訪れる者
翌日。朝も早くから出かけた後、昼前には街に到着した。
前に来たことがある街だが、今日は何やら街全体が賑やかで、そこかしこが色とりどりに飾り立てられている。
「なんだろう?」
その様子に内心で首を捻りつつ、周囲を見回しながら街の中を進んでいく。
東から西へと延びる大通りは石畳で舗装されており、通りの左右に建ち並ぶ商店が入る建物は、四角い箱を大きくした感じの似たような造りの二階建てで、前来た時は飾り気があまりなかったものの、今はどの建物も様々な色の提灯や垂れ幕などで賑やかに飾り立てられている。
人通りが多い中、そんな商店を賑やかしながら、今日は何が在るのかと様子を見つつ通りを歩き、周囲の会話に耳をそばだてる。
そうして話を聞いていくと、何故こうも通りが賑やかなのかの理由が分かった。
「へぇ、祭りね」
どうやら、今日はこの街がこの地に築かれた日らしく、一昨日から五日間の祭りを催しているらしかった。現在の位置に防壁が動かされたのが、大体今から六七十年前だったと図書館の資料で読んだ記憶があるので、この街も築かれてからおおよそそれぐらいだろうか。
まあボクには関係ないが、祭りならば何か珍しい物でもあるかもしれないので、丁度いい時期に来たのかもしれない。
そう思いつつ、少しわくわくとした気持ちでいると、大通りの中ほど、街中央に在る広場に辿り着く。そこでは出店に芸人と、祭りを一層賑やかにしている存在が色々と目につく。
広場の中央には、誰かの石像が建つ大きな噴水があり、その前で人の波間からでもはっきり判るほどにど派手な衣装に身を包んだ、周囲で芸を見せる芸人と比べても一際目を惹くその人物が、周囲に人を集めて何やら大きな声で告げていた。
それが気になり、そちらの方へと足を向ける。
段々と距離が近くなるにつれ、その人物の声が喧騒を超えて聞こえてくる。
「本日は祭りも三日目! 事前に告知してありましたように! 本日の景品はなんと! この! この! 魔法が付加された腕輪で御座います!」
もったいつけるように幾度も言葉を区切り、大声で説明されたそれだが、人垣が凄くて何も見えない。話し方からして、おそらくその腕輪を掲げているのだろうが、背伸びをしようと、人垣の合間から確認出来ないかと顔を動かしても、それは確認出来ない。
「むぅ。しょうがないか」
なので、魔力視の方だけに頼ることにする。
そうすると、人垣など関係なく、先に在る付加品である腕輪の存在がはっきりと認識できる。その腕輪に付加されている魔法もしっかりと。
「うーん・・・」
その腕輪に付加されていたのは、軽微な身体能力向上だけであった。
以前にこの街で見た付加品を思い出せば、それでも高価な品ではあるし、付加されている魔法もそこまで質の上では大差ない。しかし、自分で行う付加と比べてしまうと、ほとんど何も付加されていないのに等しいし、付加された魔法も質が悪い。おそらく、何もしなくとも一年も保たないだろう。頻繁に使用すれば半年前後といったところか。
それでも、やはり魔法使いではない民の多い街では、それは非常に魅力的なようで、その大声に反応した民衆が更にわらわらと集まりだし、身動きが取れなくなってきた。
このまま居ては危ないと判断し、なんとか無理矢理流れに逆らい群衆から抜けて広場の端に出る。外から見るその人垣は、それだけで酔ってしまいそうなほどだ。
人の輪から外れたことで先程まで聞こえていた声は、人の喧騒で塗りつぶされてしまっている。たまに風に乗って聞こえてくる気がするが、耳に届くころには意味がある言葉ではなくなっている。
とりあえず、このまま広場の隅に居てもしょうがないので、広場の縁に沿って大回りするようにして反対の大通りに出た。そこで、広場の入り口に何やら掲示板を見つけて、そちらに目を向ける。
「祭りの催しの説明、かな?」
そこに書かれている文字を読んでいき、そう判断する。五日間で広場で開催される催しの説明だと判り、今日の催しの説明を読んでいく。
「なるほど。さっきのはくじ引きだったのか」
昨日はなぞなぞだったようだし、明日は手先の器用さを競うらしい。色々と行われるのだなと思いつつ、今日の催しの景品を確認していく。
