第二百五十五話
「平たく言うと、チェールタは今、二分されている」
案内された村長の屋敷で、村長だと語る翁は、自己紹介もそこそこにいきなり語り始めた。
それだけ切羽詰まってるってことか、それとも俺の出した証が効いているのか。どっちにしても、こちらとしても話が早いので邪魔する必要はない。
石を粗削りしただけのテーブルに座っているのは、俺たちと村長だけだ。
「二分?」
出されたお茶をすすりつつ、俺はおうむ返しに訊ねる。
「左様。帝国派と王国派だ」
端的に答えられて、俺は思い出す。
チェールタは群島で、それぞれの島の代表が評議会を結成し、国政を担っている。一応チェールタでも一番の島、本島に元首は存在するが、評議会の権限は強い。
つまりは、その評議会が二分されているってことだ。
たぶん、王国に近い島々は王国派、帝国に近い島々は帝国派なのだろう。
だがチェールタは親王国だ。いったいどうやって帝国派が増えたんだ?
「以前から、少数ではあったが帝国派は存在していた。勢力を拡大させてきたのはここ最近の話だ」
「理由は?」
「ここ最近、評議員になったものがいる。そいつが妙なカリスマ性でもって今までバラバラだった帝国派を纏めあげたんだ」
うわ、怪しいなそれ。思いっきり帝国からの刺客じゃねぇか。
帝国は現在、どこの国とも貿易をしていない。内需だけで経済を回してるわけで、国が崩壊するレベルではないにしろ、ダメージを受けているのだろう。
そのために、帝国と貿易を(たぶん帝国にとって有利な)結べる国を探しているってところか?
俺は腕を組みながら考える。
チェールタは国力も高いし、帝国にも海を挟んで面しているし、格好の標的でもある。しかも親王国でもあるので、切り崩すことができれば、王国にもダメージを与えられる。
なるほど、うま味たっぷりだな。
「それで?」
自分の推論を確かめるため、俺は続きを促す。
「それで、今回の同盟の話題だ。獣人の国家と同盟を組めば、帝国とは徹底抗戦の構えになる」
「そうなのか?」
「そうなんだ」
何故か首を傾げるブリタブルに俺は即答した。
チェールタは親王国だ。それでいて帝国から被害を受けている獣人の国家と同盟を組めば、必然的に帝国と溝が生まれる。まして現在、チェールタと帝国に国交はない。
帝国の連中がチェールタを通過出来ているのは、今は獣人の国家とは同盟を組んでいないため、防衛義務がないからだ。
もしそれが発生すれば、チェールタ周辺の海で帝国は排除されることになる。
間違いなくそれは絶縁宣言である。
帝国が積極的に介入してきているのは、確実にそういった背景もある。
「けど、纏めあげたっていっても少数なんじゃないのか?」
「当初はそうだった。故に我らも甘く見ておった。情けないことにそこを突かれて、中立だった派閥を次々と取り込んでいったのだよ。連中はリベラル派と語ってな」
それはちょっと救いようがないな。
ってことは、もう勢力的に大きな差はないのか。同盟交渉が難航しそうだな。
「そして連中は、とうとう静かなクーデターを画策した」
「クーデターまで!?」
「チェールタ本島にも帝国派が蔓延りだしてな。結果的に現在の元首──クイーンが暗殺されかけた」
おいおいおいおいおいおいおい。それってメチャクチャ物騒じゃねぇか。
さすがに驚いて目を見開いていると、村長は肘をテーブルに乗せながら手を重ね組む。
「正直に言って、かなり際どい攻防だったよ。なんとか事なきを得たがな」
いや、何故だろう。こころなしか嬉しそうに聞こえるんですが。
「これを公にすることは出来ない。何故なら、それもまた相手の狙いだからだ」
「狙い? とは?」
今度訊ねたのはメイだ。高度すぎるやり取りのせいで、理解が追いついていかないのだろう。いや、かくいう俺も何となくイメージできるくらいなんだけど。
「これを公にすれば、明確にチェールタは二分される。そうなれば我々側も黙ってはいられん。何せ元首が暗殺されかけるという事態だ。国家としての価値が下がる上に、元首そのものの統率力も疑われる。そうなると、戦争という手段に出ざるを得ない。そうなると相手は喜んで戦うだろう」
「まぁ、相手は好戦的だしな」
「左様。そうなると我らと獣人の国の同盟どころではない。国家内紛争の鎮圧に時間と労力を割かれる。そして帝国はあらゆる手段で持って長引かせてくるだろう。故に、我らは秘密裏に処理し、クイーンを《ここ》に避難させたのだ」
頷きながら村長はにやりと笑い――その姿をブレさせた。
まるで蜃気楼でも見ているかのような光景はほんの数秒で、露わになったのは鮮やかな海色の髪と、年齢が分からない顔つきの美女だった。被っている純白の烏帽子には、チェールタの元首を示す紋章が刺繍されていて、ゆったりとした服は荘厳さがあった。
ま、まさか。
俺はあわをくった。
その動揺が楽しいのか、村長――否、クイーンは嬉しそうにまた笑った。
「な、ななっ……!?」
「改めて自己紹介しよう。私の名前はリリーナ・チェールタ。第四十二代チェールタ国元首にして、クイーンのあだ名を持つもの。よろしく頼もうか」
放たれた清廉でありながらも凄烈な声に、俺は圧倒されかけた。
「さて、王国の使者と獣人の王子よ。交渉をしようではないか」
絶句。ただ、絶句。
言葉が出てこなかったが、ブリタブルだけは気にしていなかった。
「へぇ! こんなとこでクイーン様と会えるなんてな、驚きだぜ!」
「ふふふ。さすが獣人の子よ。動じぬな。いや、理解していないだけなのだろうが」
「はっはっは、褒めても何も出ねぇぞ!」
「「「褒めてないから」」」
何故か胸を張るブリタブルに、俺とメイ、クイーンがまとめてツッコミを入れた。
使い古されたボケを入れてくるんじゃねぇよ。
呆れつつも、俺はリラックスしていることに気付く。ちくしょう。
悔しさを握りつぶしつつ、俺は意識を切り替える。
「っていうか、村長に化けてたんですね?」
「見事な魔法だろう? 質感まで誤魔化せるようにするのが苦労した。まぁ、この魔法のおかげで色々と危機を乗り越えられたのだがな」
……苦労、した?
