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17-3「貴女に巣食う『鬼』と戦う為にここにいる」

 ユキとミツキが向かい合い。互いの目線を合わせた時である。ユキはおもむろにその右手を剣の形に組んで、空中に8本線を描いて見せていた。

唵摩利支曳娑婆訶(オンマリシエイソワカ)天清浄(てんしょうじょう)地清浄(ちしょじょう)人清浄(じんしょうじょう)六根清浄(ろっこんしょうじょう)

 その口から漏れ出すのは真言である。

「へえ、摩利支天経(まりしてんきょう)。それが貴女のコンセントレーションなのかしら?」

 それを聞いたミツキがその真言の内容を答える。ミツキもクロウもその真言の意味する所は知っていた。

 摩利支天(まりしてん)は、仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。

 かの天神はその太陽の光そのもの、摩利支天は陽炎を神格化した存在だ。

 陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があるのである。

 そのため、ミツキの実家の道場でもこの信仰を表す真言は唱えられた事があるほどである。

「私は、本当は御不動様の御山で修行した身だから、摩利支天様だけを信仰しているという訳では無いけれど、ここは武術の場だし、きっと貴女も知っていると思ったから」

 言って、ユキはゆっくりと目を閉じゆっくりと開いて見せた。

 その透明感を放つ彼女の薄茶色の瞳が、ミツキを射抜いた。

「私は、貴女と戦うつもりは無いの。貴女に巣食う『鬼』と戦う為にここにいる」

 それを聞いたミツキはニヤリと口元を上げた。

「へぇ、それは私自身と戦うという事と同義よ?」

「違う。貴女がそう振る舞っているだけ。人間は『鬼』を飼いならす事なんて出来ないのだから」

 ミツキのセリフに被せるようにユキは言い切った。

「ちっ、いちいち癪に障る女だわ。どちらが上か証明する必要がありそうね」

 ミツキは舌打ちを打ちながら、刀を正眼に構えた。

 クロウには分かる。ミツキがあの構えを取る時は相手に苛ついている時なのだ。基本にして王道、正眼の構えに隙などない。ミツキに取って、目の前のユキは必殺の相手となったのである。

「私は多分、貴女には敵わない。技量で言うのなら」

 そんなミツキを目前にして、ユキはその獲物であるトンファーを両手に構えながら言う。

「でもね、私は貴女の『鬼』になら勝てる。その邪気は見なくても見える。いくら早く動いても、死角の外を動いても、それだけ強烈な邪気なら見える。未熟な私にもね」

 ここに至り、両者は既に一触即発の気迫である。そのシドの「始め!」の掛け声と共に両者は肉薄していた。

「ぢぃいい!」

 ミツキは口から掛け声とも、舌打ちとも取れる音を発しながら刀を振るっていた。幾重にも幾重にも重ねられた剣戟は、その一撃一撃が必殺のそれである。

 だが、ユキにはそれらが一切届いていない。ユキはそれらの全てを手に握ったトンファーで滑らせていた。

 しかも左手一本で、である。

 その凄まじい刃の濁流を全て捌き切るユキの姿を見て、クロウはトンファーの由来を思い出していた。

 トンファーとは『琉球古武術』の武器であると考えられている。

 考えられているとクロウがここで止めるのは、トンファーという存在が武器としてあまりにも不完全であるが故である。

 武器は一般則的に『順手持ちが有利』なのだ。それは人体の手の構造を理解すれば自ずと理解できる明白の事実である。

 そのため、トンファーは武器として決して優れたものではない。一般的にトンファーを不完全な武器であると解釈するのはコレが所以である。

 トンファーの攻撃法は主に二種類あり、一つは『逆手持ち』のまま本体の端で突きを行う方法であり、もう一つは『逆手持ち』から握りを緩めてトンファーの本体を振り出して他方の端で打つ方法である。これらの事から分かるようにその基本的な攻撃方法が全て『逆手持ち』なのである。