「一等がさっきの付加品か。それで二等が商品券? この辺りで使えるのかな? そして三等が・・・様々な本?」
掲示板から顔を離すと、先程の呼び込みをしていた噴水の反対側へと目を向ける。しかし、ここからではよく見えない。
「本・・・気になるが、あんな人混みの中はごめんだな・・・」
噴水の周囲を取り巻く壁を目にして気分が悪くなり、広場に背を向けて通りを進む。別に運に頼らずとも、本屋で好きなモノを買えばいいのだから。
そう思い、この前訪れた本屋を目指して進んでいく。
どこもかしこも目が疲れるほどに派手に飾り立てられていて、最初こそ物珍しかったが、歩いているだけでもう疲れてきた。目もチカチカしてきた気もして、足を止めて目を瞑り首を振る。
そうして目を開くも、それで装飾が消える訳もなく、諦めてそっと息を吐き出しすと、本屋を目指して歩みを再開させた。
前回本を買った本屋のある場所へと記憶を頼りに移動すると、その本屋も例に漏れずに外観が飾り立てられて賑やかになっていた。
「・・・・・・」
太陽の光を反射させ、キラキラとした光を目に寄越してくるその飾りに顔を顰めながら、本屋の中へと入っていく。
「・・・中は普通なんだな」
外の派手な外見と異なり、店内は前回来た時とさほど変わらず、本棚とそこに収まった本がずらりと並んでいるだけの地味な空間だ。しかし、よく見れば申し訳程度に店内の一部が飾り立てられている。
その様子を見るに、店外の飾りは勝手にされたのではないかと邪推してしまう。そして、嫌々店内も飾ることを強要されたのではと。
まあそれでも、こちらとしては本の購入が滞りなく行えればそれで問題ないので、その辺りの考えは直ぐに頭から追い出す。
店内に並ぶ本が詰められた本棚の前に移動すると、端の本棚から順に、上下に視線を滑らせながら、横に移動していく。
以前に来店した時から少し時間が経過しているとはいえ、本の内容ががらりと変わるほどの時ではないので、並ぶ本にそこまで新鮮さはない。それでも新刊が幾つか入っているようで、それを眺めながら、何を買おうかと思案していく。
ここの本屋は、新刊も含めて店内の本の半数以上が小説のようなので、この街ではその辺りが売れているのだろう。他にも実用本や噂を纏めた本なども在るが、そんな中で魔法に関連する本は一割程度しかない。やはり庶民に魔法は無縁なのか。
そんな中で、ボクは目についた実用本と魔法についての入門本、小説も幾つか合わせて買ってみた。魔法の入門本は、庶民にとっての魔法というものの一端が理解出来ればと思って購入してみる事にした。
それら合計で六冊と、前回よりも少し多めだ。他にお金の使いどころも無いので、丁度いい。それでも貯まる一方ではあるが。
店外に出る前に、入り口付近で六冊の本を背負っていた空の背嚢に詰め込みつつ情報体へと変換していく。店内にはほとんど人は居ないし、入り口から見える外の人達も祭りに夢中でこちらに注目する人は居ないが、一応周囲には目を配っておく。
本を情報体に変換した後、店を出て通りを歩く。しかし、流石にもう大通りを歩く気は起きなかったので、横道に逸れて隣の通りに移動する。
そうして通りを一本逸れただけだが、大通りに比べて人の数が一気に減る。それでも、結構な数が居るのだから、祭りというのはおそろしい。前回は大通りでもこんなに居なかったはずだが・・・。
内心で軽く嘆息しつつ、通りの端の方を通っていく。大通りほど商店や出店、催し物が多くはないので、端の方はまだ空いていた。
それでも人は多いので、もう一本通りを逸れてみる。更に一本隣の通りに移ってもやはり人が多かったが、そこまで来れば問題なく通れるぐらいには隙間がある。
そうして人混みに苦労しながら街の出入り口を目指し、なんとか街の外に出られたのは、太陽が大分傾いた時であった。
「もうこんな時間か」
疲れた声を出しながら空を見上げて、人混みに疲れた足取りで駐屯地を目指す。
「街を歩くだけでこんなに疲れるのか」
若干気分が優れないまま東門の駐屯地を目指して進んでいると、ふと昨夜のことを思い出す。
昨夜はオクト達と別れた後、宿舎の自室に戻り一息吐いてから、誰も居ない室内で自分の内側に居る兄さんに語り掛けた。
