其の九
「あれがブルーク城ですか……話に聞いていた以上の要害ですね」
遠眼鏡を覗きこみながらランマルは、慨嘆めいた声を漏らした。
ランマルが遠眼鏡越しに望む先には一つの城があった。この地における同盟軍の本拠ブルーク城である。
あのウェミール湖での夜戦終了後。湖畔に設けた本陣で丸一日休息をとると、フランソワーズは敗走したクレメンス将軍らが立てこもるこのブルーク城へと進軍させた。
そのブルーク城は、四方を遠方まで見はるかすことができる高い丘陵の上に建ち、周囲を灌木の繁みに囲まれているまさに要害で、攻略は不可能ではないものの容易でもないようにランマルには思われた。
それだけに、先日フランソワーズが夜戦終了後に口にした、
「近いうちにブルーク城はわが軍のものとなり、クレメンス将軍の生首とも対面することになるでしょうね。それも味方の血を一滴も流さずにね」
という自信にあふれた言葉の根拠がどこにあるのか、ランマルには把握できずにいた。
くわえてランマルの不安はそれだけではない。
湖での戦いでまさかの(と彼らは考える)大敗北を被った同盟軍は、難攻不落とも言われるブルーク城に立て籠もったが、その狙いが国都からの援軍にあることは明白である。
彼らにしてみれば、城内には食糧もある。井戸もあって水にも不足しない。
となれば、後はひたすら引き籠もって援軍の到着を待てばいいというわけである。
このまま包囲するだけで時間を費やしていれば、いずれ国都から駆けつけてくるであろう援軍と挟み撃ちにされるのではないか。それをランマルは危惧していたのである。
そんな側近の不安な心情を感じとったのか。
傍らで同じように城の遠景を眺めていたフランソワーズは愉快そうに微笑し、
「あいかわらず心配性ね、お前は。まあ見てなさいって。それよりもペティを呼んでちょうだい」
「ペトランセル将軍をですか?」
「そうよ。彼女に頼みたいことがあるからね」
それからほどなくして、甲冑姿のペトランセルがフランソワーズの宿営にやってきた。
「お召しにより参上いたしました、陛下」
片膝をついてかしこまるペトランセルを椅子に座らせると、フランソワーズは話を切り出した。
「そなたを呼んだのはほかでもないわ。コレを城の中に矢で投入してもらいたの」
そう言ってフランソワーズがペトランセルに手渡したのは、一枚の紙片であった。
そこに書かれてあった文面を目にしたとき、ペトランセルは軽く目をみはった。
「これは……?」
「わかるわね? これを大量に城内へ投入してくれるかしら。そなたの弓の技量であれば、城を守る矢手の射程外からも投入することは可能のはず」
「むろんにございます。では早速……」
うやうやしい一礼を残して、ペトランセルは宿営から出ていった。
「フフフ。あとは城内にいる不満分子たちが餌に喰いつくのを待つばかりね」
同時分。ブルーク城内では城主であり司令官であるクレメンス将軍が、城の大広間に幕僚だけではなく下級兵士らも集めて熱弁をふるっていた。
「この城は天然の要害。悪辣な女王軍の兵士どもがいかなる小細工を弄しようとも、決して侵すことなどできぬ。すでに国都への使者は出した。近日のうちにも救援軍が派遣されてこよう。今は固く城を閉ざして籠城し、国都からの援軍を待つのだ!」
将軍の檄に、幕僚や兵士たちは「閣下の言うとおりだ!」「王侯同盟、万歳!」と口々に気勢をあげたが、むろんすべての将兵がクレメンス将軍らと意志を等しくしているわけでもなかった。
「何が籠城だよ。こちとら、あんたらと違って好き好んで女王に弓引いたわけじゃないんだよ。勝てばいいが、もし万が一にでも負けたら、王家に弓引いた賊兵として処罰されるんだぜ」
秘かにそうつぶやく者もいたが、かといって城を捨てる者はいなかった。
城内ではいまだに戦意と憎悪をたぎらせている者のほうが多かったし、なにより城外には女王軍が十重二十重の包囲陣を強いている。
下級兵士として否応なく戦いに駆り出された身とはいえ、すでに湖畔での戦いで女王に刃を向けてしまった。
気性の激しいことで知られる女王のこと。今さら投降しても許してもらえるとは到底思えない。
ゆえに末端の兵士たちは、なかば絶望しながら城に籠もっていたのである。