其の十一
「……な、なんだぁ?」
それは突然であった。
クレメンス将軍が手にするグラスを床に落とし、かと思うと将軍自身も膝から床に崩れおち、たちどころに声をあげて苦しみだしたのである。
否、それは将軍だけのことではなかった。
場にいるすべての幕僚たちが床に倒れ、うめき声をあげながら苦しみだしたのだ。
突然の異常事態に、だがワインを運んできた配膳係の兵士たちは、そんな将軍たちの姿を動じることなく黙して見つめていた。
やがて長を勤める兵士が、足下で悶え苦しむクレメンス将軍に静かな声を向けた。
「おそれながら将軍閣下。われわれは思うところあって、女王軍に投降することを決意いたしました。そのためにも諸将の方々の首が手土産として必要なのです。どうかお許しください」
「き、貴様……ま、まさかワインに毒を……!」
クレメンス将軍の問いに兵士は小さくうなずくと、ゆっくりと片手をあげた。
それを端に、周囲の部下たちがいっせいに腰の短剣を抜いた。
これから何をする気なのか明白であった。
血の気を失った顔で、クレメンス将軍が呪詛の声をはりあげた。
「き、貴様らぁぁぁ……!」
「それでは御免つかまつる……殺れ!」
兵士長の合図をうけて、部下の兵士たちは手にする剣を、苦しみもがく将軍たちの頭上に振り落としていった……。
†
それは城を包囲して四日目の朝のことであった。
「へ、陛下! あれをご覧ください!」
熱心にも朝早くから城側の動きを遠眼鏡で窺っていたランマルが、ふいに声を高くさせた。
それまで固く閉ざされていた城の正門が、にわかに開きだしたのである。
すわ出撃かと、ざわめく女王軍の兵士らが見守る中、やがて中からは同盟軍の兵士と思われる男たちがぞろぞろと歩き出てきた。
全員、麻作りの平服姿で甲冑は身に着けておらず、剣や槍で武装もしていない。
そのかわり手にしていたのは、純白の布を先端にくくりつけた棒――白旗であった。
ランマルは遠眼鏡から目をはずすと、傍らに立つフランソワーズに声を向けた。
「陛下、あれは白旗ではありませんか?」
「まあ、赤い旗には見えないわねえ」
そう冗談めかして応じると、フランソワーズも自前の遠眼鏡を覗きこんだ。
悦に入った声がその口から漏れたのは直後のことである。
「それよりランマル。先頭を歩く男が手にしている物を見てごらん。なんだか面白そうな物を持っているわよ」
「は? 面白そうな物……ですか?」
そう言われてふたたびランマルは遠眼鏡を覗きこんだ。
そして、一団の先頭を歩く男が頭上高く腕に掲げている物を遠眼鏡越しに視認したとき、ランマルはギョッと目玉をむいた。
それも当然であろう。
男が両腕に抱え上げていたのは首から切断された人間の首――クレメンス将軍の生首であったのだ。
それ以外にも、数人の男たちがそれぞれの手に、見憶えのある幕僚たちの生首を抱え上げていた。
「へ、陛下。あれは首です、クレメンス将軍の生首です!」
動揺にひび割れた側近の声をうけて、後背に立つフランソワーズは薄く笑ったものである。
「言ったでしょう。味方の血を一滴も流すことなく城は落とせるってね」
「は、はあ……」
「さてと、それでは入城するとしますかねえ。野営もさすがに飽きてきたし、そろそろ厚いベッドの上で眠りたいわ。あ、そうそう。ランマル、至急カナン城に早馬を送りなさい。城を守るグレーザー男爵の兵士たちに、可能なかぎり早く城内の物資をまとめて、このブルーク城に移す準備をしなさいとね」
そう言うなりすたすたと歩きだしたフランソワーズの背中を、ランマルはしばし呆然と見つめていたのだが、やがて我に返ると慌ててその後を追っていった。
かくしてブルーク城は、女王軍の手に落ちたのである。
ウェミール湖畔で戦端が開いてから六日目のことであった。