其の二
ランマルが抱いた疑念――。
それは先の戦いで敵対したカルマン大公を処断するどころか、逆に大公や宰相といった高い身分を与えたのも、すべては反女王勢力の動きが顕在化してきたまさに今日のような場合、その種の勢力にカルマン大公を頼らせ、いざというときは彼ともども一掃するするためではなかったのか、ということだ。
そう、まさにカルマン大公を反女王派の「盟主」にすることで、王国内の不満分子を一人残らずあぶりだし、そして根こそぎ絶つために……。
「ちょっと、ランマル。私の話を聞いているの?」
ふいに鼓膜を刺激したその声に、ランマルは慌てて意識と視線をフランソワーズに向けた。
「し、失礼いたしました。何事でございましょうか?」
「だから、現状まだまだ不足っていう話よ」
「不足?」
言葉の意味がわからず目をパチクリさせるランマルに、フランソワーズが続けて言う。
「そうよ。先の人事で権限を剥奪されたことで、さすがに連中も重い腰を上げて行動に出るかと期待していたんだけど、現状は兄上の担ぎ出しに言及した程度。ほんと、どこまで腰抜けなのかしらね、あのタマナシどもは」
「…………」
かりにも一国の君主、否、一人の独身女性らしからぬ物言いにランマルが沈黙を守っていると、それを同意と受け取ったのか、フランソワーズの口からさらに過激な毒が吐きだされた。
「あのタマナシどもを暴発させるには、もっと強力な火種が必要なのよ。それこそ目の色を変えて女王に反旗を翻させるためにはね。そのための策をお前を聞いているのよ」
「おそれながら陛下。何も無理に暴発させる必要はなく、むしろ彼らと融和をはかる道をお考えになられてはどうですか?」
というのがランマルの偽らざる本音なのだが、その種の「まっとう」な意見を女王が望んでいないことがわからないエリート官吏ではない。
女王の意は反女王派の一掃であり、欲しているのはそれを可とする策である以上、融和とか協調とかその種の穏便路線を進言したところで聞き入れるわけがない。
そもそも彼らの方でも女王との間に協調や臣従などまるで考えておらず、頭にあるのは玉座から追いだして、以前の権力と地位を取り戻すことだけ。
ランマルに言わせれば「どっちもどっちだ」ということになる。
ともかく先の即位から一年。
いよいよもってきな臭くなってきた国内情勢にランマルは目が眩む思いであったが、それでもひとつだけ確認しておきたいことがあった。
「わかりました。なにが最良の策なのか自分なりに考えておきます。ただ、その前にひとつ陛下にお訊ねしておきたいことがございます」
「なにかえ?」
「もし……もし万が一にもカルマン殿下が反女王派らに担ぎ出されたときは、陛下はいかがされるのですか?」
そうランマルが問うたとき。フランソワーズは一瞬、形よく整った眉をぴくりと反応させたものの、
「そのときは、兄上に軽挙な行動に加担した責任を取ってもらうしかないわね」
「……それはつまり、死をもって償わせるということでしょうか?」
「そうよ」
と、ティーカップを傾けながら端的に答えるその様には、ためらいや悲壮感のようなものは欠片もなかった。
かくも無情なことを平然と口にできるあたりが、この女王様の真骨頂であろうとランマルは思ったが、一方で、主君ほど神経が太くないランマルはなんと応じていいのかわからず沈黙を守っていると、お側付きの女官が一人、フランソワーズの傍らにやってきた。
「ご歓談中のところ失礼いたします、女王陛下」
「どうしたのかえ?」
「たった今、ヒルデガルド将軍が国都にご帰還されました。将軍におかれましては戦果のご報告をされたいと、陛下への謁見をお求めになられております」
「そう、ヒルダが帰ってきたの……」
女官の報告に、フランソワーズはしばし黙して何事かを考えていたが、
「わかったわ。ヒルダには騎士団の城でしばらく待機するように伝えなさい。こちらから迎えの使者を送るまでね」
「かしこまりました。将軍にはそのようにお伝えいたします」
一礼して女官が去ったのを見計らい、ランマルはフランソワーズに疑問を向けた。