それに直ぐに返事があった後、実家でオクト達四人と何があったのか兄さんに問うと、特に何も無いという返答が得られただけであった。それでも根気よく問い掛けて、なんとか少し教えてもらう。
どうやらボクと意識を交代した後、母さんと軽く言葉を交わしていると、ちょうど近くで話を聞いていたオクト達四人に誘われて、オクトとノヴェルの部屋で雑談したという。その兄さんにしては珍しい行動に違和感を覚えはしたが、そこで兄さんの話が終わったので、詳しくは聞けなかった。
とりあえず、兄さんが珍しく誰かと交流を持ったというのは驚きの話で、興味をそそられたが、兄さんが何も語らないのであれば知る術がない。後はオクト達から聞ければ分かるが、別れ際の感じからして、教えてはもらえないかもしれないな。
「ふーむ。なんというか、壁を感じたからな」
別れ際のオクト達の姿を思い浮かべ、そう感想を抱く。元々知っていたジャニュ姉さんは変わらなかったが、オクト達三人からはどこか一歩引いたような雰囲気を感じた。あれはボクがオーガストではなくジュライだと知ったからなのだろう。彼女達に取っての兄とは、ボクではなく兄さんだろうし。
では、クル・デーレ・フィーリャ・ドゥーカ・エローエ様はなんだったのだろうか? 態度としては前とそう変わりはしなかったが、しかし、僅かに違和感を抱いた気がしたのだが。
「・・・分からないな」
だが、考えたところで答えは出てこない。人の機微を解するのは難しいな。
頭を振って気持ちを切り換えると、前を向く。考えて分からないのであれば、頭の片隅に措いておこう。分からなくて問題になるような事でもないだろうし。
◆
世界がすっかり暗くなった頃に、やっと駐屯地に到着する。
そのまま自室に戻り、疲れたので魔法で身体や服を清潔にして、そのまま寝る事にした。
翌日から平原に出ての討伐だ。後二ヵ月ぐらいで進級なので、残りの進級までの期間を一気に平原で消化していく予定だ。
「本は補充したし、後は森の近くでのんびりするとするか」
滞在期間を忘れないように気を付けながらも、忘れたらプラタにでも訊けば大丈夫だろうと、気楽に構えて平原を歩いて行く。
いつも通りに大結界付近を進んで、今回は北を目指す。南側の森付近の様子は前回確かめたからな。
途中に居るであろうジャニュ姉さんに気を付けて、昼夜通して大結界近くを通っていき、クロック王国側との境界近くまで到着すると、そのまま東に進路を取る。
戦闘している生徒や兵士達を横目に東へ進んで歩きながら、たまに襲ってくる魔物の相手をしていくと、周辺に誰も居なくなるころには遠くに森が確認できる距離まで近づいていた。
ここまで来ると、こちらも南側同様に周辺には魔物の数が一気に増えてくる。まぁ、それを討伐する者が居ないのだから、当然と言えば当然ではあるが。
そんな魔物達を相手にしながら、丁度よさそうな場所を探して移動していく。
「うーん。あの辺りがいいかな?」
なだらかな平原が続いているが、そこに少し盛り上がった場所を見つけて移動する。
近づいてみると、そこは比較的平らな岩が僅かに地表に顔を出している場所で、当然ながら周囲の地面よりは硬い。
都合よく結構平らなので、風の魔法で表面の土や小石を少し残る程度に吹き飛ばしてから、その上に空気の層を敷いて、腰掛ける。その間も魔物達は元気に襲撃してくるので、それを片手間で処理しながらの作業であった。
岩の上に腰掛けた後、一度少し広めに周囲の魔物を掃討すると、腕輪に組み込んだ結界を発動させる。それで先程まで襲ってきていた魔物達が急に大人しくなり、こちらを襲わずに人間界側へと流れていく。
前回改良したおかげで隠密性は上がっているが、それでもぶつかってしまっては直ぐに見つかってしまう。前回調べたところによると、結界から五センチぐらいまでなら、見つからない確率が高かった。
しかし、それも確実ではないので、注意が必要だ。一応内側に防御障壁を張ってはいるが、出来ればこれに頼りたくはない。
そんな風に魔物に対してある程度は成果が出始めたが、他に関しては微妙なところ。視界の確保の為に結界は透明にしているので、主に魔力を遮断しているにすぎないのだから。