その言葉に強い引っ掛かりを覚えた。
「気付いたか? 左様。このような変身魔法、この世界において、私以外の誰も使えぬ。何せ、オリジナル魔法だからのう」
俺は目を細める。
この世界において、オリジナル魔法を構築することは非常に難しい。否、たった一人で編み出すことなんてほぼ不可能だ。世界最強の名を冠するハインリッヒでさえ出来ないのである。
「同じ使徒故に良く感じる。お主も持っているのだろう? 《魔導の真理》を」
行き着いていた答えを、クイーンはあっさり暴露した。
「なんだ。《魔導の真理》を持っているのは、フィルニーア一人だけだと思っておったか? 勘違いしてはいけないな。そのスキル、元々はヴァータ様のものだ。そして、チェールタはヴァータ様の庇護にある。ならば、一人くらい持っていても不思議はあるまい?」
「その理屈は通るけど……」
「ヴァータ様は保守派に見えるが実はリベラルな思想をお持ちだ。いったい何を考えておられるかまでは知らんがな。その辺りは、同じ神獣である貴方様の方が詳しいのでは?」
そう言って、クイーンはポチに笑顔を向ける。不敵で大胆。
俺を含めた全員が、ポチへ視線を送る。すると、ポチは鼻を鳴らした。
『知らん。水のが何を考えているかなど考えたこともない』
「知らない、考えたこともないってさ」
「はっはっは。そうだろうな。神獣とは元来そういうものだ。では話を戻そうか」
クイーンはまた俺とブリタブルに視線を移す。白銀の瞳が、どこか怖い。
「我らチェールタと、獣人の国家との同盟交渉だ」
どこまでも重い言葉と突発的にやってきたイベントに、俺は緊張して身を固めつつも、覚悟を決めた。
ここが、分水嶺だ。
「現状、我らは静かな内紛状態にある。それをとっとと治めるには、同盟をさっさと締結してしまうことだ」
「それはこっちも願ったり叶ったりだけど、そんなこと出来るのかよ」
チェールタは評議会制だ。同盟を組むにしても、評議会の議決を取らないと成立出来ない。
その辺りの問題を、こんないざこざの中でどう解決させるつもりなのか。
「問題はない。すでに草案は通してある」
しれっとクイーンは答えた。
「帝国派が政治的工作を仕掛けるように、我らもまた仕掛けているということだ。そうすることで中立を保とうとする連中もいるからな。私はその駆け引きに勝ち、評議会で此度の同盟の草案を通した。もちろんそのためには表舞台に立たねばならぬから、それの通過と引き換えに連中は私の暗殺を企てたんだがな」
野蛮、というよりも旺盛と言うべきだろうか。
クイーンはギラギラした目で笑みを崩さない。
「あらゆる手段での暗殺。おかげで私は三日三晩寝れなかったし、水一滴さえ口に出来なかった。とはいえ自分が生み出した魔法で水分は摂取していたがな?」
「それで、あんたは雲隠れしたってことか」
「一時的な混乱は停戦状態に導けるからな。帝国派は躍起になって私を探していることだろうよ。ふふふ」
とんだ策士である。
あらゆる状況を利用して立ち回ってやがる。こんなバケモノ相手に、同盟交渉するのか。
「……けど、その状態も一時的でしかない。時間が立てば、次の元首の擁立論も出てくるしな」
「左様。だからといって、同盟交渉は妥協せんぞ? そのためにわざわざこの場に出張ってきたのだからな。時間は少しでも有効活用せねばならん。ただでさえ君たちを見極めるために時間を割いたのだから」
既にもう交渉は始まっている。
俺は悟ると同時に歯噛みした。こういった相手の場合、セリナが一番有効だ。アリアスだって貴族なのだから、それなりに戦えるだろう。だが、二人ともいない。
そして最も頼りにならなければならないブリタブルは、どうしようもないバカだ。
――ここは、俺が頑張るしかない、か。
小さくため息をついて、俺はぐっとクイーンを見据えた。