其の四
いかに相手が農民とはいえ、武装蜂起した集団のもとを自ら訪れる勇気もさることながら、双方に犠牲者をだしたくないという一念から和睦をはかった優しさといい、彼らを説得して降伏に導いた交渉力の高さといい、どれひとつとっても凡人の成せる業ではない。
ヒルデガルドの凜とした気品のある美しさも、農民たちを軟化させた一因であったであろう。
結果として双方に無益な犠牲者を一人としてだすことなく乱を鎮めたのだから、ランマルを含めた参列者たちが感嘆するのも当然かもしれない。
これが鎮圧を命じられたのがダイトン将軍あたりだったら、そのいかつい顔と高慢な態度もあいまって、農民たちの反発と戦闘意欲をさらに刺激して全面衝突は避けられなかっただろうなあと、胸の内でそんなことを考えながらランマルがちらりと玉座に視線を走らせた瞬間、おもわず息を詰まらせてしまった。
それも当然で、さっきまで上機嫌を絵に描いた態だった女王が、いつしか不満分子たちのお株を奪う「シブ面」に様変わりしていたからだ。
事実、しばしの沈黙をはさんでフランソワーズの口から発せられた声は、あきらかに先刻までのものとは異なるものだった。
「ヒルデガルド将軍。どうやらそなたは、私の命令をよく理解していなかったようですわね」
「……は?」
一瞬、ヒルデガルドはハッとしたように顔をあげると、たちまち表情を凍らせた。
どうやら彼女も、フランソワーズの態度が変わったことに気づいたらしい。
困惑の表情を浮かべるヒルデガルドの顔を見つめながら、フランソワーズは語を継いだ。
「私は武力をもって蜂起を鎮圧せよと命じたはずです。なぜなら、そうすることで他の地域の農民たちを牽制し、今後二度と、このような不埒な行動に走らせないためにです。それが一戦も交えずに和睦してしまったら、彼らに変な誤解を与えてしまうのではありませんか。蜂起すれば国は、いや、女王はわれわれの要求を聞き入れてくれると。そうは思いませんか?」
「は、はい。たしかに……」
返答するヒルデガルドの声は小さく低く、元気もすっかりなくなっていた。
それどころか美麗なその顔には翳りのようなものすらあった。女王が心底から時分に対して憤っていることを察したのだ。
そんなヒルデガルドを細めた目で見やりながら、フランソワーズは小さく息を吐きだした。
「まあ、いいでしょう。私のほうも言葉足らずだったかもしれませんし、そなたを責めるつもりもありません」
フランソワーズの言葉に、ランマルは内心で安堵の息を漏らした。
たしかに農民側の要求を受け入れる形となった和睦という手法は、女王の意に反したものだったかもしれないが、結果としてそれが乱を早期に鎮め、犠牲者もださずに収束したのだから、いくら不満があろうと女王としても受け入れるしかないはず。
そうランマルは思ったのだが、この直後、それがとんだ思いちがいであることを知った。
「かわりに、あらためてそなたに命じます!」
にわかに玉座から立ち上がったフランソワーズは、眼下のヒルデガルドに向かってムチの響きにも似た声を投げつけた。
「国都に連れてきたという農民たちの代表者どもを今すぐ処刑し、さらに今一度現地に赴いて、蜂起した農民をことごとく捕らえてきなさい。よろしいわね?」
フランソワーズの語調はごくさりげないものだったが、ランマルを含めた参列者たちの驚愕とどよめきを誘い、その顔を青ざめさせるには十分なものだった。
むろん、ランマルたち以上に青くなったのはヒルデガルドだ。
「し、しかし、それでは農民たちとの約束を反故にすることになります!」
まさかの再討伐命令にさすがのヒルデガルドもたまらずに反駁したが、それに対するフランソワーズの返答は冷厳にして無情を極めた。
「私が約束したわけではないわ」
突き放すように言い放つと、広間内のどよめきがさらに増大した。
そんな広間内の空気など完全に無視し、フランソワーズがさらに言いはなつ。
「わかりましたわね、ヒルデガルド将軍。捕らえた農民たちの首謀者連中は全員磔にして、その首を衆前に晒してやるのよ。今後二度と私に、この女王フランソワーズ一世に不埒な思いを抱かせないためにもね」
「は、はい、承知いたしました……」
フランソワーズの為人をよく知っているだけに、これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
ヒルデガルドはうなだれるように低頭して勅命を受け入れた。
式典の主役の座から一転、まさかの「悲劇のヒロイン」化したヒルデガルドの姿に広間内はしばし参列者たちがつくる重苦しい、それでいてわだかまるような沈黙につつまれていたのだが、ふいに発せられたカルマン大公の声がそれを破った。
「おそれながら陛下に言上申しあげます」
そう発言するなり文官の列から一歩前に進みでたカルマン大公は、玉座のフランソワーズをまっすぐに見すえながら語をつないだ。
「蜂起した農民たちへの怒りはごもっともですが、しかしながら、たとえどういう形にせよ乱が治まった今、軍を派遣してことさら事態を蒸し返すのはいかがなものかと……」
フランソワーズはゆっくりとカルマン大公に視線を転じ、
「再派遣は無益とおっしゃりたいのですか、宰相殿は?」
「はい。それに農民たちに情けをかければ、国内における陛下の名声や評判というものもまた上がるものと存じます。ご不満もおありとは思いますが、ここはなにとぞヒルデガルド将軍の判断を了としていただきたく思います」
その言葉を聞いて、さすがは王族きっての理性と良識の人と評されるカルマン殿下だとランマルは思った。
理と情に富んだその言葉には万人を得心させる力というものがあり、事実、広間内に立ちならぶ参列者たちの間にも賛同のうなずきが連鎖している。
この温情と良識にあふれた正論の前では、いかに「この恨み、晴らさずにおくべきかあ~」がモットーの女王といえど拒否できないはず――とランマルは思ったのだが、王族きっての「感情の人」たるフランソワーズにはまるで通じなかったらしい。
なんとも冷ややかな微笑をたたえて異母兄を見すえると、同様の声音で応じた。