第二百五十六話
「さて、まずはお互いの主張を明確にしておこうか」
クイーンが言うと同時に、俺はブリタブルに視線を送る。
するとブリタブルは真剣な表情で、首を傾げた。
「ん? トイレに行きたいのか? ならそう言えばいいのに」
「アホかお前はぁぁぁぁぁ――――――――っ!!」
俺は迷いなく懐から取り出したハリセンでブリタブルの頭をはたく。
すぱーんっ! と景気の良い音が響き、ブリタブルはテーブルにおでこをぶつけた。
中々ヘヴィーな音がしたが、ブリタブルは気にする様子もなく起き上がる。
「な、何をするんだアニキ! トイレくらい恥ずかしがるなよ! 女じゃあるまいし!」
「ちっげぇだろ! ちっげぇだろぉ!? なんでトイレなの!? 俺に恥をかかせてどうすんだ!? っていうかこの状況のこの空気のこの場面で視線向けられたら出すのは一つしかないだろうがっ!」
がなり散らすと、ブリタブルは眉根を寄せながら真剣に考えこみ――
「……まさか、余に露出しろと?」
俺は無言でその顔面にハリセンを叩きつけた。再度、景気の良い音が響き渡る。
「アホの極みも程ほどにしろよ!? 同盟交渉だ! だったら同盟するにあたっての要望や条件を提示するんだろうが! そのために書状をしたためて来たんだろうがっ!」
「……はっ! そうだった! アニキさすがだな!」
「その程度でさすがって言ってくれてどうもありがとうな!? っていうか分かったなら出せ!」
なんで俺が涙目になってるんだ?
疑問をそっとしまいこみ、俺はテーブルに座る。ブリタブルがようやく懐から条件を箇条書きした書類を出して広げるまで、クイーンは苦笑しながら待ってくれていた。
いや、まぁ、「私は本当に同盟して良いのか……?」とつぶやいてたけど。
気持ちは分かる。すっごく分かる。俺があんたの立場だったらもう拒否ってるかもしれん。
「さて、と。拝見させていただくぞ」
クイーンは気を持ち直すように一つ咳ばらいを入れて、その書類に目を通す。
一応、不安過ぎるので中身は俺も確認している。そうじゃないと交渉のテーブルにもつけないしな。
「ふふふ。予想通りだな。国交の開始と、帝国の侵入防止協力。大きくはこの二つか。よほど帝国の手が煩わしいと見えるが?」
「余の民が次々と捕えられ、奴隷や悪魔のような人体実験に晒されているのだ。見過ごすわけにはいかん」
「国を真っすぐに憂うものの言い分だな」
クイーンは目を細めながら言う。きっつい皮肉だな。
「つまり、我らチェールタに国防の一端を担え、ということになる。そのための労力を出すだけの見返りがあると思って良いのだろうな?」
「……そのための国交であると、書状には書いてあるはずですけど?」
鋭く睨むクイーンに、俺は意見を放つ。
ブリタブルに交渉を任せたら何がどうなるか分からん。特にこのクイーン、かなりのやり手だしな。下手したら獣人の国が体の良い属国扱いになる可能性だってある。
「国交で潤うのは獣人の国も同じだろう。それでは対価にはなりえん」
正論だ。
言い返す言葉が無い。
「では、何を求められるんです?」
訊ねると、クイーンは指を三つ立てた。
「一つ。労働力の提供。というと聞こえが酷く悪いから詳しく言うと、一定の移民を募りたい。この同盟締結後、帝国の介入が予想される上に、帝国派を一掃せねばならん。色々な部分で手が回らなくなる可能性があるのだ。そのための補充要員が欲しい」
「……同時に、国民に獣人が人間であることと、協力していける関係であると知らしめるのか?」
「穿ち過ぎだ。どう捉えても構わんがな? 二つ目。共同出資による海防隊の創設だ。我らだけが痛い目を遭うのはおかしな話だ。獣人たちも戦い方を学ぶべきであり、共に血を流すべきではないか?」
「異存はない」
ブリタブルは即答した。
というか、断れる類の提案ではない。
だがこれも獣人たちの戦闘力の底上げにもなる。ちゃんとこっちのことも考えられての提案だ。
「三つ目。我らはこれよりチェールタ本島へ出向き、同盟締結の名乗りを上げる。それの手助けをしていただきたい。そうなれば、帝国派はかなり揺らぐどころか、崩壊する。故に、連中もさせじと抵抗してくるはずだ。これは文字通り命がけになるだろう」
「何かあるのか?」
訝んで訊くと、クイーンは頷いた。
「詳しい調査報告はまだだが、連中の本拠地の一つ――グレタ島が壊滅しているらしい」
「壊滅?」
「正確に言うと、島民が全滅して、代わりに帝国の軍人が入ってきているようだ」
……は?
