其の四
絨毯を挟んで右側の列に立ち並ぶのは国の重臣やその下で働く文官たちで、そして彼らの先頭に立つのが、王国宰相にしてフランソワーズの異母兄たるカルマン大公だ。
そのカルマン大公は、フランソワーズより四歳年上の二十四歳である。
均整のとれた長身の所有者で、赤みかかった金色の髪と碧眼とで構成されるその容姿は貴公子という表現がぴたりとはまる。
温雅で知的という為人はその風貌からも見てとれ、声望の高さにいたっては女王の上をいくであろう。
そのカルマン大公ら文官が立つ列の反対側には武官の列がある。
騎士団長、憲兵隊長、近衛隊長といった武門の人々であり、その先頭に立つのは王国大将軍の地位にあるダイトン将軍である。
この年五十歳になる中年の騎士で、背はそれほど高くないが全身の肉づきが厚く、真上から見るとほぼ円筒形という奇怪な体型をしている。
豊かな灰色の髭でおおわれた大きな顔はいかめしく、かつ獅子のごとく肉食獣めいていた。
そのダイトン将軍は先々代の王の時代から武人として仕えていることもあって、国内ではオ・ワーリ軍随一の忠将だの名将だの猛将だのと、とにかく高い名声を響かせていたのだが、先の内戦でそれがたんなる「虚像」であることが露呈してしまった。
なにしろ最初に与したアドニス王子には、その名声を信じて主将を任されたにもかかわらず、カルマン軍との戦いでは一度も勝利することなく敗北の連続。「名将」という看板が嘘八百であることがばれてしまった。
それでも敗死したアドニス王子に殉じ、潔く自身も散っていれば「忠将」として格好がついたであろうが、自軍不利と見るや側近らをひきつれてカルマン軍にさっさと寝返る「コウモリ」ぶりを発揮。これまた虚像であることがばれてしまった。
それでもなお、転向したカルマン軍で名誉挽回するだけの蛮勇を見せれば「猛将」の肩書きだけは守れたであろうが、直後に勃発した女王軍との戦いでは、蛮勇を見せるどころか「小娘の軍勢」と鼻で笑っていた女王軍になすすべなく打ちのめされ、あげく生命欲しさに勝手に戦場から離脱し、そのまま自分の領地に逃げこむという醜態をさらす始末。もはや猛将どころか、ただの無能者であることまでばれてしまった。
そんな過去の経緯や因縁もあり、女王への即位後はフランソワーズによって大将軍の職を追われると誰もが思っていたのだが、即位後も変わらず大将軍の地位にとどまっていることに人々は少なからず驚いたものである。ランマルもその一人だ。
主席侍従官として召し抱えられて一月ほどが過ぎたとき。そのことをかねてから不思議に思っていたランマルは、フランソワーズに真意を訊ねたことがあったのだが、
「ダイトン将軍にはまだまだ使い道があったからよ。それだけの話」
と、意味ありげに微笑するだけであった。
(使い道がある? あのコウモリ将軍に? どんなことで?)
フランソワーズの答えに、ランマルは心の底から懐疑的にならずにはいられなかった。
ツラの皮と皮下脂肪だけは人の三倍もあるあの将軍には、おそらく便所の掃除係ですら満足につとまらないだろうに、と……。
「皆の者には急な招集、および登城、まことにご苦労です」
玉座に腰を降ろしたフランソワーズの第一声が広間内に響くと、そこに立ち並ぶ参列者の間に同種の表情が連鎖した。
すなわち「まったくだよ」とでも言いたげな、苦虫を噛みつぶしたような顔がである。
この一点だけでも大半の参列者から、若い女王が全面的な忠誠を得ていないことがうかがい知れたが、当のフランソワーズというと特に表情を変えることなく語を継いだ。
「今日、皆に集まってもらったのは他でもありません。来月に迎える私、オ・ワーリ王国女王フランソワーズ一世の即位一周年を前に、国の文武官人事の刷新をはかりたいと思ったゆえです」
なにげない語調でそうフランソワーズが切りだすと、参列者たちはそれまでの苦々しげな顔つきから一転、たちまち驚きに表情を一変させ、低いどよめきが各自の口から漏れた。
そんな参列者たちの急変した態度をどこか愉しむかのように、フランソワーズはしばし黙して彼らの姿を眺めやっていたが、ふたたびその口を開いた。