 だが、今のユキの姿はどうだ。恐らくは達人の域に到達するミツキの剣戟を、ユキは左手一本のトンファーで捌き切っている。この事実からクロウは仮説する。

 トンファーは元来、『武器』では無かったのではなかろうか。と。

 何故ならば、クロウの生きた生前の時代、いや、実際にはもっと過去からであるが、武術によって用いられるトンファーは一般的に『木製』なのだ。

 武器であれば、『木製』よりも『金属製』になるのが必然である。

 それが戦いで使われる道具であれば耐久度、そして攻撃力の面で『金属製』が優れるからである。だが、何故か、クロウの知識にあるトンファーはいずれも『木製』あるいは『樹脂製』なのである。

 それが武術ではなく、警察官などが暴徒鎮圧に用いる場合には『金属製』も存在したが、それらはポリスバトンなどに横に柄を取り付けたものが主流であって、基本的な使い方は警棒のそれである。

 つまりトンファーとしても使えるモノが金属製で存在するのみで、そもそも『金属製』のトンファー自体がレアだったのである。

 同じように、クロウはインストールされた知識からトンファーに関する知識を探り当てるが、やはり印象されるのは『木製』のトンファーなのである。

 つまり、トンファーというものは、そもそもが『武器』ではないのだ。

 では、今ユキの握るその『金属製』のトンファーは何物であろうか。それは今現在もまったくミツキの剣戟を寄せ付けないユキの姿が物語っていた。

「30連撃以上よ!? それもどれもが死角を利用しての必殺の一撃なのに、貴女まさか人間じゃ無いとか言い出さないわよね!?」

 息継ぎの為に大きくユキから距離を取ったミツキは、忌々しそうにユキを睨みながらそう言った。

「私は人間だよ。私は貴女の刀に通っている『鬼』の気配に反応しているだけ。そもそも貴女の剣戟は早すぎて私には見えていない」

 さらりと言ってのけるユキに対して、ミツキは床を大きく踏んで再び剣戟を浴びせ始めた。

 だが、ユキにその攻撃はまたしても通らない。その幅広のトンファーはユキの両手の肘までを完全に覆っていた。

 そのトンファーの表面をミツキの刀の鎬が削り、火花こそ上がるものの、ユキのトンファーを破壊する事も出来ない。

 それを見たクロウは確信する。トンファーとは元来『防具』なのである。と。

 その根拠は、先ほどクロウが連想したトンファーの材質が本来は『木製』であることに由来する。そして、それはかつて名人とされた空手の達人であっても例外ではない。彼らの遺品に含まれるトンファーもまた『木製』なのである。

 つまり、こういう事だ、とクロウは頭の中で整理する。

 トンファーは元来『防具』だった。それも特殊なその稽古をする時のみに使用する限定的な『稽古用の防具』だったのではなかろうか。と。

 そして、その限定的な稽古とは、ユキが今まさにして見せている『受け技』である。

 つまり、トンファーは本来、空手家がその受け技の訓練をする際に用いた言わばパンチミットなのだ。

 これは、あくまでもクロウの仮説である。

 事実トンファーという存在がそれだけであるのであれば、日本という小さな島国の、とある小さな島から発生したその道具が世界中に『武器』として伝播し、各国の警察の正式装備に含まれたりはしないのだ。

「ん。だいたいわかったよ貴女の速度。驚異的だね。瞬間的には私より早いんじゃないかな?」

 そのミツキの剣戟を捌きながら、ユキは事も無げにそう言うと初めて攻めに転じた。ミツキと対峙してから一切振るわなかった、その右手を振るったのだ。

 トンファーの握りを緩めてトンファーの本体を振り出して端で打つ形で、である。その一撃はミツキの攻撃よりも間合いが広い。

「っづ!」

 ミツキは咄嗟に距離を取り、それを躱すが、その場に取り残された彼女の刀がそのひと振りの打撃に直撃していた。

 金属製の高い衝撃音を発しながらミツキの刀が大きく横にぶれる。ミツキはその刹那、刀の握りを強く保ったまま、手首のスナップを利かしその衝撃を和らげていた。そうでなければ刀を折られていたからである。