「これの改良もしないとな」
魔力以外には音とにおいは遮断しているが、それでもやはり視界が通るというのは如何ともしがたい。かといって視界を潰すのはな・・・。
「うーん。内側からは外側が窺えるのに、外側からは内側が見えないようにできないだろうか?」
それが出来るのであれば、他にも内側からは魔力が漏れないのに外側からは内側に魔力を取り込めればいいのだが。それも密かに。
「視認性については、結界の表面に周囲と同化させる魔法を組み込めばどうにかなるけれど、そうすると魔法が起動している事になるからな・・・ふむ」
腕を組んで唸りつつ前方の景色を視界に収めていく。そのまま暫くそうして眺めていると、ふと閃くものがあった。
「ああ、内側の障壁の方にそれを施せばいいのかな?」
そう思い、早速それを実行していく。
外側の遮断結界ではなく内側に張った防御障壁に、周囲の景色に溶け込む魔法を組み込む。これであれば、外側に魔力が漏れる心配はないだろう。
「・・・・・・まぁ、問題があるとすれば、内側からは確認出来ないことかな」
外側からの見た目だけ変化するので、内側からは多少視界が悪くなる程度でしかない。ちゃんと期待通りに魔法が機能しているのかどうかは判りにくい。
「しかし、これだと遮断結界の方が浮くか?」
近くで見ればだが、表面に透明な膜があるような感じになっていないだろうか? 遮断結界自体は光を反射させたりはしないので問題ないとは思うが、それでも心配ではある。
とはいえ、ここの主な相手は魔物だけなので、問題ないだろう。
そういうことにして、岩の上に残した土の上に魔力を込めて模様を描いていく。色々と研究が進んだものの、まだ地面に模様を描いて普通に魔法を発現させるだけで精一杯だ。
目標の付加や付与はほど遠い。それに、まだ普通に魔法を発現させるのも満足にいっているわけではないからな。
こういう独りっきりの場では研究もはかどるのでいいが、それでも限界がある。
「うーむ。どうしたものか」
幾度目かの描いていた模様を消して伸びをすると、彫刻と小刀を構築して作業を開始する。
プラタの姿を思い描きつつ、事前に引いた線に沿って削っていく。
そんなことをしながら時を過ごすが、魔物を狩ることはしていないな。まあいいか。
魔物は多いが、これでも生徒と兵士達で対処可能な量だから、特に相手にする必要もないだろう。むしろ、現在平原に出ている人間に対しては若干足りていない感じだし。
そんな益体も無い考えを頭の片隅で浮かばせながらも、黙々と彫刻を進めていく。
◆
「ふふ、ふふふ」
光を徹底的に追い出したかのようなその空間には身震いするほどに冷たい空気が満ち、そこに女性の忍ぶような抑えた笑みが薄く響く。
「もうすぐですね。ああ、愉しみだ。今度は侵犯者側ではなく、創世側の超越者ですか。如何様な愚物が招かれるのか」
侮蔑と嘲笑の混じった声音で女性は独りごちると、玉座に腰掛けながら、遠くを見つめるように目を細める。
「いずれにせよ、直ぐに対処の必要はないでしょう。こちらに来るまで今少し猶予が在るようですし・・・しかし、何が在るか分かりませんから、誰かを近くに派遣しておくべきですかね?」
少し首を傾げて思案した女性は、闇の奥へと目を向ける。
「そうですね、少し送っておきますか」
その声に反応するように現れたのは、全身鎧のような姿をした男性で、女性はその男性へと手短に指示を出していく。それを受けて、男性は恭しく頭を下げると、奥へと下がっていった。
「これでいいでしょう。何も起こらなければ何もしませんが。さてさて、どうなるのでしょうね」
愉快そうにそう口にすると、女性は玉座に座り直して、背もたれにその身を深く沈めた。
◆
やはり集中するとかなりの速度で時が過ぎていくようで、気がつけば東門を出てから一月近くが経過していた。
彫刻の方はほぼ終わり、後は着色していくだけだ。研究の方は多少の進展はあったものの、大きな前進というほどではない。
滞在期間もまだ半分以上残っているので、引き続き作業を行う。
しかし、これだけ長く居ても近くに誰も来ないというのは、やはりここまではまだきついのか、もしくは森に近づかないように厳命でもされているのか。
