17-4「貴女にはわからないでしょうね……!」
ミツキとユキの衝突が始まって、既にこの道場には2時間の時間が経過していた。実戦形式の組手としてはとてつもない長丁場である。
「ぜっ、ぜっ……」
激しくその両手の木刀を振るい続けたミツキは今、肩で息をし、既に限界を超えている。その長い黒髪は汗に濡れ、前髪は顔に張り付いてしまっていた。
「……っす」
対するユキは呼吸を乱すどころか、汗すらかいていない。彼女に課せられた『千日回峰行』の懲罰に比べれば、2時間の格闘戦など彼女に疲労を与える事すら無い。
VR訓練において、肉体的成長が見込めるかと言われればそれは否である。
いくらVR訓練内で筋肉トレーニングを行ったとしても、それは現実の身体に影響を与える事は無い。それは『第四世代人類』であっても例外はない。
ただし、『第四世代人類』は通常の無施術の人間に比べて、圧倒的とも言える程の身体能力を有している。それは彼女達のような細腕の少女達が屈強な男達と平然と渡り合える程のそれである。
その力をそのまま振るってしまえば、当然危険である。無自覚な力以上に制御できないものは他に無いのだから。
だからこそ、『第四世代人類』には無意識のリミッターが幾重にも施されている。何の訓練も行わなければ『第四世代人類』は無施術の人間とそう大差のない肉体性能に止まるのだ。
したがって、『第四世代人類』に限って言えばVR訓練を実施すればする程に本来の肉体的性能を開放してくのである。
無論、VRの外、現実空間で訓練を実施すれば大本となる筋力も増加する。だが、それを差し置いても『第四世代人類』の性能は規格外なのである。
つまり、こと『第四世代人類』に限って言えば、見た目の肉体的筋肉量と馬力が必ずしも比例しない。細腕の少女が大男を打ち倒す事も起こりえるのだ。
だからこそ、シドは自分以上にルウを評価した。彼女の身体能力は既に自分を凌駕していると考えてである。
だが、今そのルウを差し置いて、体感時間で『全つくば型』艦内において最もVR訓練を実施した者が現れた。
それが、今道場でミツキと対峙するユキである。
そのポテンシャルの差を埋める技量を、ミツキは有していた。だが、ミツキは選択を誤ったのだ。長期戦になればなるほど体力の差で自分が不利になる事を図りかねていた。
「こんの!」
今、ミツキは無茶苦茶である。乱暴に木刀を振るっているに過ぎない。ミツキの手のひらはとうに皮膚が破け、木刀の柄には血がべっとりと張り付いている。
先ほどクロウが、ミツキとユキの条件が五分ではないと印象したのはこれである。二刀を握る場合。どうしても手の負担を逃がす方法が少なくなる。
真剣であれば、その柄の凹凸に指を引っかけて制御するという事が可能だ。だが、木刀である以上、その柄に凹凸は無い。
刀は、手全体で握る武器ではなく、実際には小指と薬指で柄を保持し、他の三指は添えるようにして握る。今、ミツキはその小指と薬指のみで木刀を保持できない程に握力を消耗していた。
「もう、脇差は邪魔でしか無いでしょう?」
ユキは平坦にそう声を出すと、今まさにミツキが繰り出した脇差を、トンファーで強打していた。
クロウから見ても体重の乗ったその一撃である。ミツキは左手から脇差の木刀を取り落としていた。
「つぅ! まだまだぁ!!」
ミツキは木刀を取り落とした際に、左手に伝わった衝撃と痛みに耐えながら、右手に持っていた木刀を両手に握り直してユキに向かっていく。
その瞬間刹那である。ミツキの朱い瞳がクロウを横切っていった。
「やっぱりね、貴女をそうさせる理由はクロウ君なんだね」
ユキは言いながら、ミツキの両手に持ち直した事で勢いを取り戻した剣戟を、両のトンファーでいなしていく。ミツキの手に衝撃が伝わりにくいように努めて流すように、である。
「貴女にはわからないでしょうね……!」
ミツキにはもう言葉を選ぶ余裕すらない。だから本音を口にするのだ。
「目の前で一番大切な『男の子』が二度死ぬ光景を味わった私の気持ちなんて……!!」
言って、ミツキは手を止めた。心から自分の今言った事実を覆せない事に後悔した顔を見せながら、である。
「見つけた。貴女の『鬼』」
