第二百三十三話
これが、バンシィの泣き声か。
音が、音の集合体が、風となって周囲を襲う。凄まじすぎて無音にさえ感じられるが、全身はビリビリとしていて確かな轟音が炸裂しているのが分かった。
っていうか、これ、やばい。うん、やばい。
俺は耳を塞ぎながらも声を出すが、自分の声がわからない。それぐらい音が凄まじいのだ。
あんな小さい女の子が、どうやってここまで!
焦りばかりがやってきて、俺は何も打開策が出てこなかった。さすがに精霊をハリセンでしばいても意味ないし。
『ちょっとコケたくらいで、ぴーぴー泣くんじゃないよこの駄妹がっ!』
『むぎゅっ。』
罵声が降りてきたと同時に新しい精霊が出現し、容赦なくバンシィの後頭部をはたき倒した。
謎めいた奇声をあげて、少女は泣くのを止めた。
おお、さすが精霊。一撃だ。っていうか頭しばくんかい。っていうか駄妹とか言ったな。
『お、お姉さま……』
予測通り、頭を両手でさすりながら少女は、背の高い精霊を見上げた。
揺れるような虹色の長い髪を無造作に流す、勝気そうな見た目の精霊は、厳しい表情で少女を見下ろす。
その眼光は鋭く、少女はたちまちに縮こまった。
『ちょっと時間出来たから様子見にきたら、なんとも情けない!』
『ご、ごめんなさい……』
仁王立ちでの説教を受けて、少女は更に縮こまった。姉と名乗る精霊は更にげんこつを脳天に叩き落してから、俺の方へ向き直った。
『ったく、おっと。済まないね。ウチのアホ妹が迷惑かけた』
「あ、ええ、まぁ」
『そんなことないですよ、と素直に言わせないくらいに迷惑をかけて本当に申し訳ない……』
痛嘆の表情で姉は頭を下げて来た。
「あ、いえ、無事に泣き声が止まって良かったです。だから、気にしないでください」
『そう言ってくれるとありがたいね』
微苦笑を浮かべながら姉は言うと、次に視線を女の人に移した。
『それで、あんたかい。ウチのアホが目を付けてるっていう人間は』
「え、あ、はい、そうです」
『このバカッ!!』
きぃん、と耳鳴りがするくらいの罵声が飛び、俺はたまらず耳を押さえた。直撃を喰らった女の人は目を白黒させている始末だ。
『若いうちからそんな喉を傷めるようなことばっかりやってどうするんだ! 喉は傷めたら簡単には治らないんだよ!? 歳くったらしゃがれ声にしかならなくなるよ! そうなったら精霊どころか、泣き女にさえ出来ないだろうよ!』
「ひぃっ!」
『そもそも泣き女なら、大声なんかよりも、魂に潤いを与える声と涙を目指しな。供養するために本気で悲しんで泣くことだ。それが肝要だろう? 大声なんかじゃないよ!』
ことごとくの正論だ。いや、泣き女の真髄なんて俺には分からないけど。
でも、姉精霊の言ってることの方が筋が通ってる気がする。
「で、でも、家ではっ」
『家と精霊たるあたしと、どっちを信じるんだい?』
反駁しようとしたのを予測していたのだろうか、姉精霊は即答し、黙らせた。
だが、それでも女の人は逡巡の様子を見せた。不安そうに手を口元にやり、挙動不審なぐらいに身体を揺すっている。
姉精霊は盛大にため息をついた。
『仕方ないねぇ。だったら、あたしが直接出向いてその家族連中を説得してやるよ』
「ええっ!? よろしいんですか?」
『一応、あたしも目をかけてやってるからね。あんたには。だからだよ』
明らかに照れ隠しで言う姉精霊。
それに気付かず女の人は喜びの舞を披露しまくる。おいおい、テンション変わりすぎだろ。
『ったく。ただでさえ忙しいっていうのに……』
『そんなに大変なのか?』
訝しく訊ねたのは、ポチだった。隠蔽魔法を自ら解除して姿を見せてくる。
『ん? おや、やっぱり神獣かい』
『左様。まさかここで精霊と出会えるとは思ってもみなかったぞ』
『あたしもだね』
ポチが相好を崩すように言うと、姉精霊も穏やかに笑った。
『それで、大変というのはどうしてだ? 戦争も落ち着き、偉人の突然死は減ったはずだが』
『そっちはね。でも、バンシィの数そのものが減ってるんだよ』
『バンシィが?』
訝しんでポチが問うと、姉精霊は頷く。
『魔族に狩られてるんだよ。これまでもあったことなんだけど、ここ最近は特に顕著だね』
「え、魔族?」
『そうだよ。魔族はあたしら精霊を食べるからね』
「食べる!?」
驚愕の声が思わず出てしまった。
『正確に言うと吸収だけどね。あたしらと魔族は親和性が高いから、力をより効率よく吸収できるんだよ。逆に、あたしらも魔族を狩る時があるからね』
おい、割と物騒だな精霊。
正直な感想は絶対に口に出せない。