「・・・何も言われていなかったよな?」
東門に来てからのことを振り返り、そんな命令や注意は受けてなかったはずだと首を捻る。精々が無断で森に入るなぐらいだ。
「まあいいか」
しかし、別段問題もないので、そのことは脇に置いておくことにして、それからも研究を継続する。とはいえ、その前に置物に着色するとしようかな。
ほとんど完成している置物を手元に構築すると、早速作業に取り掛かる。
着色する為の染料を、土系統の魔法を軸にして数種類構築していくと、それと極細の筆を使って丁寧に色を塗っていく。シトリーの置物を彫った際に経験したが、これがかなり集中力を要する。彫るのも大変だが、最後まで気が抜けない。
記憶を頼りに着色しては、そよ風を起こして乾燥させていく。
そんな作業を黙々と繰り返していき、やっと着色を終えると、それを掲げるように持って様々な角度から確認する。
「ふーーむ。結構上手く出来たかな?」
一つ頷くと、それに各種品質保持系統の魔法を組み込んでいく。これに関しては慣れたもので、一分と掛からずに終わった。
それら全ての行程を終えると、置物を情報体に変換して収納する。
収納を終えると、次は模様の研究だ。現在は一つの模様をいかに小さく出来るかの研究をしているが、幾つか新しい増幅記号を見つけた以外には、多少簡略化に成功したぐらいか。反応の強さを維持しながら規模を縮小するのは大変だ。
「この複雑な記号の意味が知りたいな。どうしてこんなものを思いつくのか」
模様が描かれた紙を構築して目にしながら思考する。前に雨を見ても何も思い浮かばなかったぐらいには、ボクはそちらの方面に才能がない。なので、この発想が理解出来ない。
「この線を幾つも交差させた記号が何で火になるんだろうか? 燃えてる感じなのかな? 別の何かに見えるけれど・・・うーん。分からん」
紙を回したりして確認してみるも、それで解る訳もなく、諦めてため息を吐く。
「まぁ、今はこの手本があるから、これを参考にするとしようか」
何十枚とある紙の束に穴があくほど目を通していき、色々と脳内で検討していく。もう幾度も確認したので、ほぼ全ての模様が頭の中に入っているが、こういうのは実際に確認しながらの方がいいだろう。
それなりの厚さのある紙束をぱらぱらとめくって確認していくだけでもかなりの時間を要してしまうが、それでも答えは出てこない。
「むぅ。共通項は粗方試したし、肝心の記号部分は・・・試したが、解明は出来ていないな」
何に関連した記号かは判っても、それが何故そうなるのかまでは不明。複雑に絡み合う線が憎らしく思えるぐらいに答えが出てこないので、盛大にため息が出てしまう。
「まぁ、いいや。とにかく手持ちだけで色々試していくか」
解らないモノは解らないので、そういうことにして、紙に描かれている模様を頼りに、研究を進めていく。
岩の上に模様を描きながら、反応を確かめて組み合わせや大きさを調節していく。やる事にたいして変化は無いが、一応の進展はみられるので意味はあるのだろう。遅々とした歩みではあるが。
中々に地味な絵面だろうなと思いながら、魔物の只中で研究を続けていく。
えっと、あれから何日経ったっけ? 研究を続けている内にふとそう思い、顔を上げてプラタへと確認の為に声を掛けた。
『プラタ』
『如何なさいましたか? ご主人様』
いつも通りに呼びかければ直ぐに応答してくれるプラタに、ボクが東門を出てから今日までどれぐらい経ったかを問い掛ける。
『ボクが東門から平原に出てから今日で何日目か分かる?』
そんな唐突なボクの問いに、プラタは思案する時間も挿まずに答えを寄越す。
『五十二日目ですね』
『え! もうそんなに経つの!?』
『はい』
ついこの間一月ぐらい経ったばかりだというのに、もう約二ヵ月も経ったのか。終わりはもうすぐじゃないか。
そんな驚きを抱きながらも、プラタがしっかり日数を記憶していた事にも驚いた。実に優秀なものだ。
しかし、四十日以上ここに座ったままだが、特に不調がないものだな。食事はたまに乾パンを少し齧ったり、水を飲んだぐらいだし、睡眠もほとんど取っていない。そういった生理現象の何もかもがほとんど無かったのは、やはりこの身体が兄さんのだからだろう。