それって、紛れもない侵略行為じゃねぇか?
「証拠をしっかりと掴みたいところだが、どうも魔族が関わっているようでな。中々尻尾が掴めん」
「そこでもか」
俺は吐き捨てるように言う。
やっぱり間違いなく魔族と帝国はまだ繋がってるんだな。というか、魔族が帝国を利用しようとしてるんだろうけど。
「どうも、不穏な研究もしているようでもある」
「不穏な研究?」
「うむ。一つは完成したらしくてな。そいつのせいで我らはここに引きこもるまでになった」
「どういういことだ?」
クイーンの表情が陰ったのを見逃さず、俺は追求する。
曲がりなりにもクイーンは《魔導の真理》を持っている。それを駆使すれば、かなりの戦闘能力を有するはずだ。しかもクイーンは《鑑定》スキルによると
その、刹那だった。
「ああ、やっと見つけた」
どこまでも軽い、だが、どこまでも怖気の走る声が上からやってきた。
ほとんど同時に俺とメイが動く。ブリタブルも立ち上がり、ポチも唸りながら稲妻を迸らせる。
見上げると、そこには白髪の男──俺よりも小さい子供がいた。
表情にはどこか泰然とした笑み。そして、明確な殺意。
「ばかな、どうやってここまで来たんだ、ハガル!」
明らかに動揺しながらクイーンは立ち上がって声を荒らげる。同時に魔力を両手に集めた。
「そう荒れないでよ」
穏やかに、挑発的に言いながら、ふわりとハガルは俺たちの前に着地する。
あまりに隙だらけだ。
逃さずメイが剣を抜きながら飛び出した。良い判断だ。この状況で敵じゃないはずがない。
「僕に逆らわない方が良いよ?」
「……えっ?」
ハガルが手を掲げる。
たったそれだけなのに、メイは脱力したように跪いた。からん、と大剣がこぼれて地面に転がる。
―-なんだ。何が起こった?
「ほら、言ったじゃないか」
ハガルの顔に浮かぶのは嘲笑。
即座に俺は《鑑定》スキルを打った。
視界に表示されたのは、《反逆者》というスキルだ。
──《一定範囲に存在する自分より高レアリティのすべての能力を、一定時間自身よりワンランク下のレアリティに抑制する》──
そんな説明文に、俺は驚愕した。
これって、強制的なレアリティダウンじゃねぇか! なんつー凶悪な能力を!
「……ちっ! 相変わらず厄介な!」
「なんだ、力が……余から力が抜けていく……!?」
その効果はクイーンとブリタブルにも波及する。
影響を受けないのは、俺だけか。となれば、戦うのは俺だけってことだな。
すかさず俺はハンドガンを抜き構えつつハガルとの間合いを詰める。まずはメイを救出してからだ。
「! 君は動けるのか。フツーなら能力ががた落ちして虚脱状態になるというのに……っと!」
御託を並べるハガルへハンドガンを撃つ。氷結の魔法を籠めた弾丸は、キラキラと氷の粒子を軌跡に襲い掛かるが、ハガルはあっさりと回避した。
身のこなし、悪くない。
俺は牽制で何発か撃ってからメイの元へ駆けつける。
「動けるか、メイ」
俺はメイを庇う立ち位置に着地し、声をかける。
「ご主人さま! はい、なんとか……けど、身体がすごくフラついて……」
「ゆっくりで良いから下がってろ。クイーンを遠ざけてくれ。ここは、俺がなんとかする」
立ち上がるのを待ってから、俺はハガルに接近を開始する。
ハガル。レアリティは
間合いを図りながら、俺は炎の魔法を籠めた弾丸を放つ。
刹那、ハガルは軽快なステップを刻んで躱し、抜き身さえ見せずにダガーを構えた。
早い!
