其の五
「宰相殿。私が国民に求めているものは声望ではありません。この女王フランソワーズ一世に対する絶対的な服従心です」
「ですが……」
「それに今、あなたは情けをかけろと言いましたが、私はすでに一度、不平農民たちの蜂起を不問に付しました。宰相殿はそのことをお忘れになったのですか?」
「……いいえ、憶えております」
「それはけっこう」
まるで嘲るかのような薄笑いを浮かべて、フランソワーズがさらに続ける。
「ともかく、恩知らずにして身のほど知らずの農民たちに、二度もかける情けなど私にはありませんわ。そしてそれは、なにも農民にかぎった話ではありませんことよ」
そう言ってフランソワーズは、カルマン大公をはじめとする参列者たちを舐めるように見まわした。否、睨みまわした。
敵対する者は誰であろうと容赦しないわよ。彼らに向けられたその目はそう主張していた。
さすがに参列者たちもそのことを察したらしい。
おもわず息を呑む者もいれば、うそ寒そうに首をすくめる者もいる。
意味もなく広間の宙空に視線を泳がせる者もいれば、顔から血色を失わせている者もいる。
むろん、そのほとんどは先の内戦でフランソワーズと敵対した人々であったが、中には最初から女王陣営に与している者もいた。
女王の苛烈な性格を知っているだけに、先の発言が他人事とは感じられないのだろう。
息苦しさすら感じるわだかまった空気が広間内にたちこめる中、カルマン大公は先の進言後、しばし目を閉じたまま佇立していたが、自身の微妙な立場もあいまってもはや女王を翻意させるのは無理と判断したのだろう。
ふいに目を開けて静かに低頭すると、そのまま一歩退いて列に戻った。
そんなカルマン大公の姿に満足したようにうなずいたフランソワーズは、もはや孤立無援状態のヒルデガルドにじろりとした視線を投げつけ、そして言った。
「いいわね、ヒルダ。今日中に処罰をおこなうのよ」
まさにムチの響きにも似た声で言い放つと、またしてもどよめきかけた参列者たちの機先を制するように「これにて閉会!」と、なかば吠えるように宣言し、自らも階を降りてそのまま広間から足早に出ていった。お側付きの女官たちが慌ててその後を追いかけていく。
ランマルもその後を追って広間を出ようとしたのだが、途中、足を止めて広間の一角をかえりみた。
ガブリエラ、パトリシア、ペトランセルの三将軍が武官の列から進みでてきて、不憫なヒルデガルドに慰めの声をかけている光景が視線の先にあった。
ランマルはひとつため息を漏らすと、ふたたび歩き出して広間を出ていった。
†
「よろしいのですか、陛下。あれではヒルデガルド将軍のお立場がなくなり、あまりにも不憫のような気がしますが……」
そうランマルが遠慮がちに意見したのは、フランソワーズの執務室に戻ってからのことである。
目の前には「不機嫌」という言葉を絵に描いた態で、ソファーにふんぞり返るフランソワーズの姿がある。
女官が運んできたグラスのワインを荒々しく呑み干すと、たたきつけるようにグラスをテーブルにおいてからランマルに向かって吐き捨てた。
「私に無断で勝手に和睦なんかしたヒルダが悪いのよ。ちがうかえ?」
底光りするような目でじろりと睨まれて、ランマルは内心で寒気をおぼえた。
これ以上、なにか余計なことを言えば自分まで「粛正対象者リスト」に名を連ねることになりそうな雰囲気だったので、慌てて「は、はい。おっしゃるとおりです」と追従した。
一方、ワインを呑んで多少高ぶっていた気持ちも落ち着いたのか。
フランソワーズは女官らに着替えをもってくるように命じると、自ら飾っていた宝石をはぎとるようにはずし、さらに着ていたドレスも脱ぎ捨てて下着姿でソファーにどかっと座り直し、ふたたびワインをグビグビとあおりはじめた。
そんな女王の姿に、ランマルは心の底から眉をひそめずにはいられなかった
かりにも一国の女王が、近習とはいえ異性の前で「ブラパン」姿のままワインをあおる。
この異様な光景に、だがランマル以外の人間は誰も異様とは思っていないようだった。
