17-2「私は貴女が心の底から羨ましい」
「で、私達はもう初めていいのかしら?」
道場の真ん中に不遜に立ち、トニアと対峙するミツキである。
既にミツキからはありありと殺気がその体を通して場に立ち上っていた。今、ミツキは目の前のトニアを殺す事しか考えていない。クロウにはそれが見て取れた。
生前、ミツキと道場でクロウは幾度も打ち合った事がある。勝率は2割といった所だ。無論ミツキがほとんど勝っているという意味である。しかも勝てるようになったのはごく最近の話である。クロウの肉体的成長がミツキのそれよりも有利に働いたというだけに過ぎない。
彼女の手の内も全て知り尽くしてそれなのである。クロウの中では師範と師範代を除き最強の剣士が彼女である。
今、その最強を目の前に顔色さえ変えずに平然と立つ少女が居る。
トニアである。彼女はごく自然にその死地に立つ。そのいつ彼女の華奢な首が切り取られてもおかしくない殺気の奔流の中を、である。
「私はね……」
ミツキが口上を述べ始めた。殺気を伴ったそれはその場に居る全員の耳を強制的にそれに傾けさせた。
「トニア少尉みたいな人が本当に大嫌いなの」
瞬間、ミツキの殺気は先ほどまでとは比べ物にならない程に膨れ上がる。もはや狂気と言っていい。それを正面から浴びたトニアはしかし、髪をかき上げ、その長い栗色の髪をゴムで結い始める。
「そう、私とは逆ね。私は貴女のような人は好き。真っ直ぐにクロウ君だけを見て貴女はきっと何処までも彼を追いかけるのだわ。事実貴女は数千年の時さえ超えてクロウ君に追いついて見せた。素直に尊敬するわ」
髪を結い終わったトニアはまっすぐにミツキのその赤い瞳を見つめる。
「それはきっと、私が彼の幼馴染だったら出来なかった。どんなに彼を愛していても。でもね、同時に妬ましくもあるの。どうして私は幼い時から彼と一緒に居れなかったのかって。私は貴女が心の底から羨ましい」
それを聞いたミツキは、自身の口の端を舌でチロリと舐める。
「ええ、そうでしょうね。トニア。今から貴女の事をトニアと呼ばせてもらうわ。戦友ですもの。その感情は私もずっと貴女から感じていたわ。そして私たちはその育ってきた環境も似通っていればその存在も実は似ている。こんなにも似ているのにどうしてこんなにも違うのかしら? 私達はいずれ衝突する事は避けられなかった。それは分かっていて?」
そのミツキの言葉にトニアは大きく頷く。
「ええ、私達は、とてもよく似ている。貴女の体質や、境遇を除けば、私達はきっと出会った瞬間に親友にもなれた。だからこそ、私には貴女のその『歪み』が容認できない。きっとあなたは真逆の事を思うのでしょうね」
ミツキはそのトニアの言葉を聞いて口元に優雅に手を当てて微笑む。
「ええそうよ。貴女と航空隊の全員の訓練の様子と、実戦の様子を私は既に見させてもらったわ。VRは便利ねぇ。映像すらも数倍で見せてくれるのだから、さほど手間は掛からなかったわ」
ミツキは、トニアのその明るい茶色の瞳を見据える。
「どうして貴女は『実力を隠す』のかしら? 貴女、クロウを圧倒出来るわよね? 少なくとも訓練の最中貴女は2回クロウを撃墜出来たわ。でもしなかった。何故? 実戦でもクロウに追い縋ろうとすれば出来たわよね? 何故追わなかったのかしら?」
そのミツキの発言は、その実クロウも薄々は気が付いていた。だからこそ、クロウはトニアを航空隊の中で中堅と印象したのだ。
クロウは航空隊の訓練の中で無双を誇った訳では無い。実際にユキとミーチャには少なからず撃墜させられている。
そうでなければ逆に訓練の意味さえ無いのだ。その他の航空隊員とVR上で訓練する際も、クロウは何度かヒヤリとさせられる場面があった。ケルッコの遠距離射撃にマリアンの不規則な動きなどはそうと分かっていても対応が難しい。
その中にあって、ダントツにクロウを追い詰めた回数が多いのはユキとミーチャを除けばトニアである。だが、彼女はそのいずれもクロウに致命打を与えていない。それが出来たと思われるのに、である。
クロウは最初、トニアが人を撃つという行為自体に抵抗を感じているのではないかと疑っていた。だが、トニアは他の航空隊員は撃墜して見せた。あのユキとミーチャでさえである。
だから、いつしかクロウは錯覚したのだ。それが単なる偶然であると。だが、ミツキが口に出した時点でそれは事実であったのであろう。
トニアは何故か、クロウを撃墜する事だけを避けていたのだ。
「そう、ミツキ。貴女には私の気持ちが分からなかったの?」
「いいえ、わかり過ぎる程に分かったわ。だからソレは否定できる。それは偽善よトニア。クロウはそんな事をしなくても、貴女を二機編成のバディに選んだでしょうね、あの時点では」
その彼女たちの感情の機微をクロウは計りかねていた。
「パラサ大尉。すみません」
「教えないわ」
小声でクロウはパラサに問うが即答である。
「それはこの決着の先にある」