『ともあれ、その狩られ方が半端じゃない。犯人はエキドナなんだろうけどね』
久々に出て来た魔神の名に、俺は胸に重い何かが引っかかる感じをした。
マジか。アイツ――。
『そういうことだから、対策を求められててね。近々、大精霊会議が行われることになった』
『ほう』
『精霊の数を増やす対策と、精霊の保護、対魔族の策――色々とあるみたいだから、あんたら神獣にも通達が行くはずだよ。あんたら神獣にとって他人事じゃあないだろう?』
ポチは重々しく頷いた。
まぁ、ポチにとっては特にそうだな。何せ魔族に汚染されて肉体を失ったんだから。全盛期の力はまだ取り戻せているとは言えない。
『そういうことだから、準備だけはしておいてね。それじゃあ。ほら、さっさと行くよ』
「は、はいぃっ」
姉精霊に促され、女の人は声を上げ、先導しながら森へ消えていった。
残されたのは俺たちだけだ。
「あ、あの。大精霊会議ってなんですか?」
気配がどんどん遠ざかっていく中、メイが不思議そうに尋ねる。俺も気になってたことだ。
『第一世代の精霊の生き残り――
「……なんかすっげぇ壮大だな」
『壮大だ。世界中の精霊が集まるからな。逆に、転生者を受け入れるにはそれだけ重要だということだ』
いきなりガチャの話が出てきて、俺は思わず声に出した。
いや、だって。俺にも関係がありまくる話になったからな、いきなり。
『ともあれ、それだけの会議が行われる、ということは、それだけ危機が迫っているということだな』
「エキドナの復活が近い、ってことか?」
『それもあるやもしれんが、それ以上に精霊の数が減っているのだろう。精霊は世界の恵みでもある。枯渇すれば直ちに世界情勢に影響を与える』
げ。マジか。
「それじゃあ、出席しないといけませんね」
『そうだな。もちろん主も参加するんだぞ。何せ神獣の使いだからな』
「はぁ!?」
『当たり前だ。そういう契約なんだから。本来、神獣の使いは神獣に付き従うものだ。特に異界へいくとなれば、絶対についてくることが条件だ。もし破れば、即座に死の鉄槌が落とされるぞ。それは《ビーストマスター》の能力が発動されていたとしても、だ』
「聞いてねぇぞそんなもん!」
『……あれ?』
思いっきり抗議を上げると、ポチは首を傾げた。
俺は容赦なくポチに詰めよる。
「思い出せ。そんなこと、ただの一つとして、俺に言ったか?」
落ちたのは、しばらくの沈黙。
『……くぅーん』
「この駄犬めぇぇぇぇぇっ!」
俺の叫びは森の中に轟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
屋敷に暮らし始めてから、一週間が経過した。
貴族の屋敷だけあって大きいそこは色々と規格外だった。風呂もデカいし、庭も綺麗だし、地下には修練場もあった。なんで貴族に、と思ったが、この国は《レアリティ》が高いと貴族になれるから、冒険者も多い。そのためだろう。
屋敷にはメイド服に身を包んだ魂――幽霊がたくさんいて、最初こそ落ち着かなかったが、慣れとは不思議なもので、今では気にもならない。むしろ便利だ便利。
魔力源さえあれば、賃金を払う必要もないし、その魔力源はキリアとシシリーだし。
そんな生活にも馴染んだので、俺は次の依頼を受けようと考えていた。
どうせ冒険者になったんだから、色々と動きたい。遠出をするにはもっとポイントを稼いでからだけど、王都から少し出るくらいにまで範囲は広げても良いしな。
そう思っていた矢先だった。
「ウルムガルトが?」
朝食を終えたタイミングで、幽霊が来客を報せにきた。
ウルムガルトは俺の贔屓にしてる女商人だ。若いけど腕が立つし、学生時代にも良くお世話になった。そんなウルムガルトが朝になんの用だ?
もしかしなくても急用だろう。
「応接室に通してやってくれ。俺も向かうよ。メイ、ポチ」
「はい」
『うむ』
俺が立ち上がるのと合わせてメイも立ち上がり、ポチも起き上がった。
応接室へ入ると、待ちかねていたのだろう、ウルムガルトは部屋でうろうろしていた。
「! グラナダくん!」
「よ、ウルムガルト。どうしたんだ?」
気さくに手を挙げて言うと、ウルムガルトは目尻に涙を溜めながら駆け寄ってきた。
そして、がしっ! と俺の手を両手で掴み、ぐいっと胸元に寄せる。っていうか当たってる、当たってますよー?
「グラナダくん! お願いがあるの!」
「お願い?」
ウルムガルトは上目遣いになりながら頷く。
「お願い、私と結婚して!!」
それは、紛れもなく爆弾発言だった。