 その横からの衝撃で、破壊こそ免れたが、ミツキの刀は衝撃を受けきれずに刀身を振動させていた。

 ミツキがユキから再び大きく距離を取る。

「とんでもないわね、貴女。不意の一撃で真剣を曲げる訳?」

 言いながら、ミツキは自身の刀を見ながら感想をこぼす。

 ミツキの刀は今、その中ほどから、ユキの一撃が直撃した地点を中心にくの字に曲がってしまっていた。

「今の一撃で刀を折らせなかった貴女も流石だよ」

 ユキはミツキを追撃しない。そもそもその武器を失った時点でミツキの負けなのだ。だが、ミツキはここで勝負を投げるような少女ではない。

「武器を交換させてもらうわ、この場にあるものですもの、構わないわよね?」

 言いながらミツキはその曲がってしまった刀を床に突き刺して捨てると、つかつかと道場の壁際に移動しそれを手に取った。

 今クロウ達がいるこの空間は、VR上に再現された武道場である。そのため、その壁には窓の代わりとなる格子と共にそれが存在するのだ。

 壁にある刀掛けにぶら下がった木刀である。

 ミツキはその内の一本を手に取ると、その隣の刀掛けにあった脇差の長さの木刀も手に取る。

 その二刀の感触を確かめるように、ミツキは二度三度とそれらを振るとユキへと振り返った。

「さあ、これで条件は五分ね。再開しましょう」

 その二尺三寸の本来の刀の長さの木刀を右手に、一尺半余りほどの長さの脇差ほどの長さの木刀を左手に、である。

 その、武器の交換と、再び正対する両者を認めたシドは言う。

「構わん。続けろ。どうせ今ので負けだと言われても両者とも納得できないだろう」

 その声に被さる様に、両者は再び激突していた。

 だが、当のセリフを放ったシドは素早くクロウの真横に移動していた。クロウに小さく声を掛けて来たのである。

「おい、クロウ。お前と『訓練』した時から気にはなっていたんだが、お前とあのミツキが使う『流派』は何だ?」

 聞かれたクロウは、そう言えば名乗ってなかったと今更思い出す。

「ああ、すみません。僕とミツキの流派は『五鬼流(ごきりゅう)』。『二天一流(にてんいちりゅう)』を極めたミツキの祖父が道楽で始めた道場の流派です」

 聞いたシドはその額に手を添えて天を仰いだ。完全に「あちゃー」という顔である。

「じゃあ何か、お前らの流派は二刀流も取り入れた稽古を日常的にしていた訳か?」

 そう聞かれたクロウはしかし、その言葉を否定する。

「いえ、『二天一流』を起原とするので、僕たちは手に出来る『モノ』を全て武器として使用しました。それこそペンから椅子から刀や槍や弓までです。流石に銃は本物が無いので使いませんでしたけど、玩具の銃を持った相手に対して無手で挑む稽古はしていました」

 それを聞いたシドは、クロウをジト目で睨むと「最悪だ」と口にした。そして、師範席でユキとミツキの激突を正座のまま凝視しているタイラーを眺める。

「つまり、何か? 艦長もそこの出身って訳だな?」

 そのシドの発言にクロウはギクリと体を動かすが、タイラーの正体はミツキがクロウと対面した病室に同席していた時点でシドは知るところであるという事を思い出していた。

 この場にはタイラーの正体を知らないものはオーデルしか居ないのである。念のためクロウはトーンを落としながらシドに言う。そのクロウの口元にシドとパラサが耳を寄せていた。

「いや、『兄貴』は違います。正確には、そこの免許皆伝を貰った『高校一年』の夏休みから後に、長期の休みや連休を利用しては、当時の日本各地に現存した『古流武術』の道場に頻繁に足を運んでいます。僕にも今兄貴が何を主体としているのかよくわかっていません。それに加えてマーシャルアーツも学んだ訳ですから本当に訳が分かりません。もう、本当に理不尽です」

 それを聞いたパラサとシドは同時に額に手を当てた。その動作はいつものパラサの動作であったが、今まさに二人はシンクロしてその動作をしていた。

「合点がいったわ。ありがとよ。艦長の変態的強さの秘密が少しわかったぜ。道理で暗器やマイナーな武術にも詳しい訳だわ。そんな変態に敵う訳が無い」

 言いながら、シドはクロウに興味を無くしたように自らの席に戻っていった。

「ちょっとクロウ少尉。戦いの途中だけど解説してもらっていいかしら?」

 シドが戻ったのをわき目に見ながら、パラサが言う。

「アンタさっき、無粋だとか言ってませんでしたっけ?」

 その声にクロウは拗ねてそっぽを向く。

「それは貴方が『乙女心』の機微を理解しなかったからでしょう。いいから命令よどうして今ミツキ少尉とユキ大尉が互角にやり合っているのか説明しなさい」

 言われてクロウは渋々ミツキとユキを見る。パラサにはあの戦いが互角に見えているのだと言う。それに対しては解説をしないといけない、と思いながら。

 今、互いに両手に武器を携えたユキとミツキの攻防は確かに手数的にも有効打的にも互角と言えた。互いの身体にさえ攻撃は当たっていないものの、ユキの攻撃もミツキの攻撃もお互いに防がれているからだ。

