其の一
およそ人の世というものは、予期しないことの連続で成り立っている……。
これはまだランマルが王立学院の学生だった当時、先生の一人だった哲学者が口癖のように生徒たちに言っていた言葉である。
奇妙に含蓄のあるその一語を、ランマルは学院を卒業して以来とんと忘れていたのだが、それを久々に思いだすことになったのはこの日の昼のことであった。
この日、ランマルは朝から取りかかっていた城勤めの官吏の人事案をとりまとめ、昼食後をみはからってフランソワーズに報告に向かったのだが、一連の報告を終えた後に紅茶を飲みながら雑談をかわしていた際、ふいにフランソワーズから思いがけない話を向けられたのだ。
「縁談……にございますか?」
「そうよ」
フランソワーズから「じつは縁談の話があるのよ」と唐突に切りだされたとき。ランマルは自分への話かと思って困惑する一方、「また余計なことを」と、内心で苦々しく思わざるをえなかった。
まだ十七歳という若さもあり、すくなくともあと十年は気楽な独身貴族を愉しむことをランマル自身決めていたのだ。
ゆえに突然の縁談話に、声をどもらせながらも言葉を慎重に選びながらやんわりと、かつ遠回しに拒絶したのは当然のことであろう。
「し、しかし、縁談と申されましても僕は、いえ、私はまだ十七歳でありますし、いくらなんでも所帯を持つのは早すぎるのではないかと愚考いたすところでありますからして……」
「なに勘ちがいしているのよ。お前のじゃないわよ、私の縁談話よ」
「あっ、そうでございましたか。陛下のお話で……って、ええっ、陛下のご縁談!?」
目と口で三つの丸を作ったランマルに、フランソワーズはうなずいてみせた。
「そうよ。お前はどう思う?」
「ど、どう思うと言われましても……」
いきなり意見を求められてランマルは激しく戸惑った。
なにしろ自分の縁談話ならともかく、ことはフランソワーズの、つまり一国の女王の縁談話なのである。
いくら側近とはいえ軽々しく私見を述べられる話ではないだけに、ランマルは直接の返答は避けることにした。
「それにしましても陛下。いつの間にそのようなお話を進めておられたのですか? このランマル、すこしも気づきませんでしたが」
「別に進めていたわけじゃないわ。ぜひにと私に話をもってきた人間がいるのよ」
「それは?」
「ミノー王国のドゥーク国王よ」
「えっ、あのミノー国王がですか?」
「そうよ。で、これがその親書。ドゥーク王の勅使とやらが昨日もってきたのよ。ごたいそうな漆塗りの箱に入れてね」
そう言ってフランソワーズは、厚紙に包まれた一通の書簡をテーブルの上に投げた。
今にして振り返れば、昨日、ミノー王家から献上品が届けられたという報告を、部下の侍従官からうけた記憶をランマルは思いだした。
ミノー王国にかぎらず他国から献上品の類が届けられることはよくあることなので、ランマル自身、たいして気にとめていなかったのだが……。
ともかくランマルはテーブルの上の書簡を手に取り、厚紙を開けて中の文面に目を通した。
すると、たしかにそこにはフランソワーズに縁談を勧める文言が、ミノー国王ドゥーク三世の直筆で記されていた。
縁談の相手はドゥーク王の子息の一人アランド第三王子とのことで、書簡にミノー王家と花押と国印まできちんと押されているあたり、どうやら正式な申し入れのようらしい。
それでもランマルの表情に、吉事を喜ぶどころか不安と警戒の色が濃く表れていたのは、申し込んできた当の相手にあろう。
そんな側近の複雑な心情を見てとったのか。フランソワーズは可笑しげに微笑した。
「お前の危惧していることはわかるわ。この縁談話も、彼の国による何かの策謀の一環ではないか。そう疑っているんでしょう?」
心底をあっさり看破されて、ランマルは恐縮した態で低頭した。
「は、はあ……口の端に上せるのもはばかりきことでございますが……」
「気にしなくていいわ。私もお前と同じ思いだから」
「やはり陛下もそう思われますか?」
「あったりまえでしょう。あのミノー国王に善意だの友好だのを期待するほど、私は脳みそにシワのない人間じゃないわよ」
興がったように笑うとフランソワーズはすぐに表情を改め、ランマルに問うた。
「で、まじめな話、お前はこれをどう見る? 思うところを言ってごらん」
そう問われたとき、ランマルの返答はすでに定まっていた。
「ミノー国王の思惑は明白すぎると思われます。すなわち、先王オーギュスト陛下やマレーヌ王太后。さらにはアジュマン・アドニス両王子で失敗したオ・ワーリ王国の間接支配という野心を、巧妙に形を変えて新たに仕掛けてきたにすぎません」
「つまり、今度は自分の息子と私を結婚させることで血縁関係を築き、女王の義父になることでオ・ワーリ王国への影響力を復活させたいとたくらんでいる。そういうことね」
「さようです。ミノー国王にしてみれば尻の青い小娘女王の治世など――いや、これはもちろん向こうの主観ですが、ともかく陛下の治世にいずれつけいる隙がでてくるだろうと踏んでいたのに、先の蜂起農民の早期鎮圧に見られますように、即位一年が経った今でもこれといった隙がない。そこで業を煮やしたミノー国王は縁談という、ともすれば拒絶しにくい友好的な手段に方針転換したものと思われます」
「見え透いている上に使い古された手だけど、それなりに有効な手段だからね」
そう言ってフランソワーズは薄く笑い、手にする紅茶をすすった。ランマルが問う。
「それで陛下は、今度の申し入れに対していかが返答されるおつもりなのですか?」
「そうねえ……」
そう応じたきり、カップからのぼる湯気を見つめながらなにやら思案していたが、
「ミノー国王の狙いが見え透いている以上、こちらもまともに取り合う必要はないんじゃないかしら。そう、『王室内で慎重に検討を重ねた上で、おってご返答いたします』といった感じでいいんじゃない。応否のどちらにも解釈できるような曖昧な内容のね。その後のことは向こうの出方次第で考えればいいわ」
「かしこまりました。では、そのように返答いたします」
ランマルは椅子から立ち上がって一礼すると、そのまま部屋を後にして自分の執務室へと戻っていったのだが、城内の廊下を歩きながらランマルは、あらためて現在のオ・ワーリ王国が「内憂外患」の状況にあることを痛感していた。
内を見ればダイトン将軍ら反女王勢力。外に目を向ければ野心的な異国の王。
立場や思惑はちがえど両者に共通しているのは、隙あらばフランソワーズを玉座から引きずりおろそうと虎視眈々と狙っていることだ。
まかりまちがえば両者が国や立場を超えて共闘し、フランソワーズ打倒のために手を組む可能性もあるだけに、ランマルとしては用心を重ねるにしくはないのである。
そんなことを考えながら廊下の角を曲がろうとしたとき――。