「あの、陛下。ヒルデガルド将軍とすぐにお会いにならないのですか?」
「そうよ。ただ報告をうけるだけじゃ芸がないからね」
「と、申されますと?」
「今度のヒルダによる不平農民どもの早期鎮圧、利用できると思わない? 宮廷内の不満分子どもを牽制するためにね」
真意をはかりそこねたランマルが沈黙していると、なにやら意味ありげな微笑を浮かべながらフランソワーズが語を継いだ。
「つまりこういうことよ。私が将軍に抜擢した人間が不平農民の鎮圧という功績を挙げた。それも二十日余りという短期の内にね。この事実を不満分子どもに突きつけてやるのよ。それも大々的な式典の場でね。そのとき連中は嫌でも思い知るでしょうね。ヒルダたち新任の騎士団長の才幹と、なにより彼女たちを抜擢したこの私の慧眼をね」
「な、なるほど!」
フランソワーズの一語で、ランマルはようやくその真意を察した。
異例の大抜擢をうけた新任の、しかも女性の騎士団長が着任早々、不平農民の討伐という功績をたてた。それも驚異的な早さで。
この額縁付きの「実績」を突きつけられたとき、ダイトン将軍ら不満分子は否応なく思い知ることであろう。
すなわち「小娘ども」と侮っていたヒルデガルド将軍らの武才と、彼女たちを登用した女王の見識双方を、である。
そのとき彼らは女王に対する嫌悪の念はどうあれ、もはや不平の口を閉ざして沈黙せざるをえなくなる。
結果として彼らの内にある「女王打倒」の念が萎むことにつながれば、くすぶり続ける不毛な内乱の火種も消えるかもしれない。
そういう意味でも早期鎮圧に成功したヒルデガルド将軍に、ランマルは本心から感謝せずにはいられなかった。
「たしかにダイトン将軍たちは閉口せざるをえないでしょう。いや陛下のご深慮、恐れ入りました」
フランソワーズはふてぶてしいほど落ち着いた微笑で賛辞を受けとめると、
「ランマル、式の手配はお前に任せたわ。派手なやつを頼むわよ」
「はっ、かしこまりました。今から準備を進めれば、明日の夜には式を執りおこなうことができるでしょう」
「なに言っているのよ。式典は今宵やるのよ」
「はっ、今宵でございますね。しかと承り……えっ!?」
低頭したのも一瞬、ランマルはぎょっとしてフランソワーズに向き直った。
優美と称するに足る態度で紅茶をすする姿がそこにあった。
「こ、今宵と言いますと、つまり、今日の夜という意味でしょうか?」
「辞書を引けばそうでるんじゃない」
そう言って愉快そうにケラケラと笑うフランソワーズに、メラメラと燃えあがる殺意を必死に抑えながらランマルが抗弁する。
「し、しかし、式典ともなりますと宰相をはじめとする重臣や、おもだった貴族らに登城の通知を送らなければなりませんし、その数はゆうに百人を超すわけですからして……」
ようするに「今夜じゃ時間がぜんぜん足りないんだよぉ!」と、ランマルは遠まわしに訴えたのだが、それに対する女王の返答は簡にして要を得て、なにより無責任を極めていた。
「それはお前のほうでなんとかしなさい」
「な、なんとかと申されましても……」
「善は急げと言うでしょう。それに功績をたてたヒルダをいつまでも城で待たせておいたら気の毒じゃないの。ちがうかえ?」
(将軍を待たせるのは気の毒で、僕にムチャを押しつけるのは気の毒じゃないんですか?)
(ええ、気の毒じゃないんですよね。はい、わかってますって)
胸の内で一人問答をする側近に、フランソワーズはあらためて厳命した。
「わかったわね、ランマル。式典は今宵やるのよ」
「は、はい。かしこまりました……」
脱力感全開の態でランマルが応じると、フランソワーズはにこりと笑い、
「じゃあ、頼んだわよ。私はそれまでひと眠りするから。準備ができた頃に起こしてくれればいいわ」
(どうせなら永眠しやがれってんだ、この横暴スイカップめっ!)
胸の中で何度も毒づき、ことのついでに脳裏で女王の横っ面に往復ビンタを十発ほどくらわせてやったランマルは、底知れないむなしさを自覚しながら執務室に戻っていったのである。