間合いを広めに取って応戦する!
俺はバックステップで距離を取り、魔法道具マジックアイテムを解放する。
「《ヴォルフ・ヤクト》!」
背中の刃を遠慮なく解放し、俺は自分の間合いを拡大する。
ステータスでは負けている。加えて、自動回復スキルが発動しない以上、魔力は有限だ。一応ジェネリックがあるから数値以上には魔法を使えるけど、今の俺は魔力依存の戦い方だしな。
ってことは、いつも通り短期決戦を挑むしかないか。
ジャイアントキリングに奇襲は重要で、長引かせてはいけない。地力の差が出てしまう。
俺は敢えて刃を周囲に回遊させ、間合いを図った。
「空中に刃……? 面妖なっ」
「それだけと思うなよ!」
俺は刃を高速でけしかける。
上下左右から広い角度で攻撃を仕掛けるが、ハガルは踊るようにステップし、捌き切れない刃はダガーで迎撃していく。見事な身のこなしだ。
俺はそこへハンドガンの銃撃を重ねる。
不意打ちで放ったが、ハガルは寸前で気付いて背を反らして躱す。追撃に刃を向けるが、アクロバットに飛び跳ねられて回避された。
もっと追い詰める!
俺は間合いを詰めつつ、ハガルの足元から二枚の刃を襲わせる。
「くそっ、手数の多いっ!」
ダガーの一閃で二枚の刃を弾きつつ、次いでの攻撃に舌を打った。その苛立ちから生まれた隙を逃さずハンドガンで狙い撃つ。
わざと氷結の魔法を放ち、風の魔法を混ぜる。
だが、ハガルはカンで感知したか、大きく動いてやり過ごす。
その間に俺は五枚の刃をハガルの周囲に展開させた。
「――!?」
「《アイシクルエッジ》」
魔力が伝播し、刃から氷が放たれる!
盛大に表情を歪ませつつ、ハガルは強引に身を捻りつつ回転、躱しながらダガーを犠牲にして氷の刃を受け止めて弾いた。
その丸腰になった刹那を狙って、《俺は一気に肉薄した》。
「《エアロ》っ!」
「僕に接近戦を仕掛けるか、良い度胸だっ!」
待っていたと言わんばかりにハガルは隠し持っていたダガーを握りしめて構える。
甘い。それは囮ブラフだ。
俺は風に乗った身体を踊らせて地面に着地。魔法陣を発動させた。
「《ベフィモナス・フレア》!」
大地と炎を混ぜた魔法は、ハガルの立つ地面をマグマへと変化させる!
異変を感じ取ったハガルは即座に跳躍する。
俺はそれを狙っていた。呼応するように俺も跳躍し、一気に間合いを詰める。
ハガルは咄嗟にダガーで迎撃の構えを取るが、それにも合わせて刃を向けてダガーを弾き飛ばす。
遅い。もうあんたの攻撃のタイミングは見極めた!
俺は小声で呪文を唱え――、腕を伸ばしてハガルの腹に掌をぶつける。
「《
「――――っ!?」
――ぱきんっ。
白い無数の刃が、ハガルを中心として咲き乱れた。
悲鳴もなく、終わりが告げられる。
血の霧となって消えていく中、俺は膨大に失った魔力にため息をつく。
ちょっとくらってするな。気持ち悪い。
この術、接近しないと使えないのが欠点だな。それに
俺は深呼吸して、振り返る。
「さすがです、ご主人さま!」
いのいちにメイが駆け寄ってくる。ハガルが倒されたことでスキル効果から解放されたらしい。
そんな俺を、クイーンは驚愕と脅威を多分に混じらせた苦笑を浮かべていた。
「ははっ、この私をこの地に追い込んだバケモノをこうもあっさりと……なんて強さだ」
クイーンは、そう低い声で零した。