「まずは文官の人事ですが、宰相の下に新たに三人の副宰相職を設けます。一人は国の財政面を、一人は国の立法面を、一人は国の人事面をそれぞれ取り仕切ります。これにより現在の宰相の職務負担を減らし、円滑かつ効率的な国政を実現させるのがその狙いです」
フランソワーズが言い終えるのと前後して、先ほどとは比較にならないほどの驚きと困惑のどよめきが広間内に生じた。
期せずして彼らの視線が注がれたのはカルマン大公にであった。
それも当然であろう。
なにしろフランソワーズの新たな決定は、表面的には宰相の負担軽減や円滑な国政のためとうたっているものの、そのじつ、現在宰相が握っているすべての権限を奪い、新たに創設する副宰相職にゆだねるというものなのだから。
これが意味することはひとつ。カルマン大公から宰相としての権力を剥奪し、ただの「お飾り宰相」にするということだ。
参列者たちの視線が彼に注がれたのは、そういう理由からである。
しかし権力を奪われる格好となった当のカルマン大公はというと、ざわめく参列者たちとはことなり、とくに表情も変えることなく玉座の女王を正視していた。
「さて、次は武官人事についてですが……」
というフランソワーズの声に、広間内からはたちどころにざわめきが消え、彼らの視線がふたたび玉座の女王に集中した。
「さきほどの文官人事と同様、こちらも新たな職権を新設いたします。現在、国軍を統べている大将軍の下に新たに四人の副将軍を設け、それにともない王国騎士団を四隊に分割し、四人の副将軍に各団長職を兼務させます。創設理由は言うまでもなく大将軍の職務負担の軽減、および国軍組織の円滑かつ効率的な運用のためです」
「ぶ、分割ですと!?」
フランソワーズが言い終えるのと前後して、吠えるような声が広間内にあがった。
参列者の視線が集中した先には、なにやら血の気を失った顔の発声者――ダイトン将軍の姿がある。
将軍に視線が注がれた理由は、先刻のカルマン大公のものと同種である。
すなわち、現在大将軍としてあらゆる軍権を握るダイトン将軍の手から、権力だけではなく指揮する兵まで剥奪する。そう言っているのだから。
なにしろ国軍の主力たる王国騎士団の指揮権を失うということは、もはやダイトン将軍の手には歩兵しか残らないことを意味する。将軍が血の気をなくすのも道理というわけだ。
もっとも理性の人たるカルマン大公とはことなり、こちらは黙って権力を奪われる気はないようであった。
武官の列から荒々しく一歩前に踏み出すと、玉座の女王を睨みつけるように見あげ、強い髭をふるわせながら反駁した。
「お、お言葉ながら陛下。軍というものは分散させては意味がありません。兵力は集中させてこその兵力ですぞ。指揮権の分散化などもってのほかにございます!」
度しがたい小娘女王めとでも言いたげな、否、あきらかにそう主張する表情が怒りにひきつったいかつい面上にはあったが、その程度のことを意に介するような若き女王ではなかった。
冷ややかすぎる目つきでダイトン将軍を見すえると、同様の声音で言い返したものである。
「兵力の集中が重要なのは戦場での運用においてですよ、将軍。平時にあっては指揮系統の簡略化、組織間の意思伝達の速度向上をはかることこそ、いざというときに国軍を円滑に動員して有事に対応できるというものです。ちがいますか?」
またしてもどよめきが起こったが、今度は驚きや困惑のものではなく、あきらかに賛同のそれだった。
誰もが女王の考え方のほうが理にかなっていると判断したのだ。
そんなこともわからないから何度も戦いで負けるのだ。負け癖のついたコウモリ野郎は執務室で書類の決裁だけやっていろ。ダイトン将軍を見すえるフランソワーズの目はそう主張していた。すくなくともランマルの目にはそう映った。
一方、さしものダイトン将軍も女王の考えを支持する「場の空気」というものに気づいたらしく、
「ぐぬぬ……!」
と、歯ぎしりまじりではあったが黙りこんでしまった。
だが沈黙したものの濃い髭に覆われた面上からは、女王へのあからさまな不満、怒り、苛立ちといった「負の感情」が水蒸気のごとく噴き出ている。
内心はともかく表面的には平静を装うカルマン大公とは、人間の器というものにおいて雲泥の差があるなと、ランマルなどは思わずにはいられない。