其の三
「フェニックス騎士団長ヒルデガルド将軍、北部アダン地方において武装蜂起した農民の一群を掃討されたし!」
その一報がもたらされると、王城内は二種類の声であふれかえった。
ひとつは、ごく短期間のうちに農民蜂起を鎮圧したヒルデガルド将軍の武才に驚き、その勝利と凱旋に喜び、讃え、心の底から祝う歓喜の声。
もうひとつは、ごく短期間のうちに農民蜂起を鎮圧したヒルデガルド将軍の武才に驚き、その勝利と凱旋に落胆し、嘆き、心の底から残念がる声である。
そんな悲喜こもごもの声が交錯する中、ランマルは凱旋式典のために城内を奔走していた。
配下の侍従官および女官たちを総動員し、カルマン大公やダイトン将軍ら文武の重臣たちに急使を派遣して登城を要請する。
その合間に、城の謁見の間に装飾をほどこさせて参列者を迎える用意をさせるなど、すべての準備が終えた頃には陽も西の方角に大きく傾き、重臣や貴族らが愚痴まじりに息せききって城に駆けつけてきた頃には、すでに夜になっていた。
式典の用意が終えたことを報告をするため、ランマルが女王の部屋を訪れたとき。
そこでは湯浴みを済ませたばかりのフランソワーズが、絹作りのローブ姿でソファーに座りながら、女官たちに濡れた髪の手入れをさせていた。
そんな女王の傍らにまで歩を進めると、ランマルは一礼の後に報告をした。
「式典の準備が整いました、陛下。現在、重臣ならびに貴族の方々、謁見の間に参集しつつございます」
「ずいぶん時間がかかったじゃないの。英才侍従官の名が泣くわよ、ランマル」
「は、はい。申し訳ございません……」
開口一番、慰労の言葉どころか、いきなり欠伸まじりの嫌みが飛んできたのでランマルはむかっ腹を立てたのだが、ローブの胸元からはだけて見える巨大な乳房が目に止まるやいなや、そんな怒気も一瞬にして吹き飛んでしまった。
どうやら人並み外れた巨乳には、怒気や苛立ちといった人間の「負の感情」を鎮める視覚効果があるらしい。
これは機会があれば母校の王立学院あたりに、「研究題材としてどうですか?」と推奨してみるのもいいかもしれない……。
ランマルがそんなことを考えている間にも、フランソワーズの準備も女官たちによって手際よく進められていた。
整髪し、化粧をほどこし、純白のドレスに身をつつみ、指輪をはめ、黄金のティアラを頭上にいただく。
半刻ほどで、たちまち美と気品と威厳を兼ねそなえた女王陛下に変身を遂げたフランソワーズは、女官が差しだした銀杯の冷水を一気に飲み干すとランマルに向き直り、
「さあ、いくわよ、ランマル」
「はっ!」
フランソワーズとランマルは部屋を出て、城の謁見の間に向かった。
†
「フェニックス騎士団長ヒルデガルド将軍!」
進行役の式部官が甲高い声で名を呼ぶと、楽奏隊のラッパの音に呼応するように広間の扉が開き、奥から甲冑姿のヒルデガルドがあらわれた。
甲は着けておらず、露わになっている光沢の美しい長い黒髪が歩を進めるたびに背中で左右に揺れ、それがまたこの女騎士の凜とした美しさをひきたたせていた。
参列者たちのさまざまな感情が入り乱れる中、ヒルデガルドは武人らしくきびきびとした歩調で通り抜けると、階の下にやってきたところでうやうやしく片膝をついた。
その姿を見やりつつ、玉座のフランソワーズが微笑する。
「ヒルデガルド将軍。こたびの蜂起農民の鎮圧、まことに見事です」
「恐れ入ります。ひとえに女王陛下のご威光の賜物にございます」
膝をついたまま低頭するヒルデガルドに、さらにフランソワーズが賞する。
「騎士団長就任間もない身でありながら、ごく短期間の内に蜂起を鎮圧した手腕は見事というほかありません。よくぞ十日余りで乱を鎮めましたね」
間もないとか、短期間とか、十日余りとか、フランソワーズがことさら「時間」を強調しているのは、むろん思惑があってのことである。
ただたんに鎮圧に成功しただけではなく「時間」を強調することで、ヒルデガルドの有能さや功績の凄さ、なによりそんな彼女を抜擢した自分の慧眼というものを参列者に――とくに不満分子たちに――思い知らせようとしているのだ。
実際、それは効果をあらわしていた。
ヒルデガルドを賞揚するフランソワーズの言葉内に、自分たちへの嫌みや皮肉が含まれていることにさすがに気づいたのだろう。
ダイトン将軍やペニシュラン公爵ら反女王派の面々は皆、苦虫を数匹ほどまとめて噛みつぶしたような渋面を浮かべていた。
一方、玉座周辺では、いまだ女王の賞賛が続いていた。
「このフランソワーズ、そなたの武才にはあらためて感心いたしました。現地での戦いにおいてどのような手法をとったのか、ぜひとも教えてもらいたいものですね」
「恐れ入ります。じつは農民たちの説得に成功いたしまして」
「……説得ですって?」
その瞬間、応じた女王の語調がそれまでのものと微妙に、だが確実に変わったことに、参列者中どれだけの人間が気づいたことであろうか。
ランマルはむろん、明敏なヒルデガルドも気づかなかったようで、そのまま語を継いで女王に応じた。
「はい。相手がいかに農民といえど、蜂起した時点で死を覚悟したいわば死兵。正面から激突すれば農民側はむろん、わが騎士団側にも犠牲者がでることは必至。それを避けるため、私が自ら彼らの代表者のもとを訪れて和睦を提案しました。即座に武装解除して降伏すればこちらも攻撃を中止し、蜂起の罪も問わない。また王城での陛下への直訴の機会も与えると伝えたところ、彼らはたちどころに武器を捨てて降伏してきました。以上が現地での顛末にございます」
ヒルデガルドが説明を終えると、たちまち参列者の間に感嘆のざわめきが広がった。