其の一
女王軍がブルーク城を占領した日から、この日で十日余りが過ぎていた。
この間、両軍交戦するどころか、ただの一度も接触することすらなく平穏な時間が流れていたのは、両陣営の内部事情によるところが大きい。
ウェミール湖でまさかの(と彼らは考える)敗北を喫した王侯同盟は、ブルーク城に籠もる味方に援軍を送ろうとした矢先、そのブルーク城が女王軍に乗っ取られたばかりか、クレメンス将軍をはじめとする幹部将兵らが一人残らず討ち死にしたという一報に激しく動揺。
近日のうちにも国都に進軍してくるであろう女王軍への対応に、ああでもないこうでもないと、王城に籠もって結論のでない議論を延々と続けるなど混迷を極めていた。
他方、勝利した女王軍も、新たな軍勢の拠点と定めたブルーク城にすべての兵力と物資を集約するため、西方のカナン城に貯め置いている物資を運び移すために全軍の半分以上を投入していたため、国都に進軍する余裕はなかったのだ。
そんな一日の夜。ブルーク城内の廊下を歩いていたランマルは、その一角でヒルデガルドに呼び止められた。
前線とはいえ、城の中ということもあってヒルデガルドは甲冑姿ではなく、すらりとした細身の身体を上はフリルのついた薄手の白いブラウス、下は黒革のズボンに膝近くまであるロングブーツという軽装でつつんでいた。
美しい光沢のある長い黒髪は束ねられることなく解放されていて、背中の上で軽く揺れている。
まさに「男装の麗人」という言葉がぴたりとくる姿で、腰に吊したサーベルが、これまたその装いに絶妙のアクセントをもたらしている。
できればドレス姿も一度、お目にかかってみたいものだとランマルは思った。
「ランマル卿。今、ちょっといいかしら?」
「何事でしょうか、ヒルデガルド将軍?」
そうランマルは訊ね返したものの、ヒルデガルドが何を訊きたいのかおよその見当はつく。
案の定、入城して以来、まるで動こうとしないフランソワーズについてであった。
「陛下は何をお考えなのかしら。この城に入ってもう十日。カナン城からの物資の搬入も終えているというのに、ただの一度も軍議を開こうとされないし……あなた、何かご存じではない?」
「それが私にもまったく……とにかく何を訊いても上の空といいますか、空返事ばかりで要領を得ないのです」
「やはり陛下は、国都での決戦をためらっておいでなのかしら?」
「まあ、常識で考えれば当然かと。どう戦っても被害が大きすぎます」
「かといって、彼らが降伏勧告に応じるとは思えないわ」
「同感です。あの勧告文の内容では、とうてい期待薄かと」
じつのところ、ブルーク城に入城してまもなく、ヒルデガルドらの強い勧めもあってフランソワーズは王城に使者を送り、同盟側に降伏を勧告していたのである。
無益な戦いが避けられるならそれに越したことはない、というランマルたちの進言を素直に受け容れ、フランソワーズ自ら筆をとったのだが、問題は彼らに送った勧告文の内容であった。
それというのもフランソワーズが提示した降伏の条件というのが、
「謀反に与した貴族は全員、爵位は剥奪、領地も没収。騎士は騎士号を剥奪のうえ平民に。財産は残してやるけど、その額は全財産の一厘ね」
という厳格なものであったので、ランマルなどに言わせると「これでは降伏するなと言っているようなものでしょうが」ということになる。
「これでは当分、この状況が続くわね」というヒルデガルドのため息まじりの見解にランマルもまったく同意見であったが、その状況に変化が生じたのは翌日の昼のことであった。
正午までもう少しという時分に、ブルーク城に急報がもたらされたのだ。
斥候からの情報によれば、ダイトン将軍率いる同盟軍が王城を進発し、そればかりか国都をも出て、女王軍に決戦を挑もうとしているというのである。
昼過ぎに招集された軍議の席で、そのことを知らされたランマルやヒルデガルドら四将軍は、その一報に心底驚かずにはいられなかったが、その一報を告げたフランソワーズはというと、とくに驚いている様子は見られなかった。
否、それどころか愉悦の色が目もと口もとに見え隠れしている表情は、「してやったり」といった顔つきである。
(さてはこの女王様。何かやりやがったな?)
動物的直感でそのことを察したランマルは、フランソワーズに質した。
「もしかして、陛下が秘かに何か手をお打たれになられたのでは?」
「まあね。ちょっと古典的な方法だけど、連中には効果があったようね」
というフランソワーズの口調と顔つきは、戦略家というよりはちょっとした賭け事に勝ちをおさめた賭博師のものだった。