パラサはそう言いながら今眼前で双方とも刀を構える少女達を見据えそれから目を離さなかった。
その道場全体のやり取りを見ていたシドは厳かに声を出す。
「口上はその辺でいいだろう。双方構え」
そのシドの号令に対して、トニアは構えた。
「示現流……」
その独特の構えをクロウは生前から知っていた。刀を直立させ、トニアは顔の右側に構えたのである。余りにも有名すぎるその流派はその剛剣故に剣術を嗜む者の中ではこう呼ばれていた。
「二の太刀要らずか」
タイラーが呟いた通りである。示現流はその一撃に全てを込める。『
武術において、相手の攻撃より先に攻撃を仕掛けることを
出典により多少呼び方や説明の仕方が異なるが、一般には、剣聖・宮本武蔵が著したとされる五輪の書に記載されているこの
「先の先」とは、相手の打ち込もうという気持ちを察知して、相手が仕掛けないうちにこちらから動作を起こして打ち込んでいくことを言う。示現流の剣とはまさにその一つの到達点であるとも言えた。
「へえ、その性根通り真っ直ぐな剣なのね」
それを認めたミツキはなんと抜身の刀を右手に持ったままだらりと下げた状態である。だが、それがミツキの構えである事をクロウとタイラーは知っていた。それは「無形の位」と呼ばれる構えなのである。
「始め」
そのシドの声が掛かっても両者は動かない。それは剣術を嗜んでいるクロウ。そしてその場にいるパラサを除いた人間達にとっては当然の事であった。今、両者はお互いに必殺の間合いにいるのである。次の瞬間には全てが決まる。
その緊張感に剣術に疎いパラサでさえ息を飲んだ。彼女の留飲が下がった次の瞬間である。
「チェストぉおおおおおお!!」
ミツキの剣先が微かに左へ動いた。それは剣先にして数ミリの動きである。次の瞬間にはトニアがその大上段の構えから気合一閃に刀を振り切っていた。
「
それを見たオーデルが呟く。
それは相手の認識の外側、人間の生物的死角を利用して接近する技術である。
トニアはミツキに対してそれを行って見せていたのだ。
だが、その刀を脳天から受けて切り伏せられている筈のミツキは今、健在であった。彼女はその雷にも等しい斬撃をなんと半身に避けていたのだ。それも、攻め手のトニアの認識の外側で、である。
次の瞬間にはミツキはトニアの足を払って転倒させ、仰向けになったトニアに馬乗りになっていた。
トニアの足を払うと同時に、ミツキは自身の刀の柄頭でトニアの刀の柄頭を打ちトニアの刀は宙を舞っていた。
トニアが転倒し、その背を床に付けたと同時である。鈍い音と共に道場の床に突き立ったモノがある。ミツキの刀の先である。ミツキの刀はトニアの斬撃で両断されていたのだ。
そして、よく見れば、トニアの斬撃はその剣戟の勢いそのままに、床さえも切り裂いていた。無論刀の刀身は床に触れていない。
「綺麗に凌いだつもりだったのだけど、馬鹿力ね」
ミツキはその中ほどで両断された刀を一瞥すると、その脇差程度の長さになった切っ先の無い刀をトニアの心臓に突き刺していた。
「かはっ」
トニアは息を吐き出して絶命する。無論VR上でではあるが。
「勝負あり。だがミツキ少尉、止めを刺す必要があったのか? 勝負は……」
言いかけたシドであったがそれを止めた者がある。なんとパラサである。
「いいえ、ミツキ少尉の判断は的確よ。トニア少尉は絶命しなければ勝負を捨てなかったでしょうね」
言いながらパラサは興味を無くしたようにその体から離れたトニアに近寄って、彼女の胸に刺さる刀を引き抜いた。鮮血が道場の板張りの床へ飛び散った。
「あ、私……」
鮮血はだが、トニアが意識を取り戻すと同時に消えていた。このVR空間がそのように設定されているからである。
「負けたわ。でも貴女の覚悟はここに居る全員が見ていた」
パラサは言いながらトニアの背を支えて抱き起す。
「そう、ですか」
トニアは言いながら、ゆっくりと立ち上がって控え席へと足を向けた。その口元はきつく結ばれ、その瞳からは一条の涙が流れていた。
「解説、いります?」
その自身の近くに戻ったパラサに対して、クロウは声を掛ける。一応自分は、彼女にこの場の解説をするように言いつけられたから、である。
だが、そのクロウを立ったまま見下ろしてパラサは一言呟いた。
「無粋ね」
つまり、解説は不要という意味であるらしい。だが、今再びクロウの横に座り直したパラサに蔑まれるような真似を自分はしたであろうか、クロウは必死に考えたが答えは出なかった。
「じゃあ、次は私の番だね」
言いながら、ユキは控え席に戻って来たトニアの肩にそっと自身の手を添えながら立ち上がった。
「インターバルはいる?」
「不要よ。むしろ今の状態なら、最高の状態で貴女と対峙出来そう。トニアが思ったよりも強くて興奮したわ」
ユキのその問いに対して、VRを操作しながらミツキは新しい刀をその手に持っていた。
その答えに確実に頷くと、ユキはミツキが待つ道場の中心に向かって歩き出した。