それに身体もあまり動かしていないというのに、おかしなところはない。魔力に関しては時折外部から補給していたので問題ないが、それにしても、改めてそれを意識すると、あまりに異質な身体だな。
『そっか。もうすぐ進級になるのか。今は東の森の方はどんな感じ?』
『現在の東の森は、騒動がかなり鎮静化されてきました』
『そっか。結局どうなったの?』
『騒動を起こしていた者達の説得や討伐がある程度終わり、新たに支配者が置かれるようです・・・』
『?』
何処か歯切れの悪いプラタに、どうしたのかと首を捻ると、少し間を置いてプラタが続きを口にする。
『・・・その新たに支配者に加わった魔物ですが、どうも急に頭角を現したようでして、急激に力を付けた事に違和感があり』
『ふむ。なるほど。それは一体だけ?』
『いえ、もう一体居るようで、その魔物は新たに支配者となる魔物の補佐に当たるようです』
『なるほど・・・いきなり二体もの強者が現れたのか。その魔物達は元から強かったの?』
『全ての魔物を把握している訳ではありませんので、以前がどうだったのかまでは把握しておりませんが、それでも、記憶に残らない程度には弱かったはずです』
『そっか』
森の中でも一定以上の強さがあるのであれば、プラタのことだから把握している事だろう。急に強くなるまではそんなプラタの記憶に残っていないということは、その魔物に何かが起きたという事になるが・・・なんだろう? 口振りから察するに、プラタも把握していないようだし。
『・・・ただ』
『ん?』
『魔物達が急に頭角を現す少し前辺りに、何かが森の中へと入っていったのを捉えました』
『何か?』
あまりに漠然としたプラタの言葉に、どういう意味かと問い掛ける。
『詳しくは分かりませんが、何か今まで感じた事の無いモノでして、敢えて言うのでしたら、力の塊と言いますか・・・』
『力の塊・・・?』
困ったように語るプラタの話を聞きながら、自分なりにそれが何なのかを想像してみるが、力の塊と言われても、魔力の塊のようなモノなのだろうか?
『はい。感知し難いほど小さなモノでしたが、それでも気がつけるほどに存在感のあるモノでした』
プラタの話を聞くに、そんなモノが自然発生的に起きるとは思えないので、何者かが故意的に強化した可能性がある。ただ、外の世界はあまりに広く、可能性は多岐に渡るので把握は出来ていないが。しかし、もしもそうであれば。
『その急に強くなったのは、その魔物達だけ? 森の外で他には居なかった?』
何者かが強化したのであれば、他の場所にも似たような事をしているのではないかと考えて、そう問い掛ける。
『はい。ご主人様の仰います通り、森の外でも似たような現象は確認されております』
『それは人為的なもの?』
『おそらくですが』
『・・・誰が行ったか分かる?』
『不明です。しかし、これほどのことが可能な相手となりますと、かなり限られてきます』
『そうだね』
それこそ、ボクの知る限りでは二人しか居ない。一人はこの身体の持ち主である兄さんだ。そしてもう一人は、その兄さんが生み出したという規格外の存在である死の支配者。
その二人を頭に思い浮かべるも、兄さんは無いだろう。ならば消去法的に、今回の事態を引き起こしたのは死の支配者の女性であるという事になるが、では一体なぜそのような事をしたのだろうか?
『意図が分かる?』
『それもまた不明です』
申し訳なさそうなプラタだが、分からないのもしょうがないだろう。あの女性は何を考えているのか、いまいちよく分からないのだから。
『ふむ。まぁ、分からないなら分からないでいいんだけれど、これからどう対処していくかだな。それで、その魔物達はどれぐらい強いの?』
『他の支配者より少し強いぐらいかと』
『・・・えっと、確か他の支配者が上級に分類される強さだっただよね? それ以上に強いの?』
『はい。ですが、下位のドラゴンよりは弱いと愚察致します』
『なるほど』
つまりは、上級以上最上級未満ということか。十分過ぎるぐらいに脅威だな。しかも、それが身近に二体も居るのだから、困ったものだ。