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其の八

 このとき、一団の先頭を走るガブリエラの両手には、数本の短剣が鋭い光をたたえていた。
 
 手の平大の小型のナイフである。
 
 貴族や騎士の出身である他の騎士団長らとは異なり、農民出の彼女は生まれてこのかた剣や槍を習ったこともなければ振るったこともない。

 そのかわり、山や森で鳥や小動物を獲るために独学で会得した投剣術があった。
 
 その腕前は、宙空をすばやく舞う鳥すら一発で仕留めるほどで、フランソワーズにして「もはや神技の域ね」と言わしめるほどである。
 
 事実、タイガー騎士団の接近を知り、迎撃のために向ってきた同盟軍の隊列の中に先頭を切って飛びこんでいったガブリエラは、互いの距離が十メイルほどにまで達したとき、左右の手をすばやく閃かせたのだ。
 
 その手から放たれた投剣は宙空を一閃し、迫りきた同盟軍兵士の甲冑に隠れていない喉もとを正確に刺しつらぬいた。
 
 にごった悲鳴と血しぶきをあげて馬上から次々と落命していく敵兵の姿に、後方を続く騎士たちから「おおっ!」という驚嘆の声が重なりあがる。
 
 むろん彼らも驚いているばかりではない。

 指揮官に負けまいと馬速をあげ、剣や槍を振って迫りきた敵兵を次々に斬りたて、つらぬき、たちどころに同盟軍の殿軍を突き崩していった。
 
 同時分。湿地帯の向こう側で起きた混乱は、すぐに女王軍の知るところとなった。
 
 敵に生じた混乱をいち早く察知したヒルデガルドは、湿地帯の方角に視線を投げながら破顔した。

「ガブリエラが来たのね!」
 
 さすがに速いわ、と胸の内でつぶやくと、手にするサーベルを頭上に突き上げながら周囲の騎士たちに向かって声高に叫んだ。

「全騎に申し渡します! これより全面攻勢に移ります。タイガー騎士団との挟撃戦に入り、敵の軍勢を掃討します!」
 
 次の瞬間、戦場に二種類の声が響いた。「おおーっ!」という気勢と「わわっ!」という悲鳴とがである。

 それまで時間稼ぎのための戦いに撤していた女王軍が一転、猛然と同盟軍に襲いかかったのだ。
 
 もともと戦いの経験と技量で勝る彼らである。
 
 予測を超える速さで挟み撃ちを受けて陣形や指揮系統が混乱しているところに、全力で攻めこまれたら同盟軍の兵士に抗する術はなかった。
 
 どう戦えばいいかわからず、右往左往しているところを一刀のもとに甲を断たれ、頭を砕かれ、首を刎ねとばされ、馬上から突き落とされ、噴血をまきちらしながら次々と甲冑をまとった肉塊と化していった。  
 こうなると、さすがにもはや勝ち目なしと悟ったのだろう。
 
 一部の騎兵たちはたちどころに馬首をめぐらし、それを見た麾下の歩兵たちは慌てふためきながら踵を返し、戦いを勝手に放棄して、それぞれ闇夜の中をちりぢりになりながら逃亡していったのである。
 
 フランソワーズが看破したとおり、まさに烏合の軍勢であったのだ。
 
 一方、兵士らが逃亡しだしたことを伝え聞いたクレメンス将軍を目玉をむいて仰天し、

「ば、馬鹿者! 逃げるな、踏み止まって戦えっ!」
 
 血相をかえてそう怒鳴ってみせたところで、喚声と悲鳴とが交錯する戦場にあっては聞こえるものではない。

 もっとも、聞こえたところで引き返してくる者はいなかったであろうが。
 
 この時点でなお決死の覚悟で戦っていたのは、将軍の護衛をつとめる直属の部下百騎余であったのだが、クレメンス将軍はそのことに気づいていない。
 
 気づいていたのは部下たちのほうで、口々に戦場からの撤退を指揮官に進言した。

「閣下、もはやこの戦に勝ち目はございませぬ。ここはすみやかにブルーク城にまで撤退すべきかと存じます!」

「左様! 城内には三百の兵士にくわえ武器も食糧も十分にございますれば、ここはひとつ籠城し、国都からの援軍の到着を待つのが吉かと!」
 
 部下の進言を受け容れるだけの理性が、まだクレメンス将軍には残っていた。
 
 うなり、悔しがり、歯がみしつつクレメンス将軍は撤退の命令を下すと、自らも護衛の騎兵らに守られながら湿地帯に広がる闇中に消えていったのである。
 
 そんな一団の逃げゆく姿を、フェニックス騎士団に所属する騎士の一人が偶然見とがめ、すぐさま指揮官たるヒルデガルドに報告した。
 
 その一報にヒルデガルドは追撃の指示を下すと、あわせてフランソワーズのいる本陣に伝令の騎士を走らせた。

「おそれながら女王陛下にご報告申しあげます。敵はわが軍の挟撃の前に戦場から逃走いたしました。お味方、大勝利にございます!」
 
 伝令の騎士の報告に、ランマルを含め本陣に詰めていた兵士たちから歓声があがった。
 
 その中にあってただ一人。サーベルの剣環に手をおいたまま無言を保っていたフランソワーズは、やや間をおいてから伝令の騎士に問うた。

「それで、敵主将クレメンス将軍はどうしました?」

「はっ、残念ながら討ち漏らしたとのことにございます。おそらくはこの闇夜に乗じてブルーク城に逃走したものと思われます」
 
 すでにヒルデガルドが追撃の準備をしていることを騎士が告げると、フランソワーズは微笑まじりにそれを制した。

「追撃は無用とヒルデガルド将軍に伝えなさい。もはや敗軍の将などに用はありません」
 
 そうフランソワーズは笑い捨て、続けて命じた。

「四騎士団長に通達。敵兵の残存を掃討したのち、この本陣に集結するようにと。それをもって本作戦の終了とします」
 
 伝令の騎士が天幕内から駆け出ていったのをみはからい、ランマルがはずんだ声をフランソワーズに向けた。

「うまくいきましたね、陛下」

「当然じゃない。誰が作戦を考えたと思っているのよ」
 
 フランソワーズは得意顔で胸をそらし、表情そのままの語調で続けた。

「一戦して敵の力量を探り、その出鼻をくじくという当初の目的は果たしたわ。あとは国都への征路につくのみよ。ランマル、その準備を整えておきなさい」

「かしこまりました。しかし、主将たるクレメンス将軍を討ち漏らしたのは残念でしたね。どうやらブルーク城に逃げこんだようですし。かの将軍が健在なうちは城を放って進軍させるわけにもいきませんし……」
 
 もはや敗残兵など放っておいてもいいだろうが、進軍した後、後背でちょこまか蠢動されてはなにかと厄介である。
 
 ここは城をきっちりと陥《おと》して後背の憂いを断ちたいところだが、敵の大将たるクレメンス将軍が健在であるかぎり、やすやすと城が陥ちるとも思えない。
 
 そうランマルが懸念を漏らすと、フランソワーズはなにやら含みのある笑みを浮かべ、

「心配ないわ。私にちゃんと考えがあるから」

「お考えがあると?」

「そうよ。数日のうちにもブルーク城はわが軍のものとなり、ついでにクレメンス将軍の生首とも対面することになるでしょうね。それも味方の血を一滴も流さずにね」
 
 わずかな沈黙をおいてから、ランマルはうやうやしく低頭してみせた。

 根拠のない大言を吐く主君をもった憶えなど、彼にはなかったのだ。

 事実、フランソワーズの「予言」は、これより五日後に現実のものとなったのである。



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