言いながら、ユキはその無防備なミツキの足を払って転倒させ、ミツキを床に組み敷いた。トンファーでミツキの木刀を取り落とさせ、自身のトンファーを二つとも放り投げてである。
「っぐ! 何のつもり!?」
「今、言いかけた事を言いなさい。クロウ君は冷凍される前に『二度』死んでいるんだね?」
言い淀むミツキに対して、ユキは畳みかけた。
「……っく!」
ミツキは体全体で自身を抑え、問いかけるユキから視線を逸らすように首を振って、そしてクロウと目が合ってしまった。
「ミ、ツキ?」
クロウには声を出す事しか出来ない。クロウは未だ荒縄でぐるぐる巻きに拘束されているのである。
そのクロウの姿を見て、ミツキは一度ゆっくりと目を閉じた。もう、言い逃れなど出来ないのだ、と自身に言い聞かせて。
「そうよ。クロウは私の目の前で二度死んだわ。それも一回目は私自身の手にかかってね」
ミツキのそのセリフを聞いて、クロウは、インストールされた知識を思い出すように、その光景を『思い出して』しまった。
幼いミツキが自分の首を絞め、クロウを立木に押し付けている光景を、である。
「うっ!」
そのリアルな感触とその瞬間に命を奪われたという実感が、クロウにうめき声を上げさせた。それを真横で見たパラサは咄嗟にシドを見る。シドとパラサはアイコンタクトを取ってお互いに頷いていた。
「クロウ少尉。落ち着きなさい。今拘束を解くわ」
言いながら、パラサはVRメニューを開いてクロウに巻き付いている荒縄を解除していた。VR空間において物質は実際に存在する訳では無い。荒縄は瞬時に消えてクロウは自由になる。
自由になったクロウは咄嗟に口元を抑える。そうしなければ胃液が口から出てしまいそうだったのだ。
必死に口元に迫る胃液を飲み込もうとして、その酷く悲しそうなミツキの表情と、クロウは目が合ってしまった。
「ごめんね」
ミツキは一言、そう言うのみである。
そして、ミツキはユキを見上げながら言葉を続けた。
「私は、『鬼』の子孫の一族の末裔として生まれた人間。でも信じられて? 私もその瞬間まで自分が本当にそんな存在だなんて信じていなかった」
「そう、だね。私がミツキ少尉でもそんな話、信じなかったと思うよ」
言いながら、ユキはミツキに対する拘束を解いた。もう、ミツキを拘束する意味など無いのだ。
「そう。でもね、何の因果かしら。私はどうも『始祖帰り』をしてしまったみたいなの。その『血』は色濃く私に受け継がれていたわ」
そして、クロウが思い出してしまった出来事に繋がるのだという。
「あの日、私達家族とクロウの家族は山にピクニックに出かけていたの。私もクロウもほんの子供。それこそルピナス位の頃の出来事よ」
そう。クロウも思い出した。あの日は夏休みで、渓流が流れる山へと遊びにいったのだ。クロウの家族と、ミツキの家族、そしてタイラーであるクロウの兄、八郎も共に。
「クロウと私は森に入って虫取りをしていたの。その頃もう高校生になっていた八郎さんも一緒にね」
それは、高い木の上のカブトムシを見つけた八郎が、二人の為に木に登ってそれを取りに行った一瞬の隙であったという。
「そのクロウの八郎さんの背中を追いかける視線を見てね、幼い私はこう思ったの。ただ『ああ、いいなぁ』って。瞬間だったわ。私の意識なんて吹き飛んでしまっていた」
次の瞬間には、ミツキはクロウの首をその小さな両手で掴み、立木に押し付けて居たという。直ぐに駆け付けた八郎がクロウを抱き上げた時には、クロウは既にその首を折られ、絶命した後だった。
「その時、駆け付けた大人が私の祖父だったのは幸いだった。もし、それがクロウの両親であったらクロウを助けられなかったかも知れないから」
それを目撃したミツキの祖父。クロウに取ってお隣のおじいちゃんは、自身のキャンピングナイフでその手のひらを切り裂いて溢れ出た血をクロウの口に流し込んだのだという。
「その瞬間まで死んでいたクロウが、それを口にした瞬間生き返ったわ。それを栄養として摂取するとか、そう言う次元ではない。それはそう言うものだと理解するしかなかった」
続いて、その光景を放心しながら見ていたミツキに、彼女の祖父はその血を舐めさせたという。
「私の血の暴走はね、私自身が誰かの血を摂取しないと防げない類のものだった」