「まず、前提条件として、刀の間合いはそう広いものではありません」

 だから、クロウはパラサに説明する際にまず間合いの話を選択する。

「刀は、その(しん)と呼ばれる刀身の真ん中に、対象をインパクトさせてから引く武器だからです」

 これが、刀という武器の本質を、誤解する人が多い一つの所以である、とクロウは思いながら。

「それは知っているわ。だからこそ、刀は高い切れ味を持つのでしょう? 心よりも内側にインパクトさせてから引く技術を剣術と呼ぶのだわ」

 その答えにクロウは頷く。

「その通りです。そのため、先ほどまでのミツキとユキさんの間合いでは、その見た目に反してユキさんが圧倒的に有利でした」

 それは、自身を頂点とする攻撃半径の話である。

 刀はその武器の特性上、インパクトした後に引く必要があるため、腕を伸ばしきった状態で振るっても意味をなさない武器である。そのため、剣道ではともかく、真剣を利用する流派においては、刀を振るう動作そのものが重要視される。

 そうしなければ、刀は容易く折れてしまうからだ。

 よく、西洋の両手持ちのトゥハンドソードや、バスターソードと刀は比較されるが、クロウから言わせれば、比べる事が滑稽な程に刀という武器の特性とそれらの特性は異なる。

 例えば、刀とそのトゥハンドソードが激突すれば、刀は確実に折れる。数合は耐えられるかもしれないが、その後はその質量差で押し切られてしまうだろう。

 それは刀同士であっても同じことである。だから、刀同士で戦うときの表現は鎬を削るとか、鍔ぜり合うと表現するのである。

 繰り返しになるが、そうしなければ、刀は折れてしまうのだ。

 それは刀という武器が、その歴史においてひたすらに切れ味を追及していった結果である。

 クロウから言わせれば、それは一つの武器の到達点であると思われるほどである。刀は切れ味という性能を極限まで追求した武器なのである。

 そのため、それを振るう宿命にあるクロウやミツキが修める剣術には、根本として刀を扱う際に刀の刃を保護する動きが存在するのである。

 相手の攻撃を受ける際には刀の刃の根の部分、もしくは背、あるいは鍔を使用しその切れ味を維持するのだ。

 しかし、今ミツキの木刀に鍔が無い。木刀にも鍔があるものが存在するが、それはあくまでも補助的なものだ。このように激しい実戦形式の試合の場合その鍔自体が破損する恐れがあるため使用しないのが一般的である。そのため、このVR道場の木刀もそうなのであろう。

 つまり、ミツキの防御の手段は一つ削られている訳である。それを補うための左手の脇差であろうとクロウは思う。

 事実、ミツキは左手の脇差を防御に、右手の刀を攻撃にと使用していた。

「現状、確かに間合いという面で両者は拮抗しています。ミツキもそこら辺は理解しているのでしょう。木刀に持ち替えてから、その攻撃方法は遠心力をフルに利用した、こん棒のそれです。あれは最早剣術じゃない」

 言いながらクロウはそのミツキの動きを見る。彼女の実家の道場で幾度となく見たその動きが、今は見る影もない程に醜いと思いながら。

 だが、同時にそうなる理由もクロウには理解できる。そうでなければ、あのユキには万が一つにも勝ち目が無いからだ。だからこそミツキは全身の身体のバネと体重すら乗せたその一撃をユキへと放つのだ。

「あら、まるで貴方は互角ではないような言い方をするのね」

 その言葉にクロウは頷く。

「そうです。アレではミツキはユキ大尉に勝てません。あるいは冷静に一刀であれば勝機はあったかもしれません」

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