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執事コンテストと亀裂㊲




藍梨は今、一人で公園にいる。 伊達とこの公園に一緒にいると、何故かドキドキしてしまう自分がいた。 いや――――緊張しているのだろう。
それはきっと、ここにいると結黄賊の誰かと会いそうな気がするから。 もし誰かとここで会ったら、絶対に気まずくなる。
だけど『ここには来たくない』と言うことも、藍梨からは言うことができなかった。 もしそう言うと、彼は理由を聞いてくると思ったから。
だが、一人で公園にいるのは平気だった。 

それは――――“もしかしたら結人に会えるかもしれない”と、思ってしまうから。

そんなことを期待しても――――来るはずがないのに。 

それともう一つ、藍梨には気になっていることがある。 それは先刻、結人を見た時のこと。 その時彼と一緒にいた、もう一人の女性。 あれは――――一体誰なのだろうか。 
―――・・・もしかして、新しい彼女さんかな。
結人はカッコ良いしモテるから、今新しい彼女ができていてもおかしくはない。 
―――・・・もう、私のことは飽きちゃったのかな。
藍梨はゆっくりとその場に立ち上がり、公園の隣にある倉庫へと近付いた。 そしてこの間、倉庫に落書きをした場所まで足を運ぶ。 だが――――落書きは、何も変わっていない。 
―――そうだよね。 
―――こんな落書き、目立たないし気付くはずもないよね。
どうして期待してしまったのだろう。 いや――――自分は、何を期待していたのだろう。 もう期待なんて、しないと決めていたのに。
藍梨は落書きがしてある場所にしゃがみ込んだ。 そして、その文字をゆっくりと指でなぞる。

―――ねぇ、結人。 
―――私ね、恐いくらいに憶えているの。 
―――結人の笑顔や温もり・・・その全てを。
―――おかしいよね? 
―――・・・駄目だよね、私。 
―――別れているのに、どうして結人のことばかりを考えちゃうのかな。

そして――――藍梨の頬には、涙が伝った。 結人のことは確かに何度も忘れようとした。 だけど、忘れられない。 忘れたいものは、絶対に忘れられない。
結人のことで思い出すものは、全て楽しいことばかりだった。 みんなと一緒に公園で集まって、遊びに行って、笑い合って。 みんな藍梨に優しくしてくれた。
『藍梨さん、藍梨さん』と言いながら。

―――ねぇ・・・あんなに楽しくて笑っていたことを思い出しているのに、どうして私は今泣いているの?
―――もう、嫌だよ・・・こんなに苦しい気持ちになるの。 
―――ねぇ・・・結人? 
―――結人は、愛することを私に教えてくれたよね。 
―――じゃあ今度は、私に忘れることを教えて?

涙が、止まらない。 

―――お願いだよ、結人・・・。 
―――自分から手放した恋なのに、私・・・馬鹿みたい。

~♪

突如、携帯が誰も居ない公園に鳴り響いた。 
―――誰・・・? 
そこで携帯を取り出し、相手を確認する。

―――結・・・人・・・?

画面に映し出されている彼の名を見た瞬間、藍梨は手が震えていた。 出たくはないけど、結人と話したい。 いや――――話したくはないけど、結人と繋がっていたい。
葛藤した結果自分の気持ちを抑えることができず、電話に出てしまった。
『・・・藍梨?』
結人が、名を呼んでくれている。 彼の声を聞くたびに、胸の奥が苦しくなった。 そんな苦しい胸の鼓動を、少しでも落ち着かせるように右手でそっと添える。 
そして、ゆっくりと深呼吸をした。 相変わらず涙は止まらないが、泣いていることを結人には気付かれたくなかった。 
だから泣いていることがバレないよう、頑張ってハッキリとした声を出す。
「どうしたの? 結人」
『いや・・・。 何か、急に藍梨の声が聞きたくなって』
そう言って少し笑う結人に、どこか嬉しく思ってしまう。 

期待しては――――駄目なのに。

「困っていることでも、あるの?」
『んー・・・? まぁ、確かに色々あって困ってはいるかな。 でもいいんだ。 もう少しで終わるから』
―――終わる? 
―――・・・何が?
『だから藍梨は心配すんな。 何も、気にする必要はねぇよ』
どうして、結人はそんなに気を遣ってくれるのだろうか。
『藍梨は大丈夫か? 何か、嫌なことでもあったのか』
「ッ・・・」

―――え? 
―――どうして分かるの? 
―――でも今は、嫌な思いなんてしていない。 
―――・・・いや、しているのかな。
―――どうして・・・結人は、私のことが何でも分かってしまうんだろう。 
―――私は結人のこと、何も分かっていないよね。
―――こんなんじゃ、結人の彼女になんて・・・相応しくなかったよね。 
―――ごめんね、ごめんね結人・・・。

結人が悩んで苦しんでいたりしていることに、すぐ気が付くことができたらよかったのに。 そしたら結人は、今でも苦しくならずに今頃笑っていることができたのに。
そんな藍梨は自分を責め続け、ひたすら涙を流すことしかできなかった。
『・・・藍梨? 大丈夫か?』 
自分のことばかりを考えていて、返事することを忘れていた藍梨。
「結、人・・・」
『・・・え、藍梨泣いてんの?』
「いや、違・・・」
『どうして泣いてんだよ!? 何かあったのか?』
「そんなんじゃない」
『じゃあどうして・・・』
「何でもないの」
『・・・』
そして結人からの返事は――――こなくなった。 
―――ごめんね、素直じゃなくて。 
―――私、悪いところばかりだよね。 
―――こんな彼女・・・最低だったよね。
自分を責めることはたくさんできる。 だが、今更責め続けても意味がない。 もう――――結人の彼女では、ないのだから。

