其の十
一方、大広間での演説を終えたクレメンス将軍は、城内の一室に幕僚たちを呼び集めた。
今後の具体的な行動計画を話し合うためであるが、そうは言っても国都から援軍が到着するまで城にじっと籠もる以外、彼らにできることはないのだが。
それはともかく、席に着いた幕僚の中には戦況不利と見るやさっさと戦場から逃げだしていった者の顔がちらほらあり、クレメンス将軍としては「勝手に戦場から逃げだしよって!」と、一発二発その顔を殴りつけてやりたい衝動に駆られたが、すんでのところで自制した。
なんといっても彼らは直接の部下ではなく、同盟に参画した大貴族お抱えの将軍であり、なにより女王軍に城を包囲されている今、自軍内に不必要な不和を生じさせることはできないと、クレメンス将軍は怒りをぐっと堪えたのである。
「先ほども言ったが、この城は難攻不落の要害。女王軍とてむやみに攻撃してくることはできぬ。われわれはただ国都から増援を待っていればよいのだ。その時こそ女王に目にものを見せてやろうぞ」
賛同の声が場に連鎖した。
「閣下の申されるとおりだ。われわれはまだ負けてはおらぬ。戦いはまだまだこれからだ!」
「さよう。国都からの援軍さえ来れば、次の戦いで敗北の苦汁にまみれるのは女王軍のほうぞ!」
「固く城を守って味方の援軍を待つ。これぞ籠城策の極意なり!」
室内に戦意高揚の気勢と女王への罵詈雑言が飛び交っていると、部屋の扉が慌ただしく叩かれ、直後、クレメンス将軍の副官を務める騎士がなにやら狼狽した様子で部屋に入ってきた。
「閣下、大変でございます!」
「どうした、何があった?」
「はっ。じつは女王軍から、このような矢文が城の中に大量に投入されていることがわかりました」
そう言って副官の騎士が手渡したのは一枚の紙片である。
クレメンス将軍がそれを広げてみると、紙上には「武器を捨てて投降すれば命を助ける」とか「クレメンス将軍らの首を獲った者には、金貨百枚の報奨金を与える」などといった、城内の兵士の投降と反乱を誘う「殺し文句」がずらずらと書かれてあった。
「調べてみたところ、投入された時間はわかりませんが、ともかく発見できただけでも百通以上。おそらくは城内にいる大部分の兵士が、すでに矢文の内容を知っている可能性がございます。いかが……」
副官の騎士は最後まで言い終えることができなかった。
説明の途中で、突然、クレメンス将軍が大声で笑いだしたのである。
「ガッハッハ! あの女王め。われらの籠城に焦るあまり、このような小細工を弄してきおったわ!」
クレメンス将軍の反応にポカンとする副官の耳に、今度は矢文に目を通した幕僚たちの嘲り声が響いてきた。
「まったくですな。このブルーク城という地の利を得ている上、近日中にも国都から援軍がやってくる。これだけ有利な状況にある中、わが軍から離反する兵士が出るはずもない」
「さよう。われわれはただこの城の中にいるだけで、確実な勝利を得られるのですからな。これほど無駄な小細工もない」
「策士、策に溺れる。女王の浅慮、ここに極まれり!」
嘲り笑う将軍たちに副官の騎士がますますポカンとしていると、ふたたび扉を叩く音がした。
前後して姿を見せたのは、ワインのボトルとグラスを載せた台車を押す、十人ほどの配膳係の兵士たちであった。
内、彼らの長らしき兵士が一人、クレメンス将軍の傍らにやってきて、敬礼後に声を発した。
「ご歓談中、失礼いたします。ご所望のワインをお持ちいたしました」
「うん? 誰ぞ、ワインを持ってくるように命じたのか?」
クレメンス将軍はいならぶ幕僚たちを見まわしたが、その幕僚たちも互いの顔を見交わしていた。
副官の騎士も含めて、どうやら誰も心当たりがないらしい。
「これは失礼いたしました。こちらの手違いでございましたか」
兵士たちが一礼して去ろうとすると、クレメンス将軍がそれを呼び止めた。
「いや、よい。ちょうど一杯やりたい気分であったところだ。入ってくるがよい」
「はっ、では失礼いたします」
兵士長の男の指示で、配膳係の兵士たちはクレメンス将軍や幕僚たちの前に手際よくグラスを置き並べ、赤ワインをそれらに注いでまわった。
やがてグラスを手にとったクレメンス将軍が、それを眼前に掲げた。
「では皆の者。来たるべき女王軍との再戦とその勝利を期して……乾杯!」
「乾杯!」
幕僚たちも同じようにグラスを眼前に掲げると、中のワインを揚々と干した。
彼らの身に「異変」が生じたのは、それからまもなくのことである。