其の七
「不様な! いったい何をしているのかっ!」
馬上でクレメンス将軍が歯ぎしりまじりに吐き捨てるのも無理はなかった。
兵の数で千人も上回っているというのに、三騎士団を蹴散らして女王のいる本陣に殺到するどころか、戦端が開かれて半刻が経った今でも湿地帯付近に押し止められ、まったく先に進めないでいるのだから。
フランソワーズやヒルデガルドが目論んだとおり、湿地帯は通り抜けた同盟軍の兵士と馬双方の体力を消耗させていた。
ゆっくりと進めばまた違ったのかもしれないが、攻め急ぐあまり全力で駆けたため、抜け出たときにはすでに肩で息をするまで消耗していたのだ。
そこに気力体力十分の三騎士団が攻めかかってきた。
ただでさえ兵士個々の技量が劣るというのに、馬上で身体を支える脚にも、それどころか剣や槍をふるう腕にも力が入らないときては、いくら千人の兵力差があっても防戦一方に追いこまれるのは必然というものであろう。
むしろそれを考えれば、その場に踏みとどまって抗戦しているだけでも同盟軍は善戦していたともいえるが、クレメンス将軍にしてみればなんの慰めにもならない。
女王軍を撃ち破り、女王の首を獲ることがこの戦いの目的であって、善戦することに何の意味もないのだから。
一方、女王軍である。こちらは同盟軍とは異なる理由で「防戦」に撤していた。
三騎士団の騎士たちは皆、戦いの技量と経験ともに同盟軍兵士を上回り、事実、戦場の各所で悲鳴と血煙をあげて地面に倒れていくのは圧倒的に同盟軍の兵士であったが、それでも三騎士団の騎士たちは、攻勢に出ることもなければ引いた敵を追うこともなく、持ち場にとどまったまま戦力と体力の温存につとめていた。
例外的に戦場を駆け回っていたのは、遊撃兵として得意の弓術を駆使し、同盟軍の兵士たちを右に左にと狙い撃ちにしていたペトランセルくらいである。
彼らは待っていたのだ。全面攻勢の号令が下るのを。
そして、その時はほどなく訪れた。
同盟軍の最後尾を守っていた兵士の一部が、後方の闇夜に揺らめく光点の群に気づいたのだ。
それが松明の灯火であることに気づくと兵士たちは飛びあがらんばかりに仰天し、すぐさま指揮官たるクレメンス将軍のもとに駆け向かった。
「クレメンス将軍! 後方より敵の軍勢が迫ってきております。おそらくは反対側の湖畔を攻め上がってきた敵の分隊と思われます!」
兵士たちの迅速な対応と報告は、指揮官の不快げな一喝によって報われた。
「寝ぼけたことを言うな! 陽の出ている日中ならいざ知らず、この闇夜の中、こんなに早く湖畔を迂回してこれるはずがないだろう!」
クレメンス将軍の認識はある意味で正しく、ある意味で間違っていた。
たしかに常人であればこの闇夜の中、短時間の内に数百もの軍勢を率いて湖畔を迂回させるのは不可能であろう。
だが女王軍には「フクロウ並に夜目が利く」行軍指揮の名人がいて、その人物であれば可能であったのだ。
そのフクロウ並に夜目が利く人間――ガブリエラの愛嬌のある丸い目に同盟軍の最後尾が見えてきた。
距離にして三百メイル(三百メートル)ほどである。
「見えた、敵の殿軍よ!」
すかさずガブリエラは、後背を続く騎士たちに肩越しに叫んだ。
「全騎突入! このまま敵の後背を突き、三騎士団との挟撃戦に入ります!」
言い終えるのと同時にガブリエラは馬体を軽く蹴り、さらに愛馬の速度を上げさせた。
指揮官に遅れまいと、麾下の騎士たちも同様に馬速をあげる。
「ガブリエラ将軍に続けぇーっ!」
五百騎のタイガー騎士団は気勢をあげ、猛然と敵軍勢に向かって疾駆していった。