―――じゃあ、どうして涙は止まってくれないの・・・?
―――お願い・・・止まってよ。

そう思い藍梨は何度も涙を拭こうとするが、一向に涙が止まる様子はない。 
―――もう、どうしたらいいの・・・。

「・・・藍梨」

この声は――――結人。 と言っても、電話越しからの声ではない。 それよりもはるかに近く、とても聞き取りやすい声だった。
「結人・・・?」
そう――――彼は公園にいた。 藍梨との距離もとても近かった。 落書きが見られないよう、急いで倉庫から離れる。 そして、結人の目の前まで足を運んだ。 
偶然彼は、藍梨を見つけたのだろう。 もう一度慌てて涙を拭くが、やはり涙は止まってはくれない。
―――・・・結人の前では、泣きたくなかったのに。
頑張って涙を拭いていると、結人は突然藍梨の腕を掴み拭くことを止めさせた。
「え・・・?」

「泣いていいよ。 無理に涙を止めなくてもいい。 ・・・座ろう?」

そう言いながら、藍梨をベンチまで誘導してくれる。 先刻まで伊達と、一緒に座っていたこのベンチ。 藍梨は先程と同じ場所に座った。 
ただ違うことは、隣にいるのは伊達ではなく結人だということだけ。 彼は何も言わずに口を噤んだままだった。 ただ、藍梨が泣き止むのを待ってくれていた。

そして――――結人と会って、20分くらいが経ちやっと涙が止まる。 少しでも落ち着きを取り戻した藍梨を見て、結人はそっと口を開いた。
「・・・それ、どこで買ったの?」
彼は、藍梨が持っている大きなぬいぐるみを見てそう言った。 これは今日、伊達がUFOキャッチャーで取ってくれたものだ。
だが何も答えることができずにいると、結人は続けて言葉を発する。
「伊達にでも貰ったか?」
その言葉に否定することができず、何も言わずに小さく頷いた。 その仕草を見た結人は、少し悲しそうな表情を浮かべる。
「そっか。 今日は伊達と一緒に、遊んでいたんだな。 楽しかった?」
その質問に、先程と同じように頷いた。
「そっか。 ・・・それじゃあ、どうして泣いていたの?」
「・・・」
それでも藍梨は何も答えない。 いや、答えることができなかった。 

“結人のことを考えて泣いていた”なんて、答えられるはずがない。

「伊達が藍梨を傷付けるようなことは言わねぇと思うしさ。 だから伊達以外で、何かあったんでしょ?」
「・・・」
ずっと無言でいる藍梨に、彼は更に言葉を紡いでいく。
「まぁ、言わなくてもいいけどさ。 無理には聞かない。 でも、悩みがあんなら言ってほしいとは思う。 少しでも、藍梨の力になりたいから。 あれ? 何か矛盾してんな。 
 何つったらいいのかな・・・」

―――ねぇ・・・結人? 
―――もう私たちは別れているのに、どうして結人は今でもこんなに私に優しくしてくれるの?

「そう、あれだ。 俺はさ、藍梨が笑っていればそれでいいと思っているんだ。 ・・・藍梨の笑っている顔が、俺は好きだから」
そう言われて、藍梨は再び静かに涙を流した。 

―――やっぱり・・・私、結人のことを諦め切れないよ。
―――ねぇ、結人? 
―――結人以上に、好きになれた人はいないの。 
―――この私の気持ち、早く見抜いて? 
―――私のこの心の隙間を埋めるものは・・・結人しか、いないんだよ。

「何かあったら相談してほしいって気持ちも、そりゃあるけどさ・・・。 藍梨の笑顔を見ることができるなら、それでいいんだよ」
そして結人は、続けて自分の気持ちを綴っていく。
「俺は今でも、藍梨のことを大切に思っているよ。 だから・・・別れていても、いつでも俺を頼って?」
そう言って、俯きながら優しく微笑んだ。

―――ねぇ、結人。 
―――私のことが好きじゃないなら、そんなに優しくしないでよ。
―――そんなに優しい顔を、私に見せないで。 
―――嫌いなら私が嫌いになるくらい・・・冷たく、突き放してよ。

自分の気持ちを全て言い終えた結人は、ゆっくりと顔を上げ藍梨のことを見た。 その瞬間、彼の表情は優しいものから一気に複雑そうなものへと変わる。
「・・・え? ちょ、藍梨何でまた泣いてんの!?」
その言葉を聞くなり首を横に振り、涙を拭きながらこう口にした。
「ううん。 ・・・何か、嬉しくて」
「え?」
「大丈夫だよ、ごめんね」
苦笑しながらそう謝ると、結人は真剣な表情になり言葉を返す。
「いつまで泣いてんだよ。 今さっき言っただろ? 俺は藍梨の笑顔が好きだって」
そして――――続けて、言葉を発する。

「笑えよ。 ・・・泣くなよ、馬鹿だな」

結人は笑いながらそう言って、藍梨の頭の上に自らの手を置き撫でてくれた。 それはとても優しかった。 結人の優しさがいっぱい詰まった、とても温かい手だった。
伊達と繋いだ時とは違う――――全然違う、手だった。

―――でも、ごめんね・・・結人。 
―――私は上手く笑える程、強くはないの。
―――でもね、一つだけ分かったことがある。 
―――今まで自分の気持ちに嘘をついてきたり、自分の気持ちを抑えようとしていたけど・・・今なら、ハッキリと分かる。
―――私は今、貴方に恋をしている。


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