本来であれば、その特徴の発現はミツキの一族であってもずっと後の事の筈であったと言う。
「幼い私には理解できなかったわ。でも、その次の日から私の夕食には必ず私の一族がどこからか用意してきた輸血パックが並べられるようになったわ」
その一連の事件はこの場に居る誰もの想像を絶するものである。唯一事情を知るタイラーだけが表情を動かさずにそれを独白するミツキを見ていた。
「それからしばらく経ってからよ。私の身の回りに『人間以外』のモノがうろつくようになったのは。そこからはもう、上へ下への大騒ぎよ。ソレはね、私を狙うと同時に、クロウも狙っていたのだから」
その人間以外のモノは、ミツキの一族に取っても不測の事態だったという。そんなものはクロウの生きた時代においてとっくの昔に消滅した怪異だったのである。
「
一同の視線がタイラーに集まるが、タイラーは微動だにしない。そんな昔の話はとうに忘れたとでも言いたげな無関心な顔である。
「ふふ、無駄よ。何を聞いても八郎さんはその事に関して絶対に口を開いてくれない。私も生前何度もせがんだもの」
その場の全員に聞こえるように、ミツキは鈴のように笑って言って見せた。
「その妖達の数は年々減って行った。元々の絶対数が少なかったのでしょうね。私とクロウが小学校を卒業する頃にはほとんど現れなくなっていたわ」
だから油断したのだ、とミツキは言う。
「中学に上がって、もう完全にそれは現れなくなっていた。その頃には私自身が成長して彼らは逆に恐れて出てこないのだ、と祖父は言っていたけど、その日の帰り道にソレは居た」
それは大きな蜘蛛であったとミツキは言う。
「正直ね、こんなバカな話は知っている人が少なければ少ない程にいいの。だからクロウにはその都度に忘れて貰っていたわ。バカよね、怖がらせない為だったのに、結果的にクロウはその危険性も理解せずに私を庇ったわ」
それを認めたミツキがそれに飛び掛かろうと構えた瞬間には、クロウはミツキを庇って押し倒してしまっていたという。その背中からその巨大な蜘蛛の足に心臓を貫かれてだ。
「それを縊り殺すのに力なんか要らなかったわ。私がそのクロウを見て絶叫した瞬間にその声でソレは吹き飛んでしまったもの」
それは存在の差であるとミツキは言う。その頃にはミツキは名実ともに怪異の王と呼べる程の力を有していたのだ。
「問題は、再び死んでしまったクロウよ。私には幼い頃祖父がそうして見せた方法しか思いつかなかった」
だから、ミツキは自身の手の皮膚を噛み切ってクロウに自身の血を飲ませたと言う。
「結果的に、クロウは息を吹き返した。そのクロウを家の道場まで運ぶのは本当に骨が折れたわ。何しろ、胸に大穴の空いた血まみれの男の子を担ぐ私よ? ご近所様に見られでもしたらとうとう痴話喧嘩の末に私がクロウを殺したと思われてもおかしくない」
ミツキは冗談めかして言うが、その光景が壮絶であったことは語るまでも無いだろう。
「そして、私はクロウの血を飲むようになったの。私自身が彼に血を分けてしまった事は、彼に命を与えると同時に『呪い』も与えてしまった」
言いながら、ミツキはクロウの顔を見て涙を流す。
「クロウはね、そうしないと『鬼』になってしまうのよ? 理性も何もないただの獣以下の存在に。だから、定期的に私が血を吸って薄めていたの。私は輸血パックで生きられたけど、クロウは違う。そうしないと死んでしまうから」
言いながら、とうとうミツキは泣き崩れる。
「こん、なの。言える訳無いじゃない! クロウの記憶を断片的に吹き飛ばして、私はただの『痛い子』として振る舞って、いつ来るかも分からないクロウの限界に怯えながら日々を過ごしていたのよ!?」
ユキはそのミツキの背を摩る。
「ノウマク、サンマンダ、バサラダン、センダンマカロシャダヤ、ソハタヤ、ウンタラタ、カンマン」
ユキは歌うようにその真言を唱える。ミツキの中のソレが少しでも癒されるように、である。
「ねえ、八郎さん。これだけは教えて、クロウはもう大丈夫なの? 呪いはもうないの? 私はもうクロウの血を飲まなくていいの?」
問われたタイラーはしっかりと頷く。
「ああ、クロウの元の身体にあったその因子は完全に排除した。もうクロウは何も心配はない。そしてそれはお前もだミツキ」