサウルスはこれまで危険視されてきた存在であり、それゆえに多くの研究が行われ、多数の成果が世に送り出されてきた。それでもまだ、奴らのすべてを理解できたとはとても言えぬ。お主が研究を重ね、これまで誰も考えたことのなかった新たな対策を生み出す、という可能性もありえん話ではないぞ」
「おれが……?」
「あと、戦闘訓練ならこの学院でもやっておる。卒業生には、国軍や傭兵隊に入った者もおるぞ。単身レマルゴサウルスに戦いを挑むのはお勧めせんが、鍛えておくに越した事はあるまい」
「も、もちろん、そのつもりだぜ」
「お主ならば……いや、あ奴に剣の師匠などというものが務まるとも思えんか」
「な、何だ?」
「いや、何でもない」
 一瞬考え込んだ教授だったが、すぐに渋い顔で首を振る。

「とにかくじゃ、今すぐに決める必要はないぞ。三年間をかけて、ここで将来のことを考えるのもよかろう。なぁに、ここの生徒とて、そこまでしっかりと未来を見据えているものなど、そうはおらん」
「いいのかよ……教授がそんな事言っちまって」
 さすがにこの発言には、レオも呆れた顔になる。

「退学したくなれば、いつでも辞めることはできる。まずは少しの間でも、ここで自分に何ができるか、見極めてみるのもいいのではないかのう」
「そのことなんだが、もしおれがやめたら、次に入ってくる奴はどうやって選ばれるんだ?」
「普通は、入学試験で次点だった者が、繰り上がりになるはずじゃ」
「……そうか」
 悲しげな様子でレオはポツリとつぶやいた。

「ふむ……」
 そんなレオの様子を、顎に手をやりつつ教授はじっと見つめ続ける。

「な、何だよ……おれの顔がどうかしたのかよ」
 心の底までも見透かされているような気がして、レオは思わず悪態を付いた。

「それにおれは、孤児院からの推薦とかで入ったはずなんだが」
「孤児院というか、院長からの推薦じゃな。この学院の理事も兼ねておる」
「そうなのか……」
「何じゃ、知らなかったのか。それで、誰か推薦したい者でも、他におるのか?」
「ああ……うん」
 何やら悩んでいるかのような口ぶりて、歯切れ悪くレオは答える。
「とはいえのう、推薦した人間がすぐ辞めて、それじゃあ次を推薦してくれ、などという話があると思うか?」
「ううっ……」
 教授の話ももっともだ。レオの表情は、さらに暗く落ち込んでゆく。

「しかしのう、わしとて、伊達に教授などやっているわけじゃないぞ。本当に教えが必要な人材がいたなら、一人や二人、定員を超えて引き込むことも不可能ではない」
 そんなことを真顔でのたまう教授を、呆れ顔で眺めていたレオであったが、すぐにその表情が引き締まる。

 そして、少年は意を決したかのように教授に顔を向け、早口でまくし立て始めた。
「もしできるんだったら、孤児院にいた奴を一人、俺の代わりに入れてやってくれないか!? 俺なんかよりずっと頭もいいし、あいつがここで学んだほうがよっぽど……!」
「入学早々にそれを言うのか。それならなぜ、お主はこの学院に来たのじゃ」
「それは……っ!」
 口ごもってしまったレオに、答えを強いることもなく、教授は質問を重ねる。

「それに、お主が代わりに身を引く必要はあるのか?」
「……俺の学費だって、ただじゃねえんだ。孤児院から援助してもらっているんだが、さすがに二人分の余裕なんて、ないんじゃねえか」

「ふむ。金の話か」
「お、おい、もうちょっと言い方ってもんが」
 レオの抗議の声は、唐突に途切れる。
 教授が不意に笑みを浮かべたからだ。それも、ただの笑みではない。
 レオは、孤児院にあった小さい子供向けの絵本を思い出した。そこにいた同い年の少女が、よく読み聞かせをやっていたのだ。
 それはまるで、獲物を見付けた悪いオオカミのようだった。

「学費が足りぬというなら、まずは少しでも自力で稼いでみる気はないか?」
「な、何をさせる気だよ……?」
 えもいわれぬ不安を覚えたレオの問いには答えず、椅子から立ち上がると教授は、少年を導くように部屋の外へと向かった。
 そしてレオは、しぶしぶながらもそれについて行くしかなかったのである。

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