目のやり場に困る――それでいてチラ見している――ランマルなどまるで存在していないかのように、女王は女王で大股開きでワインをあおり、女官たちは女官たちですまし顔で着替えの服を運んでくる。
この場にいるすべての女性から、自分が「オトコ」と見られていないことをランマルは思い知ったのだった。
「それにしても、ほんと、ヒルダにはがっかりさせられたわ。どんな神がかり的な戦術を駆使して不平農民どもを皆殺しにしたのかと楽しみにしていたら、ただ懐柔しただけなんてね。《《どっちらけ》》もいいとこよ」
(み、皆殺しって、あんたねぇ……)
フランソワーズの容赦のない物言いに、ランマルは内心であ然とせずにはいられなかった。
たしかに身のほどを超えた要求を掲げて蜂起した農民たちは許せないが、しかし、それでも彼らはこのオ・ワーリ王国の国民なのである。
その国民を「皆殺しにしろ!」とか平然と口にできるのだから、まったくこの女王様はどういう神経をしているのかね……。
非情で冷厳な言い草を聞いて、ここは主席侍従官という要職にある者として、横暴なスイカップ女王めをたしなめてやろうと決意したランマルは、毅然とした態度で、それでいておそるおそる口を開いた。
「しかしながら陛下。将軍の機転で騎士団にも被害が出ませんでした。女王の軍兵を無益に損ねなかった点は評価されてもよろしいかと思うのですが……」
するとフランソワーズは、またしても目尻をつりあげてランマルを睨みすえ、
「なに寝言を言っているのよ。戦いに犠牲はつきものじゃない。死者が出てこそ戦いというものでしょうが」
(し、死者が出てこそって、あんた……!?)
フランソワーズの非情すぎる言い草に、ランマルはますますあ然となった。
「そりゃあんたは豪華なお城の中で、下着姿でワインなんかをグビグビ呑んでいられる身分だからいいでしょうが、すこしは戦場で命のやりとりをしている兵士のことを考えたらどうなのよ? ねえ、どうなのよ?」
と、横暴非情なスイカップ女王を床に正座させ、小一時間説教してやりたい気分にランマルは駆られたが、しかしそれを実行したら最後、ギロチン台の露と消えるのは明白なのでぐっとこらえて沈黙を守った。
それでも王立学院首席卒のエリート官吏としては反論せずに引き下がるのは癪らしく、ランマルは別の角度からさらに説得をこころみた。
「それに騒動が起きたアダン地方ですが、昨年来の寒波で作物がほぼ壊滅的とか。そこに住む農民たちは日々の食べるパンにも事欠いていると聞きます。そのあたりのことも考慮してあげるべきでは……?」
国民が飢えに苦しんでいると知れば、さしもの女王もさすがに自省して再討伐命令も思い直すはず。
ランマルはそう信じて疑っていなかったのだが、しかし、それが濃縮されたハチミツ並に甘すぎる考えであったことを、この直後、彼は思い知ることとなったのである。
「パンがない? パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの。ちがうかえ?」
「…………」
聞かなかったことにしよう。沈黙で応じたランマルの表情はそう主張していた。
室内にいる女官たちもランマルと同様の判断にいたったらしく、皆、なぜともなく室内の宙空に視線を泳がせたり、意味もなく部屋の中を動きまわったりして「私はなにも聞いていませんよ」的な態度を見せている。
ともかく事ここにいたって、式典時のカルマン大公同様、この女王が一度こうと決めたらなにを言っても無駄であることがしみじみわかったので、ランマルは説得を断念すると職務を理由に執務室を後にした。
そして、ヒルデガルドが帰都の際に同行させた農民の代表者らを処刑し、さらに麾下の騎士団を率いて国都を発ったという報告が、ランマルのもとに伝えられたのは翌朝のことである。
夜が明けるか明けないかの時分に、まるで人目をはばかるようにひっそりと国都を発った彼女の心境がいかなるものであったか。
神ならざる身のランマルには、むろんわかるはずもなかった……。